七夕の願掛け(3)【開運・挽回の運気を得る】

  • 2013.06.30 Sunday
  • 00:00

(3)

【開運・挽回の運気を得る】

旧暦の七夕でないと意味がない、というむきもあるが、明治になって太陽暦が採用されたのも神界の厳律であって、現実に照応しているのである。

ゆえに太陽暦をもって正しいものとするが、古来からの太陰暦も否定できない。

これも意味のあるものであって、重視するのは間違いではない。たとえば「大祓の儀式」などは、旧暦でも行なうのは善いことなのである。

七夕も新暦と旧暦で行なえばよい。

7月1日(月)から「天浮橋を架くる神法」と「開運・挽回の運気得勝祈念」を行なってゆく。これらは今回の七夕がはじめてである。

七夕にやることは・・・。もちろん短冊に願いを書くことです。

「産土神(うぶすなのかみ)」のお社にお参りしてご祈念することである。殊に七夕に行うことは望ましいことである。



日本三大・七夕をご存知ですか。一番二番は、仙台市と平塚市で不動なんですが、三番目は安城・茂原など所説あります。

わたしは母の実家の平塚で生を享けました。6月の生まれであり、生後1ヶ月以内に七夕祭りがありました。そういう意味で非常に七夕とは縁が深いのです。

はっきり憶えているのは4歳のときの記憶。沢山の短冊と飾り。以来、毎年この光景を記憶し続けています。

さきに述べた「運気を開運・挽回する法」ですが、「得勝の気」というものがあり、これを身につけるのです。

一心に修法して、無心になることです。

こういう教えもあります。洗面所、トイレ、台所などそれぞれでお唱えする祝詞なり秘詞があります。その他日常生活上でも秘言がある。それらに習熟してしてゆくと無心になります。無心こそが願望達成の近道なのです。

殊に食前祝詞・秘詞は重要です。

修行には、「心の修行」と「信仰の修行」があり、「信仰の修行」をすすめてゆくことが、人間活動の一番の真面目です。

その入り口として七夕祭は、役に立つものだと言えよう。

願掛けをしたい方は、7月5日(金)までに「願掛け短冊」を当会まで送付のこと。短冊はご自身でご用意ください。費用は寸志。

 

七夕の願掛け(2)【神傳;天浮橋の玄意】

  • 2013.06.29 Saturday
  • 00:00

七夕の願掛け(2)

【神傳;天浮橋の玄意】



和歌において、七夕に関するものが多く存在する。

大宇宙に現前している、天の川にも端があり、そこに架け橋がある。

その橋を渡って彦星と織姫が一年に一度出会うことができるという。

この世の川にも端に橋を架けるのである。

物を食ふ時にも、箸(はし)使う。何ゆえにハシというのか?

ハシ(箸)は、端から端へ、つまり食器から口へ、橋渡し(運ぶ)するものだから箸というのである。

こちらからあちらへゆく。そのときに必要なのが橋なのである。

古伝に『天浮橋の神傳』というものがある。特殊な神傳の秘法だ。

山崎闇斎先生という方が、「垂加翁神説・垂加神道初重伝」という本の中で、「天浮橋之伝」を解説している。しかし、帰を一にしてはいるが、神術・法術としてのものではなく、実践という意味に於いては、何ら役には立たない。

七夕というのは、自然に架け橋が天に架る神事なのである。

わたくしは西王母スセリヒメノミコトさまを特に重要視しているので、当会の七夕では、大国主命さまと西王尊母スセリヒメ命さまを主宰神として奉祀する。

天之浮橋を架けるには、約一週間の修法が必要である。

そういう段取りをとることで、はじめて降神・昇神の儀式が活きたものになるのである。神事というのはそんなに簡単なものではないのだ。

本年の七夕の行事は非公開で行なう。

お願い事などの願掛けをしたい方は、7月5日(金)までに願掛けの短冊を当会まで、送られたし。短冊はご自身でご用意ください。費用はお気持ちで結構です。
 

七夕の願掛け(1)【大祓の儀式を行う】

  • 2013.06.28 Friday
  • 00:00

七夕の願掛け(1)

