懐かしのシネマ【崖 フェデリコ・フェリーニ監督】

  • 2013.01.29 Tuesday
  • 14:12


映画【崖】

 

 



アウグスト(ブローデリック・クロウフォード)、ピカソ(リチャード・ベイスハート)、ロベルト(フランコ・ファブリッツィ)は詐欺師の三人組。

無智で信仰心の強い百姓達をあざむき、僧侶にばけて金銭をまきあげるのをこととしていた。アウグストが司祭(枢機卿の遣い)、ピカソが副司祭、ロベルトが運転手となって、あらかじめ埋めた偽の財宝を掘り出しこれと引替えに百姓から多額な献金を受けるという手口である。

次に彼等はバラック小屋の貧民を役人であるとだまし、新しいアパートの申込金として少なからぬ金を手に入れた。

自称;絵描きであるピカソは妻イリス(ジュリエッタ・マシーナ)に対して良き夫であり一人娘がいた。彼女は夫がペテン師をやっているとは知らない。

アウグストらは、たまたま昔の仲間で今は成功した男の新年パーティに招かれ、ピカソは妻イリスをともなって行った。

仲間のロベルトが客の純金製煙草入れを盗んだところから、イリスは夫の仕事への疑いをもつ。そのことがキッカケでピカソも真面目な生き方を考えるようになる。

一方アウグストは、長い間別れていた娘に偶然会い、父性愛にめざめてしまう。

美しく成長した娘を食事に誘い、学費の援助も約束した。そして映画にさそったところ、かつて彼にだまされた男に発見され、娘の前で逮捕されてしまう。

アウグストは六ヶ月の刑に処せられ監獄を出た。しかし、かつての仲間のピカソもロベルトもローマから去ったことを知った。

アウグストは、他の詐欺一味と再び司祭に化ける詐欺をはじめた。

一軒の百姓家を訪ねるとそこに自分の娘と同じ年頃の体の不自由な娘がおり、アウグストを本当の司祭と信じて祝福を願った。アウグストは良心の呵責によって祝福を与えることができない。

ペテン師の胸にもふと後悔の念が浮んだが、その帰路、彼は詐欺で儲けた金を独り占めしようとし、自分の靴の底や胴体に金を隠した。

仲間には、農家の娘に金は返したと言うが、信用されない。(※ペテン師なので、不幸な娘のことまで利用して、詐欺仲間まで騙した。)

アウグストは「おまえたちは人間じゃない」と言って仲間を罵倒する。

だが、仲間はアウグストが金を独り占めしていることを疑い、追いかける。監獄から出たばかりの彼は大金などもっていない筈である。

お金を持っているから、アウグストは老いぼれた走り方で逃げる。

そして仲間に石をぶつけられ崖の下につき落されてしまう。背中を岩の角に痛打し、隠し持っていたお金を仲間にすべて剥ぎ取られる。

アウグストは娘にその金をやるつもりであったのか?、それは不明だが、とにかく大金をつかむ夢も儚く消え、ようやく崖から這い上った彼は、声にならない助けを呼びながら息たえた。

これが背徳者の結末であった。
 
この作品は監督のフェリーニが若い頃にあったペテン師との出会いがもとになっているという。

題名は、日本では『崖』だが、実際には「虫けら」とかそういう意味である。

わたしとしては、背徳的行為をしていることから、タイトルは『冒涜』のほうがふさわしいのではないかと思うのだが・・・。

主役の詐欺師アウグストの娘の美しいこと。おやじのアウグストの生き方とはあまりにも落差がありすぎて・・・あまりに不幸で残酷で衝撃的でした。

いや〜〜、映画ってほんとうにいいですね!
 

父母成仏真言を伝授【慈父悲母の為の祈り方】

  • 2013.01.28 Monday
  • 12:56

【父母成仏真言を伝授】

◎『慈父悲母の為の祈り方』

少し仏教を齧られた方なら「仏説 父母恩重難報経(ぶっせつ ぶも おんじゅう なんほう きょう)」略して「父母恩重経( ぶも おんじゅう きょう)」をご存知であろう。

