旧盂蘭盆会【心静かに祖霊の冥福を祈る】

  • 2014.08.13 Wednesday
  • 00:00
旧盂蘭盆会【心静かに祖霊の冥福を祈る】

 
旧の盂蘭盆会の供養棚と迎え火の浄火
真ん中には「三界萬霊之牌」を安置する


◎追善ということ

8月13日(水)〜16日(土)は、旧のお盆(盂蘭盆会)です。

この期間は、心静かに祖霊や所縁の霊位の御霊をご供養・祭祀することが最もよいことです。ありがたいことに春・秋のお彼岸、お盆(新・旧)、各霊位のご命日、そして「幽政の秘機」と、年に何回もの追善供養・積善廻向の機会があります。

これが日本の霊的遺風というものであります。
戦後生まれの団塊の世代、その後の世代、東京オリンピック世代、さらにそれらの世代の子孫たち・・・。日本人の霊的遺風を遵守することは増々困難で継承が危ぶまれていると思います。追福・追善などという語自体が死後になってしまっている。

仏壇、御位牌、墓石などそれは単なる物ではありません。長い間のなかで培われた先人の知恵です。ですからこれらを巡ってまったく不思議なことが起きるのです。

まずは老いも若きも、産土神社にお詣りすることです。霊学・霊術の端緒というか守護の御神霊は産土神なのです。ですから、お通夜・ご葬儀など参列する時には、産土社に参詣するか少なくとも故人の霊魂の導きを産土神に祈念しなければならないわけです。

そのご神気を頂いて、そのご神気をもって祭祀ご供養する。ここに祖霊安鎮、祖霊追善供養の秘訣があるということです。

わたしは15歳の時から、死者のご供養に興味をもち、様々な遍歴の中で一貫して追求してきました。上記の秘訣がその結論の一つです。ですから、この点を押さえれば、特定の団体や方法によらずとも祖霊への追善はできるものなのです。
(※ただし、産霊(むすび)、いわゆる念の力の使い方は習熟が必要で、ここが初心と巳達の違いになるわけです。)

キリスト教などよりも死者供養に関しては、仏教や道教、神道などのほうが状況に応じた方法があるということです。

本日13日からは個別の御霊(みたま)の安鎮神法施行を致します。申込者の方は、郵送した「安鎮折型」でもってご供養し、当方は特殊な人型を作り「霊魂調形法」で神気感応に導きます。やはり追善供養は、個々別々のお名前を記して行なうのがよろしいのです。


◎善きたましいの人々へ

人が生きてゆくうえでは様々な環境があり、実際さまざまな人がおります。

現代のような時代では、むかしでは考えもつかないような犯罪や事件が起きてくるわけです。わたくしたちの先輩や先人たちからすれば、まったく理解不能の事態が起こっていると言わざるを得ません。

猟奇的な事件やストーカーその他の犯罪など取り巻く環境は苛烈さを増しております。
各人が気を配り気をつけて対処してゆくことしかないのでしょう。警察が介入するのは事件になってからですから遅い場合だってあるのです。

こんなシビアな時代ですが、わたしのもとには真剣に道を求め、共に研鑽する少なからざる仲間たちがおります。この方々とは一生のお付き合い、いわば「刎頚の友」であります。

このような方々と研鑽しあい、現場で人さまのお役にたつ。内容は、指圧の施術であろうが、整体であろうが、お話であろうが、その方の人生に善きものが与えられるのなら何でも良いわけです。

最近七夕・旧七夕もおわり、この方法をお教えした方々の人数を数えてみました。するとゆうに500名を越えていました。わたしとしては生涯で1000名の方々にこの有益な方法を直接お伝えしたいと念願しておりましたので、半数にまで到達したわけです。

昨日もご来院の方にこの方法を伝え、見る見る顔が明るくなり輝きました。出会った意味があったわけです。善き心の持ち主も沢山いるのです。

わたしの元に来て学ぶ方のなかに、患者さんを「笑い顔」にしてゆくのを第一の願いとしている篤信の整体療術師がおります。わたしたちは「皆さんに笑い顔になっていただく」、このような事を以て、療術(霊術)実践の大願としております。

出会いにはさまざまありますが、すべては因縁因果です。縁があるということは、前世に於いての関係性があったわけです。そこをどのように考えるのか?これは禅問答に匹敵する至難の提唱です。

それは心の中でいつも自分が笑っていることです。二元論に陥らず、すべて自分の顕現と悟って、それはまるで自分の首飾りの如きものであると知り、ただひたすらに彼岸の彼方に歩むことです。三界を遊ぶ、これを「神遊」というのです。

8月31日の講習会もすでに申し込みがあり、秋からはまた寒行にむけ、様々な霊地で精進してゆきます。志のある皆さんと共にひたすら「魂を磨いてゆく」、つまらない小事には拘泥せず、有益な行事をどんどんこなしてゆく。

「吾れことにおいて後悔せず 吾れ小事には拘泥せず 諸人に光と笑いを与ふる也」
自彊不息にして、固く且つ柔らかに在るものなり。訶々大笑


久々の登場じゃろー 光があって影がある、だからこの世はおもしろい   その辺の石ころ 路傍の小石もなんかのお役があるのだじょ〜 「ジェルソミーナ」がそう言ってましたー 小石はザンパノでまるで犬みたいな感じだったじょ〜

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