改訂版・禊ぎの威力【幽契により幽斎社守になる】

  • 2014.02.13 Thursday
  • 14:44
改訂版・禊

【幽契により幽斎社守になる】


この社を通じて産土神社を拝禮して感応道交(かんのうどうきょう)を果たした

よく人間付き合いということを耳にする。

人との付き合いにおいて何かの立場を得る、こういうことはよくある。

大切なことであると思うが、このような人がらみで神事(かみごと)の立場につくというのは、神霊感応の業(わざ)ではない。

なんというか、うまく人の懐に入り込んで、神社の手伝いなどする。そうやって取り入ってゆく。上手く地元の神社の神職とお付き合いして、中に入り込む。まるで、会社の営業のように。

こういうことはあるのだろうが、これは神霊の感応の幽斎とは言えないし、霊学的にはあまり価値はない。

そういうことをしないで、ひたすら「禊ぎ」し産土神から直接的に感応を得て、幽契をいただく。

そして幽斎する。これが神霊の感応というものである。

昨年の春(GW)に私は高知の「手箱神山(筒上山)」に登拝した。そのときに十一社(とおまりひとやしろ)という秘社を参詣した。

晴天のなか参拝することが旅の目的だったので、無事に完遂できたのだが、実は第十三番目の「大山咋命(おおやまぐいのみこと)」のお社参拝を飛ばしたのである。

はじめに略拝したので、参拝していない訳ではないが、当日の後行でそのことを明晰に思い出していたのである。だが、これは意味のあることだと思って誰にも言わなかった。

いつか分かると思っていた。

このたびのお社こそが、その答え(応え)だった。

このお社は「日枝」ないし「日吉」のお社なのであった。「日枝」「日吉」と書いて「ひえ」と読む。

総本社は、滋賀県大津市坂本の「日吉大社(ひえたいしゃ)」であり、大己貴神と大山咋神が御祭神なのである。

かつてわたしは滋賀県大津市に住しており御馴染みなのである。また実は琵琶湖には、ある種の神界があるとされており、このことは斯道の常識になっている。

縁(えにし)あったお社も実は子供の幽境につながっている処であり、産土の神のご司掌を補っているものであった。

いまは放置されているお社を守ってほしいと、最後期に「社守(しゃもり)」をやっていた故人の人霊が産土の大神に、眷属を通じて上訴したのであり、それによってわたしにそのお役が来たということである。

立場ではなく、先に実践がきてしまったのである。こういう形を神霊の感応というのである。

幽斎とは、顕斎に対していう。顕われたる祭祀により斎える、これが普通の神社の祭祀である(顕斎)。

だが、幽斎は違う。幽斎は、「霊をもって霊に対する」ことを本旨とする。

幽斎の社守であるから「幽斎社守(ゆうさいしゃもり)」である。

だから今後この活動は新展開をみせることになろう。これが産土の神の働きを僅かながら補い手伝うということの具体例なのである。

これらはすべて「滝行禊ぎ」による効験である。鎮魂帰神の神術はこのようにして開発され発揮されるのである。

さらに言えば、正神界から分岐した「僊佛」の修道は、「胴づくり(たいづくり)」をする上で必要なものだということである。

そうすることで体内の気や急処(チャクラ)を開発でき、神霊の感応が速やかな体になるということである。

「僊佛」の法術とは、「禊ぎ」「祈祷加持法」を基本にしているので、偏見のない修道者は伝授を受けるがよい。


産土に ネコ横たわる 郷社かな(ごうしゃかな)
 

改訂版・大雪の前日と当日に【産土大神の司掌を僅補す】

  • 2014.02.08 Saturday
  • 17:46
大雪前日当日

【産土大神の司掌を僅補す】

     
降雪のなかお社に御神札・御神酒・御饌・御榊・御献灯等を捧げ奉る

自宅の近くに人々から忘れ去られたお社がある。

其処には、大きな鳥居があり、小さいが古くからありそうなお社がある。

こういうお社を守っているのが社守(しゃもり)といい、いわば禰宜さんみたいなものである。

以前には、もう一回り大きいお社があった形跡が、敷石に散見される。しかし、今は小さなお社が誰にもお世話されずに放置されている。

 
降雪の前日には清掃に注連縄・紙垂の取り付けを行なった

塩川神社もそうだし、塩川の近くの市杵島姫神社も同じでほとんど放置状態だ。なぜかそのようなお社にご縁ができ、わたしは神具やら御幣・注連縄・紙垂・お供物を持参し、祭祀のお手伝いをしている。

