(続)盂蘭盆会秘鍵【おんとろとろうんの秘解】

  • 2014.07.13 Sunday
  • 10:00
(続)盂蘭盆会秘鍵

【奥儀 おんとろとろうんの秘解】


三界萬霊供養・盂蘭盆会の精霊棚を設える

◎盂蘭盆会に祖霊幽魂供養

盂蘭盆会(お盆)には、主として祖霊の幽魂を請じて御供養もうしあげる。お盆に精霊棚を設けて、灯明を点じ香を薫じ、お供物をお供えして、祖霊ならびに三界萬霊の所縁の幽魂霊位に御供養を受けていただく。普通は「迎え火」を焚いてお招きする。この子孫の「迎え火」が目印合図になるのだという。

この期間ばかりは「地獄の閻魔さま」も「六道輪廻の亡者(三悪道に堕ちた衆生)」にも暇(いとま)を与える。これがいわゆる「地獄の釜の蓋が開く」というものである。

現代人はこういうことは迷信でバカバカしいと思う人が多いのではないか。しかしながらそのような考えは、自分が祖霊と直接繋がっているという、日本人としての霊性が失われていることの証左であり、多数になってきているのは事実だと思う。


◎密教霊術の印契の口訣

「迎え火」で御霊(おみたま)を招く他に、招く作法はあるのか?

それは当然ある。密教や霊術に瞠目している諸兄ならば、そのくらいのことは分かるであろう。

密教の法には「身・口・意」の三つの方法がある。

「身」とは体のことであり、肉体的作法のことであり「身密」という。「口」とは「口密」であり、言葉(真言)や呼吸である。「意」は心であり、「意密」といい念ずる事、観想法の秘伝である。このことは密教の基礎であり、奥義でもある。


真の密教所伝は「神集嶽神界」の大国主命座し坐ます「九羅殿」からの出伝であることを忘れてはならない。密教の法も根本には大神が関与していることを認識しておくことである。

「印」は「印契(いんげい)」と云い「身密」に属する。「印し(しるし)による神霊との感応の契約」、これが「爪櫛の契り」「印契」というものの秘密である。そういう意味では理屈がなく一種の「禁厭(マジナヒ)」と云える。「マジナヒ」は即効性があるところに妙味がある。



本稿において参考にした次第書など


◎極秘の秘伝は親指にあり

霊術の大家でもこの「印契」について観念工夫したという人物を聞いたことがない。では、まるっきり居ないのかというとそうではない。実際にはわたしなどでも恐れ入ってしまう観察工夫をした方がおられる。その先生の言では「印契の秘訣は親指にある」というのである。その為に全国の国宝クラスの仏像を見て廻ったという。

わたしもそのような観点から私心や知識を挟まずに考察し実験を繰り返した。すると密教の十八道でいう「勧請法」の要の作法が主に親指にあることを認識した。


また「神鑑法」でもって云えば「親指は祖神様(おやがみさま)であり御祖霊(みおや)」を意味している。このことの認識は非常に重要な口伝である。



佛菩薩の聖衆が来臨する時には「紫雲来迎す」という
お盆初日の美しい夕焼け


◎真言陀羅尼「おんとろとろうん」の秘解

「勧請法」には、寶車輅(ほうしゃろ)、請車輅、迎請の三法がある。寶車輅は「送車輅」ともいい、牛車のような高級な宝の車をお迎えに送り出す作法である。宝の車とは、君(くん)の乗るものである。請車輅にて更に佛菩薩・聖衆の元に車をおとどけする。迎請は召請とも云われ、乗車した佛菩薩などの聖衆を道場の上まで招き降臨影向(ごうりんようごう)していただく。

寶車輅の真言陀羅尼(しんごんだらに・マントラ)は「おんとろとろうん」であり、三返お唱えする。この時に印契で独特の所作をするわけだが、問題はご真言のほうである。真言自体はこれで間違いない。これでよいのである。

