二期生卒業おめでとう!【霊山巡礼と狗賓の仕業】
- 2014.05.02 Friday
- 12:00
二期生卒業おめでとう!
【霊山巡礼と狗賓の仕業】
今日5月2日(金)は、八十八夜ですね。いよいよ夏も近づいてくるわけです。むかしの夏というのは6月あたりのことですね。
https://www.youtube.com/watch?v=qqBqghm8oB4 『仰げば尊し』卒業の歌
さて、この度の手箱大瀧神境巡礼で、二期生(昨年と今年巡礼した連中)はご卒業となりました。
以前の一期生とは、また違う形での卒業です。
卒業者は、今後わたしと一緒に修行することは、二度とありません。
これは、いたしかたのないことで、「山神界感通秘詞」「狗賓去るの秘言」などをお唱えせよと指導しているのに、全然憶えない、やらない、これでは不可ずです。
山に入っても、上記の「入山霊唱」や「入山護符」を持参しない人間は、狗賓(ぐひん)に取り憑かれるのです。
また「禊ぎ」しなければいけないと言っても、きちんとやらない。冬季の禊ぎを完遂する約束を違えて入山する。こういうのも「狗賓」に憑かれるものです。
「禊ぎ」は滝の冷水を浴びればよいというものではない。深い「内省」や「心の修養」がなければ、真の禊ぎにはならない。
狗賓とは、位の低い「天狗」のことです。こういうのは「魔界」「邪界」に接点を持つ霊物です。
辞書を引けば「狗賓」とは、天狗であり、うぬぼれの強いことであり、またそういう人とある。
食べ物に関して卑しいことをしたり、博打・勝負事に興じたり、師の許しもなく勝手なことを教えあったり、全部「狗賓」の所業です。
ですが、霊的に天狗が取り憑いたからという理由だけで、そういう下品になったのではありません。
元々、そういう部分があったのです。人を小バカにするような振る舞いをしたり、見当はずれの金銭を要求したり。許可もなく、置いてある食べ物を勝手に開封してケモノみたいに食べたり。
(※さらに言えば、どのような経緯で開封したのか詰問すると、二人で開けたとか、適当なことをいう。同時に箱を開けられる筈がないんで、初動時に誰がどうしたと正直に言わない。こういうのを姑息といい、嘘つきというのです。我が身かわいさに人の名前をだす。まさに狗賓(犬畜生)です。)
あるいは法友を「あま」呼ばわりしたり。卑しくて狗賓以外の何者でもありません。実際、顔がそうなっています。昨年と敬虔さ、態度と顔が違いました、二期生は。
ですから卒業の理由は一つや二つではないのです。積み重ねなのです。
そういうこと一切を、わたしが導師として、いま感じ、言い出したとでもお思いか?
それは違います。ずーと前からそう思っていましたが、自分で気付くのを待っていたんです。
因縁心癖や霊的原因の底の底まで、わたしはお見通しです。
一期生・二期生の卒業生、両方に言えることは、「慢心」が強く、師匠をどっかでなめているのです。
一期生は「信仰心が欠落していて、生まれつき信心が弱い」ことが卒業(脱落)の核心部分です。
二期生は「うぬぼれ強く、戒めなく、狗賓に堕ちている」ことが原因です。
大瀧霊境から今日知らせがありました。
「おまえの連れてきた者のなかに大瀧神境の一霊界宮殿を足で踏んだものがいる」という祟りです。
また「おまえの連れてきた者のなかに佛のほうの真言を神域で唱えたものがいたが不敬である」という祟りです。
まあ、いずれにしてもそういうことは、導師であるわたしのもとに来るわけです。
この霊祟や狗賓に憑かれていることは、卒業を記念して、わたしが責任を持ってすでに取り去る祈願神通を施行しました。
大瀧霊境の浄化力は抜群なのです。だから心して巡礼しないとダメなのです。
浄化に伴うクリーニングで自滅する結果になります。
今後はこれを力に換えていってほしいと思います。これがわたしが二期生に贈る最後の言葉です。
いまの心境は、哀しくもあり、嬉しくもあり、というところです。
しかし、わたしは新たなる法の峰に向かって、ただひたすらに歩むだけです。
いまの心境の表現
〔舌代〕
二期卒業者は、今後わたしの伝授した法の一切を施行することを禁じます。勝手に行なっていることがわかった場合、即「逆法」によって「霊祟呪詛の法」をかけるか、訴訟を起こし、相応の賠償をしていただきます。あしからず。
平成26年5月2日(金)
花角有川島龍徳 謹んでしるす
