滝行法講座について思ふ
- 2016.09.24 Saturday
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滝行法講座について思ふ
この9月25日(日)、滝行法講座を行なう。これは滝行法の伝授会である。
20代からお滝の修行をはじめて30年近くになる。
どれだけ入滝したのか調べてみた。確実に分かる回数をカウントしてみた。
2487回であった。
実際には2500回入滝を越えていると思うが、あと13回で2500入滝達成である。
回数を入ればよいというものではない。
やはり緻密さ正確さが必要で、荒行が目的ではない。
内心・内側に在る、佛性とか天心とかリクパ・眞一をつかんでゆくのがお滝の修行の一番の眼目である。
そのことをわたしは「霊魂を磨く」と称している。
だが付随して様々なものが得られるし、そういうものもねらって得られるようにするのが お滝の修行というものである。
神通力というものがある。
これはお滝の修行を通して確実得られるものだと思う。
仏教でいう「漏尽通」という最高の智慧を得る前に、必ずいくつかの通力が生ずる。
身口意というものがあるわけで、身での自在、口での自在、意(こころ)での通力が自然の出てくるのだ。
チベットではこれをンゴンシュという。
生きている時の基礎は気合に在るとわたしは思う。
適当な余裕と気合、そして物事を見極める智慧があれば、人生に失敗はない。思う所の人生を歩めるだろう。
人間大切なのは、死ぬるときの「末期の一念」である。
従容として悠々と逝く。
静寂に悠々と笑ってゆく。ありがとうと言ってゆくのだ。
末期の命息、後生を思ふて往生する。その意識を結定しておれば迷ふことはなし。
生死は一如である。
今回の講座では、生死の基(もとい)を説く。お滝を通して得られる大事を述べる。
川島竜徳しるす
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