しかし、
佛僊真道の流儀ではこれだけではダメなのである。この真言に漢字を当てはめる。そうすると佛仙の真伝になるわけである。

この真言陀羅尼の意味は「(オーム)帰命 運行 運行せよ(
吽・フーム)」であり、学問的にはこれでよいが実践的には少し変わってくる。

さあ、今日は祖霊および三界萬霊所縁の幽魂を招じ御供養するお盆の初日である。
わたしも一人の修行者、実践者として、衷心から幽魂の御供養をしたいと思っている。


おまえさー いつそんなことを習ったのよー すげなー!! 好きなことの追求は飽くことがないと云うけどホントだにゃ〜 まあトンガリは南の海にでも行ってのんびりするじょ〜
 

盂蘭盆会秘鍵【迎え火7月13日〜16日送り火】

  • 2014.07.12 Saturday
  • 00:00
盂蘭盆会秘鍵

【迎え火7月13日〜16日送り火】

 
祖霊の御霊舎を荘厳準備す   三界萬霊の諸精霊檀の準備も開始す

◎盂蘭盆会は日本の霊的伝統の遺風である


盂蘭盆会は、唐の時代に日本に伝承されたものである。「うらぼん」と読み、略してお盆と呼んでいる。

盂蘭盆(うらぼん)はインドのサンスクリット語の音写であり、漢字には意味がない。「うらぼん」をば「ウランバーナ」といい、倒懸と訳す。つまり、逆さ吊りのことである。

地獄の中に逆さ吊りの描写があるので、その苦しみを祖霊の幽界での「苦」に喩えたのであろう。

行事の根拠は、唐代の伝わった偽経である『盂蘭盆経』にあるわけだが、この経は唐土(中国)で作成された仏教経典である。したがってインドやスリランカ、チベットなどには伝わっていない。

経典の主人公は、お釈迦様の十大弟子の筆頭ともいうべき大目徤蓮(だいもっけんれん)だ。目蓮ともいう。
この方は「神通力第一」の聖者と言われており、釈迦の弟子の中でも比類なき神通を具えていたという。多くの逸話が経典で伝えられている。

ちなみに「釈迦三尊像」というものがあり、中央に釈迦如来、左右に文殊菩薩と普賢菩薩が配置されているが、文殊は第一の弟子の舎利弗(しゃりほつ;サーリプッタ)であり、普賢は目連だと言える。したがって目連こそが釈迦の弟子の中で密教の後継者ということができる。密教の教主は金剛サッタ(普賢菩薩)だからである。

この目連の母が地獄に堕ちたわけである。そして自身の神通力で亡き母を救おうとするのだが、餓鬼になっている母に食物を届けると口の元で火炎になってしまう。この母は生前「施し」をせず、息子の目連ばかりを愛しく思い、悪業を重ねたのであった。

目連は釈迦に事情を申し上げ、サンガ(僧衆)に「施行(ほどこし)」することで救われると教えられる。そこで僧衆に母の名前で食事を供給し、さらにその功徳を回向。真の智慧がなく道理にくらい為にそのようになったのであるから、「灯明」を献じた。お盆に提灯を点けるのはその由縁である。

だが、わたしはこの話について僧職時代に疑問をもち随分調べた。そうするとおもしろい事実がわかった。
これに似た記述が古い経典に存在している。その経典はインドで編集されたニカーヤの中にあるのであり、古代の仏教(原始仏教)に近いものである。

実際には、舎利弗の何代か前の前世で母であった女(四生前だったか?)が餓鬼になり、舎利弗の前に出てきた。そこで舎利弗は、彼女の名前で食事を供給し、その徳を回向し、天に生ずる功徳を得た。そういうお話である。その話が、神通力第一の聖者・目連のことになり、ドラマ化されたというわけである。

だが、実際の幽界の動きはどうなのか?お盆では「迎え火」「送り火」をする。7月のお盆もあれば、地方のように8月もある。しかし、いずれにしても祖霊供養の時期であるという事実はあるのである。

7月にお盆をおやりになる方は、どうぞいまからでもいいから、祖霊に呼びかけてご来処されるようにご祈念してみてください。形式や秘伝もありますが、そんなことよりも心から信じて祈ることが優先ですから。

盂蘭盆は日本の霊的な伝統行事の遺風なのです。


◎ほおづきの功徳

浅草の観音様、四萬六千日の前日7月9日は「ほおづき市」だと言いますね。

お盆の精霊棚には、ほおづきを置いたり、写真のように提灯みたいに飾ります。逆さ吊りの亡者に模しているわけですが、「法が付く」から「ほおづき」であるわけです。

「法」とは何か?それは佛法です。しからば佛法(ぶっぽう)とは何か?すなわち「施し(ほどこし)」であり、「檀那波羅蜜(だんなはらみつ)」「布施波羅蜜」であります。檀那も布施も同じ意味です。

よく言うでしょう。「おたくの檀那さん元気?」とか。布施をする主(ぬし)を檀那(ダンナ)というのです。それが転じて妻子を養う人を檀那というのです。お寺にお布施する人の家だから「檀那の家」で、略して「檀家(だんか)」というわけです。インドの言葉で「ダーナ」というのが語源です。


在家のできる一番の善事は「施し(ほどこし)」です。これが実践の真ん中なのです。

「ほうづき」の「法」とは佛法のことであり、施しであり、その心は「菩提心」なのです。「菩提心」とは「慈悲の心」ですよ。

ではどうやってそれを発現し養うのかというと、「六道の教え」を頂くことです。そして・・・


◎富士仙元の教え「後生」を知るべし

「後生だから・・」「後生です・・」。昔の映画や時代劇のセリフにはこういうのがありました。
(※富士の仙元大菩薩さまは「六道」「施し」「後生」ということを教えています)

みなさん、この意味わかりますか?若い人は全滅でしょうね。意味がわかるだけではダメです。その真の意味、心がわからないと。

昔の日本人は、この言葉だけですべて通じました。どういう意味なのか字義的に分かることが重要ではないです。一番大切なことはそういうことではないのです。子どもの頃から自然に養われた感覚的なものなのですよ。

最近、霊術だとか、整体云々だとか、お若い人たちが少数ではあるが着目しはじめています。昔のことに着目するのは結構なことですが、日本人の遺風であるお盆の行事のやり方すら知らないのでしょう。核家族でおじいさんやおばあさんからそういうことの一切を習っていない。20代30代の人の祖父祖母といってもせいぜい大正生まれでしょう。その世代では日本の伝統的遺風は分からないのです。

わたしの祖母は明治の30年代の生まれであり、平塚のザイであって、それこそ伊勢原辺りの江戸時代からの風習を守り続けていました。したがって子供の時から、わたしたち兄弟は薫陶を受けて育ちました。

お盆の祭式荘厳だって普通ではないのですよ。毎年毎年準備が大変な行事だったのです。いまでもわたしの母が平塚の家で伝統を守ってきちんとやっています。

だからわたしたちには「後生」の意味がよく分かるのです。わたしの老いた実母だって「菩提心だから」という言葉が普通に出ますよ。特に仏教を勉強しているわけではないのに。日本人はずうーーーーっと、そうやって善き霊的遺風を守ってきたのです。

わたしの願い・・・。
どうか若者たちよ、小生意気な知ったかぶりの若造にならず、本物の日本人であり続けてください。後事を託する若者たちに、わたしはこの事を心から申し上げたい。

「日本人であれ」と!

平成26年7月お盆にしるす 川島金山

 

霊術の巨匠 松本道別翁のご命日(その2)

  • 2014.06.01 Sunday
  • 00:00

霊術の巨匠

松本道別翁ご命日(2)


昨日の記事の続きである。

昨日は霊学・霊術の大家巨匠である松本道別翁のご命日であった。

5月31日の早朝、夢感により川崎大師(平間寺)に参詣することにした。

色々な理由は考えられるが、いつものことで一種の霊感的な感覚が通常の思惟を上回って、脈絡なく行動したわけである。


 
赤札授与所は満杯の参詣者であった(写真は本堂前)
写真向かって右は境内の「清瀧権現社」


たしかに今年の5月は川崎大師にとっては特別な月で、10年に一度の「赤札」発行の吉祥月にあたっている。その最後の日が5月31日だということである。

また川崎大師の境内には、「清瀧権現社」が鎮座している。

実際、赤札授与所は大変な賑わいで、昔の川崎大師を彷彿とさせるものであった。

松本道別翁の奥津城に詣でるのに先駆けて何故か「清瀧権現社」を拝する。

まったく別のことなのだが、どこかで繋がっている感じがするのだ。



川崎大師・松月庵のそば(美味いですよ!)


