横浜写真館【西区の懐かしい風景】

  • 2015.02.18 Wednesday
  • 00:00
閑話休題

横浜写真館【西区の懐かしい風景】


わたしの母校の先輩たち(昭和30年11月 小学5年生)
(※わたしも写真に映っている校舎でクソガキ時代を過ごしました!)


 
懐かしい横浜市の市電(写真向かって左は中区、右は伊勢町付近)

 
御所山付近と野毛の切通し(※どこかにわたしが写っています!)

 
横浜の「山の手(山元町)」付近と市電の内部(こんな感じです!)

 
関東大震災と大東亜戦争時の焼け跡(横浜市中区西区付近)

横浜の市電は昭和47年頃(1972年)まで運行していた。その後、市電はすべて廃線になり、市営バスに取って代わった。

街の風景はどんどん変わり、わたしの育った町内には、知らない顔の人々が沢山いる。

子どもの頃にイタズラをして、よく注意してくれた、クソじじいもクソ婆も今は居ない。
(※永い旅路につかれました!)

わたしの母親などはすでに最古参の住人になってしまった。町内でも生家でも、生き字引的な存在になってしまっているようだ。


上記の小学生の写真は昭和30年に撮影。その時に小学5年生ということは、昭和19年生まれの人たちだ。この写真は或る書籍から引用したものだが、その本の著者は写真の5年生たちの担任の先生だ。古書店でこの本をわたしが見つけて、ここで見逃したら二度と手には入らないと思い購入した。熟読した上で、これを母校か横浜市立図書館かに寄贈しようかと思っている。

わたしは指圧療術および整体自然法の施術を職業としているわけだが、いままで約2千5百人以上の「戦争経験者」の年配者からお話を聞いている。軍人、スパイ、イ号潜水艦、東京大空襲、各地の空襲、南方戦線、沖縄戦、捕虜、満州、高砂族、終戦、玉音放送、と広範囲な話を詳しくうけたまわっている。いま聞こうと思っても、もう聞けない話ばかりだ。

そんなわけだから、施術しながら話をしているうちに、お年寄りの感覚が麻痺してきて「・・あなたどこで空襲に遭われたの・・?」などと聞いてくる。
わたしは「はい、育ちは横浜の港の近くです」と答えると、「横浜!それじゃ、大変だったでしょうー」と云われて気の毒がる。

本当に大変だったのは、わたしの亡き実父の世代の人たちであって、わたしはこの世に影も形もない。
ですが、せっかくの話しなので、上記の焼け野原の写真を思い浮かべて、「何もかも燃えて焼け野原でした」なんていうと、
「お互いにたいへんだったわねぇ〜」ということになる。こんな落語か漫談みたいな会話が十数年前までは案外あった。

いまでは戦争経験者も大分いなくなってきたので、冗談のような粋な話も少なくなってきた。そのうちに『指圧療術師の聞いた昔噺』とでも題して、千夜物語を書きたい気分でもある。

物や記憶はどんどん廃れてゆく、それは仕方のない事だ。

しかし、この空間で、いつの時代にはこういうことがあり、或る時代にはこういう物があったというような事を記憶し、記録にとどめておく必要がわたしはあると思う。それは些細な事でも、未来の人々の助けになる。いまを生きる者は、未来の為に何かを遺す必要がある。多くの先人が有益なものを遺してくれたように、わたしもそうありたいと思う。その意味で、この写真館記事は「栞(枝折り)」という意味合いを持つものだと思う。


そう言えば、栞は「枝折り」で、元は「しおる」なんだと 「しおる」とは、山道などを歩く際、迷わないように木の枝を折って「道しるべ」とする動作のことで、そこから道しるべを「しおり」と言うようになった  さらに意味が転じ、書物の間に挟んで目印とするものや、案内書などを「栞(しおり)」と言うようになった そう聞いたことがあるじょー 

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