平成27年9月12日子丑の刻 龍口ご法難会

  • 2015.09.13 Sunday
  • 12:00
平成27年9月12日子丑の刻 龍口ご法難会

745年前【日蓮聖人による寂光浄土の顕現】



寂光山 龍口寺のご本堂


日蓮聖人 「龍口御法難」縁起

日蓮聖人の「龍口御法難」は、今から745年前の9月12日の子ノ刻(午後11時〜13日午前1時)〜丑ノ刻(13日の午前1時〜午前3時)に実際にあった事件(御法難)である。

12日の午後7時と午前0時(実際には13日)の二度にわたり「ぼた餅撒き」をする。

鎌倉時代に出現した傑僧・日蓮聖人は在住の鎌倉より江ノ島指呼の地、死罪の処刑場であった「龍ノ口(たつのくち)」に引き回された。

途中、信徒の老夫婦が慌てて作った胡麻のぼた餅を食し、生きることを悟った。

一説には、ぼた餅を木製の鍋蓋をお皿代わりにして持参したという。
(※この鍋蓋は龍口寺の御宝物として保存されている)



聖人に「黒ゴマぼた餅」を奉る桟敷尼

ちょうど七里ヶ浜あたりの路での出来事だったと思われる。聖人に献じると、地べたに餅が落ちてしまい、笑いながら「まるで胡麻のようだ」と拾い、喜んで召し上がられた。

首が刎ねられる直前だというのに冗談を云われ、信徒の老夫婦を労ったという。

餅米は生きるために食するのであるから、それを得たということは、これからも生きる証しなのである。米は「込め」に通じ、生きる願いを込めつつ食する。また、胡麻は「護魔」に通じ、魔から護られることを意味する。



龍口寺の“首つなぎのぼた餅”(真ん中に猫コースターを配置!)


◎玄米正食7号食の完遂の証し


9月12日未明の「龍口法難会(たつのくちほうなんえ)」では、法要の後で、魔除け・厄除けの「ぼた餅撒き」をする。

2年前には、この「首つなぎのぼた餅」が顔面にしたたかに当たり、その瞬間「自然法爾の心」を得た!昨年は、日蓮聖人ご法難と同い年の参詣だった。

今年は、玄米正食7号食(8号食断食法取り入れた)を完遂、13日の午前0時をもって結願し、その玄米以外ではじめて食したのが、日蓮聖人ご法難由来の「首つなぎのぼた餅」であった!!

聖なる断食法も取り入れた、玄米正食7号食を行なって、神の道・佛の道の真髄を得た。その期間に膨大な教えを自ら知ることになった。つまり自然と自得したのである。

この体験を綴ったらそれは一つの書物になり、教えになってしまう。それくらい断言できるだけの内容をわたしは得たのです。そのお終いである結願が“龍口寺ご法難会”と重なったということです。



日蓮聖人が幽閉されたこの牢前で私は焼香の上「観音経」を読経します!


◎33相の因縁を解く方法

日蓮聖人ご法難以来、竜ノ口の地は「寂光浄土」という霊地になりました。

実は一昨年以来、わたしは法華経を読誦し自分なりに研究してきました。

幾つかの秘伝を得ることもできました。因縁を解く行法は、相を観る方法と共に“法華経”に納められていたのです。

人間が持つ因縁に33種類があるという。その33相の因縁を解く、そのような法が法華経に記されている。



白い紐が日蓮聖人秘像と信徒をつなぐ聖紐です(龍口寺境内)

日蓮聖人は、龍ノ口のご法難について次のように述べている。
「日蓮と云いし者は去年(こぞ)九月十二日子丑の時に頸はねられぬ。此は魂魄佐土の国にいたりて返年の二月雪中にしるして有縁の弟子へおくれば、おそろしくておそろしからず、みん人いかにおじずらん。」
(開目抄)

文永8年9月12日〜13日「生身の日蓮(50歳)」は死に、以後は「本化上行菩薩(ほんげじょうぎょうぼさつ)」として自覚をもって下化衆生・衆生教化の為に生きたのである。

