竜徳霊諭【神通秘道を示す(22)】

  • 2017.02.18 Saturday
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竜徳霊諭【神通秘道を示す(22)】

 

 

 

◎大学教授との話

 

先般ある元大学教授の勉強会に出席した。星の巡り会わせである。その方はいくつかの著書もあり、その道では有名な方で、非常に気さくなお方だった。

 

わたしは自分に必要な講義だけを受けて、そそくさと帰るはずだったが、生来の腹の虫が出しゃばりをやってしまった。聴いているうちに修正箇所や補足箇所が分かってしまうと口を出さずには居れなくなる。まったく出過ぎの良くない癖だ。だが他で聞いている人の勉強になればと思いついついサービスしてしまう。

 

講義が終わって、その先生曰く「研究していることを実践としてやっている人をはじめて知った。大変良い勉強させていただきました。知らないことを沢山教えて頂きました。」

勿論、わたしも息を止めて深々頭を下げて今日のよき勉強の礼をしたのでした。

 

 

◎神通に至るこだわり

 

写真に掲げた雑誌は「日曜報知」第127号。昭和10年9月1日発行。昭和10年は西暦1935年です。終戦の10年前。今から82年前のものになります。なんでこんな雑誌を示すのかというと、それは「神通秘道」を行くための執着心を語るためです。執着する心、こだわる心です。職人根性というものにも通じるかもしれない。だが頑なでは不可ない。頑迷不霊というのではない。工夫し新たなるもの、真実を容れる柔軟性がなくてはダメだ。

 

この雑誌を目にしたのは約10年前。或る古本屋もう廃業なので商品を叩き売りしていた。それはタダみたいな金額だった。まあそんなに出物があるわけでもないので、少し買ってみようかなという感じだった。その中のひとつに昔の雑誌があった。パラパラとページを括り見ていると目を奪う広告があった。それは「産婆・看護婦 独學でなれる!」というものでした。

 

今の時代では考えられないことですが、医学の進歩が今ほど発達していない昔では、看護婦(現在は看護師)は医者の手当の助手ぐらいにしか思われてなかったのでしょう。高度に発達している今の医療では医師も看護師も医療スタッフということで一体で高度医療を支えています。そのお陰で日本は世界一の長寿国になっているわけです。

 

ですが82年前は通信で免状がもらえる。「婦人もまた自活の道を!」とか広告されている。この雑誌買おうかなと思って明日また来ようと思って翌日行ったらほとんど物は無くなっていました。たった50円のものを逃してしまった。わたしは不覚にも雑誌の名称も忘れ、ときどき思い出すということになった。

 

 

片っ端から昔の雑誌にあたれば案外早く手に入ったかもしれませんが、運の巡るのを待ち、時々クライアントの方との話題で「昔は看護婦も通信教育で免状が取れる時代があったようです」とかお話していた。それから数年が経ち、ふとしたことから「日曜報知」を見た。それは127号ではなかったが広告に同種の香りを感じた。

 

そこで同雑誌を調べて購入した。その中に数年前に偶然見た広告があった。82年前の広告のことを書く人なんかそうはいないでしょうが、いまこれを遺しておく義務があるんじゃないか。どんなことにつながるか分からないが責務である。そんなふうに私は思うのです。一例にすぎませんが、こだわり、善き形の執着心、コントロールされたこだわり、これが「神通秘道」には必要なのです。拘泥ではないのです。

 

 

◎神通に至る礼儀作法

 

それから礼儀です。師表、先生というのは「栞」であり「枝折り」道しるべのことです。転じて私流に言えば「師降り」「師居り」なんです。

 

師を越えてゆけ、そういう風にいう人もいますが、それは或る側面を言っているのであって、文字通りではないんです。そんなことでは本当のものは教わることはできないのです。ましてや本当のことを教えてくれている師を陰で罵倒したり、ライバルのように勘違いしていたのでは、お話にならない。弟子の資格はない。

 

よくわたしの元にも質問がくるんです。色々書いてある。みなさん知りたいのでしょうね。しかしそのどれもが礼儀を欠いています。

 

心得が違っている。私は厳しそうで案外気さくに何でも話します。法でも術のことでも案外話しをします。言わないことは絶対に片鱗すら口にしませんが・・・。だからかもしれませんが、気さくに訊ねるんですよ。ですが敢えて言いますと、師匠は自動販売機でもなければ、ゴミ箱でもないのです。

 

お金を入れれば物が出てくる。答えが出てくる。自分の思い付いたことを何でもかんでも先生に言う。ゴミ箱ではないのです。

 

わたしは自分の研究による膨大な余慶があるので これを収斂してさらに密度を濃くして一滴のものにすれば もう出来上がり。そういう段階に来ているのです。どうでもいいものは必要なし。そのような境地に37年の歳月をかけて既に到達している。

 

話すという事、何かを連絡して見てもらうということは、時間を奪う事なんです。それを考えて師と付き合う。これが礼です。境涯が同じようだと思うのならば、その時点で師匠の価値もなければ弟子の価値もない。これが心得です。これらのことをきちんと分別して礼儀を作法として具現できなければ「神通秘道」は不可能です。

 

 

◎コマーシャル「鬼髑髏(御神桃)の首掛け御守り」

 

今回は『鬼髑髏(御神桃)の首掛け御守り』のコマーシャルです。

首に掛くる仕様で、常時携帯する御守りになっています。

このお守りの中には御希望により別の護符板もこめるものです。ただし届いたら必ず身に着けること。もし身に着けない場合は神棚に丁重に安置すること。同封する護符は富貴を集めるものですが、粗末にすると逆の作用が出てきますから、気をつけないと不可ないのです。

希望者は御一報ください。

 

節分の頒布の(ご神桃)鬼髑髏は家の守護にまで及ぶものです。既にこれを受けている方には、格安で携帯守りを授与します。

 

写真で示したものは小粒で稲荷社ゆかりの鬼髑髏(御神桃)です。

今回あらたに受ける方も、自分で全部調達して祈祷して謹製することを考えたら、はっきり言ってタダみたいなものです。時間、謹製、資材調達、祈祷など個人で正確に行なうにはどれだけ手間が掛かるのか考えたら分かると思います。

 

この鬼髑髏携帯御守りを受けた方は3月に予定している(4月に変更することあり)講習会に参加権を得ます。なぜかというと、邪気祓い、富貴集氣がなされている同志で法を共有すべしという、高級界からの御指導があったからです。

 

この御神桃(鬼髑髏)、鬼髑髏秘符、富貴秘密符などが貴重なのですが、一番の価値は「念入れの儀」をもって謹製しているからです。俗に「念入りにやる」とか言いますね。ここに大いなる秘伝があるんです。

 

  

 

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