青空のもと さようなら洗足!

  • 2019.03.03 Sunday
  • 00:00

 

青空のもと さようなら洗足!

 

諸法従縁生   如来説是因

是法従縁滅   是大沙門説


 

わたしは天心に成る法、天心を磨く法を得た。
天心は転身であり、身を転じ遷すことに通ず。
佛僊・神僊の天人種(超人アデプト)になること。
之れを云う。

 

 

 

川島徳慈しるす

 

 

整体天心法の発信へ!!(5)【東京洗足院は法界の彼方へ!】

  • 2019.03.02 Saturday
  • 10:00

整体天心法の発信へ!!(5)

【東京洗足院は川島金山の名と共に法界の彼方へ!】

『我が身これ金剛去った身なり』

 



◎東京洗足院の存在は、諸行無常、空無と化す!

金剛は去ったのである!
京洗足院の歴史に幕が閉じられました。
全てのものは諸行無常、諸法無我が真実の姿。「真の帰依」「神ながら」「天心」「心の本性(リクパ)」だけが依るべき真実。涅槃ニルヴァーナだけが不変の境地なのです。それ以外のものは、この浮き世の浮き草、毀誉褒貶があろうとも大したものではない。
生死一番、これはこれ「仏性」「天心」だけが唯一無二の一大事。
滝行も瞑想も呼吸法もあらゆる神秘的な行法も、全人類に等しく内的に在る「仏性・天心」の前には路傍の石ころにも劣るものである

 

密教では先ず金剛サッタに変化(へんげ)する。これが基本の型である。金剛の菩薩だ。

観想として「我が身これ金剛サッタ身(しん)なり」と観念する。

金剛サッタは高位メンタル、コーザル体まで把握した菩薩である。金剛はダイヤモンドより堅いもの。密教を別名「金剛乗(こんごうじょう)」という。ロケットみたいな乗り物だ。大宇宙にまで行くことができる。金剛サッタは、金剛去ったに通じる。東京洗足の金剛サッタの修行者は、まさに去ったのである!

 


◎川島金山の名も全てが法界の彼方に!
洗足の産土社は碑文谷八幡だ。御社には随分お世話になった。
御神体は畠山重忠公の兜立て。つまり兜の前面の装飾である。
守り本尊であったとも伝えられる。これを宮野左近に授けたのが、重忠公の側近 榛澤六郎成清(あいざわろくろう)であった。榛澤六郎の家臣が宮野左近であり、畠山重忠公、榛澤六郎成清の死後、碑文谷八幡辺りに住み、畠山不動を奉祀して神主になり、主の榛澤六郎を稲荷社に祀った。
(今でも宮野家は洗足の地主である。)

この畠山重忠公の鎧甲冑が国宝の日本三大甲冑で武蔵御嶽神社の宝物殿に納めされている。御嶽神社といえば霊学講座(松本道別翁)の発刊に関わった高位の御神霊「大口真神」がご祭神の霊学発祥のメッカだ。また畠山公は、JR御岳山駅から登山する高水山の不動明王を信仰していたと言われ、碑文谷八幡の御神体とされる兜立ての宝剣こそ、その不動明王の分祀の逸品なのであろう。

 

 

高水山のお不動さんは、神伝禊ぎで有名な川面凡児翁の弟子中、一番の実力者 尾形学而翁が真言密教僧だった頃に信仰していた不動明王なのである。この不動明王の御眷属が高級霊として憑霊し、尾形翁に力を与えていたが、川面先聖が秘していたその名前まで看破し、脱帽して川面翁の弟子になったというのが、伝説的逸話である。

 



これらの事も判然として、洗足の産土である碑文谷八幡を参詣し、畠山重忠公、榛澤六郎成清公、宮野左近を念じ、高水山不動、尾形学而翁をも念じ、祝詞奏上、読経真言読誦をおこなった。真言の念誦では私の根本ラマ伝授の不動明王マントラを灌頂の悟りと共に奉献した。ワサワサと動くような驚きの思念が伝わってきた。こうして私の産土神への「金剛去る也」の御挨拶も終わった。
すべては法界の彼方に。金剛は去った。

ウーム、大丈夫。

 

◎私の境地は不動(ミヨーワ)である
天心とは何か?
それは涅槃(ニルヴァーナ)であり惟神(かんながら)であり、すなわち「真の帰依心」だ。ズバリ、勝義の帰依だ!

