訃報・今井雅之さん逝く(『THE WINDS OF GOD』の如く)

  • 2015.05.29 Friday
  • 10:00

訃報・今井雅之さん逝く

『THE WINDS OF GOD』の如く




5月28日 54歳で逝去した俳優の今井雅之さん


◎儚くも散る俳優・今井雅之さん

俳優・演出家。元自衛官にして、自ら原作・脚本・演出してきた舞台『THE WINDS OF GOD』を先月降板した今井さん。

先月(4月)、記者会見をおこない自らが末期がんであり、舞台を降板せざるを得なかったことを語った。

心中、忸怩たる思いであったろう。しかし、病には勝てなかったとご本人の弁。

それから約1カ月、残念無念であるが、28日午前3時、今井さんは帰らぬ人になってしまった。容体が急変したそうだ。

戦後70年の節目。こういう時だからこそ、今井さんは舞台に出たかったのだと思う。

わたしは彼の記者会見を見ていてとても辛くなり、最後まで見ることができなかった。

人はいつの日にか最期をむかえる。みんなあの世に旅立つのだ。だが、古希を過ぎ80歳にでもなっていれば、それは仕方ないと思える。残念だがそう思うことはできる。

しかし、いくらなんでも50代半ばというのは早すぎる。



◎昨日のつづきが今日であり明日であること

みなさんよく考えていただきたい。みんな昨日続きが今日であり、今日の続きが明日である、その明日はふつうに来ると思って生きているのである。

命の保証なんてどこにもないのにだ!

10年計画や20年計画なんて雲上の楼閣にすぎない。

こういう問題についてあなたはどう考えるか?どう考えればよいか答えを持っているか?

他人ごとではないのだ!

最後に・・・。演出家にして俳優であった今井雅之さんの御冥福をお祈り申し上げます。


人間死んだら、この世での活動はおしまいです。生きていることはすばらしい、日々精進、一歩一歩前に進もう!わたしはそう思います。

 ホント死んだらおしまい トンガルこともツッパルこともできなくなる
ーーーーーーーーー
ネパール地震義援金

日本赤十字

1.受付期間

平成27年4月27日(月)から平成27年7月31日(金)まで

2.ご協力方法

(1)ゆうちょ銀行・郵便局

口座番号 00110-2-5606

口座名義 日本赤十字社

  • ※振替用紙の通信欄に「2015年ネパール地震」とご記入

ーーーーーーーーー
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追悼支援・ネパール大地震

  • 2015.04.27 Monday
  • 12:00

追悼支援・ネパール大地震




◎20年前の巡礼法旅の思い出

一昨日、ネパール大地震が起きてしまった。

わたしは今から20数年前に単身ネパールに趣いた。滞在は短く3ヶ月ほどだったが、その後の人生に影響を与える法旅(佛法を求めての旅)になった。

首都のカトゥマンドゥはもちろんのこと、ヒマラヤ山脈の麓の村々にまで行った。バスの旅は恐ろしくて、谷間に同型のバスが転落しているのを何度も見た。まさしく奈落の底だ。

バスで移動しているときに転落が怖くて、目を閉じて自分なりにお祈りをしていた。小休止の為に停車したときに、同乗のお客さんで美しいネパリーの女性とバスのマネージャーがわたしにミルクティーを何故か御馳走してくれた。きっとみんなの為に事故が無いようにお祈りしたのだと勘違いしたのであろう。

実はわたしは、事故を起こしても自分だけは助かるように祈っていたのだが・・・!?



◎小学校の教科書、そして建築工事の話

ネパールというと、小学校の教科書に出ていたカルナナンダ選手のことを思い出す。東京オリンピック陸上競技1万メートル走に出場した選手の話である。すごく周回遅れをしてもあきらめないでゴールした。そういう内容の話だった。


カルナナンダ選手(1964年 東京オリンピック)

現地でカルナナンダという男はいるかと聞いたら、すぐに3人ほど見つかった。案外多い名前なのだ。

わたしがネパール滞在中に驚いたことの一つは、建築工事のいい加減さだ。設計図はあるのに、そこの持ち主が見ていないと勝手に窓を作ったり、扉をつけたりする。鉄筋といっても細い鉄だったり、竹を入れているのもあった。まるで子供だましのような建て方だ。



