短編小説・寂玄術いま(5)『希望の光をもって』

  • 2015.01.28 Wednesday
  • 00:00
短編小説・寂玄術いま(5)『ひとすじの希望の光』




「さゆりのご両親のこともU君のことも成るようになる波が有って、寂玄術の元になる空想・想像を働かせれば容易に方向付けできるってことね」
美里はそう結論付けるように言った。

「うむ、そういうことだね」




さゆりの顔はすでに明るくなっていて、家族と過ごせる未来に光を見出しているようだった。
しかし、安易な気休めを断つように道徳は言った。
「確かに理論的にはそうなんだよ、だけどもね、一つ足りないものがあるんだよ。それは呼吸だよ」

「呼吸?」
美里とさゆりは同時に言った。

「そう」
「息は波なのだけれども、同時に宇宙のプラーナというものを吸い込むことのできるものなのだよ。プラーナというのは物質以前の霊気みたいなものだ。このプラーナには創造の力がある。だから空想・想像と共にプラーナを一つにして念じて空・虚と化すんだ。すると創造力を発揮するんだ」

「ビッグバンみたいに、解き放つってことね!」

「なるほど、そうなのねー」
さゆりは嘆息した。

「けれどもね、寂玄術には一つ誤謬があるんだよ」
道徳は静かに言う。
「寂玄術の施法で『月の世界へ旅行』した岡崎博司氏の体験談が出ている。こんなことが書いてあるよ」
「…銀河の様なものがあり、どこまでも高低のある平原らしきものが続いている、家らしいものはなく、人の棲息した跡がない、植物はあるが高山植物に似て短いものばかり、草も見た事のないもののみである、熊と狐の混血児らしいものが居たと思う…」

「!?」

「要するにね、桑田先生でも時代の壁は越えることはできなかったということだよ。究極の霊術でも本当に月に行かせることはできなかったということ。ものごとは昔より今のほうが発達発展しているから…。だから、波の来ている『いま』のほうが昔にはなかった大きな可能性があるのだと思う」

「そうね…。時代の波と空想(思念)によって、大きな転換ができ、幸福を手にすることができるということだね」
美里は自分の理解したことを確認した。

「ありがとう美里!あなたの友情はいつまでも忘れないよ!ソウルメイトだね!」
「うん」
美里とさゆりは『ザ・ローリングス』のファンであり高校生以来の心の友だった。二人の親友は固く信頼の握手をした。

「ごらん、もうすっかり夕暮れだ。すばらしく紺がかった空に星が輝いているよ」
「あの星の輝きは、ひとすじの希望の光、天空の光だ!幸福へ導く光だよ!」
道徳は、希望と天空の光が二人の上にあることを明示し、二人の友情を温かく見守った。

 
(完)

天空の光、ひとすじ希望の光が二人には与えられたんだ! めずらしく完結したな! ほめてつかわすぞよ

(ご注意)
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短編小説・寂玄術いま(4)『究極の霊術』

  • 2015.01.27 Tuesday
  • 00:00
短編小説・寂玄術いま(4)『究極の霊術』


小冊子『寂玄術』(霊魂催眠誘導霊法)


「道徳さん、霊術とか寂玄術というものがどういうものなのかわたしには全く分からないけれども、わたしが今回美里と会うことになった事、こうして3人で鼎談していることが、寂玄術というものの『いま』と関係があるということなんですか?」

「その通りです。実は一昨日この場所に僕を呼び出すことになるかもしれないと美里から言われたのです」
さゆりが美里をチラリと見ると舌を出しておどけたような顔をした。

「で、その際に『数霊』という一種の占いのようなもので、象意を観たのです。すると『寂』という文字が浮上したのです。『寂』の次は『玄』ということで容易に『寂玄術』と類推できたのです」

「勢いは『盛』で、出づるということ。三人・三角の中心から力が出現すると…。ピラミッドパワーのような感じです。そう、造化三身(造化三進)ですよ」(本来は造化三神という神道用語である)

「寂玄術とはどのようなものなのでしょう?」

「これは霊術ブームの中にあって最高傑作、究極の霊術といってよいものです。あまたいろいろな技法があって人間の能力を開発するのが霊術なのですが、これは桑田欣児氏という方が完成したものです。桑田先生という方は大変偉い先生で、粗食にあまんじて勉強を進めたようです。食べ物に感謝し、有り難く頂いていたと言います。そんなあり方を記録していた弟子もいたらしいということが分かっています」

「或る物書き屋さんがこの寂玄術を表して『高等催眠術だと』述べていますがこれは大きな間違いです。そうであるならば、その物書き屋さんが立証すべきです。しかし、出来もしなれば、立証実験など行いません。寂玄術というものは桑田先生が導くべき対象の人に術をかけて導いてゆく、術のパワーを直接的に与えるものなのです」

「霊術というものには丹田腹圧を強化する方法、現代の中国の気功法みたいなもの、様々な人力開発の手法があります。ですが『霊魂発顕法』という霊魂引き寄せの術なんかもあります。まるで迷信・呪術みたいですが、本当だと思わせる記録もある」

「そうね、アフリカの呪術の話しみたい」
美里の口からは自然に言葉が出る。




「『寂玄術』を受けた人は、以後様々な霊術の技ができるようになってしまうのです。ただし自己法と言って、実習する便法も伝えられています」
道徳は一冊の古い小冊子をカバンから取り出した。

表紙には『寂玄術(じゃくげんじゅつ)』と書いてある。
道徳は低い声で読み始める
「『寂玄術の内容』として次のようなことが書いてあります」

「予が直接指導すれば一時間内外で、修養の出来た人と否とを問はず、学問知識の如何を論ぜず、一躍修術することの出来る前代未聞の新発見の大霊法であり云々」
「断食水行によって心身改善、霊能開発を成した人は少なくないが云々」
「自己入術法 座法はどうでもよい。最も楽な事を要する。瞑目する。沈心を計る。次で静かな正息法を行ふ…云々」

「人間の身体・心・精神(魂)を統一してみると別の能力が開発できる、これが霊術というものだよ。さゆりさんの諸事情も波を間違えなければ解決するんです。そして寂玄術(小冊子)で述べているように、長期の修行やなんかを経ることなく潜在能力を開花して人生をより楽しいものにできる、そういう可能性を『究極の霊術である寂玄術(霊魂催眠誘導霊法)』は示しているのです」

「僕と美里、さゆりさんはこのことを開花する為にこうして三人で都心の真ん中で鼎談しているんだと思う」
「波を感じ、良い方向へゆくことを想像する空想する、これは寂玄術に通じる一筋の道なのです」

(最終回へとつづく)

最終回はどうなる!