丁度、お昼時だったので、創業明治17年の銘店川崎大師「松月庵」で名物の蕎麦を食べた。

いまの若い人は、粋なことは知らないだろうから、そば屋で楽しむなんていうことはしないのでしょう。わたしも昨日は後に多磨霊園祭祀があったので出来なかったが、ひとつどんなように楽しむのか、ここで述べておきます。

先ずそば屋に入ったら、お銚子を一本注文。ビールでもいいですよ。
それから「たまご焼き」を注文する。
ボチボチと飲んでゆく。「おかん」がよいのです。
途中で「蕎麦がき」なんかいただくのもいいですねー。
最後に「蒸籠(もりそば)」などを注文して、蕎麦はつけ汁にあんまり浸さないでスルリといただく。
これが粋な「そば屋」での楽しみ方、食し方というものです。

まあ、そんなわけで松月庵を後にし、或る仏具店に入りました。

実はわたしの父方の祖父は、何十年間も横浜から川崎大師の御縁日に(21日)参詣しておりました。そして姉は2月21日に生まれて、祖母などは参詣の功徳だとか言っていました。

その仏具店に祖父の縁(えにし)を感じ、前から十二支の守り本尊が欲しかったので購入しました。私の場合は普賢菩薩です。昔の人の言うことは案外間違いがないので皆さんにもお勧めします。



松本道別翁の奥津城(「霊学講座」が見える)


その後、多磨霊園に移動し墓所を綺麗にして、墓石にお水やお酒をおかけして、榊を献じて、さらに御神酒奉献、塩で結界、慰霊折型を密用して「松本家諸精霊慰霊供養」を執行しました。

佛僊の法により「般若心経」や光明真言で御供養し、次には「神祭祀法」でもって慰霊供養から恩頼感謝の祈念なども致しました。

霊学・霊術、日本古来の教えがこれからも継承してゆけるように、自分の決意、また弟子たちへの御加護を請い、協力してくださる方の幸福を奏上し祈念しました。

またよく資料など届けてくれるN君提供の松本翁の書かれたものなどの恩頼を祈りました。

写真を見ていただくと分かるのですが、翁の著書「霊学講座」の一番古い版を墓前に安置して、この書の恩頼があまねく日本中にゆくように祈願しました。

気合一閃をかけましたが、翁の直弟子の野口晴哉先生は、松本翁を生前に非常に大切にされていたそうでありますから、野口先生に成り代わって、翁の霊界でのご活躍、ご家族のご冥福を心から祈らさせていただきました。



満足してゆるんでいます!

こうして長時間の道中でしたが、無事にすべてのスケジュールを終えることができました。

帰りは新宿に出て、湘南スカイライナーのグリーン車に乗車して、小旅行気分で帰途につきました。


 松本道別師は、昭和17年5月31日仙去 享年72歳 (1942年)
東京の多磨霊園にご子息・お孫さんと共に永眠す
本名は松本順吉(まつもとじゅんきち) 墓標は昭和46年5月建立

霊術の巨星 松本道別翁のご命日(その1)

  • 2014.05.31 Saturday
  • 12:00

霊術の巨星

松本道別翁ご命日(1)


 本日は霊学・霊術の大家巨匠である松本道別翁のご命日である。

1942年帰幽ということであるから、72年が経過したわけである。

生存している人間において誕生日は非常に重要なものである。

両親から血肉と魄霊をうけ、産土の神から魂霊(たましい)を享けてこの世に誕生した記念日が誕生日だからである。


 