これはインドで創作された経典ではない。

ここで説くのは、「父母恩重経」を読経するというような法ではない。

真言僧でも知る人が少ない「父母成仏真言(ぶも じょうぶつ しんごん」という御真言をお唱えする法である。

父母の成仏を祈る為の御真言というものが実はあるのです。

これは既に逝去された親でも、生きている親でも適応されるものである。

正確には、お地蔵さんの御真言と一緒にお唱えする。

観音霊場をお参りしながら行なうのが一番善い。

観音霊場はいくつもあるが、何といっても「西国三十三観音霊場参り」が一番の功徳である。

次に「坂東三十三観音霊場」「秩父三十四観音霊場」(※秩父観音霊場は数合わせのために三十四である)が有名であり功徳があるとされる。

ちなみにわたしは坂東三十三観音の一、金目観音の近辺で生まれた。

この三十三観音参りというのは、「閻魔大王」の意志によって生じた信仰である。

「地獄ゆき」を免れるところの便法なのである。

その為には、ただお参りするのではなく、法というものが存在する。

こういうことをきちんと知っておられる方もいるでしょう。しかし、現代では多くの方が知らないことなのかもしれません。

「百の観音霊場参詣」と「全国一ノ宮参詣」「四国八十八箇所お遍路」は、生涯で必ず果たしたいと思っております。

吾が会では、これも功徳ですので「父母成仏真言」を会員の皆さんに伝授したいと考えております。
 
 
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    解説 天源術【淘宮術奥伝を読む(1)】

    • 2013.01.27 Sunday
    • 00:00

    解説 天源術【淘宮術奥伝を読む(1)】

     
       淘宮術奥伝書の表紙

    淘宮術は生年月日によって宿命を知り、運命を淘げるところの実学である。

    正確には、生年月日から265日遡って、母親の胎内に宿りし干支を算出し、運命を見てこれを善良ならしめるものである。

    「初伝」「中伝」「奥伝」「皆伝」と段階がある。

    生まれたときの干支は変えることができない。年・月・日これを「三輪(さんりん)」という。

    それに対して、貌の或る部位の血色を相す、これを「ハタケ」という。「三輪」は終生変化はしないが、「ハタケ」は変化する。

    ハタケはその人の運の成り行きを示す。これを修養によって変えるのが「淘宮術」である。

    仏教に「定業」というものがある。

    日蓮上人もこの「定業」について述べている。

    その辺のことを理解しつつ、「奥伝」を読み解こうではないか。

    運命開拓を為す【同時に論をすすめる】

    • 2013.01.26 Saturday
    • 14:21

    運命開拓を為す【同時に論をすすめる】

    わたしの知る霊学者・霊術家のなかで、非常に尊敬もし、最も重要視している先達のI氏がいる。

    すでに故人だが、この方は生前に七割まで玄胎を化作していた人である。

    運命というものに関して、どんな宗教でも運命の開発や因果の転換を説かぬものは本物ではないと言うておられた。

    新興宗教やインチキ邪教は、これを利用して脅しをかけて金銭を巻き上げる。そういう最悪のことが方々で行なわれている、それが日本の宗教の程度なのである。

    知的に能力の低いものが宗教に逃げ込む、日本ではこれは真実のように思う。

    本当に慨嘆する。こういうことではいけないと思う。

    いまわたしは同時に三つの論を進めている。

    「西郷隆盛論」「提唱 延命十句観音経」「淘宮術奥伝を読む」である。

    この三つの実践の土台には、吾が独特のお滝の修行(寒行)があるのだが、滝行を本物にするために、先の三つの論を説くのである。

    自己の霊魂の練磨、運命の開拓、これらのことが修道の大きなテーマなのである。

    諸兄はこのことをよくよく「ハラ」に入れておいてほしい。

    提唱 延命十句観音経(1)【根本経典としての十句経】

    • 2013.01.26 Saturday
    • 00:00

    提唱 延命十句観音経(1)

    【根本経典としての十句経】

     
      白隠禅師 自画像

    吾が会では、お滝の修行や日常に於いて『延命十句観音経』を読誦することをお勧めしている。

    延命十句観音経は、一番短い経典だといわれている。

    しかしながら、いわば御真言のような功徳がある。

    この観音は十一面観音であり、十一面観音は神祇の化身であり、十句観音経は天神様(北野天満宮)によって説かれたといわれている。

    江戸時代の傑僧中の傑僧である白隠禅師によって、この経典の功徳はよく説かれた。

    白隠禅師は、この経典の提唱というものを説いている。

    その禅法によって大解脱(成仏)の功徳が在家でも得ることができると説いている。

    この経典の功徳は、延命というだけではない。

    福寿を増すのである。寿は寿命ということもできるが、福とは全ての福分を示している。

    開運し人生を開発することもできるということなのである。

    是非とも、この経典を自家薬籠中のものにしてほしいと思う。

    さらに一歩進んで、白隠禅師の提唱する十句観音経の禅法を修行してもらいたいと思う。



    大寒の恒例【塩川ラーメンを再現する】

    • 2013.01.25 Friday
    • 00:50

    【塩川ラーメンを再現】 


        写真は再現した塩川ラーメン

    T君渾身の『塩川ラーメン』を再現してみました。

    再現といっても一から作ったのではありません。

    麺、具材、スープ、たれ等、大寒の当日の残りモノを頂戴してきて、わたしが自宅で作ったのです!
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      百円亭主【愛染談義(2)】