【大祓の儀式を行う】

また七夕がくる。

今年、みなさんは、どんな願い事を掛けるのでしょうか。

肯定的に願を掛ける。これが秘訣である。ここ数年はみなさんと共に「七夕の夕べ」を行い、お願い事の掛け方を実践してきました。

だから、お願い事の掛け方は、各自すでに知っているでしょう。

人間の念というか、想いというか、そういうものを空想してゆく、声に出して、(気を入れて)書き込んで、忘れる。

方法は、ただそれだけのことである。

七夕という機会を使って行うわけである。
(※潜在意識を動かしてゆく)

面白いもので、それに先立って、古来、神道行事としての「大祓の儀式」がある。

できれば先ず、滝なり川なりで禊の行事を行い、産土神社や一の宮などで催行される、神事に参加されるのがよろしい。
(※6月末に行われる)



そういうようにして、心身を清めて、自分の願い事を収斂してゆくのがよいのである。

2013年7月7日(日)七夕は、「神界直入の滝行禊法」で祈念・錬成を行う予定です。
(※この行事は非公開)

各お願い事のお申込み(七夕短冊による)は、7月5日(金)までに、願掛けの短冊を洗足の川島整体まで、送付してください。費用はお気持ちを同封のこと。


 

小桜姫を訪ねて(5)【旅のゆくえと結び】

  • 2013.06.22 Saturday
  • 00:00

祝 富士山 世界遺産に登録!


今回 世界遺産に登録が正式に決まった富士山と三保の松原
---------------------
弁財天の旅
(総括篇・その2)

小桜姫を訪ねて(5)

小桜姫の旅のゆくえと結び


今回の旅の総括をしたいと思ふ。

そしてそれを以て、結びの言葉としたい。

今回の旅で以下のことを感じた。

◎旅の最初は雨天であった。それゆえに人払いが自然になされていた。 ◎霊的な振動など心霊現象というものを明確に感じることができた。 ◎小桜姫に関しての事跡を肌身で感じることができた。 ◎関東に於いての日本武尊と弟橘媛の重要性を再認識す。 ◎弟橘媛の姥たちの胎動を感ず。 ◎弟橘媛と小桜姫(三浦都此花開美姫命)は現在もご神霊として関連性がある。 ◎先の二姫神と富士山の女神・木花咲耶姫との関係の重要性を感ず。 ◎姫と江ノ島弁天との関わり。 ◎探査は今後も続いてゆく。 ◎冬の禊ぎ行は、この旅をするためにも必要であった事実。



木花咲耶姫のご尊影図

〔総括・結び〕
浅野和三郎夫妻により小桜姫は世に出ることになり、神霊現象の立証と幽界の実在を縁ある人々に教えた。このことの価値は計り知れぬほど大きい。



湘南の海、夕焼けの富士山、江ノ島、七里ガ浜

時は富士山が世界遺産に登録されようとしているさなかである。

小桜姫の諡は三浦都此花開美姫命(みうらつこのはなさくやひめのみこと)。

木花咲耶姫(このはなさくやひめ)とは、富士浅間神社が総本山のご祭神、富士山そのものの女神である。

ゆえに諡の類推から木花咲耶姫と小桜姫は関連があると判断できる。私見だが、小桜姫は配下の眷属神なのであろう。

弟橘媛は海仙界に通じていたのだと思ふ。弟橘媛の入水の仕方は、尸解(しか)の一種であり、水解(すいか)だと考えられる。

死後に霊魂の一部(奇魂・くしみたま)が、海神界にて活躍されているのだろう。それゆえに海の近くにいた小桜姫を助けることができたのだと思ふ。
(※尸解は、仙人の死に方であり、肉体を消滅させて霊胎に魂を遷してしまう秘術である。)

弟橘媛の命により小桜姫が浅野和三郎氏に下賜した岩笛(鎮魂帰神法の施行に用いる宝器)の形は龍の顔の形であり、眼のところに穴があり、そこを吹くと高音が出るものであったという。龍の顔という点でこの岩笛は海神界からのものであることがわかる。小桜姫は海神界の弟橘媛の配下で働いたわけである。

弟橘媛の夫君は日本武尊(やまとたけるのみこと)。この神は今は、正神界にあって非常に地位のある位階にて神界の秩序護持にあたられておられる。また、特に東征の因縁から、関東近辺には所縁のある神祇である。夫婦神ともに、富士山を中心とした関東圏に力を及ぼしている。

日本武尊の系譜からは女性天皇を輩出している。このことは現代の皇室のあり方への示唆があるのだと思ふ。

小桜姫の生家は現在の神奈川県鎌倉。江ノ島や七里ケ浜にあそんでいたという。この部分に小桜姫とわたしや当会との縁(えにし)がある。

相模三浦一族とは別系の三浦氏かもしれないが、鎌倉の源頼朝墓所近くに、三浦一族滅亡の地(法華寺跡)があり、わたしは僧職時代に三浦一族滅亡の地にて、三浦一族の鎮魂慰霊の供養法要をいとなんだことがある。沢山の参詣者があった。これはいまから20年以上前のことである。ここにも三浦一族との因縁があると思ふ。また、同時にその三浦一族滅亡の地の少し上には(階段を上がってすぐの所に)小桜姫の生家である鎌倉大江家の祖と言うべき大江広元公(鎌倉幕府政所別当初代)の墓もあり、その時のご供養申し上げたという奇しき佛縁もあった。

そのようなわけで、物事というのは成るべくして成っているという因縁因果の法則があるのだと思う。

また別の機会に「小桜姫の旅」を違うかたちで行なうかもしれませんが、諸精霊をご供養する気持ち、場をわきまえた振る舞い、敬虔さと常識、そういう事項の条件が満たされないかぎり、ご一緒することはありません。霊には冗談や誤謬、間違いは一切通用しないので、中途半端な人は同行できないのです。

〔補足〕
油壺へゆくには京浜急行で三崎口にゆく。京急バスで油壺へ。油壺入口から諸磯浜へ。諸磯浜から三崎港も京急バスでゆく。三崎港から三崎口に帰還。
参考までに↓ 
http://yuhoyuyu.sakura.ne.jp/course/cn005/index.html

おわり

 

小桜姫を訪ねて(4)【弟橘媛と小桜姫の物語】

  • 2013.06.21 Friday
  • 00:00

弁財天の旅(総括篇・その1)

小桜姫を訪ねて(4)

弟橘媛と小桜姫の物語


弟橘姫の入水の絵図   

弟橘媛(おとたちばなひめ)は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の后である。

『古事記』では弟橘比売命、『常陸国風土記』では大橘比売命。その他に橘皇后・乙橘姫などの呼称がある。

姉妹で日本武尊に仕えたという伝えもあり、姉を兄橘媛(えたちばなひめ)という伝承もある。

橘という呼び名がついているというのは、深い意味がある。

橘は「左近の桜・右近の橘」と申し、平安宮内裏の紫宸殿(南殿ともいう)前庭に植えられている桜と橘をさす。

左近・右近は左近衛府・右近衛府の略称であり、 左近は紫宸殿の東方に、右近は西方に陣をしくが、ちょうどその陣頭の辺に植えられている。つまり御所(いまでいう皇居)を護衛しているお役である。

また橘の実は、神の降りる霊力を有していて、ときに頭に飾りとして着ける。

弟橘媛は、巫女的な力を持っていて、夫の日本武尊を助けたのであろう。

媛の話は「古事記」に詳細に記録されている。

尊の東征に同行。走水(はしりみず)の海に至った時、尊の言動が海神の怒りをかう。海は荒れ狂い、現在の房総半島(千葉)に進むことが不可能に。

海神の怒りを解くため、弟橘媛は「私は夫である皇子の身に替わって海に入水致します。どうぞ皇子の東征を護らせ給え」と念じ、浪の上に菅畳八重、皮畳八重、絁畳八重を敷いて、その上に座って入水した。すると波が穏やかになり、船を進めることが可能になった。

こういう「内助の功」の話である。

媛が持っていた櫛は、七日後、海岸に流れ着いた。そこに橘神社が建立されたが、後に日本海軍の御要地になり、走水神社に合祀された。

走水神社は、尊の一行が房総に渡る際に祈られた場所であり、日本武尊がご祭神として奉祀されている。
(※現在、媛と共に入水した姥たちを祀る別宮が、本殿の横に建立中である。)

浅野和三郎氏は元々、走水に在住しており、東京大学英文科を卒業し、海軍で英文関係の講師をやっていたという。偶然、大本教の聖師・出口王仁三郎師(でぐちおにさぶろう)が横須賀に来訪した際に走水神社で邂逅した。

その出来事が切欠で、浅野氏は霊学・神霊研究をするようになったのである。


横須賀・走水神社の境内

小桜姫は生前から
弟橘媛のことを尊敬しており、走水神社にも趣きご神霊を拝していたという。死後も弟橘媛に助けられたことを伝えている。

浅野和三郎氏の令夫人・多慶子女史は、この出口師の来訪以来、小桜姫からの霊界通信を得るようになったのである。



走水神社にて偶然、浅野氏は岩笛を拾った。これが浅野氏のものであるのか幹部から異がでた。そこでその晩に、出口王仁三郎師が審神者(サニハ)になり、異をとなえた幹部が代(神主)になって「鎮魂帰神法」により、神界にお伺いをたてた。

するとはっきりとその幹部の脳裏に「
弟橘媛の命により、小桜姫、これを賜う」と出たのである。もちろん浅野和三郎氏に神界より下賜されたのであった。

その幹部は「神さまもひどい」と言ったという。


霊感により描いた小桜姫図像
(川島金山書)

小桜姫の名前はここではじめて登場するのである。

小桜姫の探訪の旅に走水神社は欠くことのできない霊地なのである。

 

小桜姫を訪ねて(3)【小桜姫坂をゆく】

  • 2013.06.20 Thursday
  • 00:00
弁財天の旅

小桜姫を訪ねて(3)

【小桜姫坂をゆく】

 
小桜姫坂の石段(本瑞寺)と油壺の小桜姫弁天像(近影)
(撮影・川島金山)

三浦市三崎町の本瑞寺の表参道に石段がある。

石段を登りきると本瑞寺の山門(表門)がある。

実はこの石段のことを「小桜姫坂」というのである。

小桜姫は夫の三浦荒次郎義光公がお亡くなりになった後も本瑞寺に度々通ったという。

その由縁は以下の通りである。

『本瑞寺は、山号を海光山、曹洞宗で鎌倉円覚寺の末寺である。開基は三浦荒次郎義意。以前は、光念寺を挟んで、現在地の反対側に建てられていたが、享保4年(1719年)に、防災上の理由で現在の場所に移されたという。寺のご本尊は地蔵菩薩で、元は三浦道寸、三浦荒次郎父子の守り本尊であったと伝えられているが、現在は一般拝観はできない。』

このような縁(えにし)により、此の坂を小桜姫坂というのである。

また本瑞寺は源氏の「三大の御所(桜の御所)」の一つであったとも伝えられている。


本瑞寺の山門(表門)


海南神社の大銀杏(樹齢800年)
(撮影・川島金山)

三崎周辺の産土神社は海南神社である。ここには海神(ワダツミノカミ)が祀られており、弁財天や金比羅さんなども併せて奉祀されている。

圧巻は、大銀杏である。鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏に匹敵する迫力がある。

さて、次回は「小桜姫の旅」の総括篇を記したいと思ふ。


三浦半島・三崎港の様子
 

小桜姫を訪ねて(2)【小桜姫の弁天像を拝す】

  • 2013.06.19 Wednesday
  • 00:00

弁財天の旅

小桜姫を訪ねて(2)

【小桜姫の弁天像を拝す】

  
小桜姫の墓所にある弁天様の御像と洞窟の入り口附近
(撮影・川島金山)

浅野和三郎著『霊界通信 小桜姫物語』に小桜姫の霊界での消息は詳細に記されている。

小桜姫は、浅野和三郎氏の細君・多慶子夫人の守護霊であり、夫人を神主として神懸りし、この詳細な「霊界通信」をものした。いわば浅野氏夫妻の合作と言ってよいものなのである。

先般、実におもしろい出来事があったのだ!

2週間ほど前に浅野さんという、実に貴賓のあるご婦人が、或る人の紹介でわたしの治療所に来られた。1週間後、品の良い紳士の御主人さまが来院された。

そして「小桜姫の旅」の前日に、先のご夫妻のご長男夫婦がご来院。

この2週間で浅野氏ご夫妻、二組がご来院!!
こういう偶然はあるのだろうか!?実に不思議である。


浅野和三郎夫妻

小桜姫の墓所は、油壺といわれる場所にある。

油壺の地名の由来は、湾が壺のようであり、漂う海水が油のようだから是く言う、という説と、三浦一族が戦に負けて多くの家臣の血油(ちあぶら)が、海面を漂ったからという説がある。

わたしは多分その両方の説ともに正しいのだと考えている。

油壺の城は、三浦道寸義同公が息(そく・嫡子)、三浦荒次郎義光(義意)公の居城であった。

三浦荒次郎義光公の正妻が小桜姫であり、鎌倉幕府から続く臣、大江家の族、大江廣信氏の一人娘であったという。
(※ちなみに大江家の祖は、大江廣元公。後の毛利家の祖でもある。)


油壺を見下ろす

小桜姫は生前、北条早雲公との戦のさなかには、この洞窟に隠れていたという。いよいよ落城というときに対岸の諸磯に小船で逃れ渡ったようである。そこから、城が炎上する様を小桜姫は見ていたと、霊界通信は伝えている。

この霊処にて、神法・仙佛の法式で御供養することは、わたしの8年越しの誓願であった。

三浦油壺に、行こうと思えばいつでもゆけるのだが、法を施行するには、天の時というものがあるのだと思う。

小桜姫の墓所といわれる霊処の弁天像前にて、神祇・仙佛の法施だけでなく、チベット密教ゾクチェン伝承の『金剛の歌』を詠い、「原初の境地の三昧」に入ることができたことは、行者として喩えようのない喜びであった。

 
三浦道寸義同公とその嫡子・三浦荒次郎義意公のお墓

その後、油壺マリンパーク近くに佇む、三浦道寸義同公(みうらどうすんよしあつ)などの墓所を巡り礼拝御供養申し上げた。
(※三浦道寸義同・みうらどうすんよしあつ。平安時代から続く豪族。戦国時代、相模三浦氏の事実上最後の当主。道寸は出家後の法名。)

さらにわたしは三崎港附近にある「小桜姫坂」をめざしたのである。

 

小桜姫を訪ねて(1)【小桜姫神社に参詣す】

  • 2013.06.18 Tuesday
  • 00:00

弁財天の旅

小桜姫を訪ねて(1)

【小桜神社に参詣す】


諸磯神明社の様子(三浦半島)
(※雨天その他の条件によりお社が薄桜色に!)

 
小桜神社(若宮)
(撮影・川島金山)

小桜姫の消息に関しては、浅野和三郎著『霊界通信 小桜姫物語』に詳しい。

小桜姫は、三浦半島油壺附近の城主・三浦荒次郎義意(義光)の正妻であった。
(※三浦荒次郎義意(義光)・みうらあらじろうよしおき(よしみつ)。三浦の新井城最後の城主。戦国時代初期の武将。)

だが、史実や三浦氏の家系図には出てこない人であった。

小桜姫は、夫・義意公の居城が落城し、さらに公の自刃の後、数年間は生存していたが、やがて不幸のうちに病没した。

怨霊になるところを産土神や守護霊に助けられ、霊界での修行を経て、浅野和三郎氏の細君の守護霊となり、霊界通信をもって自身の証跡を伝えた。

いまは三浦半島の三崎、諸磯神明社の境内にある若宮にて、幽界から神事を施行しているという。

諡(おくりな)を『三浦都比花開美女命(みうらつこのはなさくやひめのみこと)』という。


この若宮のことを小桜神社というのである。

此処を参拝すると何ともいえない波動が来続ける。

なんというか、こう「ダダダーーダダーーっ」と振動を感じるのである。こういうのは、わたしも初めてであり、帰宅後には、一晩名状しがたい霊的なものを感じた。

そして、次に小桜姫の墓所が存在する洞窟へ向かった。

この洞窟内には、小桜姫の弁天様と言い伝えられている御石像が安置されているのである。

修道の秘訣【方全先生の年祭祀の日】

  • 2013.06.16 Sunday
  • 00:00

修道の秘訣

【方全先生の年祭祀の日】

  
方全先生・宮地厳夫大人のご尊影と方全先生の奥津城
(撮影・川島金山)

斯道をゆく者は、系譜の真人の奥津城をお参りする必要がある。この記事でそのときの心得を表現した。読者はこれを読み解いてご自分の修道に役立てられんことを切に願う。

宮地厳夫大人(みやぢ いづお)(弘化4年・1847年10月11日ー 大正7年6月16日)は、近代の神道家。

土佐高知に手嶋増魚の三男として生まれた。幼名を竹馬、後に功(いさを)と呼び、太左衛門と改め、更に厳夫と改名した。道号を東嶽あるいは方全と称す。

宮中掌典にして明治天皇の側近であった。著書は多くあり。修道を志す者は、方全先生の著わしたる書のすべて熟読すべきである。

殊にわたしは、この大人の著作にふれて神の正道に得心した経緯があるので、わたしの門下は皆これら著作にふれて、必ず「眼光紙背に徹する」が如き精進と霊書の読解が求められる。

本日6月16日は大人が道山(神集嶽)に帰山されたご帰幽日(ご命日)である。

一説には6月15日ともあり、わたしは雑司ケ谷霊園に趣き、産須那神社に参詣して、大人の奥津城にお参りさせていただいた。

奥津城の敷地は神界に通ずる界を為しているものと思う。翁の遺言にて、数百年は奥津城を動かしてはならぬとの事があるという。

わたしは此処で神拝詞を奏上した。


鬼子母神ご神木の銀杏  

帰り道、雑司ケ谷の法明寺・鬼子母神にお参りした。ここは江戸の風情を最も残すところの一つだと言われている。たしかにそうだと思う。

境内にお稲荷さんのお社があり、大きなご神木の銀杏がある。とても力を感じるところである。

産土神社(大鳥神社)境内のお稲荷さんと鬼子母神境内のお稲荷さんには、何かの霊力があります。

心に曇りがなければ、ほぼ同じ事を感じることでしょう。


鬼子母神本堂
 

新時代【ブルー・ストーン・タブレット】

  • 2013.06.15 Saturday
  • 00:00

新時代

【ブルー・ストーン・タブレット】


   ブルー・ストーン

以前にわたしは、これから「アクエリアスの時代」がはじまると言った。アクエリアスとは水瓶座(宝瓶宮)のことである。

いままでは魚座(ピッセス)の時代であった。

天文学的には魚座は終了して、現在アクエリアスに移行している時期である。丁度、分岐の線上なのである。あとわずかで数年で完全にアクエリアス時代に入る。

いままで神秘家の間で「エメラルド・タブレット」や「アメジスト・タブレット」が言い伝えられたり、あるいは主張されてきた。たしかに内容は首肯できるものが多い。

だが、この20年、いや、この10年間を振り返ると、人類の進歩後退の変遷変化は、1年間がまるで10年に匹敵するような時間の流れだと思う。

 

すでに人々はタブレットを持ち始めて交信している。あるいは「3D複写機」を作り出して、それは2020年には数百兆円の市場になるという。

以上は物質的なことなのだが、精神の変化もそれに伴い起きてくる。今までの既成の宗教は人々の求めることに応答できなくなるのだろう。

あたらしい方法が求められ、各々が実践する時代になってゆくのであろう。

わたしはこのことに正神界でも対応しているものと思う。というよりも、あちらの世界(幽真界)でリードしているのだと推察する。

「萬霊神界」。

この界が掌統して動かしてゆく。こう言えば、聞く人が聞いたら分かることだと思う。

この界からもたらされしもの、それをわたしは「ブルー・ストーン・タブレット」と呼称している。

霊的アイディアを提唱してきたわたしであるが、時代をリードするアイディアをもたらす幽真界は「萬霊神界」であり、その内容は「ブルー・ストーン・タブレット」に記されている。

要はこの界に通達してゆく方法、これが大切なのである。

最後に一言云えば、海の神界も大きな役割を果たすということである。先ずは「青い石(ブルー・ストーン)」を持ち物としなさいと忠告しておく。

calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< June 2013 >>

selected entries

categories

archives

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM