【冬至年筮・易の神は応答したか?】付録:霊的供養の話し

  • 2018.12.22 Saturday
  • 22:47

【冬至年筮・易の神は応答したか?】付録:霊的供養の話し

◎冬至の『儒家年筮』
今日でも明日でも、年筮は吉。
銭を投げる(擲銭法)でも、骰子(サイコロ)の易でも、本格的に筮竹を用いても何でも良い。

無心になって一占、神に通じる。

易聖の高島嘉右衛門翁は「一度も易の神は裏切らなかった」と述べています。その占断的中のすさまじきことから、後世、高島の名をかりた高島易流派が続々と出てきました。暦に高島易の名があるのを見たことがあると思います。

易の神は、無欲になって訊ねれば必ず応答してくれます。
ここで貴方に易の神に通じる秘言(祝詞)をお伝えする。しかしこれは一般的なものです。が、効果は間違いなくあるものです。

 

【易占の祝詞】〔伏羲、神農、文王、周公、孔子聖人および鬼谷先生、翻卦童子、翻卦童朗および空中通過の一切の神祇、今私〇〇〇〇は、〇〇番地、姓名(某名〇〇)、某年月日生まれしは、今〇〇のことで憂疑未決なれば、慎んで誠心誠意三十二課内において一課を占い吉凶禍福、成敗興亡、報応分明急々如律令〕

【読み方】〔ふっき、しんのう、ぶんおう、しゅうこう、こうしせいじんおよびきこくせんせい、ほんかどうじ、ほんかどうろうおよびくうちゅうつうかのいっさいのじんぎ、いまわたくし〇〇は、〇〇番地、姓名某名〇〇(名前を入れる)、某年月日生まれしは、いま〇〇(占う内容)のことでゆうぎみけつ、つつしんでせいしんせいいさんじゅうにかのうちにおいていっかをうらないきっきょうかふく、せいはいこうぼう、ほうおうぶんめいきゅうきゅうにょりつれい〕
ーーーーー
【付録】
◎霊的供養の話し
死者の霊供養はできるのか?
霊的供養の話し,任蓮祈願はできるが、供養はできるのか?という話になりました。
要するに、死者の成仏を祈願することはできるが、追善の供養で死者の成仏に効果があるのか?ということだ。例えば親戚が亡くなったとする。その人に徳を廻向するので、少しでも良いところに逝ってほしい。成仏の道を歩んでもらいたい。それが本人以外の他人がやって効果があるのかという問題だ。

この問題は、死者の成仏・成仙を願う祭主や僧侶の問題と、そんなことが可能かという問題になろうかと思う。誰にもできないことならばやっても意味がない。あるいは徳や能があればできるのに、実際のところ何の果報もないというのなら、それは祭主・僧侶の問題ということになる。

 

たとえば死後に非常に困難な状況にあるとする。その場合、子孫の誰かが追善供養の廻向を行なったとする。実際、困難にあったのはその死者の行為や業によってなったのであるから、その者以外にはどうすることもできない。これだけが唯一の答えだとしたら、先祖の供養を行ない廻向する意味もない。また廻向の法を修するといってもそれを見極める能が無ければ、盲滅法ということになり、これは先祖供養の名を冠したダルマビジネスに他ならない。

 

答えをいうと「七分獲一」と言って、死者は七分の一の功徳しか得られないという。だがまるっきりゼロではなく、三宝(佛法僧)への供養の功徳は無尽であるから、やがて仏因を得る功徳は獲得できるということである。この場合、追善廻向を執行する祭主・僧侶が、正神界もしくは涅槃界(ニルヴァーナ)に繋がっているのかということが一番の問題になる。

 

仏教者の場合、涅槃に通じている佛縁を持っていることこれが最重要のことで、この佛縁を持つ者は死者から見たら光って見えると思われる。そのことを彷彿とさせる事実譚があるので、次回それを述べよう。

 

川島徳慈しるす



 

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