霊的供養の話し 變遒瞭きは間違いなくある】

  • 2018.11.12 Monday
  • 12:00

霊的供養の話し 變遒瞭きは間違いなくある】

 

仝徳の廻向

平成最後の大司命節も無事に終結しました。

新たな時代のはじまりです。

 

さて早速わたしの身辺で霊的な現象が出ています。

私は今生の誓願として、ご縁の有ったお霊を生涯にわたり廻向してゆくことをきめました。

そのことは以前に述べました。

 

今回その誓願を受けて幾人もの方から、御香供養や灯明など奉献供物の御寄進をいただきました。功徳は撒くことで生えてくるのです。その幣帛御供養のお志で何百と言う柱のお霊が、毎日わたしの御真言読誦、看経読経、廻向によって御供養されています。その功徳は施主とその方の御先祖に必ず行きます。

 

祈願はできるが霊供養はできるのか?

何をお霊に廻向するのでしょうか?

それは功徳なのですが、亡者に対してそんなことができるのでしょうか?

みなさんはどう思われますか?

 

大司命節の半ば、わたしは功徳廻向ということ、祖霊の供養の実際、霊供養の功能ということについて考えました。

先ず、わたしができるのは、真の佛縁をつけることである。このなかには神様のほうのことも入ります。どうすればご縁をつけれるのか?

 

すべてはそのご本人次第ですが、それは生きていればこそできることなのです。

死んだら手も足も出ないのです。死んでも自由にできるのは、ある段階に行った霊的に優れた者のみなのです。

 

死んだ人には、佛縁をつけてあげること。来世に真の佛縁が生じるようにお手伝いすることです。その方法はさまざまありますが、一番の秘訣は、功徳廻向する祭主僧侶が、確実に涅槃と結びついていることです。つまり釈迦如来と結縁できていること。そして完全な「帰依」が出来ていることです。真の帰依だけが真如のニルヴァーナ(涅槃)に結びついています。来世に於いて、この帰依が出来るように縁をつける。これが仏因をあたえることです。

 

神の世界も佛の世界も究極は涅槃界をめざしますが、どちらかというと神の方が難しい。あまり便法がないのです。祓い清めるという道を実現できる人は、謫仙の方か、人間でも相当清らかに生きれる方だけです。

 

大抵は佛縁による霊的進化ということになる。

ですからこの「帰依」を付与するという祈願はできるのです。

ようするに「願い」ですから。それに対して「霊的供養」とは霊の供養であり、慰め布施し事物をも届けるものです。そのようなことが可能なのか?

 

今まで私はそれは有りとして行ってきましたが、本当に靈の働きで示してもらいたい。そう願っておりました。物理現象を伴う形で、霊供養の機序というものを示してほしい!そう願っていたのです。

その願いが、11月9日大司命節明けすぐに現象化しました。

 

さあ、霊的供養の話しの始まりです!

 

 

花角有遷 龍徳慈

 

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