霊術の秘伝【如何なる神佛の守護があるのか?】

  • 2014.01.24 Friday
  • 14:00
霊術の秘伝

【如何なる神佛の守護があるのか?】

     

◎その1;如何なる神佛の守護あるか?

悟りを得る、無償の犠牲的な愛を実践したい、無量の慈悲心を持ちたいというような事々を目途として、信仰実践している殊勝な方々もいることであろう。

だが大抵の人は、世間的な苦悩や障害に遭って、宗教に入り、信仰をはじめることが多いのではないかと思う。

もっともそのうちに洗脳されて、俗世的なことに興味を示さなくなる。実際こういうことが多いし、はじめの目途を忘れることが、廻心(※かいしん。心の向きを廻らし変えること)だとか言って、骨抜きにしてゆくのが宗教の常套手段なのだと思う。

信仰や宗教をはじめるのは自由で何を信じても自己責任だけれども、大切なことは一番初めに念願した事や当初の目途を忘れないことである。

これはわたしからの忠告である。

世俗的であれ出世俗的であれ、神佛に祈ることは変わりがない。

だが、その神仏や霊的な存在が自分にあっているのかということを指摘する人は少ない。

霊術の秘伝である「真鑑法」はそのことを示してくれるのである。

その人に於いて、守護をいただける神仏、霊祟(たたり)を起こす神仏を秘示してくれるのである。


秘符を謹製するのに必要な染料を求める
(※改運に必要なものはどこまでも追求する)


◎その2;事件転向解決の秘伝

各事件・各項目に於いて、どう解決するのかという糸口や答えを示してくれるのも、霊術の秘伝だと言えよう。

なぜ様々な事件や障害が起こるのか?

それは方向性の不正からくるのであり、あえて言えば、東の方角が悪ければ、不幸はいつもそこからくるのである。

逆に幸運は正当な方から来るのである。

これは方位方角というような単純なことを言っているのではない。

まずいままでの歩んできた人生の軌跡を書き出してみることである。

そこには一つの傾向がある。そのうえで「真鑑法」に照らしてみる。

更に「真観」通入する。

そうすると厳然と運命改善の糸口が見えてくる。

わたしは本業も然ることながら、この一連の霊術の技術を磨きに磨いて、世の中に付与したいと心から念願している。

人間は運命というものを必ず改善し得る。そして誰でも幸福になることができる。わたしはそう信じ、そう志向している。
 

桑田欣児著「神鑑法」「鑑定法奥秘」について(中)

  • 2014.01.17 Friday
  • 00:00
桑田欣児著

「神鑑法」「鑑定法奥秘」について(中)



貴重な祝詞集、ポッケ猫、おかかの饗宴

◎真鑑相者の資格

「神鑑法」をさらに考察すると、身体の左右や部位による判断・鑑定ということも出てくる。

「相」というものは不可思議な霊的照応があるのだと感じる。

要するに、この現実や現在の時間・空間に、過去や未来が詰め込まれているということだ。

三次元は四次元の切り口であり、情報が圧縮されているわけである。

神理賀詞、ポッケ、おかかの三つの合体は、わたしだけのオリジナルであり、それは「神鑑法」でみれば、中指であり、小指であり、薬指ということになる。

あなたはこの意味がお分かりであろうか?

この意味が分かる方は研究者として認めますし、わたしと一緒に研究者としてやってゆける最低限の資格があります。


真正会・尼崎研修会(二列目の中央が桑田欣児師)

◎神仏心霊の御加護を鑑定す

「真鑑法」の威力は、わたしの本道である修道のあり方にも応用される。

否、わたしにとっては「真鑑」から出発した修道・神霊加護こそが、宗教・信仰の真髄であると思っている。

人間が宗教や信仰をする場合の真実のラインを「真鑑法」は示してくれるのである。

要するに見当違いの信仰をしても御加護が得られず徒労に終わるわけである。

真鑑法で観れば一目瞭然、どういう信仰によって御加護が得られるか判然とする。

見方に秘訣(コツ)があり、判断等々にも口訣がある。

「寒行(寒垢離)」の修道者には、特別に鑑定のコツなどを伝授したいと思っている。

実際の修行をしているから、神霊の御加護が必要なのである。

また「守護霊」「指導霊」を招請する秘伝等を教授することも予定している。

[※ある新興宗教で守護霊を授けると言ってさんざん供養金などを搾取するところがあるが、まさしくインチキ宗教である。「守護霊増益供養」などと言ってまたあたらしいインチキ宗教ビジネスをはじめているらしいが、それは信者から莫大な金銭を巻き上げる霊感商法である。大丈夫だとは思いますが、みなさんは騙されないようにしてくださいね(笑)]