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短編小説・寂玄術いま(3)『ラッシュアワー』

  • 2015.01.26 Monday
  • 00:00
短編小説・寂玄術いま(3)『ラッシュアワー』




「物事には何事もタイミングがあるのです」
道徳はたしかにこう言った。美里はこれから先どんな話が出てくるのか興味津々で聞いていた。さゆりにしても道徳の巧みな理合、巧妙な話術ですでに次の話しにある種の期待をいだいていた。

注文したブラジル珈琲を啜りつつ道徳は話をすすめてゆく。
「物事、人間、すべての事象には息というものがあり、自ずから波があるものなんです。人間の場合だと『氣の波』『水の波』『血の波』というように別々の波があって高潮・低潮というのがある。物事を開始するには低潮期から高潮期に転じた時に致すのです」
こんな話は聞いたことがない、そう美里は思った。

「時代というものも波の一つですよ。江戸末期から明治初頭多くの神道系宗教が出現しました。それを教派十三派といい、国家によって承認された十三の宗教団体が生まれました。現代の研究者はこれを『神々のラッシュアワー』と名付けているのです。この時期には実際に神霊の世界から波が大きくあったのでしょう。波がなければそういう現象は起きないのです」

賢明なさゆりは道徳の話しを聞いていて、すぐに質問するべき事柄が脳裏に浮び、道徳に問うた。
「…すると個人にも波があって、殊に重要な案件のときには、波を察して事を進める必要があるということなんですね」

「そうです」
道徳はきっぱりと答えた。

「僕は落語とか漫才が大好きで『ザ・マンザイ』っていうTV番組が毎年年末にあるんですね。2013年はウーマンラッシュアワー、2014年には博多華丸大吉が優勝したのですが、彼らはまさに波を得ていました。能力だけでは事はならず、物事には波があるんです。その波のことを運勢というのかもしれませんね」



2013『The Mazai』優勝者・ウーマンラッシュアワー
https://www.youtube.com/watch?v=5iM6FEWz7AE


2014『The Mazai』優勝者・博多華丸大吉
https://www.youtube.com/watch?v=G7mBDFTepgU

「かつて日本には『神々のラッシュアワー』と言われる第一次宗教ブームがありました。その後、霊術ブームというものが明治末期から昭和初期にかけてありました。いかがわしさを内包しながら、霊術というものは、日本の伝統的な力や神秘性を表現しました。インテリの中には見向きもしない人々もいましたが、支持する人たちもいました。ですが、敗戦ですべてが無くなりました。霊術なる呪術のようなものがラッシュアワーの如く世の中に出てくる。それも波であり、波の背後には霊的なパワーも存在します。ですが、敗戦で波は完全に失せてしまいました」

美里は道徳の話しに横やりを入れる。
「じゃあさ、そういう話しをするってことは、さゆりのことと霊術とかいうものの、再燃の波が重なって来ているっていうことをあなたは言いたいんだね!」
「美里にしては上出来だな」と道徳は心の中で呟いた。

「霊術再燃ではないよ。寂玄術いま、ということだよ!」
道徳のこの言葉を聞きつつさゆりは家政婦に預けてきた両親のことを思った。勇気づけられてもやはり不安なのだ。だが、今日は意を決して来、都合をつけて本当に良かったと思った。


(つづく)

ふむふむ!!

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短編小説・寂玄術いま(2)『すれちがい』

  • 2015.01.25 Sunday
  • 00:00
短編小説・寂玄術いま(2)『すれちがい』




「こんにちはー」
道徳はつとめて明るく挨拶した。
「はじめましてー…、ではなかったね…!」
 美里からさゆりの近況話を二週間前に聞かされ、一昨日T店に来れないかと言われ、道徳も閉口したのだが、とても重いものを感じていたので、無心を保つように心していた。

さゆりは美里と二人きりとは違い一瞬ではあるが余所行きの顔をした。
「さゆりさん、ご結婚されると聞いたんだけど‥」
今回の話しに関係のあると考えられる結婚話について道徳はいきなり切り込んだ。

「…目下、結婚の事ともう一つ家族の問題が生じているんです…」
さゆりは躊躇なく答えた。

家族の問題!?という言葉に引っ掛かりながら、
「来年には結婚するんだよねー」
美里は問題など無いよねー、と言わんばかりの調子で努めて明るく応ずる。

「すみませーん、ブラジル珈琲ホットで‥」
道徳は店員に大きな声で注文の催促をする。彼曰わく、なんでも会話中に気をそらすという手法は、対座している相手の意識転換を図り、心に『虚』を生じるものとして有効なんだとか。

更にさゆりの話しを聞いてみると次のようなことが分かった。カメラマンU氏とは来年に結婚予定であったが、さゆりの希望で早く結婚したいという事態になった。その理由として両親の体調や状況が変わったということがあった。

「ご両親はお元気じゃあなかったの?」
と美里は心配そうに訊いた。別の共通の友人Hから電話で少し聞いてはいたが、結婚の予定を変更するほどだとは考えも及ばなかった。さゆりは頭も良く慎重なので計画を大きく変える子ではなかったからだ。

「…実はね、父が足に怪我をしてね、交通事故なんだけど要車椅子になってしまって…で母もそのことがショックだったらしく疲労困憊して一種の鬱状態になったの…。」
美里はさゆりの状況をすぐに分かってあげられなかったことを悔いた。




さゆりとはソウルメイトだ!美里は普段からそう思っていた。だからしばらく会わなくても少し話しただけで状況を共有できる。それがはっきり分かる数少ない友だった。

その友の気持ちを少しでも分かってあげられなかったことは美里にとっても大きなことだった。だがさゆりの周囲を取り巻く状況の問題はもっと深かったのだった。

それは現代日本の社会が抱える老人介護の問題に重なっていた。さゆりの話しでは彼女の母は鬱病の症状を呈した後、初期(第一期)の認知症と診断されたという。要するにボケが始まったのだ。もともと彼女の母は教育熱心で気丈夫な人だった。したがって厳しく育てられた。その人一倍誇りの高い知的な母が老人性痴呆を患う。おまけに父のほうは足が萎えて体がみるみる弱くなっている。父は某大学理工学部の教授をしていた人である。

40歳を迎えた彼女にとって(彼女には兄弟姉妹もなく)頼れる人がいなかったのである。だから現在お付き合いしてるU氏と早く結婚入籍し、両親のことをどう支えてゆくかということを二人で向かい合いたかったのである。さゆりは真剣にそう考えていたのである。

だが、U氏は彼女のその心からの叫びに対し「NO」と答えるのである。
同棲してはいるものの最近は家に帰ってもすれちがいがちで、さゆりはすでに両親の為に実家のある世田谷区に引っ越すことを決意している。そのことはまだUには話していなかったが、Uのほうでも何となくさゆりの意図を察して関係がギクシャクしていた。

道徳はさゆりの未来に対する茫漠たる不安、ただ一人で問題に対さなくてはならない思いを感じて次のように言った。
「さゆりさん、物事には言うべきタイミング、行なうべき時というものがあるんですよ。また、介護看病する者の不安が強いと現実形成してしまうことがあるのです。だから心の底から明るい未来というものを心に描く必要があるんですよ」
道徳の言葉に美里はハッとした。


(つづく)

それからそれから!