仏陀釈迦牟尼だけが教え得た「ニルヴァーナ涅槃」そのものである。ブッダのお徳を超えるものはない。

観自在にして、金剛である。観音不動金剛サッタ。

私の守り本尊は不動明王。不動はミヨーワという境地を指す。これ天心であり入涅槃の境地に連なる。

さあ、整体天心法の出発である!

これからは天心を共有する旅路である。
呵呵大笑。

(終)


川島徳慈(観音不動金剛)しるす

整体天心法の発信へ!!(4)【我も去る也、すぐに来る也】

  • 2019.03.01 Friday
  • 07:00

整体天心法の発信へ!!(4)

金剛去った也!!

【我も去る也、すぐに来る也】

 




◎我も去る也、すぐに来る也
整体の巨人 野口晴哉師は「我は去るなり」と書き遺した。
まるで遺言のように書き置き、原稿の山の中に発見されるのを待つかのように在ったという。彼は我は去る也と遺言した。ほぼ断定してよいと思う。

「我は去る也」という響きの中に、まだ死にたくはないのだが…、という部分が見え隠れしている。別に人が死に去るのは当たり前のことだ。彼は、一日生きたということは一日死んだということだと教えていた。実際、輪廻の輪の中にある衆生は、一瞬一瞬生き死にを繰り返しているのだ。ただ其れを自覚していないだけなのである。だから一日生きたということは一日死んだということだ等というのは、如何にも恰好つけた気障な言い方なのだ。

野口さんも野中さんも、将軍様も大臣もみんな単なる人間だ。同じようなものだ。そうご大層なものではない。みんな去るなり、我らは皆んな去る也だ。

私の場合は「我も去るなり」金剛去った也だ!

生きて去ることもある。大抵死んだらお終いだ。生きて転生し、復活する。そうだ白隠禅師の師僧であった正受老人は『生きながら死人になりて…』と道歌を遺し公案とした。生きながら死人になって、自由自在に動く!すぐに来る、帰って来る。

空っぽになって動く。
そうすれば生きながら死に、生を転じて拾うことができる。
そうだ!まるで北斗神拳の奥義「無想転生」だ!

 



 

◎吾が憑霊退散封じ法と観音菩薩の大威神力
吾が会には、悪霊邪霊封じ法の大法「ふつそくまの御霊法」がある

憑霊を得脱させるところの「交霊憑霊療法」がある。

開運秘傳の畧神供作法(略施餓鬼法)由来の招霊式の瞑想法がある。
観音菩薩由来の諸法がある。
観音菩薩マントラの詠唱法、瞑想法、延命十句観音経、観音経などの「摩尼集」の法。

観音大菩薩、観世音菩薩、観自在菩薩の大威神力。
ターラ観音、馬頭観音の守護力。
仏陀の法門の真髄「真の帰依」、

瞑想法秘傳、

観音菩薩の摩尼諸法、霊的な秘傳、すべての伝授の門は開かれている。

必要なのは真理の前にあって、謙虚であり、素直なことだけである。

我 金山も去る也。そして徳慈として復活する。
キリストは3日にして復活した。我もまた復活する。
観音金剛薩埵心、天心法と共に復活した。

 

 


◎いま私は天心そのものである
天心は自己想起とも言う。
天心は明知(リクパ)とも言う。
天心は神ながらとも言う。
天心は大圓鏡智とも言う。
すなわち観音金剛薩埵心だ!

