超人類社会への道【新 寂玄術(2) 法の真髄は“愛”である!】

  • 2015.02.09 Monday
  • 00:00
超人類社会への道

【新 寂玄術(2)法の真髄は
“愛”である!】


新 寂玄術の土台

わたしのいう「新 寂玄術」の土台は、野口晴哉先聖の著書『大絃小弦』で述べられている『七夕の方法』を工夫したものである旨は前回の記事で述べた。

この方法は聖俗関係なく人事百般に応用でき必ず効果を現わす。




野口晴哉著『大絃小弦』

◎新 寂玄術の真髄とは?

『心の力』『念の力』を使うということは、法の構造として間違いのないことだ。しかし、それだけでは旧来の寂玄術の延長線上にすぎない。

たしかに寂玄術の中の『自己入術法』を発展工夫したという点において、免れることはできない事だと思う。だが、「
個人には霊能力を与え、全人類の和平を希求する方便・便法だということである」と述べた、わたしの理念からすると、テクニックだけでは埋めることの出来ないものがある。

それは何か?

それは『愛』である!!

次の章句を見てほしい!
『三歩先を見る能力を常に活用せよ、
 さもなくば、常に三歩後を歩むことになる。』



◎三歩先を見る能力

三歩先の『三歩』とは、『時間・空間・物質』のことである。

肉体・心・霊というものも所詮は、時間・空間・物質の制約を受けている。完全に超越している訳ではない。

時間や空間・物質を越えるもの、それは『愛』だ。

『無』の始めから在るもの、そして来りて帰るもの、それは『愛』である。

一切の思念も想念も念力も、一切の技術・技法も、『愛』から派生したものにすぎない。時間・空間・物質を越えているものは、唯一『愛』なのである。

「常に三歩後を歩む」とは、空間や時間、物質に支配されてしまうことを意味する。

旧来の寂玄術は、『三歩後』に連なっている。

真実に自分自身でいること。このことが『愛』ということである。自分に素直に居る、このことは身勝手な振る舞いとは違う。『本性』を覚るということ。それは悟りであり、投げ出すことであり、生かされていることへの自覚である。

是くして人は『愛』に生き『愛』に還ってゆくのである。

『新 寂玄術』と銘打つ霊術は、古代の叡智を内包し、斯く創生したものである!


釈迦の智慧と慈悲、キリストの愛、ゾロアスターの教えも全てその『愛』が真ん中にあるっていうことなのか?  おまえ新・寂玄術って宗教を越えた宗教の提示なんじゃねぇのー 時代は指導者を必要としているのではなく、各自が納得しながら自覚することを求めているっていうことでもあるのかぁ〜
 

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