もうこの憩いの場所もない

大きな地震がきたら一撃で崩れる。その当時わたしはそう思っていた。さらに重機が無いのだ。大地震を想像すると身の毛がよだった。その危惧の念がここへきて現実になってしまった。地震後の写真がいくつか出てきているが、わたしがよく歩いたところも多々あった。有名な広場の三重の塔も跡形もなく崩れたという。あそこは市民の憩いの場所だった。

しかし、ほんとうに残念無念なことである。



◎緑ターラ菩薩に祈する

今回の地震でお亡くなりになられた方々、被災され途方にくれている方々に、心からおくやみ申し上げ、お見舞いの気持ちを表明したいと思います。そして自分のできることを実行しようと思います。
ーーーーーーーー


■yahoo!基金
寄付が2倍|ネパール|地震被害緊急支援募金

■公益社団法人アジア協会アジア友の会(JAFS)
ネパール地震へ被災者支援のための緊急募金

■認定NPO法人アムダ(AMDA)
ネパール中部地震被災者に対する緊急医療支援活動

■CODE海外災害援助市民センター
ネパールで大規模な地震災害が発生しました

■認定NPO法人チャイルド・ファンド・ジャパン
チャイルド・ファンド・ジャパンは、ネパール地震への緊急・復興支援を実施します。

■公益財団法人日本ユニセフ協会(unicef)
ネパール地震緊急募金

■国際NGOワールド・ビジョン・ジャパン
ネパール大地震緊急支援募金にご協力お願いします

■ADRA Japan(アドラ・ジャパン)(ADRA)
ADRAは、ADRAネパール支部を中心に緊急支援を行ないます。

※とりあえず記載しました。まだまだ多くの支援金受け入れ先があると思います。

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先ず、被災援助の為の寄付をすること。

次に祈ること。わたしは4月26日(日)に“世界大師”の記事をブログで公開しました。数日前から26日の日曜日に出さなければならいと心の中から確信が響いていたからです。



自然に出現した緑ターラ菩薩

不思議なことに同時にネパール・パルピンに出現した“自然に岩に顕現した緑ターラ菩薩”の写真を手に取っていました。この写真は20年前にわたし自身が撮影したものです。

緑ターラ菩薩の法で祈ることはあらかじめ決められていたようです。緑は風のエレメントを表し、機能が速疾なることを意味します。また、世界大師は心臓のチャクラに関わっているのであり、その色は輝く緑色で表現されます。

心臓のチャクラは愛を意味し、トンデュという方法で心臓のチャクラから輝くグリーンの光線を放って苦しむ衆生に光を送るのです。ターラを“救世尊”というのです。観音様と共に苦しむ生きとし生けるものたちを救うのです。


これを連日行ってネーパルの一日も早い復興を祈ります。

おそらく被災してお亡くなりになる方は予想を上回る人数になるものと思います。みなさんが家を失い、復興が思うようにゆかない、そのようなことが現実となるでしょう。エベレスト登山もこれからは状況的変化に見舞われます。自国の力でネパールは復興できないでしょう。多くのチベット人もおり、仏教・ヒンドゥーの寺院がありますが場所によっては壊滅的被害を被っているでしょう。ヒマラヤ山を侵すことは許されないのです。あの聖なる山の真ん中に、ごく最近トンネルを掘る計画を発表した国がありました。(どこの国とはいいませんが・・)
しかし、このような事態になっては、その計画も頓挫するでしょう。この大災害の救いは“無償の愛”しかありません。人種・宗教・国家の枠を越えた“人間の持つ愛智(人間愛)”しかないのです。


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追悼・愛川欽也さん【猫ピカっ!第55号発刊す!】

  • 2015.04.19 Sunday
  • 00:00

追悼・愛川欽也さん

猫ピカっ! 第55号 発刊す!



猫ピカっ!第55号でかわしま欽猫インタビューに答える!

◎追悼!ニャンコ先生を語る

(日本猫ピカ学会名誉会長 かわしま欽猫氏)


編集部・・欽猫先生はいつニャンコ先生と出会ったのですか?

