江ノ島の洞窟へゆく【大海原の女神に祈請す】

  • 2014.09.22 Monday
  • 00:00

江ノ島の洞窟へゆく【大海原の女神に祈請す】


昔の江の島第一洞窟の写真

◎江の島と塩川大滝〜富士人穴をつないで祈請する

この秋のお彼岸は祖霊祭祀・先祖供養する吉祥なる期間であるが、10月9日(木)からはいよいよ「大司命節」がはじまる。

この大司命節の期間に、幽真界の中枢では霊鏡台の幽事によって運命の改定が執行される。

審らかには、現界の太陽暦10月9日〜11月8日の期間であり、11月の初旬の祈念は祖霊にとって非常に重要である。

人にはそれぞれ因縁業報があり、産霊紋理(むすびかため)がある。宿命、運命、使命というものがあるのである。

この期間はそのことに沿って祈るべきであり、自らの命徳を果たすべく天神地祇に祈請し、その功徳をご先祖に廻向して、冥福を願うことが肝要である。

自己の存在は、父母からくる「水・土の徳」と、宇宙の大元霊(天御中主太神)より下賜されたる「霊(火)」から成り立っており、仏教でいう業、神道でいうケガレは、父母所生の肉体を通して顕現する。

水・土は、人体に於いては「血も含めた髄液」「骨や歯」になり、特に悪行は水に宿る。

便所の汚物は、水・土に分類されるゆえに、浄化力を持つ「ミズハメノカミ」と「ハニヤスヒメ」という神が司っている。

五行でいうと、土生金であり、金生水であり、土と水をつなぐのは金であるから、水・土の不浄を清浄にすれば、金は安定する。故に雪隠(せっちん)を浄むれば開運したりするのはこのためである。

トイレの掃除をするとお客が来るというのは、ヘッポコ整体師が言うような、無心になった由縁ではない。底が浅い若造は、すぐに「無心」だとか「雑念が消えるから」などと知ったかぶりで言うが、霊的な知識を熟知しておればそのような幼稚なことは言わないものである。上記のような幽玄な原理があるから財運が変化しお客が来るようになるのである。

ともあれ、何年も大司命節の期間に相応の祭祀を行っていると、どうすればよいかお示しが出てくる。自然に分かるようになっているのだ。それが分からないうちは、ただひたすら理屈抜きに毎年毎年実践してゆくことだけが唯一の道である。

だが、経験した者から言わせれば、一つの過程を経れば必ず自分の使命や為すべき功徳積集の内容が判然としてくるものである。

わたしの場合は、大司命節の前哨として、秋のお彼岸期に江ノ島の洞窟にて祈請すること、塩川と富士人穴をつなぐお祈りをすることである。

その祈請によって「霊書」「秘伝書」を更に得ることになる。「霊書」「秘伝書」を得るということは「道福」があるということであり、それは「道縁」があるということの証左である。

だが「霊書」を得るということだけでは、道は成就し難いのである。「霊書・秘伝書」は所詮、素材なのである。この素材にどう味付けをするのか、どう調理するのかということである。ここが肝心である。さて、美味しくいただくにはどうすればよいのだろうか?

その為には努力以上の「情熱・狂気」が必要なのである。寝ても覚めても頭のどこかで考え続け、思念しているようでなければ、素材の味付けなどできはしないのだ。

江ノ島第一洞窟は、鳴沢氷穴につながり、第二洞窟の奥の穴は、仁田四郎の富士人穴につながっている。また、第一洞窟はあまたの聖者が籠った聖窟であり、日蓮聖人も此処にお籠りし、日蓮寝姿の石が洞内に遺っている。

江ノ島洞窟で祈ることで、よりたくさんの霊書を得て、その内容を世に出す事の使命が明確に指示される。これがわたしに課せられたあり方なのである。
(※昨日、江ノ島第一洞窟にお詣りして、無事に秋のお彼岸期の祈請を為すことができました)


栗よりうまい十三里半

桃栗三年柿八年の続き文句は、柚子の馬鹿芽は18年、梨の馬鹿芽は18年、人生一生などいろいろとありますが、わたしの好きな句は「桃栗三年柿八年、栗よりうまい十三里半」ですね。

「栗よりうまい十三里半」て何のことだか分かりますか?