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短編小説・寂玄術いま(1)『はじまり』

  • 2015.01.24 Saturday
  • 00:00
短編小説・寂玄術いま(1)『はじまり』



冬だけど日差しはまるで春を思わせる、青い空を見上げて美里はそう心に頷いた。

美里こと、荒深美里は今年で42歳大手IT企業に勤務している。国立K大を卒業しイギリスに留学した。

 
美里は今日久しぶりに友人に会う。相手はイギリス留学当時に出会った横山さゆりである。彼女も才媛で現在戦場カメラマン(自称)のU氏と同居している。来年には結婚の予定だという。
 
だが、この二人の女性、平均レベルより上等の能力と財力を持っている筈なのであるが、どうもこの日本という国が合わないのか、悩みが絶えない。
 
いわば二人は傷をなめ合っているような関係でもあった。しかし他人の眼からは悩みがあるようには全く見えず、恵まれているとしか思われてはいなかった。


 
美里は待ち合わせの場所に足早に向かう。
「ごめん、待ったー」
如才なく笑顔で美里が声をかけると、ニコリともせず「そんなことないよ」とさゆりは答える。
こんな応答のときには大抵さゆりは悩みを抱えている。美里は付き合いが長いのですぐに気付く。彼女はどんなにぶっきらぼうにあしらわれても笑顔を絶やさない。
 
美里は陽で、さゆりは陰だった。正確には陰性を裡に含んだ陽であり、裡に陽性をふくんだ陰というところだろうか。二人ともそのことは自覚しており、相補う形ができていた。
 
今日の話しはきっと重い案件があるに違いないと感じていたので、美里は奥の手を使うことにしていた。それはさゆりとの話の最中に旦那の道徳(みちのり)を介入させることだった。
 
道徳とは、荒深道徳42才。美里と同い年。私立高校の古文の臨時教職をやっているが本職は古文書の研究者だと自分では言っている。どういうわけか神職の免許を持ち古い衣装まで一揃え所持している
 
まあ謎の部分が多いのだが、普段はのんべんだらりとしていて、学識みたいなものがあるとは思えない態であるが、話をしているといつどこで勉強したのだろうと思えるような知識を滔々と述べるのだった。美里としてはその落差がたまらなかったわけだが、人の悩みなどを聞くと心の奥のひだにまで触れることができるという才能を持っていた。
 
美里は道徳のそういう点を評価し買っていたわけだが、友人のさゆりの深い悩みを察して、彼にいわばカウンセラーのような役を担ってほしかったのである。だから、さゆりにも道徳にも引き合わせるというようなことは言わず、一切の先入観を与えないように自然に会った風を演出したかった。
 
美里とさゆりは赤坂のTという店に入った。二人は大抵最初にここに入るのである。さゆりのほうは出身大学が近くなので昔から通っていた。お正月にはお雑煮が特別メニューとして毎年出てくる。
 
美味な甘味をいただきお気に入りの珈琲を二人は啜った。ちょうどそのときに道徳は到着した。女のよもやま話、甘いものを食って、優雅に珈琲を飲んで・・・、道徳はそんなようにしか見えない二人を見て、帰ろうかなと一瞬思った。
 
だが、美里のただならぬ要請である。彼女は緊張した時に独特の目つきになり、目じりが下がったような表情をする。この表情が出た時は、重い内容の案件があることを示唆していた。
 
道徳は先回りして『数霊』による占断をやっていた。
それは3日前のことだった。そこで得た象意は『JYA』『じゃ』転じて『寂』!
なるほど『寂』か!そして『玄』、『寂玄術』・・だな!
「奇しき縁だ、めぐりめぐって、滔々この霊術の書が解き放たれるのか!」道徳は意を決したかのように呟いた。
それゆえに今日道徳は帰りたくとも帰ることなど出来はしなかったのである。

(つづく)


それからどうした!

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密教霊術の超能力開発法(3)【身心霊の開発と身削ぎ(禊ぎ)霊法】

  • 2015.01.19 Monday
  • 12:00
密教霊術の超能力開発法(3)

【身心霊の開発と身削ぎ(禊ぎ)霊法】





◎人工知能&ロボット時代における人間の能力開発

今後日本をはじめ先進国は、人工知能&ロボットを急速に社会に取り入れてゆくことになる。いままで以上のスピードで医療や介護の現場にロボットが登場する。

生産の現場にはロボットと、それを制御する人工知能が登場する。それは『第四次産業革命』にあたるものだと断言してよいと思う。かつての産業革命を思い出してほしい。必ずしも人々の利益になるものではない。時代の進歩、合理化ということの反面、多くの人が解雇され職を失う。格差が生じるのだ。みなさんはそのような格差社会を想像してほしいと思う。

しかし、このことを叫んだとて、人工知能&ロボット時代への激流を押し止めることはできない。必ず人工知能の台頭、ロボットによる合理化は進んで行くのだ。今とこれからを生きてゆく人間は、それに対応する能力を持つか、よいポジションに就くか、人生を終らせるか、底辺社会に呻吟するか、高度のハイテク社会の及ばない未開地や田舎に移住する、といういずれかの選択肢しかない。

生来の負けず嫌いのわたしは、機械(メカ・ロボ)と権力者には負けたくない、支配されたくない、そういう思いが頭をもたげてくる。密教霊術による脳力開発(超能力開発)というと、非科学的だと罵る学者・知識人もいるかもしれない。

だが、人間の「本能の力」というものは、それによって「命と種」を何億年も存続させてきたもので、これより力強いものはないと思うのだ。わたしのいう密教霊術の方法とは、その人間の「本能の力」を極限まで引き出すものなのである。だからわたし一代で完成できるものではないと思う。
大切なのは、より簡潔に、より確実に、自然の力に沿って脳力開発できる技法の完成だ。
(※一方で未来人は「機械」を身につけて、ある種の能力を持つ可能性がある。)



映画『アバター』で登場した人間が操縦する軍用の戦闘ロボ


◎身心霊の開発法としての密教霊術!

先ず、身体から取り組むこと、これが大切である。生理学や解剖学、中医学などの基礎的な知識は必要だが、すべての人が医療者になるわけではないから、そういう学問を専門的に学び、絶対視する必要はない。常識的に知っておくということである。

大切なのは、生きた人間の動きや気の働きの本質を知ることである。本当の人間の動き、自分というものを知るのに、整体(野口整体)の考え方ほど役に立つものはない。現代の医学も大変な進歩を果たして大したものだが、人間の真の構造と氣の流れ『体癖』というものを看破しているものは、野口整体の観方以外にない。
(※だからと言って密教・霊術と整体法をくっつけるというようなことは目論みません。そんな2種的なことはしませんからご安心ください。智慧を少し拝借するだけです。)

現代の霊学・霊術家にして、野口整体における『体癖論』も知らないということになると、その霊術や霊学は「未来の社会には対応できないものだ」と自白しているようなものである。

有名な書き屋の先生が、或る霊術の本を出す。川島金山なるものが、ブログでどんどん書いてしまうから、出版し遅れたらその道の大家としては権威が失墜してしまう、だから本を出版せざるを得ない。実際のところそんなようにしか目に映らない。

その書き屋の先生は文中で「野口晴哉氏についても書きたかったが、紙数の都合上書くことが出来なかった」という旨、言い訳を書いており、あたかも野口晴哉先聖の真実を自分が書けると匂わしているが、半端な霊術研究の書き屋先生に、野口晴哉先聖のことを書けるわけがない。

