密教【摩訶般若波羅蜜多心経の大功徳(番外・霊の実話編❸)】

  • 2019.08.26 Monday
  • 08:00

密教【摩訶般若波羅蜜多心経の大功徳(番外・霊の実話編❸)】


≡ 摩訶般若による檀那波羅蜜(お布施)の大功徳 ≡



◎霊の正体が判明!夢に御位牌が現れる!!


昼間の池上大坊・馬込「夢告観音」・エレベーターの怪異から離れ、

私はその日の夜、深い眠りについた。翌日の平成30年11月10日早朝或る夢を見た。


それは平成15年(西暦2003年)以前に私のクライアントだった人の家にいる

夢だった。夢を見た平成30年から考えれば、すでに15年も前のことだ。

その方の住居は東五反田の高級マンションで老夫婦二人住まいだった。

元は警察官で署長の任に就いていたという。私と出会った頃にはすでに引退し、

第二の就職先だった警備会社顧問の職も辞していた。惜しむらくは子供が無かった。


彼は戦前少年兵として僅かな期間兵役していた人で、叩き上げから昇進して

努力によって警察署長にまでなった人だった。奥さんをとても大切にしていた。

奥さんは「自分は病気だ病気だ」というのが口癖で、きちんとした人では

あるが、偏屈のある人だった。


夢では奥さんは居なかった。ある平屋の住宅で、公務員の宿舎のようだった。

夢でもなぜか私は治療師でそのために伺っていた。一人見たことない中年の

女性がいて、家族だということは分かったが誰かはわからない。奥さんを

さがしても見えるところには居ない。


( ※ 夢に出てきた小仏壇とお位牌はこのような感じだった!)


その元署長さんを治療し、ふと見ると、次の間に小さな舞台のように一段高く

なった板の間があった。せいぜい三畳か四畳半程度だ。少し薄暗く、大きな

金属製の御幣のような物があった。何かの行事に使うらしかった。


私は生来 法具のような器物が好きなので、それを持ち出して操作した。

そして横をみると、そこは少し薄暗く、粗末な小さい仏壇があって、

中に御位牌が安置してある。目を凝らして見ると「S家××××之霊位」と、

薄い字で書いてある。まさに署長さんの苗字だ。

とても線の細い感じがする、もの寂しい雰囲気だった。

「何だろう、あのお位牌は?」そう呟いた。


「そうか!これはS氏の奥さんの御位牌か!!」

そう思った途端に目が覚めた。




◎再度の霊夢!「霊界で再会、お宅に訪問す」


平成30年11月11日早朝。

翌日にまた霊夢を見た。この夢はより鮮明で色彩だけでなく、違う次元に

赴いた感覚がある。皮膚触感から会話の内容まで実にリアルだった。


今度もやはり平屋の住宅だったが、どうやら違う家屋のようである。

ご主人の元警察署長さん、今度は奥さんのH子さんも同席してやけに喜んで

いる。とても朗らかな感じだった。


複雑な緑色の不思議なカーペットが敷いてあり、家屋の中には家具などは

あまりない。15年ぶりなので積もる話もありいろいろ近況を話した。

だが奥さんは笑っているだけなのだ。いつものように少しの毒を吐くことも

嫌味を言うこともない。



そうこうしていると帰りの時間が近いと感じる。するとどういうわけか

奥さんの好物を私が認知していて、それは葡萄をしぼったジュースなのだ。

手元を見ると既にボウルがあり、葡萄もある。私はそれを手でしぼり、ボウルに入れ、

ジュースを作ってコップに注いだ。


「すべての衆生は、母であり父であった。私もすべての衆生の母であり父であった」

そう呟いて、Sさんの奥さんに、しぼりたて葡萄ジュースのコップを差し出した。

と、ここで夢が途切れた。


私は目を醒まし少し経ってから、実際に葡萄ジュースを買いに行った。

葡萄を買ってきて夢で見たように手でしぼったほうがいいのであろうが、

そこまでする必要もあるまいと考えた。買ってきた葡萄ジュースをお供えした。



◎檀那波羅蜜(お布施)の大功徳


今までの経緯の中で、読者の皆さんは肝心なことにお気づきだと思う。

このSさん夫妻の生存の確認だ。私は15年来会ってもいない。その生存の

真実は知らない。お二方ともお元気かもしれないし、御帰幽されているかも

しれない。この時点で生存確認はできていない。消息は分からないのだ。


当時使っていた電話のデータを読み込んでいた新しい電話器は海の中に落として

しまい既に無かった。だが、閃いた。それ以前の電話器はある筈だった。

探すとすぐに見つかり充電コードまで保存してあった。電源を入れるとアドレスに

その方の電話番号があった。


事物の御供養として、霊夢に則り、ぶどうのジュースを奥さんに御供養し、

日頃の勤めの霊供養で廻向した。

その内証は「摩訶般若」。

その行いは般若波羅蜜による「檀那波羅蜜(布施の行)」である。


いつも言う当会伝承の秘法「ふつそくまの御霊法」も加持真言と共に

摩訶般若波羅蜜の「蜜」を錬り込んでこそ大真価を発揮する。

皆さんも本物の供僧に出会ったら、お布施をはずんで御供養しなさい。

必ず檀那波羅蜜の大功徳があります。それは祖霊の追善供養になる。


さて、Sご夫婦の生存確認だ。

昔の電話番号で通じればいいのだが………。私は意を決して電話をかけた。

(つづく)
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〔『摩訶般若波羅蜜多心経 小経本 印施の募集』〕
来年2020年(令和二年)摩訶般若の功徳を込めた小経本を作成し、広く布施行を
おこないたいと思います。ご協力頂ける方を募集します。詳細は後日発表します。
kawashima.seitai@gmail.com までご連絡を。

川島 謹記



川島徳慈しるす








密教【摩訶般若波羅蜜多心経の大功徳(番外・霊の実話編❷)】

  • 2019.08.25 Sunday
  • 08:00

密教【摩訶般若波羅蜜多心経の大功徳(番外・霊の実話編❷)】


≡ 霊魂は摩訶般若に救いを求める!≡



◎霊の働きは間違いなくある


都営地下鉄 馬込駅のエレベーターの扉が、閉じては開き 開いては閉じる。

何かが扉に挟まれた時に起きる様な感じだった。偶然 同乗した見ず知らずの女性は

顔面蒼白で、目の前の出来事をまさに怪しんで訝しく思うような貌をしていた。


(番外・霊の実話❶)でも記したように、池上大坊(本行寺)から馬込駅まで

来る途中、私はいつものように「夢告観音」という古い石仏をお参りした。

この石仏観音の由来も奇しき逸話があり、夢中の現われて遷移の場所を

夢告(夢知らせ)したという奇譚がある。


エレベーターの怪異によって、何物かの存在により、異変が起きていることは

身体の全体で感じ、魂は明らかに認知していた。だが、都営地下鉄のホームにまでは

憑いて来なかった。(いや!来れなかった)

