交霊奇譚【猫霊実在と金豹タヌキの夢(正)】

  • 2014.09.29 Monday
  • 12:00
交霊奇譚

猫霊実在と金豹タヌキの夢(正)

◎金豹タヌキの夢


夢に現れた金豹タヌキ(きんぴょうたぬき)の姿
(※イラスト  川島金山 作)


今朝、タヌキの出てくる夢を見た。

そのタヌキは見たこともない種類であり、金豹タヌキ(きんぴょうたぬき)という名だった。

あくまでも夢なのだが、おとなしい種類の動物であり、このタヌキは『文章を著し本をものす者の前に現れて其の出版の是非を問う』という役を負っているらしかった。

金豹タヌキが現れて(夢の中で)暴れたら、その出版は『否』であり、おとなしければ『吉』だという。

野球やサッカーのスタジアムのような所で大勢の人が見降ろしていて、金豹タヌキやその他の珍しい動物はグランドのような所に点在していた。

金豹タヌキは、イラストのような姿をしており、まっすぐこちらを見つめて近づいてきて、スタジアムの壁を乗り越えて上がってきた。

近くで見ると黄色の毛で覆われ一部茶色の斑点模様があり豹のような感じだった。普通のタヌキよりもひと回り大きかった。

遭遇直後に夢から醒めて、わたしは本の執筆の事と猫霊について述べることを思念した。


◎猫霊実在の具体的な一例


歌川国芳 作「古猫之怪」

よく狐狸の霊が祟ったり憑依すると言われることがある。

昔の霊術の書物などをひも解いてゆくと、そのような記述に度々行き当たるのである。

巷間には『コックリさん』という交霊法があり、正確には『狐・狗・狸』と漢字で表記する。

狐はキツネ、狗は犬、狸はタヌキの霊のことであり、動物霊のことである。

動物霊と一口に言っても、神の使いの高級霊もいたりするので、すべてが低級邪悪なものとは限らない。ときに人霊が動物化して動物霊のようなものになっていることもある。

しかし、わたしの知る限りにおいて、霊的書物でもあまり猫霊のことは出てこない。無いわけではないが、大抵が狐狸や蛇の霊が多い。

だが、昔から化け猫というものは伝わっており、大本教の大霊覚者の出口王仁三郎聖師は、猫は魔物なので家にいると他の魔物が入ってこない。だから猫は家内の安全に役立つということを言っている。

猫の魔力は、あの眼、眼力にあると思う。あの眼で魔を避けるのだと思う。だから西洋の魔女の横には必ず黒猫がいる。

続編ではごく最近聞いた、猫霊実在の奇譚をお伝えしたいと思う。


わかった! こんどは交霊の研究がすすんでいるのだにゃ〜 猫霊にはトンガリも興味あるじょー
猫は神秘的だからにゃ〜 金豹タヌキって縁起がよさそうなタヌキだと思うじょ!


(ご注意)
当ブログ記事の無断転載引用(著者撮影の写真も含む)を禁じます。
同著者の過去のブログ記事一切(当ブログ以外の同著者のブログ記事も同様)に適用す。

 

お彼岸【霊学継承者の御帰幽と佛僊神真の出現】

  • 2014.09.26 Friday
  • 10:00
お彼岸の最終日

【霊学継承者の御帰幽と佛僊神真の出現】

◎佛僊神真(弥陀観音さま)の御出現

今日は秋のお彼岸の最終日である。

朝、晴れ渡った青空を見ると一つの雲があった。まさに日本晴れの空に不思議な雲が浮かんでいた。

惜しかったのは写真を撮ることが出来なかったのです。
(ボーとしていたのと、あまりに勿体なくて撮り損ないました!)

そこで描いてみたのが、下のイラストである。



お彼岸最終日の平成26年9月26日(金)早朝出現した佛さまの雲
(※イラスト・川島金山)


雲の下の部分が「下界を見おろし合掌する佛僊」の姿になっており、雲全体が神々しく光っていた。
(※頭部が阿弥陀佛で合掌する手が観音様)

イラスト画なので黒くふちどりを書いて表現したのではなく、実際の見た目が画のようになっていて、黒ふちで佛の輪郭を描いたようになっていたのである!!