精々、書けることは、整体協会の前身の自然保持会のことや松本道別翁とのやりとりなど大昔のどうでもよい歴史だけだろう。野口氏は催眠術を上手く使ったくらいのデマしか書けないと思う。実際に「野口晴哉は催眠術を上手く使った」と書き屋の先生が駄弁っているのを、直接わたしは(この耳で)聞いている。だから断言できるのだ。

この先生の一派の方々が文句があると言うならば、この書き屋先生と公開の場で整体操法や体癖論など論じてもいいですよ。動かぬ証拠になることでしょう。

書き屋さんのお商売の邪魔をするつもりはないが、そんな者の言うことや書いたことを信じて実践の真似事をしても本物の力など得ることはできませんよと言いたいのだ。参考書として読むのはご自由だが、実践とはかけ離れていますよ、とわたしは述べているのだ。お分かりか!
(※
おっと失礼!本屋さんの営利活動を邪魔はしませんので・・・あしからず)

密教にしても霊術にしても、まず根拠は身体である。次に心。そして霊・魂・精神というものを把握するということ、これが大前提である。体の中に自分がある。体を離れて自分は存在しない。その意味で、人間の皮膚は、現実の中に於いて自分と外部(外界)との接点だということである。

皮膚・筋肉・骨・神経・五官・五感、ここを入り口にするしか修道のはじまりはない。外部に神を認めても、その神信じても、修道というものは、自分を開発するという一点につきる。釈迦が苦行の末、無上の瞑想に入り、無師独悟し、仏陀(ホトケ)に成ったように、他力本願すべきではない。(※神霊のご加護は修道上必要ではありますが・・・)

法の基本は、集中力ということだ。身心霊で集中する、そのことを『サンヤマ(綜制)』というのである。



◎身削ぎ(禊ぎ)の霊法!

禊ぎとは、川や海、お滝で水行を為すことである。また、「裏の禊ぎ」として「耳そぎ(耳注ぎ)」「音霊法」というものがある。

この二法は奇しびなる霊法である。だが、もう一つの「禊ぎ」がある。それは「身削ぎ」である。平たく言えば「断食法」ということである。


霊術の先師も断食による『精・エーテル』の発生を述べているが、これは体験に徴して事実だと思う。生命力の源である食を断つことで、より深い生命力を引き出す。より深い生命力とは何かと言うと、それは『精・氣・プラーナエーテル』というべきものである。

『滝行気合法による方法』と『断食霊法による方法』は、霊術の基本法だと言えるのである。それはつまり『禊ぎの真法』ということになるわけである。



◎『ウポウズ(お断食)』を取り入れよ!

仏教の開祖であるお釈迦様は「六年麻麦の行」というものをやられた。一日の食は「麻・麦一粒」だけ。これを6年間行なう。究極の苦行である。釈迦はそのことについて、最も古い経典で、過去に於いても未来に於いてもこれほどの苦行をした者はいないであろうと述べている。
(※
「六年麻麦の行」・・「ろくねんまばくのぎょう」と読む。)

この断食行のことを『ウポウズ(ウポワズ)』という。

キリストも荒野で断食をし悪魔を退けて「キリスト」の使命を自覚した。
(※キリスト教には「修道院」の断食と祈りがあり、高度に発達している。)

イスラムでもラマダーンという断食月がある。食は生命の源であるから、その職に対する感謝ということがあるのだろうが、霊学的には、より神霊感応や霊性開発がしやすい状態をつくるという効用がある。

人間の欲の根源は「食欲」と「性欲」だ。何と言っても「食欲」こそが生命の根源の欲望だ。これを意図的に制限するというのは人間だけである。しかしながら、動物も傷を負うと物を食べなくなり、その場にじっとして傷の治るのを待つ。傷があるのに食べてしまうと傷が治らないことを本能で分かっているのだろう。

現代のハイテク社会に生きている人間は、自分では分かっていないのだろうが、生き物としては既に発狂状態なのだと思う。体の傷はないかもしれないが、脳は狂っている。必死に今の社会に合わせて生きているだけであって、実際には狂気じみている。だから傷を負っている状態と同じなのである。だから「食う」「食えない」から脱却し、「食わない」に変換しなければならない。

『ウポウズ』という名の『禊ぎ(身削ぎ)』を取り入れる。
これは超人類社会に生きる超ヒトの生活に必須のものになると思う。



有名な釈尊苦行像! 密教霊術ではここまでやる必要はありませんよ!


◎人工知能社会「第四次産業革命」時代を生きるために!

人工知能の胎動、これを『第四次産業革命』と位置付けていることは先に述べた。すでにドイツではこの動きが加速化し、アメリカでは部分的にではあるが人工知能のリードによる活動が訪れていることも前にブログで述べた。

身心の全体を健全にして、ある種の集中法と刺激を用い、身体の各部位を使って、自分の息と「氣」を一点に集中する。次にそれを巡らせて脳力を開発する。最後には頭頂の部位にまとめてゆく。この頭頂部の一点(サハスララ・チャクラ)に、霊的な力を招いて感応させる、これが『鎮魂帰神法(神人合一)』『即身成仏』というものの正体である。



この方法が脳内に自在にアイディアを生み出す方法につながるとわたしは確信する。できれば尾骶骨の基底部である(神経的には馬尾神経周辺)部位を開発できれば尚よい。ここを開発できれば、脳内は花が開く如き覚醒を得ると云われている。各々の才能が開花するのだ。

その為にはどうしても磁石の原石を小さくてもよいから得なければならない。仮性磁石ではダメなのだ。磁石の近くに鉄を置いていたら、少しは磁石化する。これを仮性の磁石という。これではダメなのだ。力の強い人を信仰したりするのは、この強烈な磁石に引き寄せられているにすぎない。やがて自分も磁石化するが、真の磁石になったわけではないのだ。

わたしは全ての人が磁石になることを提言する。その磁石になって何をするのかと言えば、宇宙に遍満している『精氣・プラーナ・エーテル』を吸収強化するのである。この『精・氣』を土台にして、脳力を開発する。すなわち練磨して人工知能社会を生き抜く超能力を得るのだ。


わたしは未来の社会に、この密教霊術に秘められた技法を贈ろうと思う。自ら実践し、実証して、その技法の発展を未来人に託そうと思う。わたしの使命は首尾一貫している。

あれっ おまえ「鬼の実在」の話しはどうしたんかぁ〜 忘れたのかぁ〜 話しがブレるからまた今度にしたのか〜〜 じゃあさー下の写真のどれが『ヤングフランケン』か分かるかぁ〜〜!?