唵の中に天心あり。唵はAUM(阿吽)に分岐する。阿吽はものの初めと終わりである。
唵阿吽(オン・アー・フーム)の三つを三金剛という。身・口・意である。仏・法・僧である。
仏性・空性・すべての顕現(現象)でもある。

では天心とは何か?
それは「帰依心」だ。勝義の帰依だ。仏陀釈迦牟尼だけが教え得た「ニルヴァーナ涅槃」そのものである。いま私は天心そのものである。観音金剛薩埵心である。
我動けば宇宙動き、宇宙動けば我動く。
ウーム、大丈夫。

 

(つづく)

 

川島徳慈しるす

整体天心法の発信へ!!(3)【なるようになる 心配するな!】

  • 2019.02.28 Thursday
  • 00:00

整体天心法の発信へ!!(3)

【なるようになる 心配するな!】


◎なるようになる 心配するな!
東京洗足院の歴史に幕が閉じられます。
諸行無常、諸法無我。
「真の帰依」「神ながら」「天心」「心の本性(リクパ)」だけが依るべきところ。
涅槃ニルヴァーナだけが唯一無二の絶対的境地なのです。
それ以外のものは所詮浮き草の如し。
「仏性・天心」の前には路傍の石ころ同然である。

 



彼の一休宗純和尚すなわち一休さんは後継者の弟子たちに次のように遺言したという。
「わたしが亡くなって後、仏教の一大事や寺の大事があったら此の遺言を読め」と。
その遺言は大切に箱に納められて内陣に安じてあった。時が過ぎ寺院の一大事が本当にあり、一休禅師の遺言を憶えていた人がいて、それこそ堕地獄の覚悟で箱を開けた。
すると書いてあったのが、

『なるようになる 心配するな』であった。

たいそう修行と称して瞑想にふけっている禅坊主の如きも、寺の一大事といって騒いでも「なるようになる心配するな!」この悟りが処方箋なのだ。
本当に「なるようになる心配するな」を実現しようとしたら、真の帰依、勝義の帰依によるしかない。それは「天心のままに」「神ながら」というのと同じである。
人の心には「心と心の本性」がある。「心の本性」こそが天心である。
本性も天心も誰にでもあるものだ。何も特別ではない。何とか整体の大先生や御曹司にだけあるものでもない。むしろ立場だとか肩書きをぶら下げていたら究めることなど出来はしない、それが「真の帰依」である。無駄なものをくっ付けている者に真の天心などありはしない。

 



 

◎雲一つない青空のように!
東京から足を洗った(洗足)わたしは晴れやかだ。
産土社、寺院など思い出の地に別れを告げた。マントラやお経祝詞をあげて、感謝の意を述べた。もうスッキリしている。心は空っぽだ。

天心、心の本性とは何か?
それは雲一つない青空の如きものだ。
チベットの教えでは「ナムカアルテー」という瞑想法がある。今の境地で青空の瞑想である「ナムカアルテー」をやるとまさにテクチューという境地が確立できる。

まあ、そんなことをしなくても朝起きて「アァー」とやるだけで充分。
丸一日、「天(ア)」の心で居れる。
お猫様をよくよく見てください。これだけで心身に喝が入り、真(芯)が入る。

 


 

◎お猫様の伸びに「たけのこ神社」構想
先日も述べたが、わたしの行く先、将来の教授の場などご心配してくださる方がいる。
当ブログあるいは今後のブログ活動のことを心配してくださり「たけのこ神社」ブログを提示して下さる御仁もおられる。会員制のブログにするという構想だ。

アイディアは諸々ありますね。
ですが、どんな職業でも立場でも「天心のままに在る」ことは可能だ。
朝起きてお猫様が伸びをする。其れが天心を得るということだ。
「アァー」と言って伸びをするコレだけだ。

伝達する核は「アの心(本性)」「天心」、アイディアはコレ。
天イデア(理念)だ!

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※メール等の通信をいただいておりますが、現在移転のため非常に忙しくしており返信が遅れています。ご理解の程よろしくお願い致します。

 

(つづく)

川島徳慈しるす





 

整体天心法の発信へ!!(2)【ふつそくまの御霊法奥伝】

  • 2019.02.24 Sunday
  • 00:00

整体天心法の発信へ!!(2)

【洗足院最終講習会 ふつそくまの御霊法奥伝】


 

◎最奥義「ふつそくまの御霊法奥伝」を伝授す
密教霊術の最奥義の『ふつそくまの御霊法』伝授、今回はさらにその奥伝を教授しました。参加者の皆様、非常に素直な雰囲気のもと学びを進めることができました。
この伝えは密教において最奥義の法であり、ほとんど失伝状態の御法であります。日本密教のメッカ、高野山ですらご存知の大阿闍梨も全滅状態だと思われます。

正純密教と言っても法力が無いのでは仕方がない。加持祈祷といい護摩修法を汗水垂らして行っても憑霊の障害があったら元も子もない。要は効験があるということの内容は、今生での成仏、即身成仏の担保なのである。「ふつそくまの御霊法」はチベット密教にすらない尊い御法なのです。

世間の人々が思う以上に憑霊の障害は多く、街中でも憑霊現象をしばしば見ることがあります。
加持祈祷を標榜する真言密教の僧侶が、屁理屈で勝負するようでは仕方がない。堂々と得度する法(悟りを得る法)もあり、世俗の願意も満たす法力もありますよ というのが本物の密教者というものです。
真言秘密「ふつそくまの御霊法」はそれを実現する秘法なのです。もちろん霊術(療術)をやる人も同じことであり、憑霊・邪気からの護身秘術「ふつそくまの御霊法」に勝る法はないということです

この法の可能性はまだまだあるのですが、今回所伝の奥伝は、受法者以外は披見能わずの秘奥義です。
その運用の土台たる一連の教えを全伝したのですから、法力の根分けもいいところであって、わたし畢竟の伝授であったわけです。

 


 

◎仏教・密教の土台・奥義は「帰依である!」
吾が会では天心に至る道、心の本性を悟る道、神ながらの道を教えています。その方法を伝授しているといったほうがいいかもしない。いろいろな方法があるのですが、日本の密教や霊術 ・霊学の法術には今でも優れた方法が転がっています。
発掘する手間は要らず。すでに路傍に転がっている状態です。ですが肝心な教えが欠落している。
それが「神ながら」と「真の帰依」です。

「神ながら」というのはメソッドとかいうものはなく、自然に是くあるもので神界に有縁の人が実現できる産霊紋理(むすびかため)です。三宝帰依でも、勝義の帰依こそが「真の帰依」であって、人間をしてブッディ(涅槃ニルヴァーナ)に入らしめる唯一の法門です。

整体の修養の要素には、禅・霊術・聖書などがありますが、天心法こそがその核心であって、これは佛法と通底しており、仏教の法門八万四千に強くはございません。整体云々と言っても所詮仏教二千五百年の前にあっては赤子同然、天心だろうがなんだろうが、すべて仏教の範疇にある。

わたしは根っからの仏者なのですが、職業として指圧療術師でもあるので、整体なども学んだわけです。整体には他の療術にはない天心というものがある。ここに整体操法の核心があるわけです。天心法とは聖書の教えと仏教の悟りを一つにしたようなモノです。


◎これからの事
今後の事ですが、皆さんからご心配いただいております。場所(会場)の提供などもお申し出される方もおり 前途は悠々であります。天心、心の本性のまにまに行く末は自ずから決まります。

一休禅師は遺言にこう記しました。
「なるようになる 心配するな」と。

漠たる不安は、良くない想像からきます。
どうなろうがなるようになるもんだ、そう思うこと。
「なるようになる」の影には人事を尽くせという文字が見える。しかし毀誉褒貶は浮き世のこと。時の成敗はなるべくしてなる。そこには運という要素もある。処方箋は「心配するな」。

「ふつそくまの御霊法奥伝」まで受法した弟子生徒は、わたしが責任を持って真の法門へと導きます。

(つづく)

 

川島徳慈しるす

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