ある種の霊的エネルギーというのか、霊的メッセージというのか、そういうものが

「夢告観音石佛」にまつわる御神霊の助けをかりて私にきたことだけは分かった。


やがて帰宅し、時間も経ち就寝の床についた。寝る前の祈祷・祈念など行ない、

日中遭遇した、池上から馬込の怪異(霊の現象)を憶念して眠りについた。

すると早朝、不思議な夢を見た。明らかに霊夢である。




◎治療師の三つの妙味


私は当時、池上大坊に週に最低でも一度、多い時には三度訪れていた。それは

治療の仕事で「北門の棒杭」と言われる屋号のお宅に行っていたからだ。


治療師の妙味に、いろいろな人と出会い、さらにお宅を訪問するということがある。

被施術者のお身体を診るということ、お宅にお邪魔して家内を拝見するということ、

そのお宅の近辺の寺社や祠・石仏などを拝するということがある。


例えばあるお方のお宅にゆき、繰り返し治療し信頼を得てゆく。すると

自然と仏事や神事に話が及ぶ。そのうちの先祖故人の逸話が出てくる。

お線香などもご供養に持参すると自然とご挨拶もする。こうなるとご先祖様と

コンタクトすることは容易で、周辺の事情や古い事など湧き水のごとく出てくる。



◎先祖の追善供養など無いという輩・先祖供養を悪用する族


よく追善供養など仏教にはないとか、釈迦はそんなことは説いていないと

知ったかぶりで云う人がいるけれども、何の学問を齧った悪影響か、

誤り甚だしい。


新興宗教などで出鱈目 先祖供養 霊感商法に引っ掛かったからといって、

先祖供養など無意味だというのなら、そういう連中は先祖の位牌もお墓も捨てて

しまえばよい。死んだ親のことも思い出さず、釈迦は自分の煩悩だけみて断つ

と言ったから、日本の先祖供養仏教などインチキだと言い続ければよい。


たしかに霊の事実を使って、先祖供養はウチの教団でないとダメなどと

主張して信者から大金を貪るような下劣な宗教は、地獄行きであり、人間の皮を

被った餓鬼外道だが、だからと言って、親の御恩に報いる追善供養まで否定

するのは間違いである。


死んだ実の親のために追善をする。これはあたりまえではないか。

その死を悼んで恩を感じることのどこが悪い。それが煩悩の発露で、釈迦は

そんなものを認めていないというのなら、こっちが釈迦など認めんわ(笑)

親の御恩に報いる供養を認めない釈迦など要らぬわ(笑)


だが本物のお釈迦様はそんなことは言わない。

「あんたが摩訶般若波羅蜜を究めなさい。それを親にも廻らせなさい。」

こう言うでしょう。皆さんはくだらない戯論に振り回されないでください。

ご先祖様の追善供養を、悪用する族もいるし、先祖供養を否定する輩もいる。

どちらも大間違いの連中ですから。





◎池上大坊で私を発見した!


先述の霊的メッセージは、翌朝 霊夢という形で顕現した。

早朝見た夢には、その当の本人は出て来なかった。先ずその人の家族が出てきた。

霊夢と言っても一編でおしまいではなく、二夜連続で夢を見たのだった。


後で、その霊が言うには、大坊で発見した私は光って見えたそうだ。

その霊と縁(えにし)があったから、そう見えたのでしょう。

それは摩訶般若の「智慧の光り」だったのだと思う。


法華経の方便品第二の「十如是」は天台宗でもお唱えするが、日蓮宗は

氣一本、とにかく法華経読誦だけです。十如是の実相を知る智慧は「般若の智慧」

ですが、日蓮宗徒は摩訶般若波羅蜜多心経は読経しない。

死者には、「摩訶般若」の摩訶般若波羅蜜多心経のほうが届くのです。


件(くだん)の霊は、ラストチャンスは見逃すことはなかった。

案外 ちゃっかりしているものです。

(つづく)
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川島 謹記



川島徳慈しるす


密教【摩訶般若波羅蜜多心経の大功徳(番外・霊の実話編❶)】

  • 2019.08.24 Saturday
  • 08:00

密教【摩訶般若波羅蜜多心経の大功徳(番外・霊の実話編❶)】



≡ 池上大坊「棒杭」の神秘譚 ≡


◎大司命節直後の霊験談


大司命節という霊魂の秘機をご存知か。

私のもとで勉強した方や、当ブログを見ている方、あるいはその道を

勉強されている方は、大司命節という幽政の秘機が人間(じんかん)にとって

最重要の期間だということは分かっていると思う。

大司命節の32日間で霊的簿録の改定が為され、人間の運命が変わるだけで

なく、幽冥界の存在も境界が変更される。現界11月9日は改定が為された

第一日目なのである。


この大司命節をこの現界で正確に伝えたのは、宮地水位大靈壽神だけである。

この秘機の事実を現界に伝えたことが大靈壽神の使命だったかに思える。

今からお話しする「霊の実話」は、昨年の大司命節明け直後、平成30年11月9日〜

11月11日迄に起きた霊異だった。平成30年11月9日(金)には、親しい方が御帰幽

されたということもあり、非常に特殊であった。

今回述べる霊現象というのは、東京池上(東京都大田区)の大坊へ行った後に起きた。



( ※ 日蓮聖人 最期の旅路 身延山〜池上への道のり)


◎池上の北口「棒杭」の功徳

この日、私は池上本門寺全山の北口に位置するお宅に伺った。

もちろんこれは仕事の関連であり、長年池上の「棒杭」と言われるお宅に

治療に伺っていた。そこの奥さんが膝関節の手術をし、リハビリ入院するので

私の施術が受けられないとのご連絡があった。私は収穫した甘柿などお見舞い

がてら持参した。いろいろな理由からもう来ることはないと判断していたので、

大坊にも、池上の産土神社の本町稲荷社にも最後のご挨拶に立ち寄ったのだった。


大坊は日蓮聖人がご臨終した地で、そこで荼毘にふされた。荼毘の地には

立派な大塔が建立されている。池上は池上宗仲氏の住居で、日蓮聖人は身延山

から湯治にゆく途中に泊まられ、体調を崩され翌月 涅槃に入られた。


日蓮聖人は中原街道を経て池上に入られたが、入り口は「棒杭」で馬を降りた。

此処からが参道で、昔はどんな偉い人でも、馬を降りて歩いて参道に入った。

馬の手綱を縛っておく、それが「棒杭」の由縁だ。池上で棒杭のことを聞いて

ごらんなさい。知っている人は今時わずかです。この事を私が知り得ているのは

前世の法華経唱題の功徳なのです。




◎大坊の「お寄り掛りの柱」


大坊には「お寄り掛かりの柱」という聖物がある。聖人は、体調を崩されても

弟子や信者に法を説いたという。だが病状は日々悪化していった。そんな中で

柱に寄り掛かって説法をした。入寂する直前まで衆生教化を為していた。

その火の出るような暑い信仰の証しが「日蓮聖人 お寄り掛かりの柱」なのである。


池上大坊の御本尊は日蓮聖人の法華曼荼羅であるが、第一の法宝が

「お寄り掛かりの柱」だ。これはご本堂内陣の真ん中に、金蘭の包みにて奉安されて

いる。お参りすると、その一部が安置されており、手を当てて祈願できるが

本体は滅多に触れることはできない。


年に数回ある「壱萬遍唱題会」に出て一日中題目をやると、最後に内陣に入ることが

でき、お寄り掛かりの柱に直接触れることができる。

私が伺う予定だった「北の棒杭」のお宅の先代は、大東亜戦争の東京大空襲

(S20年3月9日)のおり、当寺の寺宝「お寄り掛かりの柱」を護るために真っ先に

幾人かで持ち出したという。大坊の檀家総代だったからである。

このお宅は、映画「男はつらいよ」で有名な寅さんの実家の団子屋の近く

葛飾柴又の経題寺(帝釈天)の先代・先々代の住職とも懇意な間柄で、「棒杭」と

いえば、その昔は誰でも通る屋号だったのである。



◎霊的な感覚を享ける


大坊のご本堂の廊下を行くと裏手に庭園があり、ゆっくり拝観できる。

普段は誰も来ない。庭園の向こうには当寺の霊園がある。

昨年の11月9日、私はこの庭園を見て別れを告げた。別れと言っても

また来ることはあろうし、いつでも行くことはできるが、毎週毎週仕事で

訪れ。その際には、大坊の各祠や小堂全て参拝し、墓苑の方にも手を合わせた。


この時には、はっきり墓苑の方角から或る種の霊的感覚があった。

私の「魂の光り」を誰かが見ている。渇仰している。ある種の憾みも感じた。

こういうことは寺社に行くとよくあるので私はあまり気にしなかった。


日々、摩訶般若波羅蜜を心深く念じている私ではあるが、日蓮宗(法華宗)のお寺で

般若心経を唱えるようなことはしない。

真言宗の寺院では「まかはんにゃはらみた」、

天台寺院では「まかはんにゃはらみった」と状況に合わせるように努力している。


しかし、法華経は密教の胎蔵界系統であり、般若にも連なっている経典で、

般若は仏教の根本であるから、心深く念じていても違背はしない。ただ日蓮

系統の寺院では般若心経は唱えない方がよい。


棒杭のお宅にゆき最後の挨拶をすませると、今度は馬込方面に向かい、

いつも行く度に法楽を捧げている「夢告観音」にお参りした。


此処に移動する際に、何故か誰かが付いて来るのを感じた。いつも通り、

「夢告観音」の祠でお経をあげて都営地下鉄 馬込駅へ向かう。

駅は地下なので、地上から専用のエレベーターに乗る。見知らぬ女性も同乗した。

するとエレベーターが扉は動くものの、開いた閉じを繰り返し、扉が完全に

閉じない。よく扉付近で体が当たると開扉するアレである。


結局、数分そうしていると自然に扉は閉じてエレベーターは動きだした。

同乗した女性は顔面蒼白だった。私もさすがにコレは異常だと思った。

その答えは翌朝に夢中で顕現した。具体的な霊界通信があったのだ。

(つづく)

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〔『摩訶般若波羅蜜多心経 小経本 印施の募集』〕

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川島 謹記



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密教【摩訶般若波羅蜜多心経の大功徳】

  • 2019.08.22 Thursday
  • 08:00

密教【摩訶般若波羅蜜多心経の大功徳】


≡ 摩訶般若の神通の原理(その2) ≡



◎神通力(ンゴンシュ)の顕現


身・口・意の十の不善を戒める戒法が、菩薩の十善戒である。

十の不善の根源は勿論「煩悩」である。


この煩悩が逆転すると、身・口・意に於いての神通が出てくる。

神通力が顕現・発現するのである。


通常の時には、衆生の意識は二元論になっている。

主体と客体がある。自分と外部というように二元化している。

だが悟りの状態は、完全に一元化した状態にあるのだ。


二元化した中で、ある特殊な超能力を持っているとしても、

そのような通力・超能力は、煩悩に結びついたものであって、

スポーツ選手(野球の選手)がものすごく速い球を投げるという能力

みたいなものだ。確かに豪速球を投げることができても、

その速球を永遠に投げることはできない。


世俗的には、その能力で何某かの効能はあろうが、

霊的な進化、悟りに至ることはできない。


摩訶般若による開発は、全てに「般若の空」を与える。

意識が一元化すると、身・口・意を通じて能力が出てくる。

これが六神通力である。



◎チャクラに摩訶般若を満たす


あなたはチャクラというものをご存知か。

このブログを見るほどの方だから、当然ヨーガのチャクラというものは

知っていると思う。


仙道では「宮」ということもあり、古代日本では「クラ」ということも

あったようである。


チャクラは輪を意味し、宮やクラは、在る場・温存する場を意味する。

回転しながら円輪の状態でエネルギーが発散・凝縮する様を世界各地域で

表現したのである。古今東西何らかの形でチャクラというものを把握して

いたと言えるだろう。


身・口・意に対応するチャクラは、

身=眉間(第三の眼)のチャクラ

口=喉のチャクラ

意=胸のチャクラ。

あるいは、身は性器・下腹部・腹部

口は喉、意は頭部という見方もある。


だが、神智学で有名なリード・ビーター氏による「チャクラ」説は

臓器の部位をもってチャクラとしており、これは正しくない。

彼の説は「チャクラ」という書に記されている。

本当のチャクラの位置は、中央脈管の結節にある。中央脈管を

ヨーガではスシュムナー管といい、チベット医学ではウマというが、

この脈管上にチャクラはある。

左右の脈管をイダー、ピンガラ(チベットでは、ロマ、キャンマという)

と言い。通常 プラーナ(生氣)は左右の脈管を流れている。


スシュムナー管は、竹のごとくであり、竹には節がある。それがチャクラだ。

脈管の中は空っぽであり、ここに生氣が入ると意識が一元化する。

左右の脈管に生氣が流れている時は、意識は二元論にはまっている。

だがプラーナ(生気)というのは相対的なものであるから、それそのものは

空ではない。中央脈管に生氣が入ることで、摩訶般若がスシュムナーを

満たすことにつながる。

(※この修行法はマハー・ムドラーである)


最終的には、チャクラもスシュムナー管も消えて、光明になり、

「空」と化す、そういう修行法が用意されているのだが、般若心経を

日々お唱えしていると、それは容易に為される。



◎般若心経は涅槃ニルヴァーナをもたらす


こうして中央脈管に生氣が満たされると「正見」「照見」が生じる。

すなわち漏尽通につながってゆくのである。


密教では、三密を一つにする。身・口・意を統合する。

すると摩訶般若が頭頂部より入り、中央脈管に満たされる。

身・口・意を統合すると、コーザルに通じる。コーザルをさらに進めると

ブッディ界に足場ができる。ブッディ界とは涅槃(ニルヴァーナ)のことだ。


コーザルというのは虚空蔵であり、空海により有名になった

「虚空蔵菩薩 求聞持法」と関連がある。虚空蔵とは智慧の蔵なのだ。

般若の智慧の蔵だ。


また、頭頂部を道教では「泥丸(ニーワン)」と言い、この部位に悟りの

焦点があることを示唆している。

泥丸(ニーワン)とは、「涅槃ニルヴァーナ」音写である。


私が以前から申している、仏陀への真の「帰依」は涅槃ニルヴァーナ

つながり、ブッディ界に足場を作ることになる。これが仏道の秘訣である。



◎三つの母の御恩と報恩謝徳


足場ができてしまえば、あとは「正見」「照見」を確立してゆく。

すなわち「四聖諦」を正確に行ずるのだ。その上で、八正道を行ってゆけば

確実に成仏の階梯を歩むことができる。仏陀釈迦牟尼は、衆生の為に

「四聖諦」を説いて工夫してくださった。これがなければ衆生は

成仏できなかった。まさしく母の如し。仏母である。


母に三つあり、実の母親、うぶすな(産むすな)、大般若仏母である。

この三つを大切にしないものに霊的進化も成仏もない。

幽顕問わず、母親の存在は永遠である。へその緒で繋がっている。

先ずまず、報恩追善供養は、実母に届く。神もホトケも一番助けてくれる。


現界に実母のすでに無き人も、まだ在る人も、母親に孝行せよ。

母に語れ。自分の元気なことを。一生懸命に親から貰った命を大切にして

生きていることを。お香・供物を捧げて、これを幽冥に送れ。

あるいは好物を食べさせてあげなさい。足を揉んであげて、体の疲れを取る

ように指圧・撫擦してあげなさい。幽顕問わず、喜び事を伝えなさい。

そして「摩訶般若」の大功徳を伝えてあげなさい。

そう、摩訶般若波羅蜜多心経を読誦するのだ。

この辺の詳しい解説は、講習伝授会で行なうことにしましょう。


一番の大功徳。それは、これら仏道の歩みを摩訶般若波羅蜜多心経の読誦は

助法してくれることである。


今日はここまで。



川島徳慈しるす

密教【摩訶般若波羅蜜多心経の大功徳】

  • 2019.08.20 Tuesday
  • 08:15

密教【摩訶般若波羅蜜多心経の大功徳】


≡ 摩訶般若の神通の原理(その1)  ≡



◎身口意の三業


密教などでは、身口意の三業という。あるいは三密という。

三業は凡夫、三密は仏菩薩 聖者の身口意の働きである。

密教の即身成仏の方法は、凡夫の三業とホトケの三密を合一する

三密加持というものだという。


この三業に対する十善戒の戒法を確立したのが、慈雲尊者である。

すなわち「菩薩の十善戒」を広めたのだ。

身業に対する戒が3、口業4、意業3。


「菩薩の十善戒」は以下の通り。

〔身業〕
不殺生(ふせっしょう) 故意に生き物を殺さない。
不偸盗(ふちゅうとう) 与えられていないものを自分のものとしない。
不邪淫(ふじゃいん) 不倫など道徳に外れた関係を持たない。
〔口業〕
不妄語(ふもうご) 嘘をつかない。
不綺語(ふきご) 中身の無い言葉を話さない。
不悪口(ふあっく) 乱暴な言葉を使わない。
不両舌(ふりょうぜつ) 他人を仲違いさせるようなことを言わない。
〔意業〕
不慳貪(ふけんどん) 激しい欲をいだかない。
不瞋恚(ふしんに) 激しい怒りをいだかない。
不邪見(ふじゃけん) (因果の道理を無視した)誤った見解を持たない。


秘教的に言えば、身・口・意は、

⑴肉体エーテルダブル(身)、下腹部から腹部のチャクラ、

⑵アストラル体(感情体)、胸部のチャクラ、

⑶メンタル体(知性体)、頭部のチャクラ、

となる。



◎三業(身・口・意)と摩訶般若


なぜ摩訶般若波羅蜜多心経を読誦すると「神通」ということが可能に

なるのか。その原理というものを述べたいと思う。


読経が単なる呪術になってはいけないし、あくまでも衆生が成仏の階梯を

歩むのに結びついていなければならない。

そういう意味では、摩訶般若と神通のことは、副産物的な意味でしかない。

だが、般若心経が、摩訶不思議な経典として受け継がれて来た

摩訶不思議な般若の働きを闡明にしないと伝承の不思議を解き明かすことが

できない。


古来、六神通ということが言われてきた。

六つの神通。これらは般若心経の大功徳を通じて実現できる。

大切なことは、副産物的な神通の五つではなく、主体となる神通、

そう、「漏尽通」である。


「漏」とは勿論 煩悩のこと。

それを「尽くす」通力だ。

仏陀の教えは、煩悩を断ち切るということに尽きる。

仏陀の弟子の出家(僧侶)とは、煩悩を断ち切るために、煩悩の対象を

全て捨てる。まさに命がけで煩悩と闘い、これを断つ。


一方、後から出てきた密教は、煩悩を「変化(へんげ)」のエネルギーとして

使う。実際にこれは可能である。だが、釈迦直接の教えでも、密教でも

土台は同じである。それが「般若(パンニャー)」である。


極論を言えば、チベット密教のアティ・ヨーガ(無上ヨガタントラ)

すなわちゾクチェンと言われるものだが、これも同じことだ。

摩訶般若と知り、実践した上で、自分がラマから伝授された修行を

正確にやってごらんなさい。結果は目に見えてわかる。


神通ということ知っておくと、自分で判断できるようになる。

だから逆に超能力オタク、霊感オタクになるのはやめたほうがよい。

また、商売に使おうとかいう考えも捨てるべき。

摩訶般若は、本物の「空」なのだから、一切の世俗観念を捨てるべきだ。


もっと言うなら、そんなことを目指さなくても、

自然に「ンゴンシュ(神通力)」が生じてくる。だからこそ「摩訶般若」

なのである。自分の居るところで摩訶般若の神通を発揮するようになる。

如法に修行すれば、差はあっても誰でも神通力が発現する。

摩訶般若は誰のものでもない。発心すれば誰でも平等に功徳をいただける。

まあ、修行はコツみたいなものがあるから、それを何らかの形で学べばよい。

自分で工夫するもよし、どこかの大先生に習うのもよし。

まったく自由だ。だが正確にやりさえすれば、その積み重ねに応じて

摩訶不思議が生ずる。


煩悩は三業(身・口・意)を通じて漏れてくる。これは衆生の体の構成に

したがっているからだ。「摩訶般若」も三業に浸透し、三業が三密になり、

神通力として顕現してくる。実に簡単なことだ。


例えば、意の煩悩の「むさぼり・おしみ」があるとする。

これが逆になって出てくる。あるいは「いかり」がある。

これは「慈悲 やさしさ」として発現する。

邪見はどうか。これは「正見」として出てくる。

この「正見」の通力が一番重要で、ここに「摩訶般若」の眼目がある。

今日はここまで。



川島徳慈しるす





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