      • 2013.01.23 Wednesday
      • 17:26

      愛染談義(2)

      或る方から『西郷隆盛論』はいいから『愛染談義』のつづきを書いてくれとリクエストがあった。

      リクエストはめずらしいのでそれにしたがうことにしました。

      【少しだけ変える努力】

      お互いに違う環境で生きてきたのだから、すべてが合うことはないかもしれない。

      だから、少しだけでも相手に譲る、合わせるという旨のことを説きました。

      隙間をつくるわけです。電車の七人がけの座席と同じです。誰かが幅をきかせ過ぎると、七人がけなのに六人がけになってしまう。

      一人が3センチずつ譲ったら、随分と楽に七人が座れると思う。

      そう!譲るということが一番大切なのである。

      【百円亭主】

      わたしの師匠スジの方のお話だが、むかし事業に失敗し不如意の時期があったという。

      才覚もあるので、いろいろなところから来てくれという話もあったが、すべて断り浪人の身に甘んじたという。

      彼なりに運勢や運気(運期)というものを感じて、今出ればまた必ず大損をし、見出してお世話をしてくれた人に大迷惑をかけると・・・。故に一切合財の仕事を放棄したという。

      しかし彼には、細君もいて、子供もいた。

      本来ならば、働かなければならない状況だ。だが、彼は仕事はしないで浪人した。

      中国の偉人、「覆水盆に返らず」で有名な「太公望」ではないが、日がな針の無い釣り竿で釣りをしている風を装い、富国強兵の策を練るが如き事を、先の人は狙ったのだという。

      普通ならば、細君は「働け、働け」と言って旦那をけしかけることであろう。

      この人の細君は違った。仕事を持っていたということもあるが、旦那の好きにさせたのである。

      旦那はというと、細君から先ず100円をもらう。図書館へゆき乱読(10冊〜20冊)。昼飯を食べて、新聞(2部)を買い、帰りに碁会所にゆき数局さす。帰りにお菓子のお土産を子供に買って帰宅。

      これで丁度100円也。

      この生活を2年間繰り返した。

      100円といっても今とは価値が違う。現在の貨幣価値の1000円くらいであろうか?

      しかし、文字通り100円亭主だ!

      あなたは、この細君は実に立派だと思わないか。

      男(旦那)の好き勝手にさせるということではない。よく理解してあげる、そして支えたという点である。これは、愛があってもなかなか出来ることではない

      旦那もそれに応えるべく、知識を涵養したのであり、来るべき時にむけて、力を蓄え備えていたということだ。この妻にして、この夫だということである。

      【時代と共に】

      わたしはなにも女性(妻)が自己犠牲を払えばよいと述べているのではない。

      男女が逆だっていい。

      奥さんが優秀だから、世に出すために、旦那が縁の下の力持ちになるのでも良いのだ。

      要は、協力性、お互いの才能を認めあう心である。

      時代と共に男女のありようは変化している。

      協力し合える、理解や隙間が必要なことは、古今東西変わることのない真理であろう。


      結婚について【愛染談義(1)】

      • 2013.01.22 Tuesday
      • 00:00

      愛染談義(1)



      【結婚は人生の墓場か?】 

      『結婚は人生の墓場』

      『結婚は人生の再出発』とかいう。

      人生という航海の波の中で、たしかに一つの契機(波)だということは理解できる。

      ひとつの区切りということもできよう。しかし、逆に離婚というものも同じことが言えるのではないか?

      状況によって、天国でもあり、地獄でもあるということか?

      【大切なこと】

      アカの他人が一つ屋根のしたで暮らす。そりゃ、それまでの生活レベルの違いや生活様式の違いがあるならば、上手くゆかないこともあろう。

      これは当然のことである。

      大切なことは、お互いに尊重し、少し譲ることだと思う。

      もっとも大切なのは相性と性分。相性がよければ乗り越えてゆける。双方の性分が執念深いと難しい。

      【愛染無縁】

      男女の成り立ちで、相性は大切な要素なのだが、そもそも「ご縁」がなければ、恋愛も婚姻も無い。おつきあいということすらない。

      はじめから話(縁)がないのなら、それこそお話にならないのである。

      ここに一つのデータがある。

      35歳〜40歳の独身女性で40歳〜45歳で結婚できる確率は、3%だというのである。

      男性の場合はもっと厳しい。

      敢えて言うならば、20代30代に異性とお付き合いしたことすらない人は、とても難しい状況だということです。

      (※自分でお付き合いしたことがあるという勘違いの自己申告・錯覚はカウントしても意味がない。)