まったく不思議であり、じっと見ていると『弥陀観音(みだかんのん)である』と脳裏に(直感的に)言葉で伝わってきた。



慰霊折形をもってご供養した

神法・神術あるいは佛僊系統の供養法(くようぼう)でも、あらかじめ産土神(司命神)に祈念しておくことが、一番の秘訣(コツ)である。

神に通じるの一番の近道(実際近道は無いのだが・・)は、『天津祝詞』を奉唱することである。『大祓祝詞』ならば尚よい。『最要祓』に『天津祝詞太祝詞秘辞(あまつのりとのふとのりとごと)』を加えてやるのも上である。

なぜかという霊術的な意味もあるのだが、それは各自考え理解していただきたい。

それと審神者(サニハ)による『霊魂の祓い』を受けてゆくことである。


◎霊学者・渡辺勝義先生の御帰幽


霊学の継承者・故渡辺勝義先生の御勇姿

わたしはご縁のあった方(縁故の者)が亡くなると「霊感的知らせ」によって分かるという能力を持っている。
(※殊に血縁者の場合は「夢の知らせ」によって死ぬ前、死後にまでコンタクトすることがしばしばある。)

15歳〜16歳で仏教に興味を持ち修行に入ったのも、人間の死というものなどに興味があったからである。様々な死者の供養法を学んできたのも「死者の教法」の追求ということに他ならない。

その意味では、生業の指圧抜き圧治療業(治療業)よりも、むしろ「死者の教え研究」のほうが専門だと云える。

いまだに「死者の教え」に関する法術や教理を探求し、深まりをみせている。一生かかっても終わることはないと思う。

9月23日(祝)の早朝もそうだった。例によって霊感的な知らせがあった。調べると霊学者の渡辺勝義先生が9月17日(水)に御帰幽あそばされたという。
(※何というか、意志とは関係なく手が動いたり、或る想念が頭に出てくる、そういう独特な感覚があるのだ!)

HPによれば次のように書かれている。
『渡辺勝義先生におかれましては、平成二十六年九月十七日をもちまして、御帰幽あそばされました。会員一同、ここに謹んで哀悼の意を表し、先生の御霊の安らかならんことを衷心よりお祈り申し上げます。
先生の御辞世 天地の神のまにまに生きてこそ まことの神は見そなはすなり                  
古道學研究会』

渡辺先生は、本田親徳大人(ほんだちかあつうし)の鎮魂帰神審神の法(ちんこんきしんさにわのほう)を受け継いでいた方である。

おそらく之法の施行で右に出るものはいなかったと思われる。まったく純粋なる霊学の法脈を保っておられたと思う。

晩年に研究会を広く開かれたのも、「神の御心」を忘れてしまった日本人の心、世の荒廃を憂い、世直しのための「大和心(やまとごころ)」の発露であったと拝察する。
(※著書を宮内庁の要請により皇室に奉献したと聞き及んでいる。)

霊学の血脈は、本田流の鎮魂帰神法において「転霊の秘事」の達人であった、佐藤卿彦先生からきている。本田親徳翁、長沢雄楯翁(ながさわかつたて)、佐藤卿彦先生(さとうあきひこ)と続く継承者の正系法嗣である。

佐藤先生(本名・佐藤隆)には、他に数名の審神者(サニハ)のお弟子さんがいるのであるが、わたしの観たところでは、渡辺先生は1ランク違う「神界出入の境地」の悟りをひらかれておられたと思う。率直に言って他の方々は、渡辺先生の行・学の力には遠く及ばないと思う。
(※審神者と書いてサニハと読む。霊学の允可を受けた免許皆伝者のことでもある。)

しかし、これらから来るであろう「霊的時代・叡智の時代」に、師のような霊学の大家を失ったことは、吾が国の(霊学研究上)大いなる損失である。

だがである・・・、「失うことは得ることにつながる」という真理を諸人はいまこそ思い出さなくてならないと思う次第である。

この記述をお読みなった方で志ある方は、産土の神に祈請して、霊学の先達である渡辺先生の神界での御冥福を、衷心より祈って頂ければ幸いだと存じます。

一句うかびました。

神よりの命(みこと)を持ちて現世(うつしよ)の  務めをはたす日々の吾れなり
《読み手・かわしまりゅうとく》


今度は弥陀観音さんの登場かー!! 知らせって「死者の心」が伝わってくるということなのかぁー? おしえてよ〜!

(ご注意)
当ブログ記事の無断転載引用(著者撮影の写真も含む)を禁じます。
同著者の過去のブログ記事一切(当ブログ以外の同著者のブログ記事も同様)に適用す。

 

お彼岸【慰霊の折形と黒胡麻おはぎ】

  • 2014.09.23 Tuesday
  • 10:00

お彼岸【慰霊の折形と黒胡麻おはぎ】


お彼岸の「黒胡麻おはぎ」を作りました!!
(※おはぎが さあ食べてくださーい! と言ってる様な感じでしょう)


◎お彼岸の御中日のご供養

菩提寺にゆきご供養してまいりました。

ご先祖様に吾が道の進捗状況をご報告致しました。

慰霊の為の折形秘符を持参して、先祖代々の宗旨である日蓮宗の勤行次第に則ってお経をあげさせていただきました。

23日はお中日であり、太陽が真西に沈み、日は正東から上がります。ゆえに東の門が開けて西にある極楽にゆけるということを言いだしました。春秋の二季に機会があると言います。お中日の前後3日間あわせて七日間がお彼岸ということです。大阪の四天王寺に起源があるということです。『葬忌彼岸會説』という古書に明らかです。



