小説「青竜神が翔ぶ」(2)

  • 2014.06.30 Monday
  • 00:00
小説「青竜神が翔ぶ」(2)

女性を取り巻く職場環境は近年著しく改善されている。しかし、最近では女性都議会議員が登壇して問題を提起している時に、与党会派所属(当時)の男性議員が、セクハラ野次を飛ばし問題になったりという事実もある。

むしろ一般企業のほうがその点ではマシなのかもしれないが、日本の諸々の組織や企業、いや社会には「男尊女卑」的な傾向がまだまだある。

陽子が大手IT企業から移籍した理由には、もっと実力を発揮したいという気持ちがあったのであり、部長取締役などの地位をはじめから約束されることで、経営そのものにもタッチできることが魅力だったのである。

恋人の歳二郎の理解や協力もあって、陽子はどこへでもゆき、ガンガン仕事をした。その甲斐もあって、会社では一昨年・昨年と最優秀社員として自他共に認められる業績を残したのである。

陽子は年の暮れも押し詰まった12月の中旬に大阪へ出張に行ったのだった。
部下の瀧下理恵を伴っての出張であった。その際についでに奈良に趣いたのである。

大阪で仕事を終え、京都市内でも仕事の打ち合わせがあったので、新大阪から新幹線で京都にゆき、その後近鉄で奈良に向かった。畝傍(うねび)の近くに知り合いの家があるので、先ずはそこに宿泊した。

畝傍の向こう側に見えるのが香具山(かぐやま)であり、古来この霊処の神々は清火(さやび)を司るという。畝傍の近くには初代天皇の神武天皇を祭った橿原神宮があり、久米仙人で有名な久米寺もある。

真言宗の開祖空海上人は、久米寺で霊夢にて「大日経」という尊い密教経典を得て、やがて入唐(にっとう)した。遠藤陽子にはそんなことは知る由もないが、やがて導かれてゆく運命を示唆しているような奈良の旅路であった。

「遠藤部長・・・。部長はよく奈良に来るのですか?」と理恵は訊いた。

「いいえ、そんなことはないわ。ただ今回は知り合いがずいぶん勧めるものだから・・・」

「そうなんですか。てっきりご存知なのかなと思って・・・」

「んっ、これはどういう意味」っと、陽子は思った。てっきりご存知って?一体何を知っていると思ったのだろう?考えても分からない。理恵は何を言おうとしたのだろう。

陽子はそうは考えつつも、頭のどこかで仕事のことを考えていた。瀧下理恵の言葉に引っかかるものはあったが、日常の忙殺から逃れたく思い、その日は早々床に就いた。

翌朝、簡単に朝食をすませるとタクシーで先ず法隆寺へむかった。

禰宜の小宮山がお寺へゆくべしと言っていたので先ずは法隆寺と、素直にそうしたのである。
はじめに法隆寺が脳裏に浮かんだというその程度のことである。

「部長、どうして法隆寺なんですか?」

「ああ、それはねぇ」と言って、禰宜である小宮山からのアドバイスをごく簡単に理恵に話した。

「きっとその方はご存知なんですね・・」と意味深な感じでぼそっと言った。

陽子は昨日のこともあるので理恵に尋ねた。
「あなた昨日も今日もご存知っていう言葉をつかっているけれど、一体どういうことなの?」

朝っぱらから陽子の語気が少し荒いのに理恵は驚いたが、それではというように答えた。
「はい、それは東大寺にゆくべしということだと思います。その小宮山さんという禰宜の方は、神職ではあるのでしょうけれど、いろいろなことをよくご存知の方なのだと思います。」

「ふうん」
東大寺!!
確かに東大寺はお寺中のお寺だと思う。中学生のときに東大寺大仏殿の柱の穴をくぐった思い出がある。たしか大仏さんは大毘盧遮那仏という名前の佛さまだったと思うが・・・。