    

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霊術秘鍵(1)【漢方薬湯と温泉の活用】

  • 2015.01.16 Friday
  • 12:00

霊術秘鍵(1)

【漢方薬湯と温泉の活用】





◎冬の滝行の秘訣(コツ)

密教霊術シリーズとして、現在『密教霊術の超能力開法(1)〜(2)』を本ブログで詳述しているわけだが、霊術の秘鍵として薬湯・温泉入湯ということを説きたく思い、記述することにした。

来るべき近未来、人類は人工知能+ロボット社会を構築してゆく。この流れに対応できない者は、社会の底辺に呻吟することになる。高度に発達した人工知能はやがて(2045年には)人間の知能すら超えてゆく。

そこでわたしは人間の潜在脳力を開発する方法として、密教霊術の手法を提唱しているのだが、そのカリキュラムの中にはお滝に入滝しての禊ぎ行・滝行気合法というものがあり、霊術の土台である『精氣・エーテル』を発現・吸収する便法と位置付けている。

この密教霊術の土台たる『金剛気合 滝行禊ぎ法』については本年中に一書著わさねばならないのだが、実際のところ滝行法というものは、様々な効用があるのである。そして夏の滝と冬の滝は異質のものなのである。修行の内容が全然違う。

『精氣・エーテル』『生氣』『人体放射能』の発現ということに限定するのならば、冬のお滝こそが『人体電子』の発生に有効なものなのだと思う。

さりながら冬のお滝は身体にはキツイものであり、気合を込めて入滝するのはいいのだが、猛烈な熱を発生する為に心拍数は亢まり、呼吸は激しくなる。冬の滝に入るのに一つの秘訣(コツ)があって、それを少しだけ取り入れるだけで、俄然良い修行になるものである。その秘訣をご存知の指導者もおられることだろうから、ご縁のある先生について学んだら良いと思う。



◎薬湯・温泉に入湯して心身霊を調える

霊場の近辺には温泉が沸き出ていることが多い。出雲には玉造温泉(たまつくりおんせん)があり、霊魂(たま)を調える効用があるという。熊野本宮の近くには湯の峰温泉があり、わたしは以前は毎年1月に湯の峰温泉に必ず行っていた。熊野本宮に参詣し、湯の峰温泉の壷湯に入湯する。この温泉は歴史が古く、薬師如来の形をした石の胸から温泉が沸き出したと云われている。

この薬師如来の石がご本尊としてお祀りされていて、その祠を「薬王堂」と呼んでいた。有名な禅の傑僧・山本玄峰老師はここに捨てられていた「捨て子」だった。いまでも山本玄峰生誕の地と銘打たれている石柱が建っていると思う。

滝場は温泉とセットなのだ!

滝場の切り立った岩場と強烈な零度以下の流水・清水は、まるで男根のような厳しさだ。起立して入滝する我れもまるで男根のような硬さを持つ。しかし、温泉は女根・子宮のような温かさと柔らかさがある。滝に入って熱を無理に発生させるのと、温泉という子宮に入ってやわらかい熱を得るという、2つの熱を得る方法だ。

熱とは生命だ。生命が閉じると生体は物と化す。冷えて肉の塊になる。遺体を触ったことのある人は、わたしの言う冷たさが分かるものと思う。

温泉の効用や漢方薬湯の効用はよく分かっている筈だが、ここであらためて説きたい。修行といっても寿命を縮めてはいけないのだ。

わたし自身は修行に入って生きようが死のうが関係がないという信仰心(精進根)は持っている。だから寿命を縮めてしまう可能性や健康を損ねることなど関係なく修行する。そんなことを気にしていたら修行など出来はしない。

しかし、密教霊術を未来社会を生き抜くメソッドとして提唱するという観点から言うならば、冬の滝行からくる「冷え」というものには、是非対応しなければいけないと考える。

その対応の具体的な仕方として、温泉や薬湯に入ることは、方法として大いに推奨されるものとなる。

実は塩川の滝にも、塩川鉱泉というものがあった。いまは廃墟の「たきの屋旅館」(飛龍橋のところ)の後ろの霊処からはいまでも鉱泉が沸いている。この鉱泉は良弁上人由来のものと伝えられている。(※たきの屋の後ろの小高い丘には「仙窟」があったと伝えられる。)



◎精氣の発生の秘密

霊術の土台は『精氣・エーテル』の発生・吸収だとわたしは説いている。その方法の一番の便法が実は「冬の滝行禊ぎ」なのだと主張する。たしかにこれは間違いにない事だと思う。

わたしの指導通り修行すれば、『精氣の発生』『霊働』は誰でもできるようになる。手技療法師、気功師、霊気などのヒーリング実践者、密教や古神道を修道する者、これを修すれば皆な飛躍的な進歩をみるだろう。能力の増幅進捗を得ることと思う。

冬の滝で霊働(霊動)が起こるのである。だが、その際の『精氣の発生』はごく微弱であり、その力を全身に及ぼす必要がある。そのかかる時間と薬湯・温泉に入らなければならない時間が微妙に重なっているのである。これは十全なる霊働を取れば冷えが身体の奥に入ってしまうことを意味し、真っ先に温泉に入れば、折角得た精氣が「ふわっ」と、こう消えてしまうことを意味する。まあ、完全に消えてしまうのではないが、薬湯・温泉の薬効が混じってしまい、得た霊
氣はさらに微弱なってしまい、霊働自在を実現するのは難しくなる。

だが、わたしは冬の滝の後には、「冷え」を克服するために有効な温泉なり薬湯に入ったほうがよいと思う。



◎修唱する秘詞

この修唱秘詞をわたしの弟子にはすでに教えている。有名な霊術の先達である仁田丸久師も同じものを教えている。

わたしのことろでは、この秘詞に付随している「心願成就の為の古和歌(七唱)」を伝授し、特別な秘印でもって願望成就を祈願する法を教えている。この秘言は通常の入浴の際も唱えて効果ありと云われるものである。(※秘印は3印、法としては2種)

温泉・薬湯にしても、秘詞・古和歌にしてもブログでの公開はここまでである。ここから先は弟子生徒に実地に口伝で伝授する。



◎イボの秘説・イボの取り方

イボというものは皮膚に表出するものであるから、「皮膚病一切奇妙」という特殊整体操法の対象であるが、臍への輸氣法が有効だと云われている。

おできの類いは親玉がいるわけです。イボならば、いくつかある時に、一番真ん中の親玉のイボがあるのです。ですから、間違えて子分を取ったりすると別のところに出てきたりということもあるのです。凄いものですねー。

田虫なんかのときには、「南」という字を墨で書いて、田虫を消すという法もあると野口晴哉先聖はその講義で述べられています。消える消えないは、田虫の数が偶数であるのか奇数なのかということで判別できるという。

さてイボですが「淘宮術」という開運修養法の中で説かれております。開祖の横山丸三翁には六皆伝(六人の高弟)の弟子・伝承者がおりました。お殿様や学者です。

その中に新家春三先生という方がいました。道歌といって修養に役立つ歌を教えとして遺すのです。その中に次のような道歌がある。

●智慧出さず 怒りを出さず 苦しまず 息の平が 如来なりけり
●息出入る 息の御徳を 拝め人 息は神なり 念は鬼なり
●阿弥陀とは 誰が阿弥陀だ 此の身だは ありがたい身だ 息出入る弥陀