誕生日は霊学の修道上大切なものである。

帰幽の日というのは、冥土・幽真界に生じた日であり、これまた重要なのである。

帰幽者に祈る場合、一つの契機になる日だということである。



ありがたいことに遂に「竜飛・竜徳太上仙君」が霊的に結縁しはじめた。このことの深い意義は斯道の修道者ならば分かるであろう。

わたくしたちは、あの御岳山で修行し、松本翁の世界を具現しようとした。繰り返し入山し修行をしました。

そのような積み重ねの中で、翁の奥津城(墓所)を森坂氏(九州在住)が懸命の探査で発見し、以来我々はご命日に参詣している。

幽真界からの御加護があって、恙無く道を歩まさせていただいていると感じている。

いまは松本道別翁の最愛最高の直弟子であった野口晴哉師ではないが
『我れあり 宇宙の真ん中也 我が心は中心を貫く ウーム大大大丈夫!』 
という心境である。

これも翁が方法を『霊学講座』に遺しておいてくれたからこその所産だと信じる。



 松本道別師は、昭和17年5月31日仙去 享年72歳 (1942年)
東京の多磨霊園にご子息・お孫さんと共に永眠す
本名は松本順吉(まつもとじゅんきち) 墓標は昭和46年5月建立

富士神界感応【第2回手箱山巡礼に向けて】

  • 2014.01.07 Tuesday
  • 12:00

富士

【第2回手箱山巡礼に向けて】


霊峰 富士山と大山・丹沢山系

◎寒行について

わたくしたち『佛仙真道』一門は、現在「寒の修行」に励んでいる。

くり返しになるけれども、昔から「寒行」といい、寒の修行は功徳が高いとされてきた。

時間で言えば子の刻・丑の刻(午後11時〜午前3時)であり、月で言えば子月(12月)丑月(1月)頃だ。

太陽暦の12月22日頃が「冬至」で日照時間が長くなり、ここから「一陽来復」の陽気に満ちる。

この時期からが一番の陽気発達の期であり、「小寒」「大寒」を経て「節分・立春」 に至るわけである。

冬至から大寒あたりまでが「寒」というわけである。

「冬」は「増ゆ・殖ゆ」に通じ、「春(はる)」は「張る」に通じており、膨張・成長を意味する。

この期間にする祈願がよく叶う理由はここにある。

この時期に「寒の修行」としておこなうことで、第2回の手箱神山・大瀧巡礼を大満行せしむるわけである。

この程度の修行で、真正の神さまに出会えるのであれば、先人が苦労する筈もなく、神祇・佛仙のおめこぼしを頂戴できるだけでも、我々人間にとっては恩頼(みたまのふゆ)だと思うのである。

以前に別の門人たちと手箱巡礼を開発したわけだが、それは一つの成果であり、恩頼ではあるが、心が一つではなかった。まだまだ、禊ぎが足りなかったというのが真相である。

したがって、晴天に恵まれ、現地にも宿泊し、大瀧霊境の奥で禊ぎができた、昨年の手箱巡礼が正式な第1回である。このことは「審神(サニワ)」して明らかになっている事実である。

