江の島信仰【稚児ヶ淵伝説と塩川の幽境(上)】

  • 2013.08.21 Wednesday
  • 00:00

江の島信仰

【稚児ヶ淵伝説と塩川の幽境(上)】


稚児ケ淵にある石板の案内

◎はじめに

あなたは、江の島の「稚児ヶ淵」をご存知だろうか?

稚児ヶ淵は、江の島の南側に位置している。

江の島弁財天の洞窟(弁天窟)の少し前が稚児ヶ淵といわれる場所である。

わたしはこれから稚児ヶ淵の伝説やその他周辺の話、そして塩川幽境との関わり等を述べてゆこうと思う。

かつてわたしは、塩川には「童の幽境」が存在している可能性があると述べた。

江の島信仰と共に、その幽境の秘密を本稿で解き明かそうというのだ。

では、まず江の島の伝説の一つ、「白菊と自休」の哀しい恋慕の話を読んでいただこう。


左側の下が「稚児ケ淵」。稚児が裸で海に入っているのが見える。
これは江の島信仰を伝えた浮世絵である。

◎白菊と自休の物語

江の島の稚児ヶ淵は、建長寺広徳庵の自休和尚に見初められた、稚児の白菊が、断崖から身を投げ、自休もその後を追ったという伝説が残されている場所である。

白菊は、鶴岡八幡宮の僧坊、相承院(頓覚院)で学んでいた供僧(神社に使える僧侶)であり、江の島に詣でた折に自休に出会ったのだという。

僧・自休は、江の島弁財天に百日詣を行っている最中に、白菊と偶然出会ったわけだ。

このたった一度の出会いで自休は、白菊の可憐さに心を奪われてしまった。

そのとき白菊にはおともの老翁がいた。その老翁に自休は、白菊の名前を聞いたという。

自休の妖しい眼光に二人は気味が悪いと思った。


稚児ケ淵へ至る階段。いまでも寂しさが漂う。

しかし、来る日も来る日も、自休は白菊のことが忘れられず、思いは募る一方。

遂には、白菊に会いに、相承院に行ってしまう。

突然の来訪に白菊は驚く。そして白菊はつれない態度をとった。

そうやって自休の心を知る白菊だったが、それに応えることはできない。

白菊は苦悩の末、江の島の海辺に身を投じてしまう。

その場所こそが、江の島の南側の淵、稚児ヶ淵といわれる所なのである。(※白菊という稚児が身を投じたので是くいう)

白菊が身を投げる前に、渡し船の船頭に託した扇面には、以下の辞世が書かれていた。

「白菊のしのぶの里の人とはば 思い入江の島とこたえよ」
「 うきことを思い入江の島かげに すつる命は波の下草」


自休は悲しさのあまりに、同じ淵に身を投じ、後を追ったと伝えられている。

自休は以下の返しうたを詠んだという。
 
「白菊の花のなさけの深き海に ともに入江の島ぞうれしき」

白菊の辞世の句に返したものになっている。

現代では、これをストーカーとして扱い片付けてしまうのだろうと思う。

だが、そんなに単純なものではない。止むにやまれぬ恋慕の気持ち。純粋であるゆえの悲劇。

現代人は、こういう話を聞いたり、辞世の句を読んでも、その心が分からないのかもしれないが・・・。まあ、そういう時代なのかもしれません。

しかし、それは個人々々の感性の問題ですよね。

このような恋慕の情、痛切な思いを受け止められないで、人の心や体など分かるはずもない。職業柄、わたしはそう思いますね。

 
歌舞伎の一場面。実際の稚児ケ淵そっくりのセット。
セットの立て札には「江の島」と書いてある。
向かって左が桜姫(前世の白菊丸)、右が僧・清玄(自久)
実際の稚児ヶ淵付近の灯篭(写真むかって右)


◎歌舞伎『桜姫東文章』

この物語は後代に脚色されて歌舞伎にもなりました。

有名な『桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)』です。

以下のようなスジの物語です。

『物語は、僧・自久(じきゅう・後の清玄)と稚児(ちご)の白菊丸(しらぎくまる)による江の島での心中から始まる。

いち命を取り留めた清玄(せいげん)は十七年後、高僧となっていた。

出家を望んで寺にやってきた吉田家の息女・桜姫(さくらひめ)が、実は白菊丸の生まれ変わりだと知る。

桜姫は、強盗に入った釣鐘権助(つりがねごんすけ)の子を生み、今でもその権助を忘れられない。

その罪業の深さを償おうと、出家することを思い立ち、偶然清玄のお寺を訪れた。



しかし桜姫は、偶然にも桜谷の草庵で恋しい権助と再会してしまう。

この後、桜姫に白菊丸の面影を追う清玄と、密通がばれて吉田家を追われた桜姫。

この後がややこしいお話なんです。
結局、清玄・権助・子供は死ぬんです(殺される)。

最後は、桜姫が零落した吉田家を再興するんですが・・・。

ラストは浅草寺のシーンです。」

◎白菊へのご供養

文楽でも歌舞伎でも「心中もの」は人気があるんですよ。これは昔も今も変わりないところです。心中というのは妙な駆け引きしたりというのがないでしょ。全身全霊だから。

この歌舞伎・桜姫東文章と、実話としての自休・白菊の伝説は、江の島信仰を確固たるものにした一因だと思います。

弁才天が伎芸・芸事の守護神だという理由で、江の島神社・中津宮などに、歌舞伎の中村座などは、江戸の時代からご奉納等をしているわけです。



実際にいまでも石に刻まれた中村座の文字を、江の島神社・中津宮附近で見ることができます。

歌舞伎のお題にもなっているこの物語が、江の島の伝説をもとにしていたという事実。

まして江の島には、芸事の守護神ともいうべき女神が祀られているわけで、この演目をやる役者の思い入れも相当なものであったのでしょうね。

歌舞伎や映画、講談なんかでも「東海道四谷怪談」をやるときには、役者さんや講談師が「お岩稲荷」にお参りしますが、「桜姫東文章」でも同じだったのかもしれませんね。

庶民も興味津々で歌舞伎を見たことでしょう。そして実際に江の島参詣に来て、各々景色など味わったのでしょう。

昨日8月19日(月)〜22日(木)まで旧暦のお盆です。この期間に、このことを書いているのは、密かに胸に生じた白菊への、わたしの衷心からなる御供養の気持ちなのです。
  

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