上記の道歌を紐解き、馬場先生という皆伝先生は、次のように解説する。
『息が平に腹の底まで通じている時、無念無想であるから、此の身此のままで阿弥陀であり、神であります。宮の神体は鏡・幣束であります。かがみの「が」を取ると「かみ」になります。
我という「が」あります為に神になれないのであります。幣束は平息で、平の息であります事を示されたものでございます。
念は鬼なり。鬼は身体に「イボ」が沢山あります。あれは気の凝りを表した物で、十二獣の内、角のあるものは牛と羊だけです。結・老共に(牛と未)陰鬱にて凝るものゆえ、其の凝る気が角を生じたのです。
鬼は気の凝ったものゆえ、其の凝りを「イボ」に表したものです。又、虎の皮の褌をしめて角を頂いております。演(寅)の陽気を下にして、陰の角を上に致し、陰陽を上下逆にして気の凝りが鬼である事を絵に示されたのであります。・・・』

漢方・お灸なども有効だけれども、気質として「凝り」があると、それが理想我でなく気質として出た場合、イボなどが出てくるのである。医学・医術などの対応と同時に、気質・性格を省みて「淘げる」ことを心がけることも治療の一つなのではないかと思う次第である。


※「鬼」の話しが出たので、【密教霊術の超能力開発法(3)】にて、鬼の実在の記録をご紹介しよう。

おまえ滝行とかやりすぎて温泉マニアになったんじゃねぇ〜 でも冬の温泉はいいと思うじょー 温泉行くと爺婆(じじばば)の巣窟になっていること多しだろー いい温泉に浸かっていたら長生きするよ〜 親を連れてゆけば良い親孝行になるよ トンガリ的には「温泉饅頭」食いてえなぁ〜 なんだ〜! イボ取りやって虫切りやればおまえも立派な呪術師なんじゃねぇー 鬼って本当にいたのかぁ〜 

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密教霊術の超能力開発法(2)【人類の智慧と人工知能の饗宴の時代へ!】

  • 2015.01.14 Wednesday
  • 12:00
密教霊術の超能力開発法(2)

【人類の智慧と人工知能の饗宴の時代へ!】





◎霊術そのむかし

わたしは密教霊術の技法による脳力開発(超能力開発)というものを説いている。それはどのようなものであろうか?

そもそも霊術とは、霊学・古神道・神道・神仙道・道教・修験・密教など総合的に取り入れて摩訶不思議なことを演じたものであり、その活動の主体は「病気治し」であった。その昔修験道(それは明治初期の「修験道廃止令」以前の修験道のことだが)、その法の種類を調べてみると、病気治しが主なのである。

明治以前は各地で修験者が病気治癒の加持祈祷や護符を授与するなどの活動を行なっていた。医療も儘ならない時代であったから、祈祷などの原始的な方法で病魔を克服しようとした。

修験者は神の法も行なえば、佛僊の法も行なった。修験者の病気治しのイメージも相俟って、大正時代の霊術師を現代の修験者というように謳い扱ったわけであった。

明治末期から大正時代、昭和初期まで盛況をきわめた霊術は当時大変なブームであって、その辺のことは何人もの先生方が著述しているから、そういう方面の書籍で研究してもらいたい。

霊術は古えの超人たち(修験者・傑僧・仙人)の行いを喚起する、そういう修行や奇跡を行なった。当時の最新の科学、医学などの諸説を取り入れ、科学に負けないように強化して、催眠実験や今でいう氣功法みたいなことも行なった。実力のある霊術大家の講習会は、受講者が何十人何百人と人気を博したという。





◎精神霊動・人体ラジウム(人体放射能)を取り戻せ!

整体法の創始者 野口晴哉先聖の師匠 松本道別翁は「人体ラジウム」「人体放射能」というものを提唱した。それが今でいう「氣」であることは前のブログで述べた。

松本道別師はキュリー夫人の「ラジウム」の発見から「人体ラジウム」「人体放射能」という造語を作ったのであろう。だが、実際にはそれ以前の時期に「精神霊動」「精・エーテル」という表現で、霊術の根幹になる用語は出現していたのであり、彼の古えの修道者たちの奇跡は、単に古人の信仰や神佛のご加護のみで得られたのではなく、科学ですら到達していない未知の物質エネルギーを根拠・土台にして体現されたというのが霊術師(霊学者)の主張だったのである。

その未知のエネルギーの追求、体得活用こそが霊術家の活動だった。修験や密教、古神道の奇跡や古人の神通奇譚は、宇宙の根源的エネルギーによるのだというのが彼らの説だった。その根源的エネルギーのことを宇宙の太霊、天御中主大神、大日如来と位置付けて、すべての宗教の矛盾を科学的に解決しようとした。たしかにこの試みは間違いではなかったと思う。

だがその後、日本は日中戦争・太平洋戦争へとすすみ、敗戦して一気にアメリカの戦後政策によって打ちのめされ、より日本的なものは排斥され、一番肝心な部分が欠落されてしまった。欠落したというよりも社会の表舞台には出て来なくなった。いまでは継承が途絶えてかえりみられなくなった。



◎霊の作用(もう一つの霊術の土台)

一方では当時、神霊研究が行われた。福来博士による超能力実験、浅野和三郎氏による神霊研究。これらは西欧の影響が大いにある。西欧だからといって排斥する必要はない。優れているものは西欧だろうが中国だろうがアフリカだろうが関係がない。学ぶべきなのだ。

神霊研究の道を遺した先人に感謝したいと思う。この分野は霊術とは違うものだが、しかしまるっきり無関係ではない。不可思議な現象の力を霊の作用に定めたという観点は正鵠を得ていると思う。

密教霊術(霊学)の土台には「精・エーテル」「プラーナ精氣」の他に「霊の作用」「神霊」があることを諸人は覚えておくことである。





◎人工知能社会「第四次産業革命」時代をリードする!

人工知能の胎動、これを『第四次産業革命』と位置付けている。すでにドイツではこの動きが加速化し、アメリカでは部分的にではあるが人工知能のリードによる活動が訪れている。日本の政府も昨年の末から慌てて対応している。これらのことは諸兄も周知のことと思う。

『能力無きものは底辺社会に呻吟するしかない』ということも予告したからご存知と思う。

2045年には、人工知能が人間の知能を越えると予測されているわけだが、その本体は数センチのチップである。スーパーコンピュータですら100年かかる計算を「量子コンピュータ」なるものはたった数秒でやってしまうという。2045年にはより高度に発展することになろう。


 
アニメ・ガッチャマンの総裁Xと総裁Zの本体・人工知能チップ

あなたは科学忍者隊ガッチャマンをご存知か?このアニメで悪の総統である、総裁Xと総裁Zという巨魁が登場する、共にシリーズ最終回でガッチャマンに倒されるのだが、その正体というのが、チップなのである。すなわち人工知能+メカなのだ。

誰かが言っていたが、漫画を見れば時代が分かるのだと。アニメも同じで時代が先取りされている。人間の想像力はすごいものだと思う。コンピュータチップの人工知能が人間の知能を越える!こんなことを40年以上前に実感として感じることはできなかった。だが、それはわたしがこの世に存命している間に起こり得る現実となった。この事実は否定できない。

どうしたらすべて人間が幸せに生きることができるのかを考えなければいけない。これは見果てぬ夢であるが、真の平等な社会、平和な社会、真に自由な社会の実現、このことが「ミロクの世」であり「密厳浄土」の出現なのだと思う。

「潜在脳力」を動かす。この事しかないとわたしは思う。

ある人は人間は脳を10%しか使っていないという。5%だという人もいる。共通しているのは、残りの8割9割は活用していないのだと・・・。だからこの残りの部分を開発すればよいと・・・。

だが、またある人は脳をそれだけ動かしたら酸素供給や栄養(グルコース)が足りないので、その方面を開発しなければいけない云々。これらの諸説みなさんはどう思いますか?