大瀧(おおたび)のある仁淀川附近や石鎚山など、手箱の近くに宿泊してこそ霊的な修行になるのである。

わたしの会で本当に「禊ぎ」をはじめたのは昨年である。

一昨年(平成24年9月〜平成25年4月にかけて修行した、わたしも含めて4名のみが、当会の禊ぎを完遂したのである。

今季はあらたに2名が遠隔の地でありながら奮起している。

4名から2名増え、たった6名だが、実際に真剣な修道者というものは、今の世ではそんな人数だと思う。

人は損得勘定で動くことが常である。また妥協の心や恐怖心もある。そういうものに心が支配されているうちは修行などできない。

修行というものは、何の保障もないのである。

保証があったり、資格が取れるなんていうものは修行ではなく、そんなものは人間界の戯言に過ぎないのである。

そういう心をなくする、その為には、何の保証もない「寒の禊ぎ行」をして、心身を祓い清めるのが一番である。

このような修行方法を日本国が温存してきたことに、わたしは誇りを感じている。

◎手箱と富士神界のこと

江の島は、塩川の源流の「江の島淵」につながり、また江の島の「第二岩屋」と「仁田四郎洞穴」は、それぞれ富士山の別々の洞窟につながっている。

富士山が太古の昔、幾度も噴火を繰りかえし、その結果できたのが「富士沢(藤沢)」であり、その地の上に土が体積して、相模原や神奈川の土地ができたのである。

相模川が神奈川(神奈備川・神さまの流れ着く川)であり、太古のむかし相模川は現在の江の島附近に流れていた。

塩川の「江の島淵」には、いくつもの伝説がある。

樵が弁当箱を落としたら江の島の洞穴から出てきた。また、斧を淵に落としたら、同じように出てきたなど・・・。

富士山の洞窟から江の島まで到達したという実話もある。

江の島の洞窟でいまだに活きていると思われる洞窟は一箇所だけある。

ただしこれは、霊的なものが関与していて、なかなか入ることは難しい。準備は相当に大掛かりになる。

では、手箱と富士に関係はどうだろう。

手箱の神山(筒城異境ヶ原)は、「山の神さま」がご奉祀されている聖地であり、当然富士山の女神である「木花咲耶姫大神」もお祭されている。

手箱へゆけば分かることだが、木花咲耶姫大神のお社のある「イワクラ」は、見上げる形になっており、まさしく富士山に感通していることが窺える。

江の島の海神界から富士山に使魂する方法と、手箱神山に感通して富士山に使魂する方法と2つの方法を開発しようというわけである。

そのご祈願はすでに始まっている。日本一の山に感通・使魂して、日本一の霊徳を頂くのだ。

吾が門人は、ひとつそのような覚悟で今後の修行・修道に励んでもらいたいと思う。

川島金山 謹書
 

心霊現象の秘鍵【四足動物霊と人霊動物霊の2種あり】

  • 2013.12.18 Wednesday
  • 00:00
心霊現象の秘鍵

【四足動物霊と人霊動物霊の2種あり】 

昨日の記事では、「四足動物霊の解除の秘呪」について述べた。

今日は,そのついでと言ってはなんだが、その辺のことを詳しく述べたい。

ときに或る整体法の先生(自称?)などが、「霊能力」とか「霊感があるない」などと口にする。

そして整体をやりながら、「霊が憑いているから取っておいたよ」などと、わかりもしないのに、平気で言うことがある。

これって、本当にわかっているのでしょうか?

わたしのような専門的に関わっている者からすれば、整体の先生(特に野口整体系統)には、まともな神霊知識者はおりません。

実にいい加減なことを、無責任に空言しているわけです。

大して滝行などもやったことがないのに、滝行を語る。このことは武術を標榜している連中も同じで、闘いを宗として訓練している連中に本当の滝行や密教・古神道など出来はしません。

合気道の植芝先生や塩田先生ならともかく、いまの野口整体をやりながら武術をやっている人に、正しい霊的な知識者などいないと思います。

霊だとか何とか口にして、霊界の構造が分かっているのでしょうか?おおいに疑問が残りますね。

はっきりいいますが、野口整体系統の看板をあげ、武術を標榜している人で、神霊関係の正しい知識・行力を持っている人はいません。格好つけていたり、鬼面人を驚かすだけで、お話になりません。

ですが、わたしと親しい白山の整体の先生などは、きちんと霊的な実践と知識を持っていて、それでいて謙虚です。本当に分かっているからなのでしょう。しかし、こういう方は非常に稀です。

先の整体の先生や武術者は、密教・古神道も生齧りで、まともに正しい修行すらしたこともないのに、その系統のことに関して(平気で)ものをいう。

こういうのを世の中では「アラシ」と呼ぶのだそうです。

そういう連中には何を言っても無駄でしょうが、まあその気があるのなら、ここはひとつ謙虚に勉強してみてください。

武術や整体法の世界は奥が深いのでしょう。

同じように宗教・神霊・修行の世界はさらに奥の深いものなのですから。

いわゆる動物霊には、2種あるのです。

一つは、本物の「動物霊」。

もう一つは、人霊(人間の霊)が動物化した「動物霊」。

人間でも愛念や執着のひどい人は死後に動物化し、甲羅を経て「動物霊」のような低級霊に成り下がります。

動物霊という場合、大抵はこの「人霊動物霊」をさします。

「四足動物霊解除の呪」は、この霊の霊障によって病気になることがあり、これを解き除く作用があります。

例の「債主(さいしゅ)」ですが、師匠を裏切るとか、動物を殺すなどした場合、これは今世だけでなく、来世までその罪(業)を持ち越すことがあるといいます。

このことに関しては、そのうちに詳しく解説しますが、動物を殺すことが冥罪につながるのであれば、逆にご供養してあげることは、陰徳を積むことにつながります。

今回のこともご縁というものなので、塩川の霊場では、柴燈護摩供の際、無念のうちに殺戮された四足動物霊を招呼して、無益に殺傷された「怨みの念」を解除供養いたしたいと思っております。