川島本家の菩提所(沢山のお花で荘厳)

◎安鎮神法の極意と折形の密用

また道すがら菩提寺院および墓所区域管轄の産土神社に参詣し、当所の鎮守産土神に祖霊安鎮のご加被を請うた。

柏手の響きわたる音響によって幽真界に祈願が届いたことを確認した。

墓前では日蓮宗勤行の他に安鎮神法と西蔵密教所伝(チベット密教)の秘呪によって、さらに法楽荘厳威光倍増の祈りを捧げた。

当然のことながら慰霊折形も密用し、祖霊とよく感応したものと思う。



慰霊折形を何体も謹製し密用する

◎おはぎとぼた餅

春はぼた餅、秋はおはぎ。
春は牡丹の花に因んで是く呼び、秋は萩(はぎ)に擬えてそのように言う。

今回作った黒胡麻のおはぎ(ぼた餅)は、黒胡麻のすり方を四種類にし、その四種を混ぜて、三温糖を入れ、隠し味にごく少量の塩を加えました。

黒胡麻はペースト状の一歩手前のもの、細かく擦ったもの、荒く擦ったもの、まったく擦らない黒胡麻という四種にしました。これらをよく混ぜて、おはぎの材料にしました。

こうしますと黒胡麻の風味が広がり、且つ香ばしい歯ごたえもあります。また、ペースト状も入れてあるので、もち米のぼた餅によく絡むのです。たっぷりと黒胡麻がつく。

うるち米は混ぜずにもち米オンリーで作りました。

なんと言いますか、これは和菓子・スイーツです。手前味噌ですが、こんなに美味い黒胡麻のおはぎ(ぼた餅)は食べたことがありませんでした。

これと温かいお茶を墓前に持参してご先祖様にお供えしました。

神術のなかには死者にお供えを届ける秘言・神言もありますから、それを使って幽界に届けるわけです。
(※一つの例を示す。死者の名前を唱え「トホカミエミタメ祓い給え清め給え」「 寒言神尊利根陀見
祓い給え清め給え」と誦して風神の荒御魂に感通する秘言を唱える。こうしてお供えを幽界に送る。)

おまえ今度は黒胡麻のおはぎかよー 毎日なにやってんだ〜 もしかして和菓子屋でもやろうってんじゃないのかぁー でもお墓のお花は見事だね〜 よくご供養されているのがわかるじょー

(ご注意)
当ブログ記事の無断転載引用(著者撮影の写真も含む)を禁じます。
同著者の過去のブログ記事一切(当ブログ以外の同著者のブログ記事も同様)に適用す。

江ノ島の洞窟へゆく【大海原の女神に祈請す】

  • 2014.09.22 Monday
  • 00:00

江ノ島の洞窟へゆく【大海原の女神に祈請す】


昔の江の島第一洞窟の写真

◎江の島と塩川大滝〜富士人穴をつないで祈請する

この秋のお彼岸は祖霊祭祀・先祖供養する吉祥なる期間であるが、10月9日(木)からはいよいよ「大司命節」がはじまる。

この大司命節の期間に、幽真界の中枢では霊鏡台の幽事によって運命の改定が執行される。

審らかには、現界の太陽暦10月9日〜11月8日の期間であり、11月の初旬の祈念は祖霊にとって非常に重要である。

人にはそれぞれ因縁業報があり、産霊紋理(むすびかため)がある。宿命、運命、使命というものがあるのである。

この期間はそのことに沿って祈るべきであり、自らの命徳を果たすべく天神地祇に祈請し、その功徳をご先祖に廻向して、冥福を願うことが肝要である。

自己の存在は、父母からくる「水・土の徳」と、宇宙の大元霊(天御中主太神)より下賜されたる「霊(火)」から成り立っており、仏教でいう業、神道でいうケガレは、父母所生の肉体を通して顕現する。

水・土は、人体に於いては「血も含めた髄液」「骨や歯」になり、特に悪行は水に宿る。

便所の汚物は、水・土に分類されるゆえに、浄化力を持つ「ミズハメノカミ」と「ハニヤスヒメ」という神が司っている。

五行でいうと、土生金であり、金生水であり、土と水をつなぐのは金であるから、水・土の不浄を清浄にすれば、金は安定する。故に雪隠(せっちん)を浄むれば開運したりするのはこのためである。

トイレの掃除をするとお客が来るというのは、ヘッポコ整体師が言うような、無心になった由縁ではない。底が浅い若造は、すぐに「無心」だとか「雑念が消えるから」などと知ったかぶりで言うが、霊的な知識を熟知しておればそのような幼稚なことは言わないものである。上記のような幽玄な原理があるから財運が変化しお客が来るようになるのである。