      解決方法は少ない。

      自分自身の諸条件を整えるということ、紹介してもらえる環境に身をおくことなどである。

      ウザったい、偏向性が著しい、融通がきかない、マザコン、ファザコンなど、そういう性分の人で40歳になる人は、腹括って諦めるか、誰かの紹介に従うのがよいでしょう。

      アジア系の方との国際結婚という手もあります。

      くれぐれも、すばらしい恋愛結婚なんて夢のまた夢なんで、考えないほうがいい。

      愛染明王の御真言を念唱したくらいでは、上記の問題は解決しませんので、ご注意ください。


      恒例 大寒禊ぎ【当会 四回目の大寒の行】

      • 2013.01.21 Monday
      • 00:00
      恒例の大寒禊ぎ

      1月20日(日)大寒の禊ぎ行を行なった。

      今年で四回目になる。

      ブログの予定では、御岳・七代の滝ということになっていたが、実際には塩川で行った。

      はじめから御岳に行く気はなく、半分冗談の予定の発表だったわけである。

      すでに御岳には、霊術が盛んであった頃の魅力はない。

      このことは過去三年行き続けて確認したことである。

      まあ、ペットのお祓いなんかやっているようでは・・・。

      普通、神社の境内にペットが入るなんて厳禁でしょう。ちがいますか?

      山に来てほしいが為に(※つまり観光客ほしさに)、時流にあわせて、高尾山みたいにと考えたのでしょうが・・・。しかし、わたしたちのような凡人の理解を越えていますね!?

      まあ、そんなわけで、第四回目の大寒の禊ぎは、塩川でした。

      午前4時半に滝場に集合。日の出前に「禊ぎ」を行った。

      気温は少し上がってきてはいるが、滝の流水は相当冷たい。そういう環境での「みそぎ行」である。

      大寒の禊ぎというものは、本来は海で行う。

      「雄走り」という神秘がおこるからである。滝での禊ぎ行法というものは普通夏に行う。

      だが、塩川の滝は、海の潮が淵から湧き出てくるという伝説・伝承があるから、不可ずということなはい。

      また、わたしたちの修道法は、霊魂の禊ぎということだけでなく、神も佛も念じるところの錬行であり、ゆえに御真言も心経もあげるというような独自性もある。

      一般の神社主催の禊ぎと称するものとは、一線を画するものである。

      行法のそこかしこに神界・佛界・霊界伝承の秘伝が盛り込まれているのである。

      志ある善男善女がより集い、無事に大寒の禊ぎを了えることができた。

      こういう真剣な神事や密教的修道は、仏天・神霊の御加護なくして行なうことができないものである。

      大寒の時期は焚き火がなければ、体を正常に保つことができない。わたしたちは「焚火」の火を「命の火」と呼んでいる。

      これは理屈抜きである。

      御炊事の火をお世話してくれる方もいて有難かった。

      有志による『塩川ラーメン(しょうゆ豪華版)』 『からみ餅』『ぜんざい』『いそべ』等が作られて美味を堪能しました。また、御鏡餅を揚げたところ「あられ」もありで美味しくいただきました。

      塩川の滝場の御神霊の力は益々強くなってきております。多くの人々が心正しく修道してゆけば確実に人々を導くお力が弥栄ますことでしょう。

      行後、皆さんで八菅神社の麓の農家のおじさんのところに遊びにゆきました。

      本年は、修行ばかりではなく、地元の方々や自然との融和・協調ということも一つの課題だと考えています。

      わたくしたちは、どこかの霊山クズレのように、「滝行利権」みたいなチンケなことを主張したり追求はいたしません。そういうヤカラとは交わらないことをもって志としております。

      あー すっきりした!(爆)

      大西郷遺訓【西郷隆盛論(2)】

      • 2013.01.20 Sunday
      • 00:00
      大西郷遺訓【西郷隆盛論(2)】

      『人を相手とせず、天を相手とせよ、天を相手として己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし』

      「人がどう思うかということよりも、天意にかなった生き方をしているかどうかが大事なのだ」、ということであろう。

      「お天道様に顔向けできない」などと言うけれども、易経の六十四卦中の「乾為天(けんいてん)」に、『天行健なり。君子はもって自ら彊めて息(やす)まず』とある。

      『天行健。君子以自彊不息』と書す。 日本語の「自彊」の語源である。

      西郷のいう『天』とは、この易経などで示されていることを指しているのだと思う。

      西郷隆盛とは、どういう人だったのか?

      或る人曰く、「大きく叩けば大きく響き、小さく叩けば小さく響く」そのような人だったという。

      身体は大きく、眼光炯炯、腹は太く、筋骨たくましく、当意即妙を得、臨機応変にて機敏、豪胆な英傑であったのであろう。

      そうでなければ、天など語ることはあるまい。

          

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