整体自然法【自然の心 天心(リクパ)を確立する法】

  • 2016.12.09 Friday
  • 00:00

 

整体自然法【自然の心 天心(リクパ)を確立する法】

 

 

 

◎鈴木天聲 著『人格向上 精神療法録』

 

 

『人格向上 精神療法録』鈴木天聲 著(長光堂出版部)

第九章 第五節「精神統一法」より抜粋
「…元来文字なるものは是思想表明の記号にして思想を離れてそれ自体には何ら意義もないのである、而して日本語は精神界の出来事を記するには極めて不適当である、故に文字のみに拘泥する様な事があれば決して其真想を理解する事の出来るものでないから、此点を心に明記して之を解釈するに当り、文字以外の真想を会得する様に心掛なければならぬ、今述様とする精神統一という事も単独なる文字丈の解釈にては甚だ漠然たるものであるから一通説明しなければ諸君に充分なる理解が行なからうと思ふ。」
普通、瞑想法などの指導では精神統一というと、息の回数を数える『数息観』とか『随息観』などをまず説明する。
これは天台大師智擇1400年以上前に記した『天台小止観』からきているのであり、さらには原始仏教の安那般那念法という呼吸の数を念ずる方から採用したという事なのである。
すべてインドから来て、中国語に翻訳され、さらに日本語にされ、それをもって冥想法(禅定法)の指南書の根本に採用しているのである。日本の仏教は(仏教だけではない)、この『小止観』の指導の範囲は出ない。これは実に恐ろしいことで、翻訳の翻訳というようになっている以上正確に表現できている訳がないし、インド・中国・朝鮮・日本の文化はあまりにも違いがある。風土も全く違う。
上記の鈴木天聲師の文章を見ていただきたい。これは名文であり、道をゆく者が心得ておかなければならないことが記されている。
『人格向上 精神療法録』鈴木天聲 著(長光堂出版部)
◎精神統一に対する妄想的見解
精神統一というと、極致は「無念無想」だという人間が出てくる。しかし、そんなことは不可能であることが完璧な説明で記されている。修道者はこれを忘れてはならぬ。
「無念無想」ということは精神統一において不可能であり、方法としては違うものになるということである。
(※この点、詳しい口伝がある。実地の指導で教授する)
一つだけ云うと「無念無想」はないが「無心」「一心」ということはあるのだ。
とにかく熟読玩味していただきたい。
「如斯いへば、其精神統一といふは、禅学者の所謂無念無想の事ではないかといふ人もあるけれども、之はそれと同一ではないのである、禅学研究者無念無想といふ事を一つの理想として居るけれども之は三十年五十年、否一生涯之を需めんと努力した處で決して得られるべき性質のもではない、無我とか無念無想といふ事は言の上丈にて出来得る事にして、事実出来得る事でない、何故なれば心なるものの形式は動である、而して無念無想ちいふ事は心の静的一方面に過ないからである、世の中には総て二面的である、寒と暖、暗黒と光明、善と悪等の如きである、而して善や暖や光明は積極的実在であるけれ共、寒や悪や暗黒は之皆消極的非実在である、非実在に到達するといふ事は言の上にては出来得るけれ共実際には出来得ない事である、故に無念無想の域に達せんとして努力する事は、恰も嶺なき山の頂上に達せんとするに等しく無益の努力である、無我の境とか無念無想と云ふのは、其実は忘念迷想の拭払はれたる本然の心霊の自由に、活躍する状態を指すのである、餘事は扨置然らば精神統一をするには如何にすれば宜しきやと云ふに、其答は只一語練習と云ふ事より外には良き方法はないのである。」
失礼かもしれないが、読者の大半は上記の文章まで到達することが出来ず、この生涯を終了することになろう。
だが、このブログを見たのも何かのご縁(よすが)なので、後世に遺すということも含めて、優良な教えを提供しようと思う。
(つづく)

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