サツマイモのことです。栗とサツマイモを比較したのです。栗を九里と当て字し、栗(九里)よりの、「より」を「四里」を当て字して、四里+九里で十三里。十三里は、サツマイモのことなのです。

十三里半の半はおまけのことだという説もあります。サツマイモは掘ると小さいのがおまけみたいについているでしょう。また、サツマイモの生産が盛んだった頃に川越あたりから江戸まで十三里だったからとか・・・。十三里は栗のことで、十三里半でサツマイモが半里上回っていると、まあいろいろな説があります。


秋限定 栗アイス(猫まる風)

ですがやっぱり秋の栗の甘み渋みという点で、サツマイモは栗に敵わないと思いますね。美味さの質が違うので、まあ比較はできないのでしょうが・・・。

ということで、栗を素材にして「栗アイス(猫まる風)」を作ってみました。

秋のお彼岸のひと時を楽しんでみました!どうです如何でしょうか?


どんな味か教えろよー うまいもんばっか食っておまえズルいにゃー 栗はいまの栗よりもう少しあとで収穫できる種類のがもっと美味いんだじょー 情報料として「栗アイス」を食わせるにゃー

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塩川弁財天御縁日【龍神感合法(2)】

  • 2014.04.05 Saturday
  • 00:00
塩川大弁財天御縁日

【龍神感合法(2)】


 

昨日4月4日(金)は、塩川の滝の奥地にある「江の島淵」に江の島の弁天様が出現する日である。

年に一度、江の島の弁天様が出現し、潮(塩水)が溢れるという。


  

 

昨年もそうだったのだが、連日の雨の影響もあり、塩川の大瀧はものすごい水量で、まるで潮があふれ出たような様相であった。

神社の弁財天の前には、卵50個、お酒(一升)×3、塩×5袋を御供養し、滝などに塩・お酒は撒いて御供養した。

また石碑と滝場に注連縄をはり、紙垂をお付けした。


  

先回述べた、チベット文字の「ナ」が出現していた滝の岩場のところに(※「ナ」は「ナーガ(龍)」の種字である)高名なチベット高僧が修法した「龍神」の力を込めた壷を奉安して祈念した。

年を重ねるごとに一味も二味も違うものになってきている。すでに「物語り」のように多くの逸話が遺されてきている。

早朝は雨天だったが、滝行禊ぎが終わるころには、晴れ間が出てきた。これも昨年と同じだった。

気合・弁財天祈念も含めて、すまじい修行であった!

『うーむ、我ここにあり。必ずやるぞ!やってみせる!イエーー エエーーイっ ウーム』

狂ったように体を振動させ、気合に狂喜した!

当日早朝に霊夢を見て、若い女性が「碧い石」をもっていた内容だったので、まったく同じものを身に着けて行をおこなった。

改訂版・江ノ島信仰【秘密曼荼羅と秘密の宇賀神霊窟】

  • 2013.09.02 Monday
  • 00:00
改訂版

江ノ島信仰

【秘密曼荼羅と宇賀神の秘霊窟】

  




   

(1)北条家・初代執権の北条時政公、弁財天女お告げの絵図(二絵図)

(2)秘密曼荼羅(○御○)一幅

(3)霊窟入口の写真(二枚)

上記の絵図と写真の真実を知る人は、現代では、ほとんどいません(今仙)。

(1)〜(3)の知識に通暁し、真の秘密を保持している者は、古来稀であり「暁天の星の如し」です。

九月早々であり、先般「宇賀弁財天」の御縁日「己巳(つちのとみ)」でしたので、ここに特別に公開した次第です。

詳しいことは、情報公開する機会をお待ちください。
(※永遠に機会は無いかもしれませんが・・・)

読者の皆さんは、詳しい説明の機会が来るように、各々「神ながら」に、お過ごしください。
 

改訂版;塩川大縁日【江ノ島淵の霊気充ち満ちる】

  • 2013.04.09 Tuesday
  • 20:18
改訂版

塩川大縁日【江ノ島淵の霊気充ち満ちる】

 
塩川の大瀧と渓流(※あたかも潮=塩が湧き出ているようであった!)

本日は、塩川大滝の奥の院、江ノ島淵に大弁財天(市杵島姫命)がご出現なさる一番のご縁日である。

江ノ島淵、塩釜の淵から、海の塩が吹き出るのである。昔から塩(=潮)を含んだ水が流れるといわれている。

わたしたちは、いつものようにお滝をいただき修行し、その後江ノ島淵へゆく予定であった。

しかし、数日前の大雨で江の島淵へゆくことは断念した・・。

塩川の大瀧は、いつもとは違うものになっていた。

毎週お滝を受けに行っているので、実にその変化がよく分かるのだ。

この日の塩川の滝の滝壺は、江の島淵のそれと同一の様相を呈していた。まったく不思議だった。

大瀧そのものが龍神と化し、弁財天の功徳を有していた。

このご縁日にお滝をいただく人は今では稀だと思う。

だが、わたしたちは平日に休暇までとって、世の安穏を祈らずにはおれないのである。

見よこの状況を!

太平洋側、日本海側、共に海の汚染が進んでいる。

吾が祖国は海の恩恵を遥か昔から得ている国であるのに・・・。


この日、江の島にも参詣した

江ノ島からの女神とご眷属はわたしたちに何を告げたのか!?

(※行後、お伺いをたてると『我は弁財天龍女なり』との応答があった。弁財天龍女というのは聞いたことがない。しかし、海神ワダツミノカミであることは間違いないと思う。)

大弁財天の旅路は、まだまだ続いてゆく。
 

江ノ島信仰【龍口明神社 祭神・五頭龍明神】

  • 2012.12.27 Thursday
  • 00:00
【龍口明神社 祭神・五頭龍明神】



龍口明神社(りゅうこうみょうじんしゃ)。

この神社の旧社跡は、片瀬江ノ島モノレール駅の至近の場所にある。

かつて『五頭龍王』が住んでいたとされる、小高い山がそれである。

龍口寺(りゅうこうじ)の山門の向かって左側に旧社はあるが、荒れ果てていて、すでに御神体もそこにはない。

荒廃した一番の原因は、大正12月9月の関東大震災にさかのぼる。大震災でお社がかなり瓦解したという。

時を経て、昭和50年代に漸く移転が決まり、西鎌倉の丘の閑静な地に、いまは佇んでいる。

この龍神は、江ノ島の弁財天女とは夫婦神であり、海神界(わだつみかい)の神である。

この社は、五頭竜王と共に玉依姫命(たまよりひめのみこと)を奉祀している。玉依姫命は、初代天皇であるカムヤマトイワレヒコ(神武天皇)の御母神である。

昨日のブログにても書いたが、この竜王のご神示によって、ここが斬首の刑場になったのである。その刑者の血によって世に中がよくなるという示唆があったのである。

そういえば、洗足にある洗足池も、日蓮上人が足を池で洗ったことから、是く名付けられたのである。いまでも同じ場所に袈裟掛けの松がある。上人が足を洗う際に、袈裟を松に掛けたというのだ。

先の新社には片瀬江ノ島からモノレールでゆくが、山の尾根を通っていて面白い。実は、この鎌倉に連なる山々は龍蛇体であり、大体龍の腹部あたりが、いまのお社だといわれている。

なるほど鎌倉の地が、幕府を開くために選定されたのも頷ける感じがする。

やはり、政治(まつりごと)は、祭事(まつりごと)と共にあったのである。

龍口寺の境内の左側から山上にゆくと大きな仏塔(ストゥーパ)がある。これは、日蓮宗の藤井日達上人が建立したものであり、ここから江ノ島を眺めると、夫島、婦島であることが理解できると思う。

会社に勤めていてクビになりそうな人、クビになったほうが道が開くような人は、ここを参詣するとよい。少し日蓮上人のご辛苦を想起してみたら、自分が如何に幸福か知ることができよう。

そして勇気百倍となろう。
 

江ノ島信仰【日蓮上人 龍ノ口の法難(2)】

  • 2012.12.26 Wednesday
  • 00:00
江ノ島信仰【日蓮上人 龍ノ口の法難(2)】 





ある運命鑑定を生業としている研究者の著述から、日蓮上人の事跡をみてみよう。

日蓮は、承久4年2月16日生まれ。

法華一乗、『南無妙法蓮華経』の題目による衆生救済を決意したのが、建長5年4月28日。日蓮の月の凶運期。

この因縁をもって『法難』は約束されたという。

この月に広宣流布(こうせんるふ)の宣言をされたことに、日蓮生涯の『法難』の原因があると説く。それによって「本化上行(ほんげじょうぎょう)」の自覚が得られたのかもしれないが、あまりにも苛烈(シビア)である。

建長6年、鎌倉で辻説法開始。瓦や石が飛んできて、早くも凶運期の影響が出る。

文応元年7月16日。日蓮の本命星・大火星と巡り来る星宿・鶉火星(しゅんかせい)の冲(ちゅう)する凶日。この日に、『立正安国論』が鎌倉幕府に提出された。

その結果は8月27日、松葉ケ谷の焼き打ちとなった。

弘長元年5月12日、日蓮は伊豆に流され、爼岩(そがん)の上で襲いくる激浪のために生命の危機にさらされた。この日も、本命星・大火星と星宿・大梁星が激突する最悪の時だった。

文永元年11月11日、小松原において、東条景信に襲われ、日蓮は額に刃傷を受けた。この日もまた、本命星・大火星と巡り来る星宿・鶉火星のぶつかる凶日。

母の死去が、文永4年8月15日で、凶運期の日。

翌年の文永5年の春から2年間、大凶運期の年廻り。この最中に、執権はじめ極楽寺の良観などへ激越な書状を11通発す。

これが原因して3年目の文永8年9月12日。この日、伊豆流罪法難と全く同一の本命星・大火星、星宿・大梁星激突の大凶運日。推命でいう、「天剋地沖」である。

さすがの日蓮も龍ノ口の土牢に入れられて、死を覚悟した。「八幡大菩薩はほんとうに居るのか。何処にありや」との旨の言葉を馬上から叫ぶ。

しかし、日蓮は江ノ島方面から発せられる光(一説の落雷という)により、奇跡的に死罪を免れた。

これが世にいう、「龍ノ口の法難」である。

この後も、大凶運期の星宿の激突が度々つづく。

これが日蓮上人でなければ、とっくに生命はなかったと思われる。

おもしろいのは、日蓮という人は、よく暦の読み、すなわち28星宿というものの見方をも遺している。日蓮宗では独特の妙見菩薩(北極星)信仰が篤かったりする。

また、木剣という法具を用いたところの祈祷法も充実している。密教以外では(仏教系のなかでは)おそらく日蓮宗が最勝の呪力をもっているものと思う。

『龍ノ口の法難』の場所は、昔から斬首の刑場であり、ご神意によって、それは為ったものであるという。

『五頭龍神』のご神示によって、ここにて罪人の血を流せば(つまり斬首せば)、必ず世の為になると。

だから元々ここには『龍口明神社(りゅうこうみょうじんしゃ)』が奉祀されていたのである。現在その社は西鎌倉にある。

不思議なことに、龍口にゆき参詣すると、首が強くなる感じがするのだが、少し痛くなるのは妙である。

この寺には、上人が斬首されそうになったときに座ったという『敷皮石』が奉安されている。(※上の写真)

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