先回の記事に出てきたT氏ですら「先祖のお墓詣りでもするかなー」というのですから、霊的世界というものは厳然とあるわけです。

T氏にとっては御先祖のお墓詣りを含めた供養が、一番ご加護を得られる信仰(方法)だということです。

「真観(真鑑)」して考察すると、T氏の「相」には先祖からのご加護が受けれる相が出ており、一番合っているということである。



つづく
 

桑田欣児著「神鑑法」「鑑定法奥秘」について(上)

  • 2014.01.14 Tuesday
  • 20:00
桑田欣児著

「神鑑法」「鑑定法奥秘」について(上)


霊術の大家・桑田欣児師

桑田欣児は戦前は、「真正会本部」「帝国心霊研究会」を主宰し、戦後は「神正教」の教祖であった。

戦前の当時、全国には3万人ほどの霊術家と呼ばれる職業人がいたといわれている。

実に怪しい話だが、いまほど医療技術など発達していなかった当時は、修験者というか祈祷師みたいなものに頼るということが日常的であったのだろう。
(※祈祷の方法などを過去の資料などから精査してゆくと、病気直しの法術が分量も多く需要があったと考えられる。)

全国各地で実地伝法の講習会なども開かれ、随分と隆盛を誇っていた団体も相当数あったという。

その中でも桑田欣児師の教授していた霊術・霊法は、古今無双の憾があり、事実その後、人材を輩出している。

ちなみに桑田師の師匠は、ご存知、霊学の大斗「松本道別(まつもとちわき)」であり、弟子には気の巨人「野口晴哉(のぐちはるちか)」がいる。
(※「まつもとどうべつ」と読むのではないから注意してくださいよ!)


桑田欣児著「神鑑法」「真正の道」(※おかかランチョマット)

わたしは「神鑑法」ないし「真鑑法」と呼ばれる、特殊な人事百般鑑定法の研究を諸人に問い期待しており、実際に若年から様々な運命学や鑑定者など見てきて、桑田欣児の「神鑑法(真鑑法)」を越えるものはないとも思っている。

以前にも述べたことだが、「神鑑法」を骨子とした「真観法」をわたくしは提唱している。

実は「神鑑法」の続編というか、更なる奥義書が「鑑定法奥秘」なのである。桑田師自身が、そのように説明している。

この書は「桑田式叢書・第十二篇」として編まれている。

この資料は先年、浪速・大阪に住む、古書収集の大家、H氏よりわたしに贈られたものである。

最近、わたしの整体療法の被術者であるT氏(この方は中華料理屋の社長)が、おもしろいことを口にした。このことが、本記事を書く端緒になっている。

この人は、有名な中華料理家・陳健民さん(ちんけんみん)などとも知り合いで、業界では非常に顔の広い方であり、経験も豊富な人である。

このTさんが言うには、「人差し指が極端に短い料理人は、器用であっても不幸で人生がめちゃくちゃで、早く死ぬ」と。

「そういう指の短い人は、なんだかいつも指を隠している」とも語っていた。

実は桑田欣児の「鑑定法奥秘」の一番初めに「雑件」とあり、次のように記されている。

「本書の眼標たる真髄を陳述に先立って少しく、神鑑法書に漏らせし、其後の研究によて判明せしもの二三記して参考とする。
◎心臓の恒に弱きものは、示甲概して短かく薄し。云々・・・」

