ゆく年くる年【年災祝詞を修唱せよ!】
自然福智会 所蔵 弁財天尊
本日は大晦日。
いよいよ2012年、平成24年はおさらばです。
明日からは、2013年、平成25年、皇紀2673年です。
占星術的には、いよいよ『宝瓶宮(アクエーリアス)』の時代の完全な到来です。
日本人は古来、『折り目』『節目(ふしめ)』を正しくし大切にしてきました。
皆さんも偉大な時代の到来にあって、折り目節目を大切にしてください。
吾が会の方々は『年災祝詞(としのわざわいをのぞくのりごと)』をあげてください。
星廻りの災いを無くしてゆく、軽減してゆくことを祈念するのです。
大晦日の朝でも夕でもかまわないので。
さて、各位におかれましては本年もありがとうございました!どうぞよいお年をお迎えください!
謹しんで記す 川島金山
- 2012.12.29 Saturday
- 00:00
金山講話【不景気だった今年について述べる】
公開の年末講話↓
非公開の講話(※会員のみ限定です)↓
【正月の折形をつくる】 恒例のお正月折形と紅白の招福折形である。
『折形』は、「かたどり」であり、「おりがた」と読むのである。
日本の文化の特徴は、『型』である。
『型』が無いのは、「型なし」で、『型』を越えるのを、「型破り」という。『型』がなければ、型破りにもなれない。
『型』とは、先人からの智慧・技能の結晶だ。
『型』とは基礎である。基礎なくして、モノの上手には成り得ない。
何事もしっかり、繰り返し繰り返し、『型』を学ぶことである。
福を招く折形、熨斗など、今後は是非とも自分達でお守りなど作りたい。
年末年始の塩川御社への奉納供物は、徐々に揃えられている。
注連縄、幣、若松、お鏡餅、お神酒、その他である。
是くも盛大に御供養を執行されるのは、時久しいのではないかと思う。
- 2012.12.27 Thursday
- 00:00
【龍口明神社 祭神・五頭龍明神】
龍口明神社(りゅうこうみょうじんしゃ)。
この神社の旧社跡は、片瀬江ノ島モノレール駅の至近の場所にある。
かつて『五頭龍王』が住んでいたとされる、小高い山がそれである。
龍口寺(りゅうこうじ)の山門の向かって左側に旧社はあるが、荒れ果てていて、すでに御神体もそこにはない。
荒廃した一番の原因は、大正12月9月の関東大震災にさかのぼる。大震災でお社がかなり瓦解したという。
時を経て、昭和50年代に漸く移転が決まり、西鎌倉の丘の閑静な地に、いまは佇んでいる。
この龍神は、江ノ島の弁財天女とは夫婦神であり、海神界(わだつみかい)の神である。
この社は、五頭竜王と共に玉依姫命(たまよりひめのみこと)を奉祀している。玉依姫命は、初代天皇であるカムヤマトイワレヒコ(神武天皇)の御母神である。
昨日のブログにても書いたが、この竜王のご神示によって、ここが斬首の刑場になったのである。その刑者の血によって世に中がよくなるという示唆があったのである。
そういえば、洗足にある洗足池も、日蓮上人が足を池で洗ったことから、是く名付けられたのである。いまでも同じ場所に袈裟掛けの松がある。上人が足を洗う際に、袈裟を松に掛けたというのだ。
先の新社には片瀬江ノ島からモノレールでゆくが、山の尾根を通っていて面白い。実は、この鎌倉に連なる山々は龍蛇体であり、大体龍の腹部あたりが、いまのお社だといわれている。
なるほど鎌倉の地が、幕府を開くために選定されたのも頷ける感じがする。
やはり、政治(まつりごと)は、祭事(まつりごと)と共にあったのである。
龍口寺の境内の左側から山上にゆくと大きな仏塔(ストゥーパ)がある。これは、日蓮宗の藤井日達上人が建立したものであり、ここから江ノ島を眺めると、夫島、婦島であることが理解できると思う。
会社に勤めていてクビになりそうな人、クビになったほうが道が開くような人は、ここを参詣するとよい。少し日蓮上人のご辛苦を想起してみたら、自分が如何に幸福か知ることができよう。
そして勇気百倍となろう。
- 2012.12.26 Wednesday
- 00:00
江ノ島信仰【日蓮上人 龍ノ口の法難(2)】
ある運命鑑定を生業としている研究者の著述から、日蓮上人の事跡をみてみよう。
日蓮は、承久4年2月16日生まれ。
法華一乗、『南無妙法蓮華経』の題目による衆生救済を決意したのが、建長5年4月28日。日蓮の月の凶運期。
この因縁をもって『法難』は約束されたという。
この月に広宣流布(こうせんるふ)の宣言をされたことに、日蓮生涯の『法難』の原因があると説く。それによって「本化上行(ほんげじょうぎょう)」の自覚が得られたのかもしれないが、あまりにも苛烈(シビア)である。
建長6年、鎌倉で辻説法開始。瓦や石が飛んできて、早くも凶運期の影響が出る。
