サヨウナラ!!ゲゲゲの水木しげる先生!

  • 2015.11.30 Monday
  • 14:30

サヨウナラ!!ゲゲゲの水木しげる先生!



◎水木しげる先生逝く!

漫画家・水木しげる先生が11月30日午前7時頃、心筋梗塞のため東京都内の病院でご逝去されました。享年93歳。鳥取県出身。

水木先生は11月11日に東京都調布市の自宅で転倒。頭部を強く打ち、入院していたという。

先生は高等小学校卒業後、漫画家をめざし、大阪で働きながら漫画を学び、戦争中は陸軍の兵隊としてニューギニア方面に出征。戦後は一時紙芝居を商売にしていた時代もあった。1958年に貸本漫画家としてデビュー。「河童の三平」「悪魔くん」などを発表。「ゲゲゲの鬼太郎」が妖怪を扱う人気漫画となり、テレビアニメ化されて飛躍し、妖怪ブームが巻き起こった。



マンガ 墓場の鬼太郎の一コマ

幼少時に妖怪の話を教えてくれた老婦人との交流を描いた自伝的なエッセー「のんのんばあとオレ」「水木しげる 妖怪大画報」のほか、「総員玉砕せよ!」「娘に語るお父さんの戦記」など、戦傷で左腕を失った自らの戦争体験に根差した作品も多い。これらは戦争を経験した者にしか描くことの出来ない文化的遺産だと思う。

特に幼少期を過ごした鳥取県境港市には愛着があり、93年には「水木しげるロード」が設けられ、03年には「水木しげる記念館」が建てられた。10年には妻の布枝さんが書いた「ゲゲゲの女房」がNHK連続テレビ小説として放映された。91年に紫綬褒章、03年には旭日小綬章を受章。10年文化功労者。



◎百歳まで生きて仙人になる!

水木しげる先生は、わたしが思う“市井の仙人”のイメージにピッタリだ!

TVに生主演しても奥さんの横で平気で鼻くそをほじっていたり。とぼけていてユーモアにあふれていた。

最近、昔の話を知る方々がどんどんお亡くなりになっている。仏道修行では長寿というものを祈願する。長くこの世に留まって一体何をするのかというと、自分の修行を継続して行なうことと、一切衆生・すべての生きとし生けるものたちの為に修行する為である。

わたしはこの頃、思っていたのだ。元気で人間百歳まで生きれれば相当なところまで霊的知識を得、相当な進化ができると。だから百歳まで元気に生きて修行しなければならないと。もし仮に二百歳まで生きれたら生き字引きのようになってゆく。精神と霊魂を相当のところにまで持ってゆくことができる。

水木先生の強く楽しい生き方を想い、わたしは上記の思いをあらたにした。

ゲゲゲの水木しげる先生の御冥福を心からお祈り申し上げます。合掌。
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(=^・^=)V にゃー!
“八割れ猫”おまい幾つだー! 
なぬ!宇宙猫より3ヶ月年長だったのかよー〔汗〕!?
先輩だったわけにゃー! いいや黙っておこうっと!? 
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哀悼の念を捧ぐ!高倉健さんの信仰!!

  • 2014.11.20 Thursday
  • 00:00

哀悼の念を捧ぐ!

高倉健さんの信仰!!


 

◎高倉健さんの信仰!

男のなかの男、高倉健さん。その高倉健さんが信仰を持っていたと言ったら驚かれると思う。
鎌田東二氏の編による『日本の聖地文化・寒川神社と相模国の古社』という本には、高倉健さんの「私の信仰」というエッセイが掲載されている。

以下、同書からその関連の記事(P248〜249)を引用してみる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
社報『相模』の過去の号には、寒川神社をよく参拝に訪れる俳優の寄稿が掲載されている。1977(昭和52)年1月1日発行の第49号には、著名俳優の高倉健(1931年生まれ)が「私の信仰」と題するエッセイを寄稿している。

「苦しい時の神頼み」と人はよく言います。自分が苦しく、辛くなったとき、人は神に手を合わせます。小生も少なからず、その部類の人間に入るのではないかと思っております。一見、華やかにみえるこの世界で仕事をしていますと、人には決して話せない苦しいこと、悲しいことが一杯です。プロである限り、プロとして厳しい勝負の世界で戦わなくてはなりません。どんなに悲しいこころでも、どんなにつらい思いでも、決して表面に出してはプロとして失格です。
切なくなった時、身もちぢまる寒い夜、誰も居ない神社にひっそりとお参りに来るのです。一人佇み、手を合わせていますと、今まで台風にように荒れ狂っていたこころも静かな川の流れのように落ち着きます。・・・・・(以下省略)

『網走番外地』や『幸福の黄色いハンカチ』や『鉄道員・ぽっぽや』などの演技で有名な高倉健が「切なくなった時、身もちぢまる寒い夜」、夜中に一人で参拝に来る神社が寒川神社であるというのだ。そこでたたずみ、手を合わせて祈りを捧げていると、それまで「台風のように荒れ狂っていたこころ」が「静かな川の流れ」のように澄明に落ち着いてくるという。このような、「こころ」を静かに深く鎮めるちからとはたらきを神社は持っている。高倉健にとって、寒川神社はそのような”こころ鎮め”の聖地であった。
有名俳優の高倉健がそのような参拝の仕方や祈り方をしているとは意外な感じがするが、だがその参拝の仕方はある意味で高倉健らしい潔さと凄みがあるともいえる。・・・
鎌田東二編『日本の聖地文化・寒川神社と相模国の古社』より)

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寒川神社というのは実に不思議なお社である。相模国(神奈川県)の一の宮であり、全国唯一の八方除けの神社である。



引用した本は数日前に注文したものであり、昨日届いたものである。パラパラとページを繰ってみると偶然にも高倉健さんの記事が出ていた。それも日頃からわたしが尊崇する寒川神社との関連記事が・・・。

即座に書く勇気が出てきた。一人でも多くの方にこのことを知らせよう、いまそれをやっておかなければならないと筆が動く。

わたしも夜に神社に行ってみようと思う。静かに佇んでみようと思う。


  

◎見よ!同じ命日の奇瑞

昨日すでに報道されているが、大衆芸能の分野で文化勲章を受章したお三人が同じ命日(ご帰幽日)だという不思議。
●森繁久彌(享年96歳)1913年(大正2年)5月4日生〜2009年(平成21年)11月10日帰幽。
●森光子(享年92歳)1920年(大正9年)5月9日生〜2012年(平成24年)11月10日帰幽。
●高倉健(享年83歳)1931年(昭和6年)2月16日生〜2014年(平成26年)11月10日帰幽。

こんな偶然はあるのでしょうか?
お三方とも日本に於いて最高位の勲章を受けている。健さんが国民栄誉賞を受賞すれば(追贈受賞)、これまた3人共受賞ということになる。

これは当然のことで、大司命節直後に顕幽問わず験しが現われるのは、ご神意にかなっているということであり、11月10日にご逝去したというのは、ある種のお役目を果たして優位な霊界に入ったという証しである。

さらに健さんの御冥福をお祈り申し上げます。

剣豪宮本武蔵は「我れ神仏を尊ぶと雖も、我れ神仏を頼ゆまず」と云われたってねぇー 健さんも若い頃に映画「宮本武蔵」に巌流佐々木小次郎役で出ていたよねー 神頼みっていうことではなくて、我が身を神明において心を鎮める、そういうことをやったんだとおもうじょ でもそれこそが神社の参拝の仕方の本道のような気がする 健さんってやっぱり凄い人だったんだねぇ〜 

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訃報!!高倉健さん逝去

  • 2014.11.18 Tuesday
  • 13:07
 

訃報!!高倉健さん逝去

(享年83歳)




◎男のなかの男 高倉健さん逝く!!


映画俳優の高倉健(たかくら・けん、本名・小田剛一)さんがご逝去しました。

11月10日午前3時49分、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で逝去された。

享年83歳。福岡県出身。

1931年(昭和6年)に福岡県に生まれ、大学進学の為に上京。1955年、東映ニューフェイスとして入社。演技の経験などは全くなかったが、1956年に映画「電光空手打ち」で主演デビュー。 映画スターとしての地位を確立したのは、1960年代に入って出演するようになった仁侠映画であった。

「網走番外地」「日本侠客伝」「昭和残侠伝」などがシリーズ化され、大ヒット。映画ファンは「健さん」と親しみを込めて呼ぶようになった。健さんは、 テレビドラマなどにはほとんど出演せず、自らを「映画俳優」と呼んだ。




生涯の映画出演作は205本に及ぶ。最後の作品は、2012年秋に公開された「あなたへ」(降旗康男監督)。田中裕子(59)が演じた亡き妻の面影をたどり、富山から九州まで自らハンドルを握り、旅をする刑務官を演じ、同年の報知映画賞主演男優賞を受賞した。

わたしが個人的に好きなのは「鉄道員・ぽっぽや」「居酒屋兆治」「駅」などですね。





◎そりゃないだろ!政治家官僚広告屋さんよ!


11月10日(月)にお亡くなりになって何でいま報道すんの?
変でしょうよ!

みなさん、そうは思いませんか!

いくらねぇ、選挙に勝ちたいからって、こういうことまでして情報操作しちゃダメですよ。

あれですか、どっかの巨大広告代理店にでも頼んであるんですか?
ミエミエのことやって、ほんとにズルイねぇ〜
どうしようもないよ、政治家官僚広告屋。死んだらロクなところに行かないでしょー。
(※
与党自民党と内閣官房・財務官僚、D通さんetc.)


◎健さんのご冥福を祈る!


今日からTV雑誌などでは、高倉健さんの特集が組まれることでしょう。2週間やそこいら簡単に消化できますねぇ〜。政治家官僚(与党自民党と内閣官房・財務官僚)ホクホクだねぇ〜。

大司命節終了の翌日に逝ったわけです。とにかくわたしは霊学修道者として健さんのご冥福をお祈り申し上げます。



本当のスター、映画俳優 健さんは最後の大スターだったと思うにゃ〜 健さんが黒澤映画に出ていたらどんな作品になったか見てみたかったじょ 
東林間に「兆治」っていう小料理屋があってね そこの暖簾が映画のヤツと同じなんだ 店の亭主にたずねると「映画で憧れてそうしました」だと
 ふぐの天丼なんかあってなかなかのもの あそこの亭主哀しんでいるだろうにゃー トンガリ悲しいにゃ〜(涙) 


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団塊の世代受難【嗚呼 たかじん逝く!!】

  • 2014.01.08 Wednesday
  • 12:00
団塊の世代受難

【嗚呼 たかじん逝く!!】

やしきたかじんさんが、1月3日に逝ってしまった。

暮れの12月30日には、ミュージシャンの大瀧詠一さんの突然の訃報があった。

わたしの周囲でも60代半ばのいわゆる団塊の世代の人々が、突然の病におそわれたり、逝去されている。

この寒さや年齢に関係があるように思い、世代的傾向なのかとも考えている。


tv『たかじんnoばぁー』の1シーン

tv『たかじんnoばぁー』動画↓
https://www.youtube.com/watch?v=9pmWdK8GU2k


たかじんさんのトークの面白さは、よみうりテレビの『たかじんnoばぁー』で如何なく発揮された。

この番組は、1992年(平成4年)〜1996年(平成8年)まで放送された。

最終回のゲストは、ビートたけし(北野武)さんで、この回のことは昨日のことのように憶えている。

たかじんのアシスタントはトミーズ雅であり、セットのバーのカウンターは凝ったつくりで、お酒は200本以上の種類があったという。

時には料理人の神田川俊朗さんなども、カウンターの中に入り、実際に酒の肴を作ったりして、同番組に出演していた。

ほんとうに無茶苦茶な話しをして、放送禁止部分には「ガォー」と音が入るという具合だった。

その後も活躍されて、歯に衣着せぬしゃべりで、世相を斬っていた。

マスコミの人間にすら平気でものを言う。こういうタイプの人間がいなくなるというのは惜しいことだと思う。

話しは、先の団塊世代のことだが、生後13ヶ月〜15ヶ月の栄養摂取の状況が、その人の一生の体力を決めるという話しを聞いたことがある。

これは或る流派の整体法体系の一説にすぎないが、たしかに団塊に世代が生まれた当時の日本は食べ物もなく、そのうえ出生率も高く、栄養的に乳幼児には過酷であったかもしれない。

或る年齢になってくると、粘膜や血管の質がものをいうように思う。血管の弾力・強度の問題になるのだと思う。

団塊の世代は人数が多く、競争も激しかったので、それなりに根性もあるのだろうが、実は根本的な耐久力的な体力は弱いのかもしれない。

とくに血管の収縮する寒い時期や場所には要注意なのかもしない。

昨日、電車で移動中に、むかし知り合いだったバカ女の治療師が車内の近くにいた。この者は、ちょうど平成8年頃に会った人物だ。

あいかわらずの濃い顔立ちで本を立ち読みしていた。あんまりよい歳のとり方はしていないなと思った。(※東北人で顔がクドイので歳をとるといよいよクド過ぎる!)

そして、平成8年当時にあった出来事など詳しく思い出していた。

そう、ちょうど同時期に『たかじんnoばぁー』が放送されていた。

そして翌日の今日、やしきたかじんさんの訃報を聞いた。めぐりあわせとは何と不思議なのだろう。なんとも奇妙なことである。
 

第十八代 猿若中村勘三郎さん逝く

  • 2012.12.06 Thursday
  • 08:56
第十八代 猿若中村勘三郎さん逝く

 
くりからもんもんがよく似合う

第十八代 中村勘三郎さん 無念の急逝となってしまいました。

わたしは歌舞伎というものを数回しか観たことはありませんが、この方のスジの正しさというものは、歌舞伎ファンの方から聞いたことがありました。

NY講演などはすごいなと思い、日本人として誇らしく思いました。

芸は一世だとよくいいますが、十八代にわたり連綿と芸が受け継がれていることは驚異的です。それも血の繋がった子孫にです。

先日、森光子さんがお亡くなりになりましたが、中村家と森さんは特に懇意に付き合われていたことは知ってましたので、直接のコメントがないことが不思議でなりませんでした。

一ヶ月前あたりでしょうか、肺呼吸器系統を患っているということが公表されたので、合点がゆき、これはとは思いました。

しかし、若すぎます。無念とはこういうことをいうのでしょう。

日本の芸能にとって大きな人を失ったことは事実なのだと思います。

ほんとうに品のある方でした。心からご冥福をお祈り申し上げます。

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