これらの記述につき私としては大いに感じるところがあった。

おもしろいもので、そのT氏の実弟はS県で天理教の教会をやっており、彼(T氏)は宗教や神様が大嫌いなので、その教会の長である実弟に、さんざん神さまなんか信じない、必要ないと文句を言ったという。

すると次の日に、包丁で中指をバッサリと切ってしまった。それはかなり大きい深い傷だった。

「神鑑法」では、神への不敬は中指に現れるという。

そんなことがあってもT氏はさらさら反省などしていなかったけれども・・・。



つづく 

観相のこと【開運発展の相を感ずる】

  • 2013.03.19 Tuesday
  • 00:00

【開運発展の相を感ず

物を相すること、事物・事象から未来を判断することを「観相」という。

普通は「人相をみる」ことをさす。

3月17日(日)の早朝、滝行気合法の鍛錬を行なった。

外気は随分と暖かい感じだが、実際のお滝はまだまだ流水が冷たい。

しかし、そうは言っても真冬とは違って体の耐久性が上がっているので、観念法や霊胎化作の観法を行なうのには容易である。

この日は、開運の相がある二名の行者の為に、行後に「一本締め」を行なった。

Aさんは、自分のめざす技能が身につく職場を得た。

B君は、この4月に千葉県内の或る場所に整体室を開設する。


B君開業の地(上空から)

ご両人とも、状況や方向は違うけれども、運が開き自らの道が明らかになってきている。

塩川のお滝での修行には『開運する功徳』 があるのである。

このことの背景には、深い玄理(神仏冥理)があるのだ。

しかしながら、このことを簡単には述べることはない。わたしは今後はあまり教えないようにしようと思っているからだ。

お滝を素直に、わたしから言われたように修行すること、他の混ぜ物や我見の修行(たとえば自分勝手な修行の仕方)をする場合または可能性のある場合は決して同じ仲間として修行はしません。

是非、皆さんには修行の本道を行ってもらいたいと思う。

都会の中にいて、いくら書籍や秘伝資料を集めても、講座お勉強会で学んでも、そんなことは修道上は無駄なことなのです。

ただただ、修行するしかないのです。そしてわたしの流儀では、滝行気合法を基礎にしているということです。


オープンした「BONO 相模大野」

開運のへ道【啓蟄と塩川大神】

  • 2013.03.05 Tuesday
  • 10:16

開運のへ道【啓蟄塩川大神】 

◎啓蟄とは?

暦の二十四節気のひとつであり、
雨水後15日めの3月6日頃に当たる。 “啓”は『ひらく』、“蟄”は『土中で冬ごもりしている虫』の意で、 文字通り地中で冬ごもりしていた虫が春の到来を感じ、草木が芽吹く と同時に地上へ這い出してくるという意味。この時期、北国では 福寿草が咲き、東京では紋白蝶が見られる。

本年は、今日3月5日(火)が啓蟄にあたる。

昨日、仕事場のドアを何気なく開けたら、部屋に虫が入ってきた。そういえば啓蟄の時期だったと、あらためて季節の巡り、自然の運行の神秘を思った。

◎卯の月

三月というか、啓蟄からは毎年卯(うざぎ)の月である。
いよいよ運気発動の干支ということになる。

身体のほうも2月くらいから対処しておくと、古傷をうまく出すことができるものである。

◎開運と啓蟄

開運の「開」は「ひらく」と読む。啓蟄の「啓」も「ひらく」と読む。

開くとは、八方に開くのであり、それを扇形といい、縁起が良いとされる。

逆は「八方塞がり」であり、方位としては「八方除け」などを行なう。つまり、運が開いてゆく為の障害を滅するわけである。

開くの反対は、閉じる(とじる)。門に鳥居が見えるのを開くという。開運の為に神社に行くのは間違っていないのである。

◎塩川大神(塩川の大滝・塩川神社)

塩川大権現と申し奉る。正確には緋龍権現と青龍権現が奉祀されている。

祭神は天照大神。

此の霊場でお滝をやりますと開運してきます。これは実に妙なものです。

一見、良くないことが起こっているようでも、必ず真実の良い方向が示される。

真剣に修行すれば、そのようなお力を得られます


◎霊水と気合法

まず運命上好ましくない、宿命や宿業というものは、古来から禊ぎで浄化しました。このことは理屈抜きに事実なのです。

ですから内省して、状況をどうにかしようとするときに、修行といってお滝に入ったり水垢離をするわけです。昔からずっとそうであり、経験的にそのことで変わってくるから、いまだに行なわれているのです。