わたしは確かに訓練やある意味での強化は必要だとは思うが、これはバーベルなどを持ちあげるときに瞬時の力を出すのと同じだと思うのである。レベルの差はあれ、誰でも出来るものだと考えている。

脳の活動というものは電気的な信号によって成り立っている。脳神経ニューロンには伝達物質がある。この伝達は微弱な電気信号のようなものだという。

「精氣」「エーテル」「プラーナ」というものは、『梵の座』というツボを通じて脳に作用する。このことをインドでは「梵我一如」といい、日本では「神人合一」、西欧では「聖霊降臨」と呼んだのであろう。

インドの諸説では「梵の座」のことをサハスララ・チャクラと呼び、中医学では「百会」という経穴(ツボ)と制定した。この部位は「ヨーガ・スートラ」では「聖霊の交わる処」と位置付けている。

ちなみに密教の灌頂や滝による禊では、この部位に清水や聖水を灌ぐ、これはこの急処が霊的な接点の部位であることを認識している事実である。「あたま」という言葉自体が、「在り霊(ありたま)」からきている語なのであって、古代人も認識していたわけである。

わたしは「神霊活動」「精氣エーテル」を人工知能社会を生き抜く為の秘密技術として応用しようと試みているわけである。普通に学習する研究するということくらいでは、人工知能による統御される世の中には対応できないと思うのだ。アイディアを霊感的に自在に得る。このことを目標にして、これを実現すればその他の脳力も得られると思うのだ。




わたしはその根本技法を密教の念誦法、古神道の鎮魂帰神法の中に見出しているのである。その土台が「精氣エーテル」の発現・吸収なのである。

わたしは未来の社会に密教霊術に秘められた技法を贈ろうと思う。実践・実証して、その技法の発展を未来人に託そうと思う。首尾一貫、わたしの使命はここにあると思う。


トンガリは科学忍者隊ガッチャマンに入隊すればよかった! 是非ともチップをやっつけたかった! まあトンガリならチップを油で揚げて「人工知能チップル」として一袋50円で販売してやったのににゃ〜 

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密教霊術の超能力開発法(1)【第四次産業革命の時代を生き抜く為に】

  • 2015.01.12 Monday
  • 12:00

密教霊術の超能力開発法(1)

【第四次産業革命の時代を生き抜く為に】


 
こうして密教霊術の土台を体得する!


◎なぜいま密教霊術なのか?

わたしは密教霊術の技法による能力開発というものを説いている。何故、わたしがこういうことを説いているのか、その理由をあなたはお分かりであろうか。

わたしは整体や指圧を研究している者であり、本業は指圧治療業である。ゆえに野口整体(整体法)や療術の歴史などを研究していて、整体法・療術のルーツが大正時代から昭和初期に勃興した『霊術(療術)』であるから霊術や密教をとり上げるのだろう、そう理解するかもしれない。だが、事の本質はそんなに単純なものではない。

わたしが密教霊術を現代に於いて提唱する理由・動機は、過去の産物をオタクのように調べることではない。

野口晴哉先聖という方が袴を穿いていたから、そんな格好に憧れて真似をしたり、野口晴哉氏が滝行をやっていて、彼の滝行法があると珍妙なことを宣べてみたり、その類いのバカバカしいことには興味がない。

あるいは野口晴哉先聖は修験をやっていたという人もあるが、そう主張する人に聞きたいのだが、野口晴哉氏がどこの流派の、どこの修験、どんな法を修行をしていたのかを明示してもらいたい。

そもそも野口整体を信奉している人間は、治療師としての腕は三流で、治療師として医専すら通学していない。(※したがって医学的知識を体系的に勉強していない。今の時代なのにである。)

密教・修験とか霊術ということを言うが、体得している者は絶無。それは違うという方がいたら、わたしの前で「般若心経」と「天津祝詞」を朗々と唱えてみてほしい。理屈はいらんから、ただその二点だけ見せてほしい。密教・霊術・古神道などを習熟しているというのなら心経と禊祓祝詞くらいできるだろうし、その音声(おんじょう)だけで得心させることができる筈だ。

整体の教えに凝り固まっているような輩には、未来を開く力はない。わたしのことを覆面で批難する者がいるようだが、誰一人として正々堂々と来院した者はいない。

口先だけの小僧・小娘などの若造の屁理屈などは野口整体つながりの小社会では通用するのだろうが、実社会ではまともに通用しないのである。

野口整体の大本・本体である整体協会にしても二代目の野口裕介氏が逝去し、三代目として野口晴胤氏がスパっと就任しない時点で、もうお先は無いということです。(※ご意見のある方は三代目が誰なのか明示してください。)

そんな整体なるものを信奉している連中に、密教や霊術に秘められた技法を、未来の為に抽出する作業などできはしない。しかし、密教霊術の根本技法を抽出できる可能性が一番あるのも、野口整体実践者だというのも、逆の事実だとわたしは思っている。

整体法のルーツは霊術の教えの中にすべてある。このことは研究すればするほど分かる事実であり、大抵の人が松本道別翁や桑田欣児氏、あるいは石井常造中将について言及する。たしかにそうなのだが、もう一歩奥を研究しないと真実は見えてこない。
(※野口晴哉先聖というのはパクリの名人、自家薬篭中にする達人ということです。)





◎人体ラジウム(人体放射能)の真実

野口先聖の師匠の松本道別翁が唱えた「人体ラジウム」「人体放射能」の概念、これは今でいう氣であるが、この根本的なエネルギーである「精氣・エーテル」というものをつかむということ、この一点に霊術体得の鍵があるといってよい。

密教・修験・霊学・霊術の土台というのは、「精氣・エーテル」「人体ラジウム」「生体電子」などと呼称されるものであり、インドのヨーガの呼吸法である「プラナヤーマ」という語によって、明確に示されている。

プラーナの吸収ということ、この一点が霊術独自の『霊働法(霊動法)』を体得する鍵であり、「プラーナ精氣」「精・エーテル」の発動・吸収の技法が霊術の第一の法なのである。



◎超人類社会のアデプトたちへの贈り物

わたしたちの世代は戦後派、それも東京オリンピック世代だ。すで日本には戦争の蔭も無くなり、生まれた時から物に満たされ何不自由なく過ごしてきた。

しかし、一方で地球的規模の戦争の脅威や公害、社会の構造変化を見てきた。いま齢は50歳前後になり、(平均寿命100歳の時代が来たとしても)既に半分の人生を終えている。この人生の後半期にまさに人類史上最大の社会的な変化に見舞われようとしている。