ともあれ、何年も大司命節の期間に相応の祭祀を行っていると、どうすればよいかお示しが出てくる。自然に分かるようになっているのだ。それが分からないうちは、ただひたすら理屈抜きに毎年毎年実践してゆくことだけが唯一の道である。

だが、経験した者から言わせれば、一つの過程を経れば必ず自分の使命や為すべき功徳積集の内容が判然としてくるものである。

わたしの場合は、大司命節の前哨として、秋のお彼岸期に江ノ島の洞窟にて祈請すること、塩川と富士人穴をつなぐお祈りをすることである。

その祈請によって「霊書」「秘伝書」を更に得ることになる。「霊書」「秘伝書」を得るということは「道福」があるということであり、それは「道縁」があるということの証左である。

だが「霊書」を得るということだけでは、道は成就し難いのである。「霊書・秘伝書」は所詮、素材なのである。この素材にどう味付けをするのか、どう調理するのかということである。ここが肝心である。さて、美味しくいただくにはどうすればよいのだろうか?

その為には努力以上の「情熱・狂気」が必要なのである。寝ても覚めても頭のどこかで考え続け、思念しているようでなければ、素材の味付けなどできはしないのだ。

江ノ島第一洞窟は、鳴沢氷穴につながり、第二洞窟の奥の穴は、仁田四郎の富士人穴につながっている。また、第一洞窟はあまたの聖者が籠った聖窟であり、日蓮聖人も此処にお籠りし、日蓮寝姿の石が洞内に遺っている。

江ノ島洞窟で祈ることで、よりたくさんの霊書を得て、その内容を世に出す事の使命が明確に指示される。これがわたしに課せられたあり方なのである。
(※昨日、江ノ島第一洞窟にお詣りして、無事に秋のお彼岸期の祈請を為すことができました)


栗よりうまい十三里半

桃栗三年柿八年の続き文句は、柚子の馬鹿芽は18年、梨の馬鹿芽は18年、人生一生などいろいろとありますが、わたしの好きな句は「桃栗三年柿八年、栗よりうまい十三里半」ですね。

「栗よりうまい十三里半」て何のことだか分かりますか?

サツマイモのことです。栗とサツマイモを比較したのです。栗を九里と当て字し、栗(九里)よりの、「より」を「四里」を当て字して、四里+九里で十三里。十三里は、サツマイモのことなのです。

十三里半の半はおまけのことだという説もあります。サツマイモは掘ると小さいのがおまけみたいについているでしょう。また、サツマイモの生産が盛んだった頃に川越あたりから江戸まで十三里だったからとか・・・。十三里は栗のことで、十三里半でサツマイモが半里上回っていると、まあいろいろな説があります。


秋限定 栗アイス(猫まる風)

ですがやっぱり秋の栗の甘み渋みという点で、サツマイモは栗に敵わないと思いますね。美味さの質が違うので、まあ比較はできないのでしょうが・・・。

ということで、栗を素材にして「栗アイス(猫まる風)」を作ってみました。

秋のお彼岸のひと時を楽しんでみました!どうです如何でしょうか?


どんな味か教えろよー うまいもんばっか食っておまえズルいにゃー 栗はいまの栗よりもう少しあとで収穫できる種類のがもっと美味いんだじょー 情報料として「栗アイス」を食わせるにゃー

(ご注意)
当ブログ記事の無断転載引用(著者撮影の写真も含む)を禁じます。
同著者の過去のブログ記事一切(当ブログ以外の同著者のブログ記事も同様)に適用す。

 