わたしの前世の名前の一つに「上行院○○」というものもあり、およそ2つの前世の記憶を鮮明に思い出し、現在のところ感覚しております。

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玄米正食および7号食を3ヶ月強おこないまして、体重が11キロ減ということになりました。たまった業の脂を3ヶ月かけて少しずつ溶かし、あるいはエネルギーに変換し無くしてしまいました。これは食物を摂らないで痩せたりする事とは全く意味が違います。
わたしの指導通りやれば必ず結果がでます。人生が大きく変わります。

にゃー! おまい“ぼた餅食わせろ!” あれっ?去年も同じようなこと云ってたかにゃ!?
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龍口ご法難【日蓮聖人による寂光浄土の顕現】

  • 2014.09.13 Saturday
  • 10:00
平成26年9月12日子丑の刻 龍口ご法難会

744年前【日蓮聖人による寂光浄土の顕現】



寂光山 龍口寺のご本堂

日蓮聖人の「龍口御法難」は、今から744年前の9月12日の子ノ刻(午後11時〜13日午前1時)〜丑ノ刻(13日の午前1時〜午前3時)に実際にあった事件(御法難)である。

12日の午後7時と午前0時(実際には13日)の二度にわたり「ぼた餅撒き」をする。

鎌倉時代に出現した傑僧・日蓮聖人は在住の鎌倉より江ノ島指呼の地、死罪の処刑場であった「龍ノ口(たつのくち)」に引き回された。

途中、信徒の老夫婦が慌てて作った胡麻のぼた餅を食し、生きることを悟った。

一説には、ぼた餅を木製の鍋蓋をお皿代わりにして持参したという。
(※この鍋蓋は寺の宝物として保存されている)

ちょうど七里ヶ浜あたりの路での出来事だったと思われる。聖人に献じると、地べたに餅が落ちてしまい、笑いながら「まるで胡麻のようだ」と拾い、喜んで召し上がられた。

首が刎ねられる直前だというのに冗談を云われ、信徒の老夫婦を労ったという。

死に水と云い、水は「見ず」に通じるから、「水杯(みずさかずき)」は不可ずなのである。

餅米は生きるために食するのであるから、それを得たということは、これからも生きる証しなのである。米は「込め」に通じ、生きる願いを込めつつ食する。
また、胡麻は「護魔」に通じ、魔から護られることを意味する。



龍口寺の首つなぎのぼた餅(※レンジで温めていただく!)

9月12日未明の「龍口法難会(たつのくちほうなんえ)」では、法要の後で、魔除け・厄除けの「ぼた餅撒き」をする、これがメインの行事である。

竜ノ口(たつのくち)には、その昔から江の島の五頭龍神(ごずりゅう)が顕現しており(龍口神社)、五頭龍のご神示にて「
罪びとの血を此処で流せば、よく世の中を守る」とあった。

罪人の血を供養することで積善し、それを実行することで世の平安を約束したのだという。

故に龍ノ口は、斬首の処刑場だったのであり、ここに来た罪人で斬首を免れた者は、誰一人としていなかった。連れてこられたらもうお終いである。



日蓮聖人はこの牢から出て奇瑞を示した

だが、日蓮聖人は江の島から飛んでくる怪光によって、刑の執行を免れて流罪になるのである。744年前の実話であり、唯一斬首を免れたのは日蓮聖人だけであった。

それ以来、竜ノ口の地は「寂光浄土」という霊地になった。

実はこの一年(昨年この法難会にお詣りして以来)わたしは、法華経を読誦し、古い霊験ある法華曼荼羅を得、日蓮聖人および法華経を自分なりに研究してきた。

法華経は神道で云う「太祝詞秘辞(ふとのりとごと)」にも通じており、日本の仏教の発生はこの経典にあるということなのである。

わたし自身も先祖が千葉の猟師であり先祖代々日蓮宗である。日蓮聖人も千葉の猟師の家系の人である。

昨年、江ノ島との関連から、日蓮宗徒先祖の御霊にご供養するつもりで龍口寺をお参りし「法難会」に参詣した。

法会の最後に「ぼた餅」を撒くのだが、そのうちの十数個が凄い勢いでわたしの顔面を直撃して、一瞬閃光と共に目が眩んだ!

