旅路が畢らん!薬王菩薩法をめぐって

  • 2015.12.07 Monday
  • 10:12

旅路が畢らん!薬王菩薩法をめぐって





◎一つの旅路(塩川の滝)

塩川の滝にゆき随分と修行を重ねた。

この旅路も遂に終局をむかえつつある。

すべての意味が判然としてきたのである。

鍵言葉は、塩川・気合法・江の島・富士山・良弁上人・青竜・野口・みそぎ・・・・
(※全部は言いません。真似っこ乞食、ネット電波小僧たちが、ゴチャゴチャ調べて理屈ばかりピヨピヨ云いますからねー。お笑いぐさです。)





◎薬祖の神、薬師の佛

わたしの因縁に「薬を服して力を得」とある。

薬草などと深い縁がある。

薬師佛、薬祖の神、あるいは女神たち、諸龍との宿縁(祝縁)。

すべて善し。

薬師、薬王の法を得て、いよいよ薬王菩薩の因縁解脱法を開発(かいほつ)して、法を受けたい人に与えるときが迫っています。また、諸々の宝物、その他を作成・復刻する時が来ました。

薬王菩薩の因縁解脱法は、法華経の薬王菩薩本事品に基づく法です。

詳しくは書けませんが、この法も実践している人は絶えておらないと思います。わたしの代で絶やすことができないものがまだまだあるので、実際に使える方法として遺しておきたいと思います。

それも世の中が続けばの話ですが・・・。いまの状況は恵まれているので、できればこういう世が続いてくれればと思うばかりです。





◎前世を顕現する

わたしは七夕に前世を知ることを祈願しました。結果、いろいろなことが明確になりました。

よく灯明を捧げて、よく念佛(佛さまを念じた)した前世の人生だったことが分かりました。また片足が不自由であったようです。

あるいは別の前世もわかりました。その時の名前や状況も自覚しました。



◎旅路が一つの終局をむかえました

追求の旅路、これが一つの段階をむかえています。

およそ15歳の時からの流れ。30歳の時からの流れ。厄年42歳頃からの流れ。この1年4カ月の流れ。またこの7カ月の流れ。すべてが集約してきております。

ようやくここまできました。

先人の知恵をどうやって統合して遺すか。まあ、書いて解説して、方法を動画などで遺して、そうやって型を遺せばよいのでしょうね。あるいは直接教えて後人に託すと。

随分と悠長な旅路でした。しかし、いまわたしの意識は地上と宇宙の両方に興味を持ち広がりをみせています。ですから素直に表現して、人生が楽しく悠々と過ごせるように、しっかりやってゆけばよいのだと思います。





◎旅路の畢わりに“声を出す!”

声を出すことは、親子3代でやっていることで、“音声を出す”ことがわたしには宿命的にあります。いわゆる適性でもあります。

神事と芸能の中間的な位置にある、創作声明という分野を開拓しつつあります。そして既に実践に入っております。

“霊幸はふ 創作声明の宴”を今年のファイナルの行事として行なうことになっております。

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(=^・^=)V にゃー!
そうか!旅がおわったにゃ!
すると家に帰ったのかぁー!そりゃどこだ!
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日本的展開の秘教(密教)の集会

  • 2015.10.02 Friday
  • 00:00

日本的展開の秘教(密教)の集会


◎大司命節の期間に集会する

毎年10月9日〜11月8日(太陽暦)は、“大司命節”という幽玄なる神界の司命秘機の行われる尊秘の期間である。

このことは宮地堅盤大霊寿神によって、この現界にもたらされた神界の一大秘密である。この事実を明確に人間界にお遺しになった方は、宮地師僊以外には遂におられなかった。

師僊のお遺しになった霊著『異境備忘録』は、その意味だけでも人類に贈与された一大霊典ということができ、いやしくも日本人で霊的世界に憧憬し、覚醒を目指す者は必ず読まなくてはいけない霊書である。

しかし、読み方にもいろいろとあり、通常はそういうことも分からずに畢わる。血肉に成り得ずにおわるのだ。

第一回のJSS自然智の集会が、この期間に開催されることは、実にめでたいことである。


◎淡々と縁起をみる

縁起というけれども、たしかに縁起の中にすべてが包含されている。縁起をみるということが大切なのである。

縁起と云うのは流れや交流でもある。一つの事象の中に未来の種子が入っている。だからわたしは、今回の集会に於いて淡々と縁起をみている。縁起をみるというのは、因縁をみると云うことである。

仏法を奉ずるものは、縁で以て法を説く。すべて縁で指導してゆく。

そのご縁にあわせた形で法を説いて指導するのである。ご縁がなければ度し難いのである。
“縁無き衆生は度し難し”というであろう!