弘法大師の念佛口伝【彼岸花の咲くとき】

  • 2014.09.20 Saturday
  • 12:00
弘法大師の念佛口伝【彼岸花の咲くとき】

◎お彼岸と阿弥陀佛



街角に咲く彼岸花

彼岸花が咲き誇る季節となりました。

「暑さ寒さも彼岸まで」
昔の人々の言うことに間違いはありませんね。

少しばかりズレはあるにしても四季・二十四節気・七十二候の循環は正確です。

天体・天地の自然はありのままです。

今日9月20日から26日までお彼岸の期間です。お中日は23日(秋分の日)ですから祖霊祭祀、ご先祖さまの御供養にもっとも適した日です。

太陽が真西に沈んでゆく、これは幽玄なる幽真界の法則なのです。

西方極楽浄土といい、阿弥陀佛が教主ですが、阿弥陀如来は蓮華部の如来であり観音菩薩と勢至菩薩の両脇士は蓮華部の菩薩であります。

蓮華部の他に宝部等ありますが、蓮華部は六道でいうと人間界に当たります。

ですから阿弥陀佛や観音菩薩は人間界との縁が深く、娑婆世界に救いを垂れる仏なのです。

そして位置は西の方に配当されるわけです。

浄土教系の教えはいわゆる南無阿弥陀佛の念佛を唱えるものですが、実は念佛にも呪力を備えた法や死者弔いの念佛もあります。


◎仏教各派各宗旨の祈祷法と弔いの法

念佛とは相対する法華宗(日蓮宗)には多くの祈祷法があり、法華経には観音経(妙法蓮華経・観世音菩薩普門品第二十五)があって蓮華部の救いがあるわけです。

日本における仏教各宗派には祈祷的な方法や弔いの法というものがあり、門外の者では窺い知れないようなものを蔵しているのである。

日本のみならずアジア全土、各国の仏教を見てみると、必ず祈祷の方法と死者弔いの儀式法式が存在する。

スリランカなどは釈迦の仏教に最も近いものであろうが、彼の国の仏教ですら「悪魔祓い」のようなものがある。


◎仏教に限らない祈祷の方法と葬送儀式の法

祈願・祈祷の方法があるというのは仏教に限らず、地球上すべての宗教、地域にある。死者の霊魂というものを認めている訳である。

現代人は霊魂とか霊を迷信だと言ったり、死後の存在というものを考えないようにしている。ならば何故、お墓詣りなどするのであろう。葬式を行なうのであろうか?

理屈を抜きに「霊魂」というものを認めているに他ならない。

もちろん祈る(祈祷)するということも、新年や折々に行なう。まず暦というものが存在し、それに則って生活し、儀礼・儀式を行なう。これは万国共通である。


◎弘法大師の念佛口伝

弘法大師は真言陀羅尼宗を創始した聖者であるが、「念佛口伝」というものを遺しておられる。

真言宗の念佛と言えば、光明真言を唱えることを思い浮かべる方も多い。光明真言はチベットの六字真言(観音)である「オンマニペメフム」の大呪なのであり、観音菩薩所伝のご真言であるから、蓮華部のマントラとして人間界に相応しているものである。


  
弘法大師念佛口伝集と大師文字による利劔六字名号

だが、実際に弘法大師の「念佛口伝」というものがあるのである。わたしの師匠筋の方のお一人は、念佛真言行者であった。しかしどのような根拠・論拠をもって、念佛をお唱えしているのかは、まったく不明だった。

しかし、後になり弘法大師に「念佛口伝」のあることを知った。

各派において深いものを蔵しておるから、少し齧って論じたり屁理屈を言ってみても、お話にならない。

殊に整体をやっているような若造は、宗教のなんたるかも分からない小僧なのに、神社には神などおらず邪気ばかりがあるだとか、宗教は相互依存だとか、知ったかぶりをする。実に底が浅く、精神が病み、心の大事な部分が欠落しているのが明瞭である。

こういう連中はもはや日本人とは言えないので、このお彼岸にお墓参りや親孝行をして、空っぽの脳みそを点検したらよいと思う。

これからは「霊性の時代」なんですよ。体ばっかり相手にしているような整体では対応できないのです。

まあ「霊性」を磨こうと思うのならば、妙な自分を捨てる事、無功徳の功徳というものを学ぶことが先決だけれども・・・。

念佛の中にも仏教の深い教えが包含されており、弘法大師は詳しく解説している。法華では、「南無妙法蓮華経」というお題目をお唱えするが、この題目にも仏教の深い教えが詰まっているのだと思う。

ともあれ篤信の諸氏は、自分のご縁のある法によって、お彼岸の時期に祖霊祭祀をすることをお勧めする。


おまえいきなり念佛ってさぁー 先週は日蓮聖人だったじゃんよー 相当素養がないとついてゆけないじゃろー でも言っていることは分かる 手あわせてご先祖さまを拝めってことじゃろー このままでは若造が日本人の遺風を忘れて整体だの霊術だのほざくからだろー

(ご注意)
当ブログ記事の無断転載引用(著者撮影の写真も含む)を禁じます。
同著者の過去のブログ記事一切(当ブログ以外の同著者のブログ記事も同様)に適用す。

 

龍口ご法難【日蓮聖人による寂光浄土の顕現】

  • 2014.09.13 Saturday
  • 10:00
平成26年9月12日子丑の刻 龍口ご法難会

744年前【日蓮聖人による寂光浄土の顕現】



寂光山 龍口寺のご本堂

日蓮聖人の「龍口御法難」は、今から744年前の9月12日の子ノ刻(午後11時〜13日午前1時)〜丑ノ刻(13日の午前1時〜午前3時)に実際にあった事件(御法難)である。

12日の午後7時と午前0時(実際には13日)の二度にわたり「ぼた餅撒き」をする。

鎌倉時代に出現した傑僧・日蓮聖人は在住の鎌倉より江ノ島指呼の地、死罪の処刑場であった「龍ノ口(たつのくち)」に引き回された。

途中、信徒の老夫婦が慌てて作った胡麻のぼた餅を食し、生きることを悟った。

一説には、ぼた餅を木製の鍋蓋をお皿代わりにして持参したという。
(※この鍋蓋は寺の宝物として保存されている)

