霊術実践【禊ぎの神術を行う(1)】の補足
- 2014.05.13 Tuesday
- 00:00
補足【禊ぎの神術を行う(1)】
前回の記事【禊ぎの神術を行う(1)】の補足である。
先月の末にわたしは手箱神山に登拝し、大瀧霊境に巡拝した。このことは諸氏の知るところだと思う。
昨日の記事から「みそぎ」について述べ始めている。
「みそぎ」は主に塩・水で行うものであるが、様々な観点から禊ぎは行うことができ、且つ是非ともやってゆく必要性があるものなのである。
35年前の写真
現在の写真
一つは「記憶のみそぎ」ということだ。頭の中の記憶が感覚と共に固定化していて、時間空間的な流れに沿っていない。こういうことがしばしばある。こういうことでは、いくら修道しても正確に「サニワ」することができない。
正神は正心に感応し、邪心は邪霊につうじる。正心とは、正直さ公正さでもあるのだが、正しい認識(正知)ということも含まれる。
古い必要のない認識は、アウトプットしなければならない。記憶は人間において大切な機能ではあるが、時にそれが想像力を邪魔するものである。
行方知れずの知人とその知人の住居付近・ドヤ街(35年前の話し)
特に空間的記憶は上塗りして新たにする必要性がある。それでこそ「霊的なアイディア」が出てくるのである。
土地に関することに「産須那神」が関与していることは、霊学を奉ずる士ならば当然理解できることであろう。
であるから、わたしは現在横浜史というものの研究に着手し始めている。自分の育った地域の歴史的研究をしてゆくことは「産砂」の働きに同じうするものだと思う。
実際の寒の禊ぎも土台として必須で、さらに時間空間的な認識のみそぎがなければならない。
以上が、前回記事の補足である。
うーん!?なかなかむずかしいことを云うね〜
トンガリ的に云えば、レッドとオマルはどう違うのかってことになるのかにゃ〜
- 霊術・禊ぎの神術
- -
- -