江の島信仰【稚児ヶ淵伝説と塩川の幽境(中)】
- 2013.08.23 Friday
- 00:00
江の島信仰
【稚児ヶ淵伝説と塩川の幽境(中)】
◎小桜姫と稚児ヶ淵の関係
三浦半島・油壷の洞窟にある小桜姫像(弁天様)
実は鶴岡八幡宮と江の島は深きかかわりがあり、以前に本ブログで書いた「小桜姫物語」の主人公・小桜姫も、鎌倉・七里ヶ浜・江の島などによく通ったらしいことがわかっている。
小桜姫も生前には江の島の弁財天に参詣しているものと思う。
江の島稚児ヶ淵伝説の白菊が所属していた二十五坊(八幡宮に仕える僧侶出仕のお寺)のことも「小桜姫の探査」のなかで分かったことでなのである。
さらに白菊を下地にした歌舞伎が「桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)」という題名なのも、偶然とは思えないところだ。歌舞伎のヒロイン白菊丸が生まれ変わって「桜姫」なるのですから。
また同歌舞伎のラストシーンが浅草の浅草寺だという点もなんだか妙です。
とにかく小桜姫と白菊伝説、両者は直接関係は無い筈なのですが、同じ時期に探査していることもあり妙につながってくるのです。
◎鶴岡八幡宮の二十五坊(二十五名の社僧)
ここで鎌倉時代の宗教史の歴史的な事実を述べたいと思う。
自休の恋慕した白菊は相承院の供僧として学問をおさめていたというが、この社僧(供僧)とはいかなるものなのであろうか?
ご存知の鶴岡八幡宮は、いまは神社のみであるが、その昔は神官と僧侶が混在して祭祀する寺社だったのである。
こんなことは昔はあたりまえのことで、日本の宗教の中心は、もちろん神道であり、主祭神は天照皇太神である。これを中心に全日本に曼荼羅のごとく寺院・神社が配置された。
だから相当古い昔から、寺社には、神官が寺社の真ん中にいて、供僧という神に仕える僧侶がその周りにいて、祭式を執り行ったのである。
そして社僧は、普通の僧侶よりも地位が高かったのである。
(※当然、日本古来の格式や学問、密教を修めていた。)
であるから何事の儀式でも仏教のお経だけではなく、神道の祝詞が奏上され、「大祓詞」などは当たり前のように奉唱していた。
現代になっても、奈良・東大寺の二月堂の「お水取り」の儀式では、神主が先ず「大祓詞」を唱えて、お浄めをしてから催行される。
この二月堂の「お水取り」は、我が国で一番古く、今日まで継続されている儀式である。この式には古くからの日本の儀式・教えが存続しているのである。
◎真言密教・御室派
供僧(社僧)の密教の流儀は、もとは高野山であったようだが、いつの頃からか真言宗御室派が担当するようになったらしい。
鎌倉の鶴岡八幡宮は、石清水八幡宮から勧請したものである。その中心の神祇(尊格)は、女神と眷属である。
(※実はこの女神が江の島に関係があるのだ!)
この事実を示す秘密曼荼羅は、社宝殿に奉安されている。
(※上記のことを八幡宮の神職や巫女さんに聞かないでくださいよ。かつて出雲大社で「九○殿」は何処ですか?と神職に聞いた人がいたとかいないとか。秘密の知識を妙な使い方で汚すと冥罪が他にも及ぶので、こういう言動は、不徳この上ないものなのです。馬鹿げたことはおやめください。)
二十五坊に所属し、学問をおさめていた白菊は、通常の学問と密教など併せ習得するべき公の人材(官に属す人材)であったのである。
白菊の身分はもともと相当に高かった(おそらく貴族の出)ものと推察できる。
◎相模国の各霊場には江の島が関連す
稚児ヶ淵で泳ぐ子供たちの古いスナップ
鎌倉の八幡宮にしても、塩川にしても調べてゆくと結局、江の島に行きつく。
そして、その江の島信仰の根源の弁天窟(弁財天の洞窟)は、塩川の「江の島淵」にもつながっているが、一番のつながりは「富士山」の洞穴にある。
実に江の島の洞窟は「富士山」に通じているというのが、古来からの伝説である。
実在した稚児・白菊も、僧・自休も江の島弁財天を尊崇していたことは判明している。当然、「富士山」や「塩川(江の島淵)」に洞窟がつながっているという伝説は知っていたと思う。
このようなことが知られなくなったのは、戦後に入ってからで、急速に日本人は自分の住んでいる郷(土地)との関わりを放棄してしまったのである。
現代では、「経済効果」なる考え方ばかりが優先され志向されて、自らの魂の本源たる郷土や自然・土地にまつわる物語などを評価しようとしない、そういう愚かな傾向が侵食している。
そんな現代でも、欲得なしに一所懸命に「禊ぎ祓い」をおこない、自分の産土神を拝し、さらに塩川の霊場をお借りして拝神・修道していると、神仏は不可思議な感応をして、霊的な事柄や様々な関わりを教えてくれて、我々に秘密の知識を授けてくれる。
人は誰しも生まれながらにして神の分子であり、この世に於いて、ご縁によって修養し道をおさめてゆく。
実際、たくさんの道があるし、それでよいと思うのだ。
だから悪しき道でないかぎり、人はご縁によって得た道を素直に歩み、修養をかさねてゆけば良いのだと思う。
現在の稚児ヶ淵
江の島弁財天洞窟・稚児ヶ淵から塩川幽境へ。
この験(しるし)は、現代に於いての神々・幽魂の一つのサインであると思う。
わたくしたちを通じて語りかける、神祇・幽魂の証明の霊験(みたまのふゆ)なのだとわたしは考えている。
[付録]
鎌倉鶴岡八幡宮の秘霊処(その1)
◎鎌倉の鶴岡八幡宮には、特別な石が3つある。
(※本当は4つあり。そのうちの1つは、ほとんどの神職ですら知らない。知っているのはごく少数。)
今回はそのうちの1つを紹介したい。
(※「○○石」ないし「○石」という)
この石は「縁結び」などに効験がある。
男女のカップルでゆくのがよい。
子を授かる功徳がある。
祈願の仕方などあり、詳しく知る人にたずねるがよい。
では、この一席(一石)のお時間となりましたー!
【稚児ヶ淵伝説と塩川の幽境(中)】
◎小桜姫と稚児ヶ淵の関係
三浦半島・油壷の洞窟にある小桜姫像(弁天様)
実は鶴岡八幡宮と江の島は深きかかわりがあり、以前に本ブログで書いた「小桜姫物語」の主人公・小桜姫も、鎌倉・七里ヶ浜・江の島などによく通ったらしいことがわかっている。
小桜姫も生前には江の島の弁財天に参詣しているものと思う。
江の島稚児ヶ淵伝説の白菊が所属していた二十五坊(八幡宮に仕える僧侶出仕のお寺)のことも「小桜姫の探査」のなかで分かったことでなのである。
さらに白菊を下地にした歌舞伎が「桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)」という題名なのも、偶然とは思えないところだ。歌舞伎のヒロイン白菊丸が生まれ変わって「桜姫」なるのですから。
また同歌舞伎のラストシーンが浅草の浅草寺だという点もなんだか妙です。
とにかく小桜姫と白菊伝説、両者は直接関係は無い筈なのですが、同じ時期に探査していることもあり妙につながってくるのです。
◎鶴岡八幡宮の二十五坊(二十五名の社僧)
ここで鎌倉時代の宗教史の歴史的な事実を述べたいと思う。
自休の恋慕した白菊は相承院の供僧として学問をおさめていたというが、この社僧(供僧)とはいかなるものなのであろうか?
ご存知の鶴岡八幡宮は、いまは神社のみであるが、その昔は神官と僧侶が混在して祭祀する寺社だったのである。
こんなことは昔はあたりまえのことで、日本の宗教の中心は、もちろん神道であり、主祭神は天照皇太神である。これを中心に全日本に曼荼羅のごとく寺院・神社が配置された。
だから相当古い昔から、寺社には、神官が寺社の真ん中にいて、供僧という神に仕える僧侶がその周りにいて、祭式を執り行ったのである。
そして社僧は、普通の僧侶よりも地位が高かったのである。
(※当然、日本古来の格式や学問、密教を修めていた。)
であるから何事の儀式でも仏教のお経だけではなく、神道の祝詞が奏上され、「大祓詞」などは当たり前のように奉唱していた。
現代になっても、奈良・東大寺の二月堂の「お水取り」の儀式では、神主が先ず「大祓詞」を唱えて、お浄めをしてから催行される。
この二月堂の「お水取り」は、我が国で一番古く、今日まで継続されている儀式である。この式には古くからの日本の儀式・教えが存続しているのである。
◎真言密教・御室派
供僧(社僧)の密教の流儀は、もとは高野山であったようだが、いつの頃からか真言宗御室派が担当するようになったらしい。
鎌倉の鶴岡八幡宮は、石清水八幡宮から勧請したものである。その中心の神祇(尊格)は、女神と眷属である。
(※実はこの女神が江の島に関係があるのだ!)
この事実を示す秘密曼荼羅は、社宝殿に奉安されている。
(※上記のことを八幡宮の神職や巫女さんに聞かないでくださいよ。かつて出雲大社で「九○殿」は何処ですか?と神職に聞いた人がいたとかいないとか。秘密の知識を妙な使い方で汚すと冥罪が他にも及ぶので、こういう言動は、不徳この上ないものなのです。馬鹿げたことはおやめください。)
二十五坊に所属し、学問をおさめていた白菊は、通常の学問と密教など併せ習得するべき公の人材(官に属す人材)であったのである。
白菊の身分はもともと相当に高かった(おそらく貴族の出)ものと推察できる。
◎相模国の各霊場には江の島が関連す
稚児ヶ淵で泳ぐ子供たちの古いスナップ
鎌倉の八幡宮にしても、塩川にしても調べてゆくと結局、江の島に行きつく。
そして、その江の島信仰の根源の弁天窟(弁財天の洞窟)は、塩川の「江の島淵」にもつながっているが、一番のつながりは「富士山」の洞穴にある。
実に江の島の洞窟は「富士山」に通じているというのが、古来からの伝説である。
実在した稚児・白菊も、僧・自休も江の島弁財天を尊崇していたことは判明している。当然、「富士山」や「塩川(江の島淵)」に洞窟がつながっているという伝説は知っていたと思う。
このようなことが知られなくなったのは、戦後に入ってからで、急速に日本人は自分の住んでいる郷(土地)との関わりを放棄してしまったのである。
現代では、「経済効果」なる考え方ばかりが優先され志向されて、自らの魂の本源たる郷土や自然・土地にまつわる物語などを評価しようとしない、そういう愚かな傾向が侵食している。
そんな現代でも、欲得なしに一所懸命に「禊ぎ祓い」をおこない、自分の産土神を拝し、さらに塩川の霊場をお借りして拝神・修道していると、神仏は不可思議な感応をして、霊的な事柄や様々な関わりを教えてくれて、我々に秘密の知識を授けてくれる。
人は誰しも生まれながらにして神の分子であり、この世に於いて、ご縁によって修養し道をおさめてゆく。
実際、たくさんの道があるし、それでよいと思うのだ。
だから悪しき道でないかぎり、人はご縁によって得た道を素直に歩み、修養をかさねてゆけば良いのだと思う。
現在の稚児ヶ淵
江の島弁財天洞窟・稚児ヶ淵から塩川幽境へ。
この験(しるし)は、現代に於いての神々・幽魂の一つのサインであると思う。
わたくしたちを通じて語りかける、神祇・幽魂の証明の霊験(みたまのふゆ)なのだとわたしは考えている。
[付録]
鎌倉鶴岡八幡宮の秘霊処(その1)
◎鎌倉の鶴岡八幡宮には、特別な石が3つある。
(※本当は4つあり。そのうちの1つは、ほとんどの神職ですら知らない。知っているのはごく少数。)
今回はそのうちの1つを紹介したい。
(※「○○石」ないし「○石」という)
この石は「縁結び」などに効験がある。
男女のカップルでゆくのがよい。
子を授かる功徳がある。
祈願の仕方などあり、詳しく知る人にたずねるがよい。
では、この一席(一石)のお時間となりましたー!
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