ちょうど七里ヶ浜あたりの路での出来事だったと思われる。聖人に献じると、地べたに餅が落ちてしまい、笑いながら「まるで胡麻のようだ」と拾い、喜んで召し上がられた。

首が刎ねられる直前だというのに冗談を云われ、信徒の老夫婦を労ったという。

死に水と云い、水は「見ず」に通じるから、「水杯(みずさかずき)」は不可ずなのである。

餅米は生きるために食するのであるから、それを得たということは、これからも生きる証しなのである。米は「込め」に通じ、生きる願いを込めつつ食する。
また、胡麻は「護魔」に通じ、魔から護られることを意味する。



龍口寺の首つなぎのぼた餅(※レンジで温めていただく!)

9月12日未明の「龍口法難会(たつのくちほうなんえ)」では、法要の後で、魔除け・厄除けの「ぼた餅撒き」をする、これがメインの行事である。

竜ノ口(たつのくち)には、その昔から江の島の五頭龍神(ごずりゅう)が顕現しており(龍口神社)、五頭龍のご神示にて「
罪びとの血を此処で流せば、よく世の中を守る」とあった。

罪人の血を供養することで積善し、それを実行することで世の平安を約束したのだという。

故に龍ノ口は、斬首の処刑場だったのであり、ここに来た罪人で斬首を免れた者は、誰一人としていなかった。連れてこられたらもうお終いである。



日蓮聖人はこの牢から出て奇瑞を示した

だが、日蓮聖人は江の島から飛んでくる怪光によって、刑の執行を免れて流罪になるのである。744年前の実話であり、唯一斬首を免れたのは日蓮聖人だけであった。

それ以来、竜ノ口の地は「寂光浄土」という霊地になった。

実はこの一年(昨年この法難会にお詣りして以来)わたしは、法華経を読誦し、古い霊験ある法華曼荼羅を得、日蓮聖人および法華経を自分なりに研究してきた。

法華経は神道で云う「太祝詞秘辞(ふとのりとごと)」にも通じており、日本の仏教の発生はこの経典にあるということなのである。

わたし自身も先祖が千葉の猟師であり先祖代々日蓮宗である。日蓮聖人も千葉の猟師の家系の人である。

昨年、江ノ島との関連から、日蓮宗徒先祖の御霊にご供養するつもりで龍口寺をお参りし「法難会」に参詣した。

法会の最後に「ぼた餅」を撒くのだが、そのうちの十数個が凄い勢いでわたしの顔面を直撃して、一瞬閃光と共に目が眩んだ!

次の瞬間、パッと「自然法爾(じねんほうに)」の心相が生じ、心の塵が祓われたと感じた。すなわち「心の本性」を感得したのである。わたしは厄を祓い、この地で生まれ変わったと思った。

ぼた餅の直撃が、時間とか判断とかいう以前の心、「自然法爾の心」をつかませた。

また9月12日こそが、わたしにとっての大晦日であり元旦なのだということを了解(りょうげ)したのである!



御本堂には日蓮聖人の座った敷石とぼた餅を乗せた鍋蓋が宗宝として安置してある
白い紐がご本尊と信徒をつなぐもので、垂れている紐を持ってお題目三唱する


今年は法会のはじまる前に(本堂中央には立ち入り禁止なので)、脇の畳の間で日蓮宗勤行本に則り勤行をしていると、龍口寺のご僧侶が終わった頃にやってきて、本堂に案内してくれて、ご本尊の手に結びつけてある五色の紐(お祈りをするための紐)にてお祈りするように導いてくれた。

これは実際に直接、日蓮聖人に触れたような感じがして、本当に有難い感じがしました!

日蓮聖人は、龍ノ口のご法難について次のように述べている。
「日蓮と云いし者は去年(こぞ)九月十二日子丑の時に頸はねられぬ。此は魂魄佐土の国にいたりて返年の二月雪中にしるして有縁の弟子へおくれば、おそろしくておそろしからず、みん人いかにおじずらん。」
(開目抄)

文永8年9月12日〜13日「生身の日蓮(50歳)」は死に、以後は「本化上行菩薩(ほんげじょうぎょうぼさつ)」として自覚をもって下化衆生・衆生教化の為に生きたのである。

わたしの前世の名前の一つに「上行院○○」というものがあり、法華経を奉ずる行者であったのであろう。顔面に「ぼた餅」が当たって、名前と墓所を思い出したのであった。

ピンチに陥っている者は龍口寺にお詣りするがよい、功徳を得られよう。縁(えにし)があるならば法難会に参加するのがよい。

「首つなぎのぼた餅」は手元にあるから欲しい人は、今日から一週間以内に連絡のうえ洗足まで取りに来てください。残りがあれば差し上げます。


おまえ「胡麻のぼた餅」当たって前世思い出しちゃったの〜 ぼた餅食べたらどうなっちゃうのよー でもたしかに「寂光山 龍口寺」の法難会にお詣りすると功徳があるって聞いたことがあるじょー