文応元年7月16日。日蓮の本命星・大火星と巡り来る星宿・鶉火星(しゅんかせい)の冲(ちゅう)する凶日。この日に、『立正安国論』が鎌倉幕府に提出された。
その結果は8月27日、松葉ケ谷の焼き打ちとなった。
弘長元年5月12日、日蓮は伊豆に流され、爼岩(そがん)の上で襲いくる激浪のために生命の危機にさらされた。この日も、本命星・大火星と星宿・大梁星が激突する最悪の時だった。
文永元年11月11日、小松原において、東条景信に襲われ、日蓮は額に刃傷を受けた。この日もまた、本命星・大火星と巡り来る星宿・鶉火星のぶつかる凶日。
母の死去が、文永4年8月15日で、凶運期の日。
翌年の文永5年の春から2年間、大凶運期の年廻り。この最中に、執権はじめ極楽寺の良観などへ激越な書状を11通発す。
これが原因して3年目の文永8年9月12日。この日、伊豆流罪法難と全く同一の本命星・大火星、星宿・大梁星激突の大凶運日。推命でいう、「天剋地沖」である。
さすがの日蓮も龍ノ口の土牢に入れられて、死を覚悟した。「八幡大菩薩はほんとうに居るのか。何処にありや」との旨の言葉を馬上から叫ぶ。
しかし、日蓮は江ノ島方面から発せられる光(一説の落雷という)により、奇跡的に死罪を免れた。
これが世にいう、「龍ノ口の法難」である。
この後も、大凶運期の星宿の激突が度々つづく。
これが日蓮上人でなければ、とっくに生命はなかったと思われる。
おもしろいのは、日蓮という人は、よく暦の読み、すなわち28星宿というものの見方をも遺している。日蓮宗では独特の妙見菩薩(北極星)信仰が篤かったりする。
また、木剣という法具を用いたところの祈祷法も充実している。密教以外では(仏教系のなかでは)おそらく日蓮宗が最勝の呪力をもっているものと思う。
『龍ノ口の法難』の場所は、昔から斬首の刑場であり、ご神意によって、それは為ったものであるという。
『五頭龍神』のご神示によって、ここにて罪人の血を流せば(つまり斬首せば)、必ず世の為になると。
だから元々ここには『龍口明神社(りゅうこうみょうじんしゃ)』が奉祀されていたのである。現在その社は西鎌倉にある。
不思議なことに、龍口にゆき参詣すると、首が強くなる感じがするのだが、少し痛くなるのは妙である。
この寺には、上人が斬首されそうになったときに座ったという『敷皮石』が奉安されている。(※上の写真)
江ノ島信仰【日蓮上人 龍ノ口の法難(1)】
江ノ島・中津宮附近からの遠望
神道者では、日蓮上人が嫌いだという人は多い。
わたしも実際のところ興味がない。しかし、日本の仏教史上、弘法大師空海以来の坊さんで、法力ある僧は、日蓮が随一ではないかと思われる。
彼は、蓮長(れんちょう)という法名を授かり、比叡山にて修行を重ねた。「一切経(すべてのお経)」を数度読破し、その上で「法華一乗」の道を選んだ。
中国の天台大師、日本の聖徳太子、伝教大師最澄の系譜にあって、それらの聖人を凌ぐのが、立正大師日蓮である。
房総(千葉)九十九里浜の出で、それも漁師。これはわたしの父方のご先祖さんとは同郷である。だからわたしの父方は、日蓮宗である。
その因縁の為に、法華経二十八品のうち、方便品第二と観世音菩薩第二十五(観音経)は16歳くらいから読経していた。
日蓮信者の短絡的、異常な信仰は大嫌いだが、日蓮の不屈の精神はすばらしいと思う。
日蓮だけではないが、鎌倉時代の祖師仏教の開祖は皆、流罪などの罰をうけて、いわゆる『法難(ほうなん)』に遭っている。
法を説くということは、そういう負の面も伴うものなのである。そこを越えて真実を説くところに、法を説く者の面目がある。
昨日、日蓮の法難一つ、『龍ノ口の法難(たつのくちのほうなん)』の舞台、現在の『龍口寺(りゅうこうじ) 』に趣いた。
ここは元々、江ノ島と一対を為す、小高い山の聖地なのであり、江ノ島信仰探索の一つとして行ったのであった。
日蓮の法難は、文永8年9月12日(1272年)に起き、翌日の9月13日に奇跡が起きたとされている。
此処には、日蓮幽閉の土牢があり、刑場跡でもある。毎年、9月12日には、盛大に恒例行事が催される。つまり、首のつながる功徳があるわけであろう。
弟子の日正が、師のお徳を偲び、像を彫り、庵を結んだ。それによって今日まで、片瀬江ノ島の地に現存している。
実は、この寺のある、小高い山こそが、江ノ島弁財天と対の夫神、『五頭龍神(ごずりゅうじん)』の鎮座していた龍窟なのである。
これには、由縁があるのだが、それを述べる前に、日蓮法難の件について、占星術的に解釈をほどこしてみたいと思う。
(つづく)
特別修法【聖なる深淵にて】
昨日、塩川の聖なる深淵にて、皆さんの祈願された符をしずめて、法楽をささげた。
写真のように白縄の先端に符をつけて、聖淵に投入したわけである。
この淵の中心には人間は入ることができない。そういう秘処である。
先般の『年筮会』において、正月のお神酒、御鏡餅などの御供養を納付していただいた方の霊符を聖淵にしずめたわけである。(※1口千円にて、まだ申し込みを受けつけています。千円は「仙縁」に通じる)
また、昨日の早朝の禊ぎ行にては、皇室および天皇陛下のご健康と御徳を感謝しお祝いした。禊ぎの言葉に『朝夕に 神の御前に禊ぎして 皇が御世につかえまつらん』とあるが、寿ぎ(ことほぎ)とはこのことである。
これから年末年始にかけて、わたしは皆さんのご健康とご活躍をご祈念申し上げる。
- 2012.12.20 Thursday
- 00:00
【恒例 冬至の年筮会・秘伝伝授】
もうすぐクリスマスですね!(とくネコぱんサンタより)
12月21日(金)は冬至であり、恒例の『年筮会』が行なわれる。
追悼の為のお祈り、年筮と続く予定。
本日、わたくしは玄法の簡易秘伝を伝授・講義する。
会に参加する方、みんなよく頑張っているからだ。
祈りは一人より二人。二人より三人、五人のほうが力強くなる。
何人の人が寒の禊ぎに参加するか楽しみである。
わたしの来る年のテーマは「建立」と「水」だ。
また、江ノ島の神様から最近、清掃をしてくれという主旨の啓示を受けた。特に島の外側の海辺のことのようである。
参加者がどうのような決意をし、指針を得るのか楽しみである。
- 2012.12.19 Wednesday
- 22:24
祭事=政治のタブーについて述べる(3)
わたしが言いたことは、どの政党がよいとか悪いとかではない。
政治家、国民とも共通の「ありかた」について論じているのである。
また、特定の宗教を論じているのでもない。
この問題は、新渡戸稲造氏(にとべいなぞう。旧五千円札肖像)が、アメリカで受けた衝撃から少しも変わっていない。
新渡戸氏は、日本では宗教教育を如何にしているかを聞かれ、答えに窮したという。宗教教育はないと答えると、相手の白人(先生)からそれでどうやってまともな人間育成ができるのかという主旨のことを言われてしまう。
彼は、そこで考えに考え、日本には「武士道」があると思い至る。西洋に「騎士道」があるように。
「武士道」とはなにか?是くして彼は名著「武士道」を書き上げた。
新渡戸氏がいう武士道とは、義と勇、礼や仁など、様々な武士道の徳目がある。特に大事なものは、義と勇であり、流されずに正義を守る勇気を持つ者こそが、真の武士だと新渡戸氏は記した。
また武士が目指すべき究極の目標として、忠義をあげた。忠義を守ることによって名誉を得ることが、武士の到達点であるとしたのだった。つまり武士にとって、忠義とは、他人から強制されるものではなく、自己実現のあり方だったのである。
「ありかた」というのは、こういうものでもよいのである。信仰心でもあり、信条でもある。
だが、である。やはり古来、古代からある宗教の力は、わたくしたちのDNAのなかに脈々と受け継がれている。
わたくしたちの血の中に、日本における、神とホトケがおわすのである。
日本では、諸仏といい、八百万の神という。色々なお役目の多くの神々がいらっしゃる。
日本人の特色を考えてみよう。例えば、パンというものがある。このパンとあんこをくっつけて「あんぱん」を作る。カレーとパンを合体して「カレーパン」を作る。これはすごい創製だと思う。
考えてみると、こういう例えのなかに、本質がある。
パンのなかにあんこ、パンのなかにカレー。どちらも同じことに気づかないか。発想の元は、「つつむ」「むすぶ」ということなのである。
そう、「おむすび(おにぎり)」こそが、原点なのである。
「むすび」「つつみ」「たたみ」この行程を精致にやってゆくことで、よりコンパクトにし、性能もよくしている。日本人の本質には、多くの神々ホトケを認め、「つつむ」「むすぶ」というような技能があるのである。
「縁を結ぶ」という言葉などは、縁は仏教の教えであり、むすびは神道のほうの教えである。神仏の教えが合体している。知らず知らずのうちに、日常の言葉のなかに、神ホトケの教えが入っている。
以上のように日本人の深層意識には「ありかた」の根本があるのだと思う。
きれいに「むすぶ」ことで、立派に建物もできる。建物の技術の根源は、宮大工の仕事にある。神社の鳥居の創製などまさしくそれである。
日本の町の美しさや清潔感は、こういう「ありかた」からきている。生き方もまたそうなのである。折り目正しくそれができない、それはこの根本を日本人が忘れてきているからである。
わたしは、日本人が日本人ではなくなってしまわないように、そうならないように、ささやかな種をうえてゆこうと思う。根源的な修行を今後も展開してゆこうと思う。
(完)
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