かわしま欽猫氏・・ニャたしはねー、“いなかっぺ大将”を10回は初回から最終回まで見てました。キャット空中三回転をやりたくて布団めがけてよく飛びました。

編集部・・ヘェ〜!!相当な悪ガキだったのですね。

欽猫氏・・悪いかどうかはわからないですよ(笑)ただね、家族以外で人生初の友だちが“猫ぱん”ですから…何事も猫ぱんを見習っていたわけですよ。


 
愛川欽也氏(ニャンコ先生)

◎愛川欽也さんを悼む

編集部・・欽猫さんのニャンコ先生(愛川欽也氏)への思いをお願いします。

欽猫氏・・先ずはお疲れ様ですと言いたい。ニャたしのオヤジと同世代でね。多感な少年期に日米開戦があり終戦があった。都会のものはみんな焼け出されて疎開したりバラックに住んだり大変だったのでしょう。
愛川さんは(漫画いなかっぺ大将で)ニャンコ先生として地位を確立して、パックインジャーナルなんていう平気で政権批判するTV番組(CS放送)をやってたね。ニャたしもニャンコ先生がやっている番組だからよく見てました。
愛川さんは80歳ということでしょう。50歳の人間ならば彼の年齢まであと30年あるわけです。30年というのはあっという間でもあり、まだまだそんなにあるのかというような時間です。人によって感じ方が違う年月(時間)です。
愛川さんは亡くなる前まで「さあ仕事にいきたい」との旨、病床で言っていたといいます。自分の人生を生き切る、精一杯生きる、そういったことを“猫んこ先生愛川欽也氏”は死してなお教えてくれているように思えてなりません。
だからね、ニャたしたちも“自分に忠実に生きる”ってことをこの人生で展開しなきゃならん。
自分に忠実に生きている人間には真の自由があるのだ!ということだよ。

編集部・・今日はお忙しい中?ありがとうございました。

欽猫氏・・いやいやこちらこそ、ありがとう!ありがとう!ありがとう!
でもなんだよ、その?ってさぁー

[後記]愛川欽也氏は戦争には絶対反対。憲法9条改正にも絶対反対。首尾一貫通しておられました。憲法の小冊子をいつも持っておられたといいます。



いやねー、平気で現政権を批判できるような人がまたいなくなりました。キャット空中三回転とはいかないまでもキャット空中一回転ぐらいはできるように精進したいと思います。 
 おまい、よく豚丸木さん(とんまるきさん)とか太っている女の人を見ると言ってたな〜 人の悪噂・残酷・迷信の三つは“愛”に反する罪なんだじょー これは大師の教えだよー

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追悼【東京大空襲と東日本大震災】

  • 2015.03.09 Monday
  • 00:00
追悼【東京大空襲と東日本大震災】

◎東京大空襲と東日本大震災の追悼

今年で戦後70年。

70年前の3月9日深夜から3月10日にかけて大日本帝国の首都東京は大空襲によって、古今未曾有の大戦災を被りました。死者ゆくえ不明者は数十万人。

アメリカ軍の爆撃機B-29による絨毯爆撃によってほとんど一般市民が焼き殺されました。

みなさん日本人として残念無念のうちにお亡くなりになったお御霊の御冥福をお祈りしましょう。




3月11日は東日本大震災から丸4年の追悼記念日です。

地震の映像を見たり、復興報告などを自分なりに調べて考えましょう!

同時に福島原発のことも考える必要があります。人は嫌なことは忘れてゆくものです。しかし、それではダメなのです。

批判の前にお互いを認め合って“感謝”すること“愛”を確認することです。そこから出発しなければ問題は永遠に解決しません。

二元論に陥ることなく、話し合いのテーブルに着くことです。

かたくなさは“弱さ”の側面でもあります。

3月9日〜11日は、幸福・平安・安全・和平など、そういったことを考える機会として日本人に与えられたものだと、わたしは理解しています。


ふつうお亡くなりになった方を“招霊”してはいけません。この世から離脱させてあげることが本当なのです。しかし特別な場合もあるのです。残念無念でお亡くなりになった方に廻向するということ、平和の誓いの祈りをすることは意味のあることだと考えます。昨日から日々の冥想を深くして“追悼感謝”の祈りを捧げています。
御冥福をお祈りします。

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巨匠・野口裕介氏逝く(その2)