(ご注意)
当ブログ記事の無断転載引用(著者撮影の写真も含む)を禁じます。
同著者の過去のブログ記事一切(当ブログ以外の同著者のブログ記事も同様)に適用す。

霊書を得る【佛仙真道と整体自然法の為に】

  • 2014.09.10 Wednesday
  • 12:00
 霊書を得る

【佛僊真道と整体自然法の為に】


数々の霊書・秘伝書を得た(写真はその一部)


◎佛仙神道(佛僊真道)の為に

わたしは「佛仙神道(ぶっせんしんどう)」を掲げ提唱している。

佛仙とは、僊佛とも云い、仏教系統の修行により「僊」を得たる「僊人」のことをいう。

佛仙が行なう「神道」とは、「神僊道」のことである。

「神僊道(神仙道)」と書いて「かみならうみち」と読む。

佛の教えには「佛魔」に堕する可能性もあるわけだが、モノは因縁所生で成り立っているので、悪業に纏われている者には「佛仙」の教えや修行が必要なのである。

その上で神僊の道を歩んでゆく。

今年になり沢山の秘伝書や霊書を得た。どれも奇書ばかりである。中には国会図書館にすらないものもある。
(※ほとんどそういう類いです)

わたしはいずれこれらの貴重書を国に寄贈しようと思っている。

それは佛僊神道を修道する者や、その他の霊的な修道・修行を重ねようとする未来の人の為である。



ほんとうに猫淵シャツを着て外出してます!

◎整体自然法の為に

霊術も整体もこれから必要になってくる時代が来る。

ただ、そのままの状態では難しい。充分に実力はあるのだが、それだけでは足りないものがある。

それは時代を考えるということだ。
いまの時代の要求にかなう提示の仕方や角度、方法を示さねばならない。人々の欲求から的が外れていたのでは為すことも為せないであろう。

わたしと共に整体自然法を究めてゆこうという人には、天下の奇書・秘書に由来する法をすべて伝授するつもりである。

その対象、特別な弟子は、わたし自らが選んだ12名。

今月も整体自然法の練成講習を行なう予定だが、それというのも整体自然法を磨いて、佛仙神道由来の霊法・霊術を究めんが為である。


その秘伝書って見たことあるじょー 名前すら知られていないのもあるんだとか? 国に寄贈ってさー 国会図書館に寄贈っていうことなんじゃろー

(ご注意)
当ブログ記事の無断転載引用(著者撮影の写真も含む)を禁じます。
同著者の過去のブログ記事一切(当ブログ以外の同著者のブログ記事も同様)に適用す。

 

改訂版 閑話休題【秋の猫淵ファッション!】

  • 2014.09.06 Saturday
  • 17:00
 改訂版 閑話休題

【秋の猫淵ファッション!】


整体自然法のことを書きたいのですが、、、
今日は秋の装い猫淵ファッションの話題ということで・・・!?



猫淵さんカードを手に ハイポーズ パチッ!

 
猫淵の仁義はやられたらやり返す「倍返し」にゃのだー!
※猫半沢も猫淵さん推薦します!(ウッチャンじゃないよ!)

   
必殺の猫パンチにゃー! くらえ 悪党めー!(顔が猫化してる!?)


最近天然温泉に浸かってきたにゃ〜! 穴場♨発見!!


「えぇーと」撮影の一コマ(偶然撮れてしまった写メ。自然な感じでしょ)

おとな買いってヤツだなおまえ! 猫パンチいいねー  猫淵シャツも整体自然法も評判は上々だってねー! まさに『招き猫淵』! 猫シャツ欲しいヤツは走って買いにゆくにゃー!

(ご注意)
当ブログ記事の無断転載引用(著者撮影の写真も含む)を禁じます。
同著者の過去のブログ記事一切(当ブログ以外の同著者のブログ記事も同様)に適用す。

整体自然法の智慧と霊術・僊術の融合

  • 2014.09.01 Monday
  • 12:00
整体自然法の智慧と霊術・僊術の融合


時々黙想・瞑想をしにゆく公園の風景

◎整体自然法・癌骨操法を研修す


8月31日(日)洗足にて、整体自然法・癌骨操法の講習を行なった。

「癌の骨」という急処を観る、操法する。整体自然法の手法ではあるが「癌骨療法」という名称でもよいのではないかと思われる。これは今後の臨床結果次第だと思う。

参加者の皆さんは大変熱心であり、熱意熱気をもって学ばれていた。しかし、正直なところ時間の足りない憾があった。

「癌の骨」以外に、故野口裕介氏(ロイ先生)が月刊全生(今年3月号)においてとり上げておられた「足の第一蹠骨系の輸気」というものを皆さんで共有することにした。

「足の第一蹠骨系」というのは、昭和20年代に初代野口先生(野口晴哉氏)が作成された「整體操法整壓點」という「調律点」の図に示されている。参考までに下記に揚げておく。