次の瞬間、パッと「自然法爾(じねんほうに)」の心相が生じ、心の塵が祓われたと感じた。すなわち「心の本性」を感得したのである。わたしは厄を祓い、この地で生まれ変わったと思った。

ぼた餅の直撃が、時間とか判断とかいう以前の心、「自然法爾の心」をつかませた。

また9月12日こそが、わたしにとっての大晦日であり元旦なのだということを了解(りょうげ)したのである!



御本堂には日蓮聖人の座った敷石とぼた餅を乗せた鍋蓋が宗宝として安置してある
白い紐がご本尊と信徒をつなぐもので、垂れている紐を持ってお題目三唱する


今年は法会のはじまる前に(本堂中央には立ち入り禁止なので)、脇の畳の間で日蓮宗勤行本に則り勤行をしていると、龍口寺のご僧侶が終わった頃にやってきて、本堂に案内してくれて、ご本尊の手に結びつけてある五色の紐(お祈りをするための紐)にてお祈りするように導いてくれた。

これは実際に直接、日蓮聖人に触れたような感じがして、本当に有難い感じがしました!

日蓮聖人は、龍ノ口のご法難について次のように述べている。
「日蓮と云いし者は去年(こぞ)九月十二日子丑の時に頸はねられぬ。此は魂魄佐土の国にいたりて返年の二月雪中にしるして有縁の弟子へおくれば、おそろしくておそろしからず、みん人いかにおじずらん。」
(開目抄)

文永8年9月12日〜13日「生身の日蓮(50歳)」は死に、以後は「本化上行菩薩(ほんげじょうぎょうぼさつ)」として自覚をもって下化衆生・衆生教化の為に生きたのである。

わたしの前世の名前の一つに「上行院○○」というものがあり、法華経を奉ずる行者であったのであろう。顔面に「ぼた餅」が当たって、名前と墓所を思い出したのであった。

ピンチに陥っている者は龍口寺にお詣りするがよい、功徳を得られよう。縁(えにし)があるならば法難会に参加するのがよい。

「首つなぎのぼた餅」は手元にあるから欲しい人は、今日から一週間以内に連絡のうえ洗足まで取りに来てください。残りがあれば差し上げます。


おまえ「胡麻のぼた餅」当たって前世思い出しちゃったの〜 ぼた餅食べたらどうなっちゃうのよー でもたしかに「寂光山 龍口寺」の法難会にお詣りすると功徳があるって聞いたことがあるじょー

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日蓮聖人の秘事相承【長栄大威徳天と法華御籤】

  • 2013.09.29 Sunday
  • 00:00
日蓮聖人の秘事相承

【長栄大威徳天と法華御籤】

 



上記は池上本門寺の境内にある、長栄稲荷のご本堂の写真。

長栄稲荷本堂の外観(鳥居があります!)。ご本尊の「長栄大威徳天(長栄稲荷神)」ご尊像。本堂内部の写真です。

本堂内の写真の向かって右側には、大黒天尊が祀られており、そこに「法華御籤(みくじ)」が置いてあります。

「法華御籤」の古い写本は珍しく、わたしも江戸時代後期の写本一巻を所持していますが、よほどの道骨がないと読みこなすことはできないでしょうね。

しかし、ここの本は新しいもので、活字になっていますので、誰でも読むことができるでしょう。

普通寺社では「観音御籤」があるわけで、第100番までの籤があります。この観音御籤の古い「引き箱」は、わたしのところにあるので、引きたい人は来られたときにやってみてください。

このたび日蓮聖人との結縁がなされたので、「法華御籤」を置こうかと思っています。

池上にある長栄威徳天は、日蓮聖人の守護神であり、佐渡流罪のときに示現した伝えがあります。

老翁の姿で、左右の手にそれぞれお経と剣を持しています。

海上の守護神だとも言われています。

実は、例の9月12日から数日後に、わたしの亡き実父が夢に出てきて、船の上にて会話するということがありました。その中で亡父は、船の稲荷神について説明しました。失念しましたが、そのお稲荷さんの詳しい名前まで(江戸時代の人の名前のようでした!)告げたのでした。