今回のお社もそうであり、お守りする社守の消滅によって、誰からもお祀りされなくなったということであろう。

木々が伸び放題で鬱蒼としている。それを鋏で刈ってゆく。段々と日の光が入り、清々しくなってくる。

ゴミを整理して、注連縄と紙垂を鳥居・お社・ご神殿に取り付けさせていただく。

最後に祝詞その他を奉唱して拝した。

これらのことは、産土大神に最近お参りした直後に起こったご縁であり、大雪が降る前にどうしてもやってほしいという意思みたいなものを感じたので、先ず清掃などを敢行したのである。

「善は急げ」という諺もあるので、降雪の当日(2月8日)、降りしきる雪の中、御神札(伊勢神宮)を「清めの包み」に納め奉り、御神酒・御塩・御米もお供えして奉祀させていただいた。

その後、前日と同じく雪の降る中、祝詞・秘詞を奉唱した。

どうも日枝社守としてのお役の方が居たようであり、その方の霊的作用によって、わたしが行くという段取りになったようだ。

産土の大神のご眷属神霊等によって仕組まれたということである。

いずれ産土大神のご司掌の為、御幣を奉納して神霊の土地へのさらなるご加護を祈請したいと考えている。

こういう行為の中には、実は産土大神のご司掌を僅補している場合があるのだ。

生きているうちに生身の人間が、こういう所業(産土神のお手伝い)ができるのは、修道者としては真の意味での恩頼(みたまのふゆ)であるといえよう。

※実はここは公園隣接地であり、元々小学校もあった。子供の遊び場であり、まさしく子供の幽真界と関係のあるお社だということが判明した。


コンクリに 足跡つけて いちニャン前
(とくネコぱん)
 

大司命節の目前に【祖霊供養と産土神社への参拝】

  • 2013.09.30 Monday
  • 00:00
大司命節の目前に

【祖霊供養と産土神社への参拝】


湘南平からの遠望(写真中央には江ノ島が見える)




産土社・熊野神社とお祭りの様子

わたしの産土神社は、郷社・熊野神社です。

生まれてこの方、この社の中に入ったことはありませんでしたが、年一度の例祭にあわせて午前中に参拝しました。

丁度、準備中でもあり、宮司さんは居なかったので、御神前に一人入り、「感通秘詞」を以て感謝の祈りをさせていただきました。

やはり自分の一霊を付与してくださった大神の御神前は違うものがある、そう感じました。直接的な「感応道交(かんのうどうきょう)」があるのです。

昨日は、まして年に一度の例祭ですから、格別なものがありました。

参拝にゆく途中で、神社と先祖のお墓のある道の分岐点付近で、実母にあったことも不思議なことでした。わたしを生んでくれた母と、生まれるときに関与した大神に出会う。奇しき因縁というべきですね。

産土神の参拝後には、母方の祖霊の墓参も致しました。ここでは、「安鎮神法」と「天台系」のお経をあげて供養しました。


父方の菩提寺(蓮生寺)

帰り道に湘南平に立ち寄って、湘南の見事な景色を遠望しました。

「大司命節」にむけて、わたしは今年も着々と霊的な準備をすすめています。

大司命節の秘機にて、すべての霊魂の境界昇格・降格・異転が定まるのです。

人間界には、特別に許された、祭祀・供養の法式があり、自己の霊格向上だけでなく、祖霊および萬霊の霊格向上、冥罪過消滅の機会があるのです。

湘南を遠望し、上記の推進成就を誓いました。

そうですね、湘南は「消難(しょうなん)」「小難・無難(しょうなん・ぶなん)」という語呂がつながっており、多くの方が未然に「災難消滅」をしていただきたいと思う。

「運気開成・祭祀法」と共に慰霊法をお伝えし、さらなる「災難消滅の助法」も伝授できたらなと、考えております。
 

古道の秘鍵【産須那社古傳抄略を読む(3)】

  • 2013.06.06 Thursday
  • 10:00
古道の秘鍵

【産須那社古傳抄略を読む(3
)】

産須那社古傳抄略

抑其の産土神の社と称奉るは神代よりして、天照大御神の御裔孫は、代々天皇と大坐まして、天の下顕明の御政事を掌り給ひ、須佐之男大神の御裔、大国主大神は出雲大社御鎮坐ましまして、其御子孫と共に天下の幽冥の御政事を掌り給へり。
------------------------------------------
・抑(そもそも)
・称奉る(もうしたてまつる)
・御裔孫(みすえ)
・天の下顕明(あめのしたけんめい)
・御政事(ごせいじ)
・幽冥(ゆうめい)
------------------------------------------
(解説)