【霊山巡礼と狗賓の仕業】
今日5月2日(金)は、八十八夜ですね。いよいよ夏も近づいてくるわけです。むかしの夏というのは6月あたりのことですね。
https://www.youtube.com/watch?v=qqBqghm8oB4 『仰げば尊し』卒業の歌
さて、この度の手箱大瀧神境巡礼で、二期生(昨年と今年巡礼した連中)はご卒業となりました。
以前の一期生とは、また違う形での卒業です。
卒業者は、今後わたしと一緒に修行することは、二度とありません。
これは、いたしかたのないことで、「山神界感通秘詞」「狗賓去るの秘言」などをお唱えせよと指導しているのに、全然憶えない、やらない、これでは不可ずです。
山に入っても、上記の「入山霊唱」や「入山護符」を持参しない人間は、狗賓(ぐひん)に取り憑かれるのです。
また「禊ぎ」しなければいけないと言っても、きちんとやらない。冬季の禊ぎを完遂する約束を違えて入山する。こういうのも「狗賓」に憑かれるものです。
「禊ぎ」は滝の冷水を浴びればよいというものではない。深い「内省」や「心の修養」がなければ、真の禊ぎにはならない。
狗賓とは、位の低い「天狗」のことです。こういうのは「魔界」「邪界」に接点を持つ霊物です。
辞書を引けば「狗賓」とは、天狗であり、うぬぼれの強いことであり、またそういう人とある。
食べ物に関して卑しいことをしたり、博打・勝負事に興じたり、師の許しもなく勝手なことを教えあったり、全部「狗賓」の所業です。
ですが、霊的に天狗が取り憑いたからという理由だけで、そういう下品になったのではありません。
元々、そういう部分があったのです。人を小バカにするような振る舞いをしたり、見当はずれの金銭を要求したり。許可もなく、置いてある食べ物を勝手に開封してケモノみたいに食べたり。
(※さらに言えば、どのような経緯で開封したのか詰問すると、二人で開けたとか、適当なことをいう。同時に箱を開けられる筈がないんで、初動時に誰がどうしたと正直に言わない。こういうのを姑息といい、嘘つきというのです。我が身かわいさに人の名前をだす。まさに狗賓(犬畜生)です。)
あるいは法友を「あま」呼ばわりしたり。卑しくて狗賓以外の何者でもありません。実際、顔がそうなっています。昨年と敬虔さ、態度と顔が違いました、二期生は。
ですから卒業の理由は一つや二つではないのです。積み重ねなのです。
そういうこと一切を、わたしが導師として、いま感じ、言い出したとでもお思いか?
それは違います。ずーと前からそう思っていましたが、自分で気付くのを待っていたんです。
因縁心癖や霊的原因の底の底まで、わたしはお見通しです。
一期生・二期生の卒業生、両方に言えることは、「慢心」が強く、師匠をどっかでなめているのです。
一期生は「信仰心が欠落していて、生まれつき信心が弱い」ことが卒業(脱落)の核心部分です。
二期生は「うぬぼれ強く、戒めなく、狗賓に堕ちている」ことが原因です。
大瀧霊境から今日知らせがありました。
「おまえの連れてきた者のなかに大瀧神境の一霊界宮殿を足で踏んだものがいる」という祟りです。
また「おまえの連れてきた者のなかに佛のほうの真言を神域で唱えたものがいたが不敬である」という祟りです。
まあ、いずれにしてもそういうことは、導師であるわたしのもとに来るわけです。
この霊祟や狗賓に憑かれていることは、卒業を記念して、わたしが責任を持ってすでに取り去る祈願神通を施行しました。
大瀧霊境の浄化力は抜群なのです。だから心して巡礼しないとダメなのです。
浄化に伴うクリーニングで自滅する結果になります。
今後はこれを力に換えていってほしいと思います。これがわたしが二期生に贈る最後の言葉です。
いまの心境は、哀しくもあり、嬉しくもあり、というところです。
しかし、わたしは新たなる法の峰に向かって、ただひたすらに歩むだけです。
いまの心境の表現
〔舌代〕
二期卒業者は、今後わたしの伝授した法の一切を施行することを禁じます。勝手に行なっていることがわかった場合、即「逆法」によって「霊祟呪詛の法」をかけるか、訴訟を起こし、相応の賠償をしていただきます。あしからず。
平成26年5月2日(金)
花角有川島龍徳 謹んでしるす
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