また、ある種の「浮浪霊」もおりますので、「浮浪霊の解脱の秘呪」を奉唱し、さらに光明真言により追福解除のご供養をしたく思っております。

霊の感応【塩川霊場での怪異】

  • 2013.12.17 Tuesday
  • 00:00
霊の感応

【塩川霊場での怪異】



一昨日の早朝も塩川霊場・不動の滝で「禊ぎ」の修行をおこなった。

水温は先週に比べてさらに低くなり、いよいよ寒行に近づいてきたという憾がある。

しかし、コンディションが整ってきているので、爽快感がある。

滝の修行が終わってから、洗足にて「滝行研修」「僊道講座(第一回・導入編)」等が予定されていたので、案外早く霊場を後にした。

その際に少しおもしろいことがあった。

焚き火も鎮火しつつあり、「さあ、ご法楽をして移動しよう」と思っていた、ちょうどのそのときに、地元の猟師さんが神社境内の駐車場に来た。

こちらに「滝行」をやっているのか聞いたのだが、話しの好きな人なのか、元の神社のことや、以前にあった旅館のことなど話していた。

この人は動物を撃つのが大好きで、すでに1000頭くらいは撃ち殺しているという。塩川周辺も猟師間でのテリトリーみたいなものがあり、まるでヤクザの世界みたいだなどという話もしていた。

もっぱら動物を撃ち殺すことしか、この人には興味がないようで、塩川霊場のある方面を指して、そこいらは動物の産場だと話していた。動物が子供を産む場所が塩川にはあるのだ。彼らはそういう動物も狙い撃ちしているわけなのであろう。

たしかに塩川神社でご法楽を捧げ、柴燈護摩供を修していると、修行者の一人は、動物臭い匂いが漂ってくると、ずいぶん前から述べていた。

わたしも護摩供を修するときに、神仏はもちろんのこと、当地に関連の諸精霊をご供養していた。柴燈護摩の清浄な煙香でもって霊場全体に廻らしていたわけである。

だが、動物の霊まで供養することは考えていなかった。

時々、塩川に来る途中の道で、鹿やイノシシが自動車やオートバイにぶつかるということがあるのだが、供養することまでは考えが及ばなかった。

しかし昨日の早朝に、一昨日の出来事は「四足動物霊の浄化」について示唆だったと明確に知ることができた。

今後は「四足動物霊解除の呪」などを密用して、塩川霊場の近辺で無念の死を遂げた動物たちも供養してあげようと思っている。

実は「四足動物霊の招魂の呪」もあり、これを使うのがよいのだが、特殊な修法につかう秘呪ゆえ、合同の勤行では控えることにする。

あの猟師の口を通じて、撃ち殺された動物霊たちは、われわれに意念を伝えたのである。

ちなみに、それだけ意味のない殺しをやった者はどうなるのかというと、確実に「債主(借り)」よって、深い因縁と悪業が、本人ならびに血族に及ぶことになると思う。
 

最近の出来事徒然 『洛中洛外屏風』を観る

  • 2013.12.01 Sunday
  • 12:00
最近出来事徒

◎国立博物館特別展『京都・洛中洛外屏風』を観る

 





上野の国立東京博物館にて、本日まで「京都・洛中洛外屏風」の特別展が開催されている。

これだけの洛中洛外屏風が東京に集まったのは初めてだと思うし、それを直接鑑賞できるのも稀有のことだと思う。

洛中洛外というのは、京都の内外ということであり、屏風に描かれた景色を見ることで京の都が一望できるという趣向である。

舟木版・上杉版というように幾つもの屏風が存在する。

鑑賞者は屏風に挟まれるように座し、まるで全洛中洛外を遠望しているかのように感じ、且つその景色は四季が別々に描かれていたりする、そういう作品もある。

写真は、国立博物館の途中のイチョウ並木。
屏風絵図の京都・五条大橋付近。
五条大橋の細部を拡大した図絵。
派手な衣装(赤い着物)をまとって踊る人物。
描写した当時の風俗などを克明に描いている。

当時の風俗、生活の風景、職業、衣装など生き生きと描かれています。二千人以上の人物が描かれている屏風もあります。

それと・・・いつものことながら昭和を背負って生き抜いてきたご婦人たち(来場者)のパワーには圧倒されました!!


