言葉の限界を感じる(1)

  • 2015.09.21 Monday
  • 00:00

◎言葉の限界を感じる(1)


・口舌の虚しさ


今さらながら口舌の虚しさを感じています。

昨日「仙人食講座・序章」というものを行なったわけですが、前提の知識と云うものが一人一人ちがう訳です。ですから言葉が伝わらないという傾向があるわけです。

30年かけて学んだものを1年2年で教えきること自体が不可能です。しかし、わたしとしては誰でもがというと、非常に難しいのですのですが、大抵の人が共有できる“秘教的な教えや手法”をシェアしたいのです。

今回は仙人食ということですが、お塩について正確に学んだのです。実際に食べて、実物を各々が得て、説明も行なったわけです。心や魂は、肉体のサヤの中にあります。肉体を離れて存在しません。先ずはその肉体を健全にして、一個一個の細胞にまで教えを浸透させる必要があります。

そのために食事というもの、食事法というものを見直して、食物をマントラや観想で加持してから戴く必要性があります。

こころは主に心臓の部位に存在しますが、頭にあるという人もおります。たしかに心臓や頭にあるのですが、もっと深く考察するならば、一個一個の細胞、60兆個の細胞すべてに“心がある”と感じて、食物を通じて教えを吸収しなければ、この身、今生で霊的に進化することはほとんど不可能です。

聖者として生まれてきた人間は、このようなことを自然にやってのけてしまうのです。しかし、凡夫の身で生まれてきたものは、このようなことはできないのです。食事作法のようなものから学び、真の秘教的な知識を学ばない限り、比較的低いレベルの境地にしか達することはできないのです。

これは肉体、エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体、ブティ体と上昇する体のなかで、精々エーテル体どまりの知見しか得られないことを意味します。世間でいう、霊能者や普通の行者は、エーテル体止まりなのです。気功師や整体師もエーテル体どまりなのです。

アストラル体を得て自由自在の境地にまでゆくことは、ほとんどできないのです。
真実に霊的な自由自在を得るには、食事法からはじまって、睡眠法、躰動法、真のみそぎを得なければ為すことはできません。

日本的な秘教の実現方法、こういうものをわたしは既に得ており、先人でこれを知り、付与した人を寡聞にして知りません。偉大な先師先覚はおられますが、秘教的な知識でもって、日本的展開の宇宙規模の教えを述べた方はおられないのです。

残念ながら、わたしのもとに来る方々でも、このことのほんとうの価値をいまだ分かっていないようです。それは無理もないことなのです。わたしが教えの全貌を語っていないのですから・・・。

わたしはこれらの悟りを一冊の本にしようと思っております。年末までに原稿を書き上げようと思っています。きっとバカ売れはしないでしょうが、それでもそのことによって、より多くの人々がわたしを訪れることになるでしょう。

ますますわたしは時間がなくなり、いままでのように親しくお話しできる時間はなくなるでしょう。ですがそのことはわたしの本意ではありません。

昨日、小グループのサークルの可能性を述べましたが、あなたはどう思いますか?それが可能なのか?そのような思いがあなたに在るのか?

昨日参加したあなたに問いたい。またこれから縁のあるあなたにも問いたい。

共有することはお互いを尊重することです。疑いの心や、増上慢の心があるようでは共有することはできません。教えはむしりとったり、見下していたのでは共有できないのです。自分の性質をもっと進化させ、自然に共存し共有する心を成長させなければ、ほんとうに進化、霊的な発展はないのだということを、あらためて表明したいと思います。

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花角有 川島龍徳しるす

 

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