  • 2014.08.07 Thursday
  • 00:00

巨匠・野口裕介氏逝く(その2)


指導中の野口裕介氏

◎狛江のご自宅で御葬儀が行なわれる

8月6日(水)月の光が冴える中 涼しい風が吹き抜ける中、整体協会の宗家2代目のロイ先生(野口裕介氏)の御葬儀・お通夜がしめやかに行われた。

御葬儀は神式であり、立派な屋内にはご家族親戚縁者が座し、神職が玉串を修祓しつつ祭儀が執り行われた。ご親族ご一同は突然の訃報に沈痛の面持であった。



狛江の野口家入口(お通夜が終わる直前)

来場者は500〜600人ほどであったか。ほとんど整体協会の会員である。

わたしは裕介氏から整体操法の教えを受けたことはない。しかし「気合の型」や「活元会」のなかで呼吸の仕方など有益な教えをうけた。そのいくつかは大いに役立ち、わたしは自家薬篭中のものにしている。

内弟子になり日頃から接していた人は幸いであり、その気になれば相当な事を自分のものにすることができたでしょう。しかし、初代も二代目もいまはこの世にいない。



御会葬御礼の表紙

◎孤高清冽の人

御会葬御礼には次のようなことが書いてあった。
「故 野口裕介は八月三日早朝 永眠致しました
 父 晴哉の跡を継ぎ 孤高清冽な生涯を送りました
 生前故人を支えて下さった多くの方々に衷心より
 感謝申し上げます」

喪主は野口家ご長男の野口裕哉氏。

ロイ先生という方は「孤高清冽」な方であったのでしょう。曲げない、改革を受け付けない、そういうところがあったのでしょう。

会場でいくつかの声や出来事があった。次に三つだけ記すことにします。

(1)子供連れのお母さんが、故人神拝をおえて会場を去る時に、
  「先生にきちんとご挨拶できた」と子供に聞いていた。

(2)「先生は亡くなることは分かっていたんだわね」・・・
   すでに伝説が生まれていました。

(3)故人神拝の後、「先生〜っ」とむせび泣く女性がいた。
   よほどやさしく接してもらっていたのでしょう。

人間死んでから価値が分かると言いますが、まさしくそうですね。


◎あえて問うものである

だが、わたしはあえて問うのである。

初代野口先聖にあれだけの力がありながら、二代目がこれだけ清冽だったのに、なぜ野口整体は世の中に広まらないのか?

いや最近の月刊全生を見る限り、入会会員の激減は宗家のあり方に問題があるのではないかということである。清冽もいいし、家の出が良好なのもよい。

この家系には何かの問題があるんじゃないのか、そう思い至る。
すると出てくるのが、初代野口氏の家と昭子夫人の家系である近衛家との天地ほどの格差の問題である。

次に浮かぶのが、晴哉氏と昭子氏の長男出産、離婚、結婚入籍の顛末である。

さらに初代野口先生が野口家の二男であったという点。
(野口晴哉氏の元の名は金次郎である)

そういうことも含めて狛江の御葬儀の偶然に乗じて家相を観た。
いちじるしい「後継に難の生ずる相」が出ている。驚きました。

さらに驚いたのが葬儀中の野口晴胤氏の様相。
体をクネクネ、ゆらゆらしながら鋭い目で参列者を凝視している。この動きは非常に奇妙でした。同時に葬儀に参加する者として無礼です。霊学修道者のわたしが霊崇秘伝で看破したところでは、あれは憑霊している者の相・所作です。

礼拝の節には、二代目が眠る祭壇にむけ、霊魂安鎮秘詞の一部を繰り返し微音で念唱しました。

野口整体が世界に広がりをみせる為には、相応のことをしないと実現できないと感じました。

孤高のお公家さんが居なくなったということは、これから改革がなされるということを意味します。その改革にお通夜に参列していた方々がついてゆけるとは到底思いませんが・・・。これから問題が多く出てくることでしょう。

ですが旧七夕(8月2日)に書いたわたしの記事、その中で野口晴哉先聖の「ウーム大丈夫」をあげました。大切なのはそれです。

あらためまして野口裕介氏のご冥福をお祈り申し上げます。
野口先生お疲れ様でした。


(追記)※生前お世話になった先生のご逝去に際し、遠くからご冥福をお祈りしますなんてことをいう人間は恩知らずの者と言うべきです。お世話になったのなら口先で言っているんではなく、お香典持参して、堂々とお別れをする、ご挨拶する。こういうところに人間の価値があるのです。そういうことすらできない人間が整体だの手技だと言ってもダメ。肝っ玉・根性があるならそのくらいできるだろう。

 

巨匠・野口裕介氏逝く

  • 2014.08.05 Tuesday
  • 13:25

 巨匠・野口裕介氏逝く

◎整体協会の巨匠が逝く


在りし日の野口裕介氏

昨日、整体協会事情通の人からメールが届いた。整体協会本部講師にして、常任理事の野口裕介氏が平成26年8月3日(月)に逝去されたという。

だが、何の裏付けもないのに真に受けることはできないので、わたしは本部に問い合わせをした。というのも8月16日の活元会に出席する予定で開講の状況を聞くつもりでいたからだ。偶然に重なったわけだ。

本部の職員は野口裕介氏が逝去されたこと、お通夜・告別式などについて教えてくれた。

整体界の巨匠中の巨匠が若くして逝ってしまわれたのは事実だった。享年62歳である。

今年の3月16日に瀬田の本部で行われた「活元会」に参加して心から良かったと思う。塩川大瀧での禊ぎのあとに参加して、実に清々しく活元運動をしたことを憶えている。

この6〜7年で野口整体を取り巻く環境も大きく変わったと思う。何と言っても初代野口氏の優秀な直弟子の多くがこの世を去った。(※これという方はすでにごく少数である)

今回の2代目逝去は、整体協会や整体界に大きな変化をもたらすことであろう。

だが、時代が後戻りすることはなく、野口晴哉氏の活動当時の力強さが整体協会に復活することはないと思う。たとえ初代のお孫さんである晴胤氏が三代目として活動したとしても、霊術を元にした整体操法本来の力を取り戻すことはできないのである。


8/6(水)お通夜18:00〜19:00
8/7(木)告別式10:00〜11:30
式場は狛江の御自宅(東京都狛江市元和泉2-14-3)
詳細は整体協会本部にお問い合わせを。
ご縁の深かった方はお別れのご挨拶くらいはゆくべきでしょう。


◎今後とむかしの記事

整体協会で毎月開いている16日の「活元会」の存続は白紙のようです。

こうなると身体教育研究所の野口裕之氏(野口晴哉氏の二男)が兼務するしかないのであろうか。通称ダン先生。

このダン先生が本部の「活元会」に於いて指導していただきたいと思う。それによって大きな変化があると思うからだ。

整体協会が公益社団法人になり、いままさに次世代へのバトンタッチが大切な時なのに・・・若くしてご逝去。



野口裕介氏の逝去を知った翌日の今日、わたしは自分の治療院でなにげなく、むかしの「月刊全生」を手にとってみた。それは昭和51年9月1日発行の第151号で、ページを繰ってみると『野口晴哉先生 整体協会葬』という記事があった。


野口晴哉先生 整体協会葬の模様

昭和51年6月23日に野口晴哉氏は逝去した。偶然にもその特集記事の「月刊全生」を手にした。

読んでみると様々な立場の方が思い思いの投稿をされている。むかし野口晴哉氏の彼女だった人の文章や弟子のものもある。ご紹介したいのだが、どうも今日はその気力が出てこない。


◎無責任という責任の取り方

整口裕介氏の父親は野口晴哉氏。母親は野口昭子氏であり、昭子氏の実父は故・近衛文麿である。
裕介氏は三男であるが、血のつながりとしては二男であるということを言う人もいる。というのは初代野口氏は昭子氏と入籍するはるか前に長男ができていたからであり、そのときはまだ昭子さんが島津家に籍があったからとか、初代野口氏がまだ前妻と籍が入っていたからとか、言われることに起因している。

「五分間自叙伝」というものを初代野口氏は書いており、その中で前妻と円満離婚みたいなことが書いてあったと思うが、当時を知る人の話しでは相当大変だったようである。正式に結婚し籍も入れていない上にお互いに配偶者がいて付き合っていた。言わば不貞の男女のいとなみによって子供ができたのであるから。当時ではこんなことは許されません。

野口裕介氏の葬儀の喪主は長男の野口裕哉氏であり、その息子の晴胤氏は三代目の最右翼候補だが、初代野口氏の若い頃の顔によく似ている。したがって諸説紛々あるが一つの答えは憶測できるものと思う。

こういうことをわたしが書くのには由縁がある。そのことは明日の記事に書く。


故 近衛文麿氏

したがって裕介氏の母方の御祖父は戦前の内閣総理大臣であった故・近衛文麿氏であり、親戚に現整体協会・現会長にして元総理大臣であった細川護煕氏がいる。


細川護煕元総理

お三方の共通性は「無責任という責任の取り方」「お公家さんお大名」というところだと思う。

あまり下々のことには関心がないのである。

初代の野口先生は「体癖は血よりも濃い」と言ったが、ほんとうであろうか?

この三方をみるかぎりDNAの力、血のほうが優勢ではないのですかね?
だって顔や姿かたちだけでなく、あり方までもが何だか似ていると思うからです。
そういう家系(まけ)だということです。

「投げ出す」「中途半端」是れのどこが「全生」なんでしょうか?

残された崇拝者たちは、62歳ではあるが全生したとか、色々言い出す。
長寿とは何歳なのかとか、屁理屈を言い出す。野口整体支持の若造は屁理屈ばかりなのです。
ものを知らないからこういうことを言い出す。日本人ではなくってきている証拠です。
連中は、アメリカ人なんでしょうか、朝鮮人なんでしょうか?

長寿というのは、70歳古希(古来希なり)、77歳喜寿ということでしょう。
日本人なら長寿が何歳からなのか分かる筈でしょう。そんなことも分からないんだから小僧・小娘の野口整体支持者はダメだと言うんです。だから、あんたらは「朝鮮人ではないのか」と言いたくなるのです。


裕介氏の半ば定められた人生を鑑みて、それが「全生」というんでしょうか?
ロンドン五輪の女子卓球団体で銅メダル獲得した福原愛ちゃんと重なる感じがしますけど。
わたしならそんな限定された背負わされた人生などご免蒙るね。
とてもそんな押しつけの環境で、生命なんか全うできませんから。

しかし、そういう事とは別に、いろいろな整体の知識を与えてくださったことに感謝し、心から合掌させていただきたいと思ふ。ご冥福をお祈りします。

 

大震災より3年【被災帰幽者の霊魂を慰霊する】

  • 2014.03.11 Tuesday
  • 15:30
大震災より3年

【被災帰幽者の霊魂を慰霊する】


福島県浪江町の荒地から福島第一原発を望む

◎大震災より3年

大震災から早3年。まだ3年と云われる方々もいる。

今日は各地の様々な現状報告を見たり聞いたりして、復興を考えるように勤める。

来院の方や出張先の老人宅でも専ら大震災の話題である。

現在進行形での復興を忘れないようにしてゆく。この震災の傷跡を癒すにはまだまだ時間がかかり、いや完全に癒すことなど不可能なのだと思う。

一度失われたものは帰ってこない。しかし、またいつ我々自身が大災害に遭うかもしれないという事実もある。

酷なようだが前を向くしかない。しかし、こう考えることができるのも年齢的なことが関係すると思う。

弱い人、傷ついた子供たち、身寄りのない老人などを庇護し保護してゆかねばならない。

被災した方々の思いは千差万別、こうしてほしい、ああしてほしいという願望も個々人により違うので、行政でまとめるのも難しいことであろう。


◎被災帰幽者の霊魂を慰霊する

被災者の霊魂を慰霊する。そうは云っても我々の祈りは小さいものだ。

常にそうなのだが、古神道・霊学の基本は産土の神である。

こういう慰霊の祭典でも、今居る自分の住居地の産土の神に祈ることがベストである。

それを通じて祈る。慰霊をする。

天帝、天照皇太神、産土神に霊魂の慰霊を祈念する。幽魂安鎮秘詞の全伝を知る者は、それを奉唱するがよい。

あと海神界への祈りも忘れないように。

黙祷【東日本大震災 2周年忌(三回忌)】

  • 2013.03.11 Monday
  • 14:46

【東日本大震災 2周年忌(三回忌


黙祷


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ご冥福をお祈りします
 

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