◎『水火の修祓の神事』

神界には、水と火による修祓(お祓い)が存在すると伝えられています。

祖霊や子孫、あるいは自分の為した悪業を消し去る為のお祓い(修祓)であるということは、容易に察しがつきます。

斯道の師僊先達によれば、これは大変困難なものであると言われております。

大変に苦しい神事だそうで、しかし終了後は実に清々しいものであるといいます。

業の深い我々人間界のものは、一生かけてもそう易々とは「浄化」などできないでしょう。今現存する日本人で、充分な浄化ができている人などほとんど見たことがありません。

いずれ幽真界に入った時の為に、我々修道の同士は、こうして毎週冬のお滝をいただいて修行しているのです。

よく神界のみの修道をやっていると口にする人がいますが、果たしてどうかな?と思います。
やっているつもりなんではないでしょうか?

或る神人は、神界からの謫僊なのであって、そういう方だからこそ神界に直入できるわけです。凡夫がそのまま同じに考えるのはおこがましいと思いますね。

何のために佛仙真界が用意されているのかを考える必要があります
ね。


山の紅葉はこの上なく美しさを増しています

◎本復の兆し

わたしの体のほうもかなり回復してきました。

関係者にはご迷惑とご心配をおかけしました。

ですがもう大丈夫です。整体でいうところの「冬の体」に変化しました。

名古屋のAさんからいただいたパシュミナのマフラーはとても重宝しています!本当に助かっています。感謝しております!

わたしの体の癒えるのにしたがい、今シーズンも本当によい「滝行禊ぎ」になってきております。

本日早朝も元気にお滝をいただき「水火の禊ぎ」を貫徹致しました。

こうして冬季のお滝で心身を清めておりますと、やはり佛仙真界のほうにも、充分に通達しておく必要があると痛切に感じております。これは理屈抜きの実体験による真実です。

本日、来年度の「手箱神山・大瀧霊境」巡礼行の話し、将来的な「僊人生活」の展望など同行者から話しがでました。

今後、塩川では「冬至」「大祓え神事(納めの瀧行)」「お正月奉納(準備)」などございますので、皆様のご協力・ご参加をお願い申し上げます。

幽界での諸相【秘図・天狗界の護摩供】

  • 2013.11.28 Thursday
  • 00:00
幽界での諸相

【秘図・天狗界の護摩供】


或る僊人が見た幽境の実相(護摩供の模様)

上図は或る地仙(僊人)が見た山中の幽界での諸相である。

幽境にはさまざまな界から、色々な種類の異人が集い護摩供を行っている。

祭壇の各供物はこの世のものではなく、供物皿としての高坏(たかつき)は現実世界では存在しないものである。

巨大な僧衆や普通の山伏、樹の近くにはカラス天狗と思わしき衆もいる。

人間が一代で修道・修行を積んだとて、そう簡単に天仙などになれるものではない。

せいぜい地仙までに成れたら上々である。

あの河野至道寿人ですら、地仙なのであるから。寿人は、生涯の最後に100日間の完全なる断食行を行った。そして97日目で絶命したと言われている。

実は、「仙」と化したのであるが、それだけの修道を積んでも地仙の仙境・幽境に入るのがせいぜいである。

死後には、秘図に示された異人たちと交流するようなこともあるので、そのときに備えて驚かないように心得ておかれるのがよろしかろう。

早朝3時〜4時の塩川などでは数は少ないがこういう存在が近くに居るということは、申し述べておこう。

そう、あなたのお経やご真言の読み間違え、心構えの悪さをむこうは見ているのですよ。
 

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