(続)盂蘭盆会秘鍵【おんとろとろうんの秘解】
- 2014.07.13 Sunday
- 10:00
【奥儀 おんとろとろうんの秘解】
三界萬霊供養・盂蘭盆会の精霊棚を設える
◎盂蘭盆会に祖霊幽魂供養
盂蘭盆会(お盆)には、主として祖霊の幽魂を請じて御供養もうしあげる。お盆に精霊棚を設けて、灯明を点じ香を薫じ、お供物をお供えして、祖霊ならびに三界萬霊の所縁の幽魂霊位に御供養を受けていただく。普通は「迎え火」を焚いてお招きする。この子孫の「迎え火」が目印合図になるのだという。
この期間ばかりは「地獄の閻魔さま」も「六道輪廻の亡者(三悪道に堕ちた衆生)」にも暇(いとま)を与える。これがいわゆる「地獄の釜の蓋が開く」というものである。
現代人はこういうことは迷信でバカバカしいと思う人が多いのではないか。しかしながらそのような考えは、自分が祖霊と直接繋がっているという、日本人としての霊性が失われていることの証左であり、多数になってきているのは事実だと思う。
◎密教霊術の印契の口訣
「迎え火」で御霊(おみたま)を招く他に、招く作法はあるのか?
それは当然ある。密教や霊術に瞠目している諸兄ならば、そのくらいのことは分かるであろう。
密教の法には「身・口・意」の三つの方法がある。
「身」とは体のことであり、肉体的作法のことであり「身密」という。「口」とは「口密」であり、言葉(真言)や呼吸である。「意」は心であり、「意密」といい念ずる事、観想法の秘伝である。このことは密教の基礎であり、奥義でもある。
真の密教所伝は「神集嶽神界」の大国主命座し坐ます「九羅殿」からの出伝であることを忘れてはならない。密教の法も根本には大神が関与していることを認識しておくことである。
「印」は「印契(いんげい)」と云い「身密」に属する。「印し(しるし)による神霊との感応の契約」、これが「爪櫛の契り」「印契」というものの秘密である。そういう意味では理屈がなく一種の「禁厭(マジナヒ)」と云える。「マジナヒ」は即効性があるところに妙味がある。
本稿において参考にした次第書など
◎極秘の秘伝は親指にあり
霊術の大家でもこの「印契」について観念工夫したという人物を聞いたことがない。では、まるっきり居ないのかというとそうではない。実際にはわたしなどでも恐れ入ってしまう観察工夫をした方がおられる。その先生の言では「印契の秘訣は親指にある」というのである。その為に全国の国宝クラスの仏像を見て廻ったという。
わたしもそのような観点から私心や知識を挟まずに考察し実験を繰り返した。すると密教の十八道でいう「勧請法」の要の作法が主に親指にあることを認識した。
また「神鑑法」でもって云えば「親指は祖神様(おやがみさま)であり御祖霊(みおや)」を意味している。このことの認識は非常に重要な口伝である。
佛菩薩の聖衆が来臨する時には「紫雲来迎す」という
お盆初日の美しい夕焼け
◎真言陀羅尼「おんとろとろうん」の秘解
「勧請法」には、寶車輅(ほうしゃろ)、請車輅、迎請の三法がある。寶車輅は「送車輅」ともいい、牛車のような高級な宝の車をお迎えに送り出す作法である。宝の車とは、君(くん)の乗るものである。請車輅にて更に佛菩薩・聖衆の元に車をおとどけする。迎請は召請とも云われ、乗車した佛菩薩などの聖衆を道場の上まで招き降臨影向(ごうりんようごう)していただく。
寶車輅の真言陀羅尼(しんごんだらに・マントラ)は「おんとろとろうん」であり、三返お唱えする。この時に印契で独特の所作をするわけだが、問題はご真言のほうである。真言自体はこれで間違いない。これでよいのである。
しかし、佛僊真道の流儀ではこれだけではダメなのである。この真言に漢字を当てはめる。そうすると佛仙の真伝になるわけである。
この真言陀羅尼の意味は「(オーム)帰命 運行 運行せよ(吽・フーム)」であり、学問的にはこれでよいが実践的には少し変わってくる。
さあ、今日は祖霊および三界萬霊所縁の幽魂を招じ御供養するお盆の初日である。
わたしも一人の修行者、実践者として、衷心から幽魂の御供養をしたいと思っている。
おまえさー いつそんなことを習ったのよー すげなー!! 好きなことの追求は飽くことがないと云うけどホントだにゃ〜 まあトンガリは南の海にでも行ってのんびりするじょ〜
- 幽真界
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