近未来には確実に人工知能によって統御される社会が訪れる。高度なロボット社会、人工知能による社会がくる。この変化は大変な階級格差を生む。いまの格差社会なんていうものと比較のできないくらいの社会がくるのだ。人工知能の胎動、これを『第四次産業革命』と位置付けている。すでにドイツではこの動きが加速化し、アメリカでは部分的にではあるが人工知能のリードによる活動が訪れている。日本の政府も昨年の末から慌てて対応している。

この動きが生み出す不幸は一言、『能力無きものは底辺社会に呻吟するしかない』ということである。

2045年には、人工知能が人間の知能を越えると予測されている。これは確実に実現するものだと思う。人間のやっていることの3割がロボットに取って代わる。人類はより便利に豊かになってゆくというのは事実であろうが、その豊かさの恩恵に浴することができるのは、すべての人類ではなくごく一部の資本家・権力者たちであろう。

大半の人間が落ちこぼれてしまう、そういう社会がくるのだ。あと30年も経てば宗教は無力になる。単に心に訴える道徳教えだけでは無力になるのだ。是非とも、人間の「能力」を開発しなければならない。

その技法を学ぶことによって、能力をアップして『超能力』とでもいうべきものを体得しなければならぬ。

わたしはその根本技法を密教霊術の中に見出しているのである。その土台が「精氣エーテル」の発現・吸収なのである。

アデプトとは超人のことであり、来るべき超人類社会をその持てる能力で生きてゆく、それが超人=アデプトなのである。

わたしは未来の社会に密教霊術に秘められた技法を贈る。これはわたしが死ぬまで追求し続け、実践・実証して、その技法の発展を未来に託するという、自らの使命に即した事業なのである。


超人類社会に生きリードするのがアデプト(超人)なんだ〜 人工知能やロボットを越える人間の能力ってなんだろうかぁ〜 たしかに当意即妙の洒落や落語家のユーモアは機械(人工知能)にはできないねー
たぶん! アイディアをまるで霊感的に、さらに意図して得る、それが未来人の脳力(超能力)だと言いたいのかぁ〜 宇宙猫エネルギー研究所の所長に就任したって聞いたけど本当かぁ〜
(追;宇宙猫エネルギー研究所所長ってのはコミケのコスプレみたいなものだよ!!川島より)


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近未来の超人類社会への提言

  • 2015.01.07 Wednesday
  • 00:00

近未来の超人類社会への提言



◎春一番と七草粥、そして異常気象

早いもので元日から一週間。6日は小寒。今晩は七草粥をいただく。今日までが松の内、正月のお飾りや折形等は本日をもってお下げしましょう。

お鏡さん(お鏡餅)は11日の『鑑開き』で開いてぜんざい等にしていただきます。

1月16日が「藪入り」、20日は大寒。そこから約2週間でようやく節分・立春をむかえ、真の迎春ということになります。節分を境にして干支や九星が変わるわけです。ですから暦の上では、あと約一カ月は未だ午歳なのです。

そんなわけなので元来のお正月というのは太陰暦に従います。春は、立春の2月4日に訪れます。

しかし、巷間でいう春は春分のお彼岸前後、桜の咲く時期ですが、整体的感覚では2月初旬であり、1月に春が訪れるということはなかったのです。

ですが、今年は1月6日(火)の昨日、春の訪れが来てしまいました。暦では「小寒」なのにです。

昨朝、霊夢にて春の訪れを示唆する内容を見ました。朝、吹く風の暖かみを感じ、体の緩まりを体感して、はっきり春の訪れを感じました。



◎未歳の運気は?

未の性質とは、老人の様な感じです。九星で言うと、二黒土星は老人のようであり未に似ています。しかし、二黒は転居の因縁は無い。未の気が強い場合、住所転居の悩みがあります。未は老人のようであり、おばあちゃんが孫の事を心配するように、いつもくよくよ悩んでいるような顔をしています。

前年の午は派手な感じの性質がある。ド派手な記者会見が多かったのはそのためです。

未はじっくり考える性質を持ちますから、今年人々は思慮の深いということが出てくるでしょう。

未の対宮は丑ですから、まさに動作の鈍いという感じの歳廻りです。



◎人工知能の可能性

さっそくNHKスペシャル五夜連続で人工知能の可能性が取り上げられていた。

興味のある方は是非番組を見ていただきたい。また、その方面の書籍も多数出版されているから勉強したらよいと思う。

一足飛びに人工知能によって統御された世の中が来るわけではないだろうが、今年から大いにその全貌が見えてくると思う。日本は産業技術で立っている国であるから、国民の理解力世界一という優秀さも相まって、ものすごいスピードで人工知能というものを使いこなすことになるであろう。



◎近未来の超人類社会への提言!

自然に親しみ、心の修錬、精神の練磨によって、自分の魂を知る。

修行とか修道というものは、自分の霊魂に目覚めるということが一番のテーマなのである。自分自身を知るとは、心も含めた精神・霊魂の把握覚醒のことである。

死ぬことを重ねる、繰り返し臨死する。脳の活動が日常ではなくなる時に、脳ははじめて霊魂の一端を自分に垣間見せる。死した脳髄の中で微弱な脳波が出ることはもはや知られた事実である。

そういう意味で睡眠へ入る過程は、死の兆候に似ている。人は毎日のように眠り、死の予行演習を行っている。

自然物に触れるということも、そういう観点から見てはどうか。禊を行なうというのも擬死再生の一つであり、寒さのあまり「無心」になるというのは、無心から想念が出てくるという思考発生のメカニズム、生命が母体に宿りやがて生まれるという、プロセスに擬しており、それはつまり「死と再生」なのである。

修験道で山に入り、擬死再生の儀式を修行という形で行うのも、整体で合掌して行気に集中するのも無心になるのは同じだということである。

無心になり、死に直面するということまで誘ってくれるのは、寒の滝行などの決死の修行だけである。自身のたましいと出会えるのは、そのような極限の修行でなければ為し得ない。

座って印を組んで、鎮魂帰神の神法らしきことをやっても無駄である。自分たちだけがやっているつもりになっているだけで、神法神術などにはなっていない。



◎霊的身体をつくる

意識だけでなく、霊的な身体をつくってゆくことが大切である。

是非とも古今東西に伝わるこの技法を世の中に広め遺したい。正確なところを未来の人類に遺しておきたい。

人工知能による統御、ロボット社会、人類は増々便利を手に入れ進歩するが、それに伴い自分というものを明確にする必要性が出てくる。高度な人工知能ロボット社会を手に入れると同時に、高い霊性・高度な道徳意識を持たない者は、高度に発達した超人類社会についてゆけず、底辺社会に呻吟するしかない存在になってしまうだろう。

気の身体ともいうべき、異質の身體を持つこと、それが人類の新たな可能性を開く、わたしはそう確信するものである。

密教霊術の技法の中にその可能性・発現技法を見出すものである。


超人類社会が近未来に来るってさぁ〜 ロボが活躍して人工知能が統御する!? じゃあ猫はどうなるんだ! あいかわらず日向ぼっこかぁー 今日はとくねこぱんの仲間のゆきちゃん紹介するよー


ゆき猫(猫生22年) 

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