また、非常に特別な祀り方をした社であり、瞑目すればはっきりとその様式が脳裏に浮かびます。

夢の中でもそうでしたが、起床後も「船のお稲荷さん?」という思いがあり、非常に疑問に思っていました。船などに関係するお稲荷さんなど聞いたことがないからです。

しかし、日蓮聖人の守護神が仏教系の稲荷神であり、それはダキニ天であり、船や海上の守り神とわかり、不思議な照応に驚いているわけです。

そんなこともあって、今日横浜のわが家の檀家寺にゆき、法華経と題目でご供養してきました。10年まえに亡くなった住職の墓所もお参りしたのですが、帰り道にその息子の現住職と立ち話をするという奇遇にめぐまれました。これも何かの縁(えにし)なのでしょうね。

功徳というものなのかもしれません。
 

開眼【お彼岸に悟る!日蓮聖人の法華曼荼羅】

  • 2013.09.24 Tuesday
  • 21:33

開眼【お彼岸に悟る!】

日蓮の法華曼荼羅



このお彼岸にわたしは自分の霊統というか、深い因縁によって結びついている霊的な系統を悟ることができました。

9月12日、この日がわたしの因縁の日付なのです。

特にこの日の前後の状況により、年の廻り、星宿の吉凶盛衰が決まってくるようです。

実にわたしの亡父は、10数年前の9月12日に緊急入院し、その後、約一か月で帰幽しました。

わたしが、僧職を辞したのも約20年前の9月12日であり、このことは日蓮聖人と私を結びつけるご縁日なのだと漸く悟りました。

江ノ島の指呼の地である龍ノ口(たきのくち・りゅうこう)。

ここにおわした五頭龍神は、江ノ島の弁財天女と結婚したご神霊です。

そのことだけでも、わたしにとってはご縁があるのですが、自分の家の宗旨である日蓮の教えが、自分に深く関係しているなどと考えたこともありませんでした。

実は、わたくし日蓮宗のお題目「南無妙法蓮華経」が大嫌いで、いままで浄土信仰や禅、密教に憧れることはあっても日蓮宗だけは大嫌いでした。

したがって心の底からお題目を唱えたことはありませんでした。
(※現在、日蓮聖人の教え、法華経読誦などいたしております。)

ですが、龍ノ口の日蓮法難会(9月12日)に、「首つなぎの胡麻ぼたもち」を撒く法会に参加し、参拝者に撒かれた「ぼたもち」が、わたしの顔面をしたたかに痛打し、不思議に心根が大きく変わりました。

自分に一番ご縁のある仏教経典は「妙法蓮華経」だったということです。

これは法華経が大乗仏教でも中期大乗であるとか、顕教であるとか、そんな理屈ではありません。

殊に片瀬江の島の龍口寺との因縁が強くあり、此処で題目を得ることで、わたしの因縁は解けてゆくのだと、体と心が自然に教えてくれているのです。

わたしの治療院は「洗足」にあり、この地名は日蓮聖人が「足を洗った」ことからついたものです。

また父方は、千葉の九十九里浜の出であり、一族はすべて日蓮宗徒でした。日蓮生誕の地の近くなのです。それも日蓮の生家と同じく漁師です。

関東圏、ことに相模の国や武蔵には、日蓮聖人のご証跡がそこらじゅうにあります。ゆえに、証跡を訪ねる為、お彼岸の期間に鎌倉にゆきました。

そして日蓮聖人や鎌倉との深い因縁をさらに確認することができました。



鎌倉の小町「日蓮辻説法の最初の地」

人の運命は、宿命因縁によってすべて定められているのかもしれませんが、しかし内蔵された宿命も「水の行」「禊ぎの行」を深く行うことで、はじめて開眼するのだと思います。

天津祝詞奉唱などの神術の実践がなければ、わたしが今生で深い悟りを得ることは無かったと思います。
(※題目と法華曼荼羅の悟り)




有意義な御彼岸でしたが、鎌倉行遊後に体がとても冷えましたので、この秋はじめての鍋料理(石狩鍋)を堪能しました!

日蓮の教えとの縁(えにし)を感得して、御先祖様も大変お喜びになったと感じております。

最後に・・・。ちなみにいいますと、写真の曼荼羅やその他関係のある霊統など、明確に霊夢にて感得しております。
(※「福寿海無量」の神言も法華経の一たる観音経に記されています。)

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