産土神の起源について述べている。

産土神の起源は神代だというのである。神代に対して人代という語がある。

神代は、霊体(※正確には、神の場合は神胎・真胎という。)にての活動期。スサノオノミコトが出雲にて活躍したのは、地上であって、霊から肉化する法をもって活動したわけである。

人代というのは、初代天皇の神武天皇(カムヤマトイワレヒコノミコト)からであり、はっきりと肉化し人として活動したから人代と言うのである。(神界と人間界を自由に行き来しなくなったということである。)

実際、産土神の起源は相当に古いということである。

イザナギノ大神が地上を生成され、禊ぎをしたときに三貴神をお産みになった。

右目から天照大御神、左目からは月読命、鼻からは須佐之男大神がお産まれになったのである。それぞれ昼の世界、夜の世界、海の世界を司掌するように役付けをされた。

天照大御神の御末裔・子孫は、代々の天皇となって、顕界(人間界)のまつりごとを司り、須佐之男大神の御末裔である大国主大神は、出雲大社鎮まって幽冥界のまつりごとを司るようになった。

顕幽の経営は、この二神の系統でおこなわれている。産土神の運営もその配下で行なわれているのである。

では、この経営・運営を任せた経緯を記紀(古事記・日本書紀)は、どのように教えているのであろうか?

古道の秘鍵【産須那社古傳抄略を読む(2)】

  • 2013.05.26 Sunday
  • 00:00

古道の秘鍵


【産須那社古傳抄略を読む(2)】

産須那社古傳抄略

凡そ天下弘しと云えども、太古より以来、産土神の鎮座し給はぬ地は有ることなく、其の御蔭を蒙らざる人も有ることなし。
------------------------------------------
・太古(おおむかし)
・以来(このかた)
・産土神(うぶすなかみ)
・地(ところ)
・御蔭(みかげ)
------------------------------------------
天下広しとは、この世、この地球上でということである。

空間的なことを先ず述べている。

次には、時間的なことをいう。

つまり、太古(おおむかし)よりこのかた、産土神の鎮座していない土地はないということである。

鎮座し社(やしろ)があるというだけなく、御蔭の蒙らない人もないのだと・・・。

産土神(産須那社)には、おかげを与える力があるということを、ここで述べているのである。

勘違いしてはいけないのは、ここでいう産土神とは、その土地を司掌(つかさどる)神であるが、チベット密教や日本の密教などでいう土地神とは違うものなので、このことはここで明記しておく。

仏教的な仏や菩薩・聖者のほうが上位だと勘違いしている輩もいるので、記しておく。

古道の秘鍵【産須那社古傳抄略を読む(1)】

  • 2013.05.24 Friday
  • 00:00

古道の秘鍵


【産須那社古傳抄略を読む(
1)】

 
産須那社古傳抄略の原本(川島金山 所蔵)

産須那社古傳抄略の解説である。

「古道の秘鍵」の古道とは、「ふるき古へから伝えし神真の教えの道」という意味である。※神真=正真の神祇のこと

時間をかけて記したいと思う。

産須那神(産土神)の教えを理解せずして、神佛のことなど語ることはできない。

この教えこそが日本独自の信仰思想の土台なのである。

「簡にして明」、この書を心読することで、わが国の神祇の大道は理解できる。

霊胎(霊体)の結成から霊界の構造を知ること、亡者のゆくすえや供養奉祀の本義を知ることができる。

行だけでなく、また物知りに偏らず、この教えを古道の秘鍵として熟知されたし。

原本はそれなりの道骨がないと読みこなせないかもしれぬので、僭越ながら小生が所々に解説をほどこす事にしたい。


青碧い霊石と大瀧霊境で採取された貴石
(川島金山 所蔵)

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