「それってどういうこと?」
「理恵さんは奈良に特別に詳しいということなのかしら?」と訊く。

「いいえ、そういうわけではないのですが・・・。ただ歌舞伎の『良弁杉』をこのまえ観まして・・それで東大寺に興味を持ったのですけれども・・・」あきらかにはぐらかすような、お茶を濁すように答えだった。

陽子は歌舞伎などの造詣はない。ゆえに「良弁杉」といわれてもピンとこない。
ただ二月堂で行われる「お水取り」などはTVで知ってはいる。
何のために「お水取り」を行うのかはわからない。
あとは精々「春日大社」が近くにあることくらいだ。
まあね、東大寺へゆけば分かることね。あの子の言った意味も・・・。
そう思い、この話題は一時おいておくことにした。

二人が法隆寺に着くとそこにはたくさんの鹿がいた。
鹿は神様の使いだというが、陽子はやけに人間に慣れていることに正直驚いていた。
「かわいいけれど・・」
「しかし、たくさん鹿がいるわねぇ・・・」
と陽子はつぶやいた。

(つづく)

新連載・霊術歴史探訪問小説「青竜神が翔ぶ」

  • 2014.06.29 Sunday
  • 00:00
新連載

小説「青竜神が翔ぶ」(1)

◎はじまり

あれは、もう三年前のことだ・・・。
「ああ、いつもゆく此の道、緑がこんなにも美しいなんて・・・」

歳二郎はいつもの待ち合わせ場所で陽子を待っていた。
目黒権ノ助坂のイトウ珈琲である。

この物語の主人公、加山歳二郎はM大学の講師をやっている。講師といっても非常勤であり、大学における出世とはおよそ無関係であった。いずれはこの職場を辞めてもっと安定した職を得るつもりでいた。私立高校の教師なんかがいいなと考えていた。私立高校の教師は教育者というよりもサービス業だ、学校のレベルにもよるけれども、そういうものだと歳二郎は思っていた。
周囲から見れば何となく頼りない、それが歳二郎であった。

歳二郎が待っているのは、遠藤陽子である。
陽子は米国の大学を卒業しており、語学堪能、PC方面に明るく、その上料理上手で裁縫服飾なども得意であった。いわゆる才媛というやつである。

スタイルも器量もよい陽子に大抵の人が「どうしてあの人がいいの?」と訊いた。歳二郎のことである。不釣り合いというわけなのだろう。
ときに歳二郎にもそういう声が耳に入る。ふつうならばそんなことを言われたら嫌な気持ちになるものだが、歳二郎は違った。なんとなく自慢げな気持ちになるのだった。

この二人はいつもこのイトウ珈琲で待ち合わせる。
昔ながらの喫茶店でコーヒーそのものも美味いのだが、自由に煙草を吸うことができ、そのうえ二人の好物の「うにバターパスタ」などがあったからである。

「このまえ大阪に出張があったでしょ。あのときに実は奈良に立ち寄ったのよ」
と、陽子は意味ありげにいう。

「ふうん」如何にも興味なさげに応える歳二郎。歳二郎は自分の興味が湧かない話題についてはこういう態度をとるのが常だった。

「なぜ奈良に行ったのかというとね、ほら、鎌倉の八幡様の神職の小宮山さん知ってるでしょ。彼が大阪にゆくのならば、いまは奈良にゆくべきだと言ったのよ。」

「ふうん」

陽子は続けて言う
「小宮山さんがいうには、いまは奈良なんだと・・・。古いお寺などがあるから訪ねたらいいと思うと、何かのヒントのような言も付け加えたのよ」

この小宮山晃という人物は、陽子が言ったように鎌倉の鶴岡八幡宮の禰宜(神職)を奉職しており、年齢は二人と同世代の35歳で若いが実に博学であり、一味も二味も違った神職であった。

小宮山を紹介してくれたのが、古美術商の二上で、陽子がデザイン関係の仕事をしているので、それに役立つのではないかと紹介したのであった。

陽子は以前は、大手IT企業に勤務していたが、現在は中堅のデザイン会社に所属している。部長取締役待遇で迎えるという条件だったので、そこに移籍したわけである。

(つづく)

新連載・霊術歴史探訪小説「青竜神が翔ぶ」

  • 2014.06.28 Saturday
  • 17:14
新連載・霊術歴史探訪小説

「青竜神が翔ぶ」



この度、霊術歴史探訪小説「青竜神が翔ぶ」を連載することに致しました。

以前、小説「八宗綱要」を連載しており、未完のままですが、先ず先にこれを書くべきと思い、歴史探訪の小説として著述することにしました。

この小説、タイトルに霊術の文字を冠している通り、単なる小説ではありません。

読者が文中から察して、霊的修道の涵養に役立つような内容も網羅されていると思います。

筆者として読者の叱咤激励を乞う次第であります。

川島金山しるす


 

金剛手(ヴァジュラパーニ)の念誦法とトウキビアイス

  • 2014.06.27 Friday
  • 13:02
金剛手(ヴァジュラパーニ)念誦法

とうきびアイスモナカの巻
 











◎ヴァジュラパーニの修行体系

金剛手菩薩のことをヴァジュラパーニと言います。

日本では「執金剛神」ということもあります。

チベットの弘法大師とでもいうべきグル・リンポチェの直弟子であったソクポ・パルキ・イェシェのさらに弟子であった、ラルン・パルキ・ドルジェから相伝の埋蔵教、近傳のヴァジュラパーニの修行法を、わたしは円輪具足にして口訣伝授を受けております。
(※ラルン・パルキ・ドルジェはグル・リンポチェの直弟子だったとも伝えられている。)

この修行は寂静尊の修行、憤怒尊の修行、秘密の修行の三部から成っており、これを声明と共に行なえる人は、日本ではわたしを入れて僅かに3名程でしょうか?

この埋蔵教(テルマ)の法は、ウパデシャの教えに(ゾクチェン)に属するもので、具体的にはアヌヨーガの修行体系です。

時が満ちて、いよいよ温存していた是の法を修する事となりました。

古今、日本には是の法と等同のものはありませんが、わたしは「金〇〇〇執金剛法」と名付け、日々の念誦を楽しみにしております。(※名称自体が秘伝です)

◎懐かしのとうきびアイス

そして・・・さらに楽しみが増えました!!

それは「とうきびアイスモナカ」の販売です。近くのスーパーで販売していました。
(夏季限定のようですが!?)

このアイス、いくら捜しても見つからず、諦めかけていた矢先でした。
(製造元は当初は雪印で、後にロッテになり、現在はさくら食品です)

もうそうなると、まとめ買いです!?

こんなことですら煩悩が断てず・・・。いやはや、後生です後生。

いよいよ煩悩を智慧に転換するところの、密教の技法が必要です!


別府堂(五反田)http://beppudo.com/staff.html
おまえ、それ!? いくらなんでも買いすぎだろ!
それじゃ別府堂の院長と同じだろーよ!

改訂版 富士仙元信仰【富士山人穴縁起を編揖す】

  • 2014.06.24 Tuesday
  • 00:00
改訂版 富士仙元信仰

【富士山人穴縁起を編揖す】



江戸期の馬返(うまがえし)あたりの風景の絵図
二対の灯篭は現在もあり、向かって右の灯篭の横には明治大学登山部の山小屋がある。


1)信仰対象


富士信仰の信仰対象は、山そのものであり、浅間大神・仙元大菩薩・木花咲耶姫大神である。

この神は、大日如来と一体のものだとも云われているし、穴信仰では弁天と同一視としている場合もある。

胎内くぐりの信仰も盛んであった。



人穴に入った仁田四郎と示現した富士仙元大菩薩(木花咲耶姫大神)

2)北口浅間神社から登山する

古へのこと、日本武尊(やまとたけるのみこと)さまが東征で関東にいらしたとき『この霊峰はここから(北口から)登るべし』と、のたまわった。それが北口浅間からの富士山信仰登山の起こりなのである。

信仰する者は、古来こちら側から登拝した。現在、日本武尊の訪れた丘地には、大塚丘神社があり。富士講先達の大願成就の記念石碑が点在している。



富岳風穴の内部にある氷柱

3)石碑群の尊さ

富士信仰の篤さはたくさん存在する石碑群で知ることができる。

ゆくときには必ず手を合わせて先達たちへの報恩を念じ、山の世話人たちの御苦労を謝し、おもんばかり是れを知るべし。


  
仁田四郎人穴と鳴沢氷穴
(※ともに江の島洞穴に通ずという)


4)人穴・風穴信仰

富士の信仰の特徴に、穴信仰がある。
古来から江ノ島との結びつきがある人穴も存在している。
仁田四郎の人穴と鳴沢氷穴の2つが江の島へ抜ける洞穴だと云われているものである。



川島金山編揖の「富士山人穴縁起」が出来。
(佛僊真道版)


5)富士山人穴縁起

この度、わたしは「富士山人穴縁起」を編揖した。

わたしの所蔵する「人穴双紙(ぞうし)」は江戸時代後期のものであるが、時機来たれりとして、誰でも読むことができるようにルビを付して、冊子化した。
(※今後、版を重ね、注釈・解説の充実を図り、真に志しのある方のみに、お分けしようと考えている。)

原文は、いまでは使われていない語が多くあり、漢字も判読できぬものもある。また、墨書なので古文書に慣れていないと読めない。そういう訳で現代人には、正確な読解は、ほとんどできないものである。

この書は富士信仰の核になるものであり、佛僊真道の成就の為の法宝である。

富士信仰は、仏教といえば仏教ではなく、神道かと言えば神道でなく、儒教的な教えもあり、混然一体の独特のものである。

だが富士仙元の御法のなかに、佛の教えの真髄が披瀝されているのも、また真なのである。

さて、この「人穴草子」。読んで理解すれば、佛僊の悟り・成仏に至るための「動機(出離の念)」が自然に出てくるものであり、道の根本の「信力(菩提心)」が確立されてゆくものである。

道しるべとは、このような書物をいうのであろう。

単なる読みものではなく、人の為すべきことが、神佛によって啓示・指示されているのである。

わたしは仏教を知り修行も致して35年、遂に佛の教えの真髄を「富士仙元大菩薩(大権現)」の御法によって得た。



天照大神(大日如来)を祀る一合目の社

6)人穴詣りと一合目の社参詣

人穴で経供養など為し、富士山の一合目の鈴神社まで登り神拝・読経供養した。

人穴詣りのほうは、かえって信仰心の無いほうが大丈夫でしょう。

半端な認識や、なまじっかな信仰心でゆくのはお勧めできません。

「動機」「正確な知識」「不動心」が必要なのです。

富士の一合目だとは云っても、1520mあります。殊に「馬返(うまがえし)」は富士登山の入り口ですが、ここの江戸期の賑わいはすごいものでした。そんなことを感じることが富士登拝には大切なことだと思っています。


まあねー  貴重な記録や写真、様々な霊的秘密の知識を、トクねこパンはまだまだ温存しているようだねー トンガリはわかっているんだよー!!
 

今年も【宮地厳夫大人(方全先生)のご帰幽の日】

  • 2014.06.17 Tuesday
  • 00:00
今年もまた・・

【宮地厳夫大人(方全先生)のご帰幽の日】 


  


今年もまた雑司が谷霊園にゆき、神僊道の大先達である
方全大霊寿真 宮地厳夫大人ご帰幽日の御祭(ミマツリ)を行なった。

奥津城霊域を清掃し、周囲を塩で清め、墓石に清水をお掛けし、榊を供え、御神酒を献じて、祝詞を奏した。

今年は土佐の手箱神山・大瀧霊境の御神域にて祈念を凝らしたこともあり、且つ富士山に足を踏み入れたこともあって、特別な心境でお祈りさせていただいた。



無心になって、大瀧における決死の祈祷気合を無音で掛けた。

瞬時に大瀧神境の滝壺に入場(浮き道具を付けて)した時の意識になる。あの時の必死の意識になって、方全先生に奉告申し上げた。

雑司ヶ谷霊園に入る前に、当所の産土神社にお参りしたが、おもしろいもので昨年との違いに気が付く。修道の妙味とはこういうところにあるのだと思う。

また、霊園横に位置する日蓮宗のお寺にも感じるところがあった。白鳥稲荷大明神を祀る処と産土の大鳥神社境内の稲荷社は、間違いなく力のあるお稲荷さんである。




富士のお山に霊的に結び付けてくださったのは、方全先生であるとわたしは考えている。富士のお山には神僊の隠された秘密があるのだ。

江ノ島の洞窟の二ヵ所は、富士山の二ヵ所の洞穴につながっており、一ヵ所は塩川大瀧の奥、江ノ島淵につながっている。

そこを通って出れるとか通行できるとかいう問題ではなく、富士山形成時の太古の地層を調べると整合性があるのである。


ゆえに江の島のあるところを藤沢(富士の沢)というのである。

江ノ島の洞窟あたりの岩場と塩川の滝場の岩石質がなぜか酷似しているのはどうしてだろうか?

賢明な読者ならばわかる筈である。

しかし、竜宮界を見る仙法があるように、地下を通って遠隔の地に移動する法もあるのだと思う。わたくしたちの修道のレベルではできないだけのことなのだろう。

だいたい神界に肉身のまま出入りしたり、海神界に往来したりというのは、かつてその世界の住人だったからできることなのだと思う。

したがって富士山〜江の島の洞窟を往復したという、
仁田四郎などは元は仙界住人だったと言えるのである。

今年のご帰幽日祭祀では、わたしの祈りを方全先生が受け取ってくださったことを確認している。


※仁田四郎・・・源頼朝公に仕えた武将の一人。
        富士山の人穴に入り江の島に到達したと伝えられる。
        新田四郎ともいう。
実在の人物。
        江ノ島のどこの穴から出たのか知りたい人には機会あら          
        ば教えてあげます。

 

富士の嶺に・・【富岡鐵斎翁の富士山の図絵】

  • 2014.06.15 Sunday
  • 00:00
六月十五日の富士の嶺に・・

【富岡鐵斎翁の富士山




富士山図(大正10年作 86歳)と富岡鐵斎翁

下記の反歌は「万葉集」の中の有名なものです。

今日は丁度、六月(水無月・みなづき)の十五日なので、洒落てみました!

作者は、高橋虫麻呂です。


 不尽(ふじ)の嶺(ね)に 降り置く雪は六月(みなづき)の

 十五日(もち)に消(け)ぬれば その夜(よ)降りけり


※反歌(はんか)とは・・・
 「万葉集」などで多くみられる。
  長歌(ちょうか)に対して内容を要約した短歌のことである。
 「返し歌(かえしうた)」とも言う。
 
 

秘伝書二巻【宗源神法の極秘伝の書】

  • 2014.06.12 Thursday
  • 11:49
秘密口伝書の事

【宗源神法の極秘伝の書】




当家に伝わる神法の極秘口伝書の二巻である。

時代の要請にしたがってあえて公開した。

この書には特別な祝詞が編まれており、正確に筆伝されている。

どれも通常は耳にしたことのないものであり、一般の神社奉職の神職などでは一生お目にかかれないものだと思う。

殊に「護身神法」などから始まり「祈祷法」等に至る宗源神法の秘法・秘事が口伝されているのが貴重なところである。(詳しい内容は言えない)

一つだけ言うと「夢祓い祝詞」というものが相伝されている。

「夢祓い祝詞」は知られていないものであり、夢で様々なコンタクトをしているわたしにとっては最も重要なものと言ってよい。

ごく最近のことだが、醍醐三宝院の聖宝尊師(空海の孫弟子の筆頭格)感得の「清龍権現」と、我が塩川の「青竜神」は関連があり、どのような経緯で関連存在しているのかを知ることができた。

このことを知ることができたのは、誠に僥倖であり、根本に秘事があったからこそ為しえたのだと思う。青竜神についての詳細は、古今に口伝記述が存在しないのである。

ただ良弁上人以外でご存知だったのは「〇〇〇〇師」だけであり、師は良弁上人由来の青竜神を使役し、御祭祀されていた。

師の口述伝書を得て、お陰でわたしは「青竜神(清龍権現)」の秘密を解くだけでなく、守護神としてそのご加護を受け、さらに他に祀り込む権能(のうりょく)を保持するに至ったのである。


今シーズン、わたしのもとに来た若者2名には、厳しい秋冬季の禊ぎ修道を交えつつ、ほんとうの秘事を伝えてゆこうと思っている。

にゃるほどね〜 巻物も書物もそれだけならオタクの趣味物にすぎないということね! 本物と為すには実践がなきゃダメということねー さらに実践が真正の神霊現象までゆかないと本物じゃないということなんだにゃー

 

齢50歳!【富士のお山に誓う(続)】

  • 2014.06.10 Tuesday
  • 20:34
齢50歳!【富士のお山に誓う(続)】



   

Yくんからの顔に似合わないプレゼントのお花!!

富士の山は、裾野が広く、いろいろな処から登山できる。

でも北口から登るのが本当です。

今後、北口浅間神社から頂上を目指しますが、江ノ島関連の洞穴にもまいります。

富士の浅間神社をば、富士仙元といいます。すなわち「仙のもと」なのです。

富士山の原生林で鹿を二頭見ました。

鹿は春日明神などの神のお使いです。

不空羂索観音は鹿の衣をつけていますが、鹿はこの観音様の眷属です。

富士を登るには「角行霊神」を先ず拝することです。必ず感応があります。


バンビーノ登場かー!? イタリア語でバンビーノって男の子のことだっけ?
バンビーニで男の子2人(幼児)だよね〜 フェデリコフェリーニ監督の映画の1シーンに「バンビーノ」って言って泣くシーンがあったよね〜

齢50歳!【富士のお山に誓う(正)】

  • 2014.06.09 Monday
  • 20:15
齢50歳!【富士のお山に誓う(正)】


  
  

   

 

    

 

わたしの誕生日に各位よりプレゼントやお祝いのお言葉を頂戴しました。心から感謝申し上げます。この場をかりて御礼を述べさせていただきます。

わたくしもとうとう齢50歳となりました。

これからの10ヶ年を人生の総決算にしようと思っています。

仕事はこれからだ!ということです。

産土神社に参詣し、富士浅間神社にゆきました。北口からの登拝を心に決め、関連の本宮・奥の宮、摂社をすべて巡拝致しました。

富士の原生林で世間の喧騒が一切無い静謐な場所で、渾身の気合を二度掛けました。

気合は凝縮された祈りです。

塩川、江ノ島、寒川と神奈川県の霊処を繋いできました。そして塩川にて禊ぎを繰り返し、大山に参詣しました。

土佐の神山手箱に登拝し、大瀧神境・浦戸竜王宮の気線をつなぐ。

そして富士山です。ついに富士山に足を踏み入れました。

今後、富士神界に祈りを捧げるべく、わたしは命の炎を燃やしている。

平成26年6月9日 太上仙君従者 花角有僊龍徳たる川島金山しるす


おまえ50かよー ずいぶん生きているなー
これからもうるせえジジイでありつづけるんだろー 気合入ってるジジイでなー

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