◎秘教の日本的展開を示す

はじめに云っておきますが、すべてを理解し切ることは、とても難しいということです。

書けば一冊か幾冊かの本にもなるし、こちらはエッセンスや詳細を述べますから、頭では理解できるでしょう。しかし、体得となると大変難しい。もう感覚的な問題になるからです。

肉体を伴っている運動や所作、儀礼。肉体を伴う感情。肉体を伴う精神や知性的な理解。それらのことは能力の差はあれ、努力や考察によって理解しうる。そういうことです。

しかしながら、それを越えている感覚は、東大出の抜群の知識・知能を以てしても理解はできません。

その道をはじめは少人数に示すのですが、時間的な条件からはじまってさまざま考えると、難しいなぁと思うのが本音です。

将来、わたしのほうの体制がマスターのご加護とご指導によって、内弟子受け入れともなれば、一種の缶詰状態で教えを共有できるでしょうが、弟子が生きてゆくのにどうしたらよいかという別の問題が生じてきます。

お寺でもかりそめにやって存立する方法もあるが、それでは意味がない。まあ考え考えして歩めば答えは出てくるでしょう。

花角有 川島龍徳しるす

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言葉の限界を感じる(3)

  • 2015.09.23 Wednesday
  • 00:00

言葉の限界を感じる(3)


・師匠に対して 法友に対して

問題は、師匠に対して、法友に対しての態度である。

師匠にしても法友にしても、先達にしても、究極的には“友”なのである。しかし、秘教や密教、神道や普通の仏教的な知識ですら、まったく用語すら分からないレベルの者と、大学の講師に即なれるような研究者と、会話や態度に於いてタメ・対等と云うことがあるだろうか?

何かを教えてもらう、あるいは教えてもらったということがあるならば、それは先生であったり法友ということになる。しかし、いろいろな雑学的な書籍を渡したり、飲み物食い物を渡したとしても、それは何かを伝えたと言う事にはならない。

わたしは講習などやっても通常では得られない知識や秘伝、そういうものを体験を込めて伝達している。体験を伴った内容を教えられる人はあまりおりません。

このような教え方をしている者が稀なことをどう考えているのだろう?
そのことが分かっていれば、不遜な態度や、しらっとした悪態はできないと思う。

受け入れるだけの素地・素質がないのならば、はじめから来なければいいのだ。丸裸になって指導してくれと云って、こちらも請け負ったと宣言した間柄ならば、一切の責任をもって導くけれども、なかばお仲間のような関係で、不遜な態度をする者をどうして慰撫し教えなければならないのだ。そういう義務がわたしにあるのだろうか?

そんな義務などわたしにはありはしない。それは単に講習会に参加した者の悪いクセ、よくない性格をいかんなく発揮しているというだけのことだろう。

講習料はたったの三千円。腐心して準備しているこちらのことは全く考えず、平気で不遜な態度をする、銭は返すから、こっちの努力や時間を返せと云いたくなる。だからバカバカしいので理解者だけを集めて指導します。不遜さやタメ口、不規則発言をするような者はわたしの心の領域には入れません。入りたければ不遜さと余計な事をベラベラ言うその口にチャックをつけるように。それをマスターに誓いなさい。


・象を触る盲人なり

上記のような態度の者が修行や巡礼など敢行しても何の感応もありません。

あるとあったと思っているのはご本人だけで、それは霊的にも非常に低い、エーテル体レベルの体験にすぎない。(なにかの功徳はあるようだけれども、霊的な体験は積めない!)

今回の講習会で霊的真相が分かっている人など一人もいません。
まだまだ、ぜんぜん。道にすら入っておりません。

人間、化けるから明言できないないが、敢えて言うならば、わたしか私に匹敵する能力・法縁・体験を持つ者に指導してもらわない限り、自分だけの力で今のわたしの地点まで来ることはほとんど不可能です。

わたしは自分を師匠とは言わないが、ある種の霊的な導き手であることは間違いなく、現代の日本に於いて自分に類する能力を持つ者は稀にしか居ないということは事実であって、曲げようのない真実なのである。

そういうわたしでもいつかは肉体の死が来る。
だから今後は時間を大切に使いたいと思う。諸行無常、存在とは実に虚しい。だから非常に気分の悪い状況の講習会は致しません。今回は見事に落第者が続出したのです。今回とまったく同じメンバーで集うことは二度とないでしょう。少なくとも私が主催する集いではないでしょう。
あしからず。

最後に・・・
お経や祝詞を挙げても、倍音すら発声できないレベルの者が、霊的な感応云々云っても全然説得力がない。(坊さんでも神主でも“倍音”すら出せないのはプロではない)
昔、どこぞの整体かなんかの大先生が、自分の弟子がわたしのもとにゆきたいと言い始めたんで、こういったと言う。「あの先生は、霊感はないよ」と。いま、その大先生にお返しを込めて、ちょいと洒落て言挙げしましょう。

大先生、あなたはせいぜいエーテル体レベルか思い込みの霊感があるだけですよ。
そういう低レベルの界の海を泳いでいるだけなのです。それが自覚できていないのですね。おかわいそうに・・・。

わたしはもっとその上の階層に通達しており、あなたよりも高等な能力を保持しているからあなたには皆目わからないのです。要するに、3人の盲人が大きなアフリカ象の各部分を触って、それぞれが象さんはこんなようなものだと憶測しているようなものです。部分だけを触って全体を知ることはできないのです。

序章参加の貴方達がわたしを見ているというのは、それと同じこと。
なんにも分かっていないんです。

花角有 川島龍徳しるす

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言葉の限界を感じる(2)

  • 2015.09.22 Tuesday
  • 00:00

◎言葉の限界を感じる(2)


・馬鹿馬鹿しさを感ず!

一昨日の「仙人食講座・序章」でわたしは馬鹿馬鹿しさを感じてしまいました。

皆さん夫々の事情の中で、やりくりしながら、それも秋のお彼岸の入りだというのに、講習会に参加された。このことにわたしは敬意を表し、その労をねぎらうものですが、それを差し引いても馬鹿馬鹿しさを感じてしまうのです。

その理由は“聴く”ということです。仏教では“聞法”といい、“聞・思・修”というのです。教えを聴く、それを沈思瞑想して真義を知る、さらに完全に実践する。キリスト教でも或る会派では会則の第一に“聞け”ということを挙げています。

聞くことの難しさです。話をしていても全然聞いていないのです。脳ミソの聞くべき場所に教えが入らない、入っていない。その以前に自分の思考や妄想が先にあるのです。

半数以上の人が聴くことが出来ていない。それどころかうわの空で聞いている。何を考えているのやら、不遜、興味なし、聞く気がないのなら時間もお金も使う必要はないでしょう。

わたししか教えられないということを咀嚼して教えている。他の誰にも先ず教えることの出来ない“成仙への道”を示しているのにです。

わたしにはすでにマスターが背後にいて、霊的な指導を陰日向で受けているという自覚があります。こういうことは滅多にないことなのです。このことの価値すらも多分分かっている人はいなかったと思います。滝に入って、荒行みたいなことをやって、霊地参拝して、瞑想したり、鎮魂・密教行法・読経をやったり、本をたくさん読んだり・・・、そんなことをやっても真のマスターが指導してくれることはないのです。

本来ならばこういうことはこのような公開のブログで云うべきことではないのでしょうが、いちいち口に出し話すのも面倒なので、こうしてサラリと書いてしまうわけです。

ほんとうに馬鹿馬鹿しく思い、もう教えをいままでの連中に述べるのは一切合切やめようかという考えが出てくるのも事実です。まったく違うグループを創造しようかと思いも出てきます。

人間の聞く耳を持たない、聞く容量がない、不遜さやそれに類する性格上の悪いクセは、秘教・密教を学ぶ上ではまったく必要のない性質です。

世間にある一般的な信仰や気功・整体・修行みたいなものをやっても、肉体のサヤの中に存在する、せいぜい“エーテル体”レベルの能力しか得られません。ある種の夢見とか、霊が見えるとか、そういう類いはエーテル体レベルです。その上の、アストラル体、メンタル体、コーザル体には遥かに及びません。

人はコーザル体を越えてはじめて通常の輪廻転生から解放される。このような教えを悉く知らぬうちは、本当の宇宙の実相を知ってるということはできません。

謙虚であり、礼をわきまえ、尊い真理の教えを望まれるのならわたしは交流を致しますが、不遜な態度をする人間や不規則発言を繰り返す輩は、わたしの中では問題外の人物です。法の器ではありません。

わたしは多くの友を必要としておらず、すでに法を語れる仲間も方々も点在ではあるが居りますので、わたしが友をこれ以上必要としていないことを、ここで明記しておきます。ですから、今後のお付き合いは、皆さん次第だということです。

花角有 川島龍徳しるす

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言葉の限界を感じる(1)

  • 2015.09.21 Monday
  • 00:00

◎言葉の限界を感じる(1)


・口舌の虚しさ


今さらながら口舌の虚しさを感じています。

昨日「仙人食講座・序章」というものを行なったわけですが、前提の知識と云うものが一人一人ちがう訳です。ですから言葉が伝わらないという傾向があるわけです。

30年かけて学んだものを1年2年で教えきること自体が不可能です。しかし、わたしとしては誰でもがというと、非常に難しいのですのですが、大抵の人が共有できる“秘教的な教えや手法”をシェアしたいのです。

今回は仙人食ということですが、お塩について正確に学んだのです。実際に食べて、実物を各々が得て、説明も行なったわけです。心や魂は、肉体のサヤの中にあります。肉体を離れて存在しません。先ずはその肉体を健全にして、一個一個の細胞にまで教えを浸透させる必要があります。

そのために食事というもの、食事法というものを見直して、食物をマントラや観想で加持してから戴く必要性があります。

こころは主に心臓の部位に存在しますが、頭にあるという人もおります。たしかに心臓や頭にあるのですが、もっと深く考察するならば、一個一個の細胞、60兆個の細胞すべてに“心がある”と感じて、食物を通じて教えを吸収しなければ、この身、今生で霊的に進化することはほとんど不可能です。

聖者として生まれてきた人間は、このようなことを自然にやってのけてしまうのです。しかし、凡夫の身で生まれてきたものは、このようなことはできないのです。食事作法のようなものから学び、真の秘教的な知識を学ばない限り、比較的低いレベルの境地にしか達することはできないのです。

これは肉体、エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体、ブティ体と上昇する体のなかで、精々エーテル体どまりの知見しか得られないことを意味します。世間でいう、霊能者や普通の行者は、エーテル体止まりなのです。気功師や整体師もエーテル体どまりなのです。

アストラル体を得て自由自在の境地にまでゆくことは、ほとんどできないのです。
真実に霊的な自由自在を得るには、食事法からはじまって、睡眠法、躰動法、真のみそぎを得なければ為すことはできません。

日本的な秘教の実現方法、こういうものをわたしは既に得ており、先人でこれを知り、付与した人を寡聞にして知りません。偉大な先師先覚はおられますが、秘教的な知識でもって、日本的展開の宇宙規模の教えを述べた方はおられないのです。

残念ながら、わたしのもとに来る方々でも、このことのほんとうの価値をいまだ分かっていないようです。それは無理もないことなのです。わたしが教えの全貌を語っていないのですから・・・。

わたしはこれらの悟りを一冊の本にしようと思っております。年末までに原稿を書き上げようと思っています。きっとバカ売れはしないでしょうが、それでもそのことによって、より多くの人々がわたしを訪れることになるでしょう。

ますますわたしは時間がなくなり、いままでのように親しくお話しできる時間はなくなるでしょう。ですがそのことはわたしの本意ではありません。

昨日、小グループのサークルの可能性を述べましたが、あなたはどう思いますか?それが可能なのか?そのような思いがあなたに在るのか?

昨日参加したあなたに問いたい。またこれから縁のあるあなたにも問いたい。

共有することはお互いを尊重することです。疑いの心や、増上慢の心があるようでは共有することはできません。教えはむしりとったり、見下していたのでは共有できないのです。自分の性質をもっと進化させ、自然に共存し共有する心を成長させなければ、ほんとうに進化、霊的な発展はないのだということを、あらためて表明したいと思います。

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花角有 川島龍徳しるす

 

日本国民の身体の変化、日本国の安保体制の変化

  • 2015.09.19 Saturday
  • 00:00

日本国民の身体の変化、日本国の安保体制の変化




◎日本国民の身体の変化

戦後、日本人の生活様式は変化し、身体は大きく変化した。

栄養的には充実し体も大きくなった。しかし、成人病・生活習慣病は増加し、医療費は40兆円を超えた。

わたしはその大きな原因を“食”に見出している。

食物環境の変化が日本人の身体と精神を大きく変えてしまった。わたしはそのように考えている。



◎日本国の安保体制の変化

まさに今、国会に於いて新・安保法案が可決されようとしている。

日本人の心身が食物流通によって変化し、日本の安全保障が変わりつつある。

ものすごい賛否両論の中で、半ば強行的に安保法案が成立しつつある。

わたしはあくまで日本人による日本人の為の法案でなければならないと思う。

しかし、日本はアメリカと同盟を結び、アメリカの要請によって成った法案に思えてならないのである。

充分な説明がなされていない。

日本人は日本人の為に立法しなければならない。言論封殺や独裁があってはならない。


◎戦後70年を大いなる転換点とせよ!

わたしは思う、日本人が日本を取り戻す。本当の平和国家になる戦いはこれからはじまるのだと!

たしかに軍隊のない国はない。しかし、いまのままでは自衛隊は肩身の狭いものだと思う。

だからといって、アメリカの要請で憲法に違背するようではいけない。

わたしは思う、この安保法案成立をめぐって日本は大きな転換点に立つであろうことを!

“食”の乱れによる日本国民の身体の変遷と、この度の国のあり方の変化は軌を一にしていると思うのだ!


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◎仙人食講座・序章の受付終了!
この度、公開講座として開講する仙人食講座の受付は終了しました!

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玄米正食法(川島式仙人食法)は人生を大きく変えます!
実践したら必ず結果がでます。是非とも人生の宝を手にしていただきたいと思う!
一人ひとりが正食で変われば、それは国を変えることにつながります。

にゃー! ねこまるは安保法案には絶対反対にゃ!猫は平和が大好きだからね〜〜!
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本年も愈々畢わりぬ【感謝!感謝の一年でした!】

  • 2014.12.20 Saturday
  • 00:00


金山講話(本年の最終記事)


本年も愈々畢わりぬ【感謝!感謝の一年でした!】




今年のMVPはポッケ猫 あなたです!

◎さまざまな出来事

皆さん、今年もいよいよ終了に近づきつつあります。皆様にとりましてはどのような一年だったでしょうか?
きっと各々の歩みにおいて、発展・進捗ありし歳であったと信じます。

世界に眼を向け見渡しますと一つの傾向が見えてまいります。大国の台頭や紛争、子供たちへの弾圧、まだまだこの地球は平和ではありません。基本的な人権すら全地球で保障されていません。これは悲しむべきことです。

基本的な人権が保障されてこそ、人は自由を得て、自由に学問し研究することができます。絵画を楽しみ音楽を愛する、これも自由があればこそです。子供たちの未来の保障、大人はこのことに真剣に取り組むべきだと思っています。

国内を見渡しますと「悩めるオリンピック世代」による事件・問題が数多くあったと思います。それは昭和39年の東京オリンピック、昭和47年の札幌オリンピック、この前後の期間に生を享けた人間による情けない所業であります。

わたしは同じ世代として本当に恥ずかしい。治療施術者として多くのお年寄りのお宅を廻るわけですが、其処彼処で同世代の人間の悪しき所業のお詫びをしました。自分がしたわけではないけれども、同世代の受けた教育や精神の甘さは、この自分にもあり、年配者は「今の若い人は・・」という言葉で、この思いを表現するわけです。

たしかに自分が犯したのではないけれど自らを省みる。そのようなことが多くありました。詐欺まがいの偽音楽家が他人様の優しい心を弄ぶ、いんちきカラ出張で自爆会見する議員さん(議員辞職・朝鮮系)、小学校五年生の少女を拉致・誘拐するために1千万円かけて拘束部屋を作って犯罪を実行する愚か者。

これらの犯罪はすべてわたしと同じ世代、「オリンピック世代」の人間により行われました。



薬師瑠璃光如来尊像(法隆寺)


◎わたし個人の出来事

わたくしはというと、精神の変化が劇的にありました。それは霊的な飛躍、悟りの境地の開眼といってよいと思います。

同時にその道程を一つの修養課程として提示できる。そのような導師としての資質を備えるに至りました。
(※現在、出版社を小さいながらも創業しようと考えており、その事業の真ん中は吾が秘法・霊法などの表現(出版)であります。)

大変多くの秘伝書・奇書と出会った一年でもありました。

産土の大神やその他の霊的な守護者の導きにより『禊ぎの真法』を体得したことが一番大きな収穫でした。
(※『禊ぎの真法』はまだまだ奥があり、究極までは至っていませんが、修道者として得難い段階にまで遂に到達したということであります。)



◎来る年の抱負と去りゆく歳の反省

先ず反省です。
・自分に甘い事。
・等閑に捨ておく(なおざり)。
・そろばん勘定をしなさ過ぎること(無勘定)。
・霊界の秘密をしゃべりすぎ。
・親孝行がまだまだ足りない。
・ご先祖への感謝が足りない。
・精神の修錬に欠けている。
毎年同じですが、以上が今年の反省点の諸々です。

抱負を述べるというのは、威勢が良くて、陽気でいいものです。

・先ず仕事が第一で、今ある課題を深めてゆくことが進歩の早道です。まあ、治療が職業ですから、さらなる繁盛をしてゆくということで、より多くの方々に治療施術し健康保持のお役にたちたい。

・やはりお金を稼いで物質的に余裕をもってゆくことが大切だと思います。小手先や目の前の利益を追求するのではなく、一つ一つを着実に誠実にやってゆく、これが治療者の基本姿勢で、その上で利益という要素を満たしてゆく。月並みですが、来る歳も誠実に仕事をし、稼いでゆくということです。

・実はわたしは算盤が得意で、珠算は2級です。小学校のときにとりました。特に掛け算は早くて、そろばん塾では種目別でいつも第一位で、塾の掲示板に貼り出されていました。しかし、そろばん勘定が万事嫌なのです。これが悪癖なのです。やはりきっちり台帳帳簿をつけて「どんぶり勘定」しないこと、算盤を弾いて、帳簿計算をする、これが事業の基本なのですが、計算づくの心が大嫌いなのです。

・でも、これではいけないと気づきました。がりがり亡者になるのではなく、数字計算や記帳記録を正確にやる、土台をしっかりする、按配を考える、このようなあり方が自分に不足していることを自覚反省すると同時に、さっそく改め、来る歳には第二の天性として定着させたいものと精進を誓っております。

・「整体自然法」の確立・研鑚、これは継続します。霊学や霊術の手法、整体の自然法の技術は、これからの人類社会を裨益すること大、必要なものと思います。使えるものとして加工しエッセンスを伝達する、これは我が使命だと考えています。

・先に出た、小出版事業の創業。書物として遺してこそはじめてものは伝わります。ネットが流行ってもやはり書として遺す。この事実に変わりはないと思います。続々と冊子化してゆきたいと思う。


・神拝佛禮・霊地を巡礼する。富士山、関西・東海、四国その他。できる限り参りたい。そして是非とも行かねばならない霊地もあります。

・佛僊神道の修道修行の追求。

・いまひとつは農業です。自然農法による美味いものづくり。これは本業ではなく、あくまでも大人の遊びです。




◎直弟子養成について(PROJECT 10)

直弟子を10名作りたい。いままでついてきた方もいますが、それは一定の評価がありますが、それとは別に10名の直弟子を作る。それ以上の数の直弟子は作りません。この10名に託します。とにかくすべてを教えるのは10名だけです。一切の媚びはわたしには通用しません、いくらお百度踏んで希望してもダメです。前世からの宿縁のある者だけが直弟子になる。この10名を通じてわたしは教えます。10年の時を経れば分かりますが、わたしは全国を行脚し、教えを述べていることでしょう。その事業を10名の直弟子と行なうのです。


◎年末年始の「年筮」「禊ぎ祓え」「正月事始め」

これらは毎年のことですね。

「年筮」は『一陽来復(来福)』の冬至に行なう。12月22日が冬至です。皆さんご自分で「年筮」をやってみてください。今年は「年筮会(ねんぜいかい)」は当会では行いません。各自で行ったらよいでしょう。

或る薬屋さんで22日の招聘があり、本年はそこで「年筮会」と「冬至祈願」を行なう予定です。

年末の「禊ぎ」。一応、参加者もいるようですが、教えは述べません。わたしと同行できる数少ない機会となるでしょう。

「正月の事始め」、初笑い、書初め、初夢、初詣、初宴会、初禊ぎ(初滝行)と諸行事があります。まあ、いつもの正月ですね。



◎開運・運気上昇の法

★【金運上昇 一口アドバイス】金運を上げたくば、住宅の南側(朱雀)に「桐を植えよ」!

★【一代守り本尊の歌】川島金山 作
『子は千手、丑寅年は虚空蔵、卯は文殊、辰巳は普賢なり。牛は勢至、未申は大日よ、酉は不動に、戌亥は弥陀ぞ』
(※小さい厨子入りの仏像もしくは佛画を守り本尊とし、日々供養するべし。必ず庇護あり)

★【数霊法の応用】
わたしが昔施術していたお爺さんで強運の持ち主がおった。その方は第二次世界大戦(大東亜戦争)のときに南方戦線に一兵卒として徴兵され、輸送船に乗船していたところをイギリス軍に襲撃され、輸送船は沈没、海に投げ出された。偶然、木製の柱のようなものがあり、それに捕まっていたところ、漁船に発見され助かった。すると今度は小一時間してイギリス軍がなぜか漁船を攻撃、また海に投げ出された。再び木の柱がありそれにつかまっていたらイギリス軍に助けられ捕虜になった。そうやって九死に一生を得た。
そのお爺さんはすでに故人だが、その後の人生は数奇であり、努力せずして大金持ちになったが、家族運には恵まれなかった。その地域ではお爺さんの伝説があり、殊に賭け事で予想するのに長けていた。
人々が異口同音に言うには、どうやら暦を使うものらしいということだけだった。本当のことは誰にも分からなかったのだ。その逸話を元にわたしが研究し、応用した結果、それは暦を用いる「数霊法」であることが判明した。この法は人事百般に応用可能である。



◎口上『感謝!ただ感謝!』

元気に生きていられること、実に感謝感謝です。あの世にいったらもうお終いです。

生まれてこれたことに感謝しよう。命に感謝しましょう。宇宙があって地球の自然があることに感謝しましょう。

社会があることに感謝。食べ物に隣人に感謝!そして親家族に大感謝を!

来る歳、皆様の上に幸福がありますよう、感謝がおとずれますよう、心からご祈念申し上げます。

この一年間、当ブログをみていただき感謝を申し上げます。ありがとうございました!


平成26年12月吉日   川島金山しるす


わたしゃ今年も来る年も猫的に過ごすにゃー いわゆる宇宙ネコ、エンゼルセラピー猫として適当な占いするのら〜 でもみんな幸せになるといいにゃ〜と思っているよー トンガリ猫のわがままは不変だけどさぁ〜 みんな一年応援ありがとうねー! 

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金山講話【そりゃないでしょ!佐村河内さん50歳】

  • 2014.03.07 Friday
  • 12:29
金山講話 

【そりゃないでしょ!佐村河内さん50歳】

 
とくネコぱん見事に騙されましたねー!
まだまだ修行が足りんと思うじょー♪
ホレ、こういうふうに「眼が上がってる」感じじゃないとねー!!




最近は音楽をよく聞くので子供頃に親しんだリコーダー(ソプラノ木製)をはじめました!

聴くだけでなく、山や海に行ったときに何かできるといいなと思いはじめました。

佐村河内さんは「全聾」でも音楽を創作する、実に立派だと思ったのに残念でなりません。

今日ニュースを見たら、どこかのホテルマンみたいな人が度派手な記者会見してました。



どうみてもホテルマン風なのに佐村河内さんでした。

同じ50歳ですよ。こういう嘘はいけませんね。



こういう人には、昔の朝鮮医術で使っていた『猫お札』をつけたほうがいいかもしれません。

しかし、病気の時にこんなものつけて祈るなんてバカバカしいですね。

インチキっていうのは古今東西バカバカしい。

佐村河内さんの問題は、日本人のメンタリティーに関係があると思う。

TVドラマ「肝っ玉かあさん」や「ありがとう」というようなものに見受けられる人情みたいなものだ。




TVドラマ「肝っ玉かあさん」(上)と「ありがとう」(下)

ドラマのテーマ曲 http://www.youtube.com/watch?v=LrjkBBtoIao

           http://www.youtube.com/watch?v=m0VKhyY3t7U


どんなことでも良い面もあればわるい面もあるということかな?
 

春の来訪 狂い咲きか?【雪が舞い寒行に臨む】

  • 2014.01.10 Friday
  • 12:00
春の来訪 狂い咲きか?

【雪が舞い「寒行」に臨む】



昨日(9日)、朝目覚めてすぐに「春の訪れ」を感じた。

昨年よりも1〜2日早い。

東急線の車内の広告を見ると、静岡の河津桜のツァーの宣伝だ。写真は桜の花でいっぱいで、春を思わせる。

昨晩は、寒さが厳しく小雪が舞った。

「佛仙」の真道をゆく我らであるが、当然人間であるから日常における不都合や悩みはある。

この世に生きているということは、矛盾だらけなのである。

だが、そうであるからこそ、智慧と勇猛心を奮い起こして、事に対処して、人間としてまっとうに生きてゆくのだ。

幸いにして、大難はなく、まだ余裕がある。しかし、これではいけない。もっと自分を奮起させねばならぬ。叩き起こさねばならぬ。

自分に鞭打って塩川に出かけた。もう夜であった。みんなでやるよりは作法も準備も早い。さっさと終らして、お滝場にお神酒をまき、塩で清める。

「禹歩(うほ)を踏め」とのご啓示あり、寒さと恐怖と咄嗟のことで「禹歩」を忘れてしまう。
(※ほんとうの九字は禹歩を踏んで行なうものだ)

あっという間にお滝での練磨をし、塩川の霊場を後にする。

先日5日の初滝の後には、塩川由来の神社などを巡ったが、夜なのでその気力はない。

  

そして今日。

本日、細川元総理の東京都知事選の出馬を聞いた。

正直驚いた。

氏は隠遁生活に入られて随分久しいし、公益社団法人「整体協会」の会長でもある細川さんが?という感じである。

同協会の月刊「全生」が正月に届いた。

その冊子の中で「音楽を聴く楽しみ」という年頭の御挨拶を書いておられた。

日本の政治家としては稀有の文化人である細川氏が、いま都知事選に出る。

このことは春の乱れ咲きにも思えるが、実はこの国のゆくえをうらなう上で非常に重要なことなのではないかと思う次第である。

どんな時代になるにせよ、世の中がどんなになろうとも、わたし自身は自分の役目を果たしてゆくのみ。

堂々とゆくために、気合一閃、神祇・佛仙に真剣な祈りを凝らした。漆黒の闇の中で、わたしの気合は塩川のお滝場に轟いたのであった。

「我在り 宇宙の真ん中なり」 想いは肚に据わった!

 

新年講話【願いを馬に乗せましょう!】

  • 2014.01.04 Saturday
  • 00:00
新年講話

【願いを馬に乗せましょう!】


お正月には、初詣・初夢・お書初め・初歌など、とにかく初ものを「縁起よく」おこなうことが大切なこととされてきました。

本年は、「甲午歳(きのえうま)」ですから陽気の年廻りです。

西蔵(チベット)などでは、高い山間部の谷にゆき、高い所から「ルンタ」という祈願文を記した紙を風に乗せて飛ばします。

「ルンタ」の「ルン」とは、「風」のことであり、「タ」は「馬」のことです。「風の馬」というわけです。祈願を早く届けるということでしょう。

祈願を書いた旗のようなものには、「タルチョ」というものもありますが、「ルンタ」には紙製で投げ飛ばして祈願するものがあるのです。



ルンタ(※馬の背中には願い事を叶える宝珠がのっている)

しかし、陽気の年廻りであっても、やることをやらなければ、福運には恵まれません。

気癖を「淘げる(よなげる)」ことが肝要であり、霊的に浄化することも大切です。

不運のもとには、「本人の気質・気癖」と「憑霊作用」が大きく関わっていると思います。

「天馬」といい、天を翔る馬もありますが、そうはゆかないものもあります。

みなさん、まだ正月松の内ですので、「初笑い」ということで、大いに笑ってください。「笑う門には福来る」のですから。



碧くんの恵比須顔!こんな感じで!

この正月は寝正月みたいなものでしたが、毎日毎日多少の行事があり、少々疲れ気味です。

この5日は「小寒」であり、いよいよ功徳の高いと言われる「寒行」のはじまりです。元気で修行できることは、本当にありがたいことです。

昨日は実家の近くを散策しました。何処だかわかりますか?


 
変な形のホテル?がある所です?

ちょっと外国みたいな感じです!
 

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