宿命・悪業は水で清めます。

次に気合です。気合法の修行を行う。

体の真ん中に気を込めてゆく。さらに臍下丹田を充実させたら、そこから天地宇宙にむかって一撃の気合をかける。

霊地の御神霊の加持力、霊水の浄化力、念誦、気合の法によって、開運は為されるのです。

これは妙な霊験があるので、開運を望む方は、是非修行していただきたいものである。

修行したような気分を味わいたいような方や決意が半端な方などは、当会の滝行に参加することはできません。

※ 補記;次回のお滝では秘伝『八方除け』の九字を行なう。

解説 天源術(2)【日蓮上人の教え】

  • 2013.02.23 Saturday
  • 10:05

解説 天源術(2)

【日蓮上人の教え】

解説 天源術(1)では、 日蓮上人が説いた、『定業』について述べていると記した。

天源術にしてもその他の運命学・占術にしても、ヒトの運命の或る側面を看破しようというものであることは間違いない。

あなたはどう思うか?

インドの教え(仏教も含む)では「カルマン」ということをいう。日本語では「業」である。

「あの人は業が深い」などという場合につかうアレである。

意味を訳すせば「行為」ということになるが、このカルマ=業(行為)が、因果関係と結合して、一つの行為は必ず善悪、苦楽の作用をもたらす、これが「業報輪廻」の思想になってゆく。

人がここに生まれた。それは過去の業の結果だというのが、その考え方である。

このことは仏陀の教えでも変わりがない。

仏教では、「定業」「不定業」ということをいう。

「定業」とは動かし得ない宿命みたいなもの。「不定業」とはその果報が定まっていないものをいう。

日蓮上人は、その著書『可延定業御書』の中で、「定業」について説いている。

『可延定業御書』は、「かえんじょうごうごしょ」と読む。

別名『依法華経可延定業事』とも呼ばれている。(※「ほけきょうによって、じょうごうをのぶべきこと」と読む)

弘安二年、建治元年に上梓したという二説が有力である。御真蹟は、中山法華経寺に格護せられている。

『業に二あり。一には定業。二には不定業。定業すら懺悔すれば消滅す。いかに況んや不定業をや。』

こう上人は喝破しておられる。

宿命的な「定業」も懺悔すれば消滅する、「不定業」は尚更である。人の寿命すら延期するものだと上人はいうのである。これは法華経の薬王菩薩本事品によっているものである。

観相の大家・水野南北翁は「相法の極意は法華経にあり」と言われたが、「法華経の極意は定業すら消滅するにあり」ということになるのではないか?

天源術というものは、この「定業」「不定業」を観るというものなのではないか。

「淘宮術」というのは、要するに天源で看破した運命・宿命を、変換消滅させるところの術(すべ)なのではないだろうか。

解説 天源術【淘宮術奥伝を読む(1)】

  • 2013.01.27 Sunday
  • 00:00

解説 天源術【淘宮術奥伝を読む(1)】

 
   淘宮術奥伝書の表紙

淘宮術は生年月日によって宿命を知り、運命を淘げるところの実学である。

正確には、生年月日から265日遡って、母親の胎内に宿りし干支を算出し、運命を見てこれを善良ならしめるものである。

「初伝」「中伝」「奥伝」「皆伝」と段階がある。

生まれたときの干支は変えることができない。年・月・日これを「三輪(さんりん)」という。

それに対して、貌の或る部位の血色を相す、これを「ハタケ」という。「三輪」は終生変化はしないが、「ハタケ」は変化する。

ハタケはその人の運の成り行きを示す。これを修養によって変えるのが「淘宮術」である。

仏教に「定業」というものがある。

日蓮上人もこの「定業」について述べている。

その辺のことを理解しつつ、「奥伝」を読み解こうではないか。

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