密教【摩訶般若波羅蜜多心経の大功徳】
- 2019.08.30 Friday
- 08:00
密教【摩訶般若波羅蜜多心経の大功徳】
≡ 摩訶般若の神通の原理(その3) ≡
◎根本煩悩へのアプローチ
108煩悩が衆生を六道輪廻に繋縛する根っこだと仏教では云う。
ことに一番の根本煩悩は「無明」である。衆生が成仏の課程を経て
最後に直面する煩悩が「無明」という煩悩である。
108煩悩のうち、88煩悩が見惑の煩悩であり、
約めると「三結」という煩悩になる。三つの「結」、輪廻に結びつけるもの、
それが身見、疑惑、戒取の三結煩悩である。
見解を歪める煩悩が先の三つで、三結を断つことができれば、
見道を妨げる煩悩は断たれて、真実の信、本物の帰依が成就する。
「預流」になるわけで、ここからが仏教の聖者の階梯である。
聖者の流れに預かるということである。ゆえに「預流」である。
これは正しい見解を持ったということであり、ハ正道の第一である、
「正見」になる。この正見を土台として、修道に入る。
残り20煩悩を断つ修行に入るのだ。
煩悩を「纒」「結」「暴流」と云って、いろいろな側面を表現している。
どこからともなく漏れてきて、暴れる流水の如く、欲望の対象に結びつく。
一度出たら消えてゆくのではなく、習気・薫習と云って、さらに度合いを
増す。
残りの20煩悩が少し薄らいだだけで、一来となる。一来とは、
一度だけ、往生の後に人間として再生し、その生でアルハト(成仏)となる。
如何に残り20煩悩が断ち難いものか分かるであろう。
この20煩悩との命懸け闘いが仏道というものである。
だが、その道は暗中模索ではなく、仏陀釈迦牟尼によって既に明るい道に
なっている。その動力、ハンドル、灯りが「摩訶般若」なのである。
◎人間生存の深い闇の煩悩
人間には無意識というものがあって、意識できる部分はほんの一部でしかない。
例えば生存欲のようなものや食欲・性欲・睡眠欲は、存在と共にあって簡単に
統御できるものではない。
五欲を無くす、空無と化すなど、そう簡単にできるわけがない。
だが、釈迦はそれを成し遂げ、無明の根本煩悩まで断つ道(アラハンになる道)を
衆生にあたえてくださった。これを仏恩というのである。
無意識の領域は、把握できるものではない。我々が認識できる意識は
全意識のうちのほんの一部でしかない。無意識というのは不思議な働きをする。
言わば不随意である。思うようにはならない。
◎摩訶般若は無意識を照らす
摩訶般若の智慧は、この無意識領域を照らす。
およそ10%しか分からない人間の意識。残り90%以上は人間には分からない。
この世で摩訶不思議なことや、偶然、暗示的なこと、妙な一致、
これらは全て無意識90%以上の領域である。
中村天風師が「クンバハカ」すなわち保息法(クンバカ)を教えたというが、
中央脈管(スシュムナー管)にプラーナを満たすには、腹部で保息しなければ
ならない。左右の脈管と中央管は、下腹部で合流しているからである。
チベット密教カギュ派の修行にマハー・ムドラーというものがあるが、
私は観音菩薩のグルヨガを伴う、マハー・ムドラーに至る呼吸法の伝授を
受けており、確かに絶大な効果がある。
だが、これは誰にでもできるものではない。それよりも般若心経を唱える。
この読誦法に秘訣がある。この方法のほうが遥かに容易で即効性があり効果的だ。
大勢で為すこともできる。
単にプラーナを中心管に入れるだけでは、無明を照らす完全な智慧は出てこない。
「摩訶般若」を満たすことが必要なのである。そのためにはマントラムが必要なのだ。
読誦法、マントラの詳説は講習会で行なう。
摩訶般若波羅蜜多心経を唱えていると、残りの無意識領域90%まで、
明かりを灯すことができる。摩訶不思議が生ずるのは当たり前のことである。
摩訶般若の秘密神通の原理の三番目は、摩訶般若による人間の全無意識を
照らす智慧の光りということである。
〔摩訶般若の神通の原理(完)〕
合掌
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〔『摩訶般若波羅蜜多心経 小経本 印施の募集』〕
来年2020年(令和二年)摩訶般若の功徳を込めた小経本を作成し、広く布施行を
おこないたいと思います。ご協力頂ける方を募集します。詳細は後日発表します。
kawashima.seitai@gmail.com までご連絡を。
川島 謹記
川島徳慈しるす
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