「整體操法整壓點」の図  字は野口晴哉氏が書いたものである


足の第一蹠骨というのは中足骨のことであるが、よく図を見れば分かると思う。この急処は1〜12まであり、いわゆる「回春操法」の急処でもある。腰に緊まり、反りが出てくる。腹の第三調律点、要するに丹田に力が出てくるのである。

野口裕介氏の講義は平成25年11月になされたもので、その意味でごく最近のものだといえる。

本来は「回春法」の急処だったり、九種・上下型の体癖の基本操法だということだが、ロイ先生は頭に気が上がっている状態を下に下げる方法であり、「無を誘導する操法」だと言うのである。

現代は情報過多の時代であり、頭が混乱しやすい環境であるといえる。そのような中で右往左往しないで正確に判断したりするには、腰の力・臍下丹田の充実というものが大切だといえる。性の力の充実は、全力を発揮してゆくことの源泉であり、明るいということは腰の力があるということだという。

ポカンとすることができるというのは、無の状態だということであり、頭が混乱していないということ、「足の第一蹠骨の輸気」というものは、非常に貴重な方法であると思います。

「あなたは癌です」といわれたら、頭は混乱するわけです。パニックを起こす。足の第一蹠骨系を操法するということ、腹を充実させるということをやれば、病気や症状・痛みを使って健康を得られる可能性が広がるわけです。

病気は心理的なものと関係があるのでしょう。怪我ですらそうでしょう。
殊に皮膚病や癌は尚更そうです。皮膚は心の動きに敏感に反応します。

心を自立させなければ「癌の骨」の操法をうまく運用してゆくことはできないでしょう。これは今後の各先生方の課題なのでしょうが、初代野口先生も言われているように「可笑しいもの」「説明のつかないもの」そういふ方法ほど効果があるのです。操法や急処なんていうものはそういうものです。

解剖学で言うと、○○という神経で、また××という筋肉である、何処そこであるとかいう問題ではないのです。急処は解剖図で表現しようとしてもできないものです。急処や技は、最後は自分の手で掴むしかないのです。ですが先人の遺したものは間違いなく道しるべになるのも事実です。

そのようなことを基本にしてわたしたち同志は「癌の骨」の急処・その他を学んでいるのです。

この場を借りて、整体自然法の智慧を与えて下さった、初代野口先生とロイ先生に感謝の黙祷を捧げたいと思ひます。


◎霊術・僊術の融合


先の第一蹠骨は第三腰椎や丹田に通じているわけで、吾が会で行っている滝行気合の訓練はそういう急処を意識しながら行なう霊法なのである。

こういうように整体自然法の智慧を霊術や禊ぎ行法などに取り入れている。
(※元々、修験秘法や密教・霊学の法が先に有って、その中から療術(霊術)・整体も出てきたわけです)

また昨日の講習では、佛僊に伝わる除病法の秘手技や「裏の禊ぎ」の真髄、家などで沐浴を行う際の「偈文」なども伝授した。さらに願望成就の為の「天地秘印」や「天之咲手」なども詳しく教授した。

整体の輸気法とは違う方法だが、僊術や霊術には特殊な除病手技がある。それは確かに一見奇妙なものではあるが、実際的な効果は抜群である。

整体自然法の理念は、自分の持つ本来の自然健康の力でもって十全に生きてゆくということだと思うが、それをサポートするためには強力な方法を持っていることが、指導者自身にも被指導者にとっても大きな支えになる。

気合というのは人事百般すべてに通じる決め手だと思ふ。本気でやってゆこうという同志は大歓迎です。ご縁を感じた方は思い切って来たらよいと思います。

今日から9月ですが、いよいよ秋・冬季の滝行気合法の修行がはじまる時期となりました。

わたくしは相も変わらず、整体自然法と霊術・僊術の融合をさらに図ってゆこうと思ふ。

 
    整体自然法と僊術・霊術の融合!? おまえもしやゲゲゲの鬼太郎ファンでは? でもなんだかおもしろそうだね〜!
(※上の画像はゲゲゲの鬼太郎の一コマ。ねずみ男がのっぺらぼうに顔を盗られた!)


(ご注意)
当ブログ記事の無断転載引用(著者撮影の写真も含む)を禁じます。
同著者の過去のブログ記事一切(当ブログ以外の同著者のブログ記事も同様)に適用す。 

calendar

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    
<< September 2014 >>

selected entries

categories

archives

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM