最近の印象深き出来事(1)【音楽家 佐村河内 守 氏】

  • 2013.04.03 Wednesday
  • 20:29

【最近の印象深き出来事(1)】


◎音楽家 佐村河内 守 氏

先日、NHKスペシャルでこの方の特別番組が放送された。

はじめてこの方の存在をTVで知った方は、衝撃的だったと思う。

彼は外国からの評価で“現代のベートーベン”と呼ばれる唯一の日本人である。

本名、佐村河内守(サムラゴウチ マモル)、1963年生まれ、49歳。

14年前に原因不明の病で両耳の聴力を失なう。

クラシック作品の中で最も困難とされる交響曲を書き上げたという。

完全音感であったからこそできる業であるが、その取り組み方が凄まじいのだ。

大量の薬を服用して、意識を意図的に混濁させ、その隙間から出てくる音を拾い上げて作曲する。普段は、365日、24時間ある音階の雑音が彼を襲っている。

「交響曲第一番“HIROSHIMA”」は音楽界では絶賛されている。

過去1000年間の音楽が頭に入っていなければ創作はできないだろうという程のものらしい。

番組は東日本大震災で親を失った少女との交流の中で、佐村河内氏が光りを得、彼女の亡き実母のために「レクイエム(鎮魂歌)」を作るという、壮絶な取り組みを取材。

音のない世界の住人、佐村河内がいかにしてレクイエムを完成させるのか。

今年の3月上旬に予定されていた宮城での演奏会に向けた制作現場に密着する。

さらに、彼の交響曲に救いを見いだした被災者たちの取材も加え、“命を削り、音を紡ぐ”作曲家・佐村河内守の実像に迫っていた。 

正直、五体健常で「文句の心」が出る自分が恥ずかしいと思いました。

佐村河内氏は、被災者の少女のことに関して「わたしには一人しか救えないんです」と語る。

本当の救いとは、佐村河内氏のような深い人間愛によるしかなく、そういう慈愛によって、最後には本人が真の救いを見出すことでしかないのだと思う。

闇に閉ざされた世界に真剣に生きているからこそ、本当の光りが分かるのである。是非、皆さんもNHKで再放送があったら見ていただきたいと思う。

【サイマティックス滝行気合法】

  • 2013.03.02 Saturday
  • 00:00

宗教的修行の未来【サイマティックス滝行気合法】

◎サイマティックスの基本原理

すでに古典的名著の中に含まれてしまう『スーパーネイチャー』というライアル・ワトスンの好著がある。(※一般的にはライアル・ワトソン、2008年逝去。蒼樹書房より牧野賢治訳で刊行されている。)

もう30年以上前の名著であり、お読みになった方も多いと思う。だが、物事はあたらしければ良いというものではない。書籍などは、尚さらそうなのではないかと思う。

この書のなかで、ワトスンは「共鳴」ということを取り上げている。18世紀のドイツの物理学者エルンスト・クラードニの実験などを例にあげて説明している。

『・・・すべての形態はそれ自身の特性を持ち、われわれが身の周りに見る形態は、環境の振動数の組合わせの結果である、ということはありうることだ。十八世紀に、ドイツの物理学者、エルンスト・クラードニは、振動のパターンが見えるようにする方法を発見した。彼は、バイオリンの上に薄い金属板をはりつけ、その上に砂をばらまいた。そして、弓で弦をこすると、砂が美しいパターンに配列することを見つけた。現在、クラードニの図形として知られているこの配列は、金属板の振動しない部分だけに砂が集まるために生じるのである。それらは、波動の作用を実証するために物理学で広く用いられてきたが、それらはまた、異なった振動数は異なった形態のパターンをつくり出すことを非常によく示してくれる。・・・・。クラードニの図形が、しばしば、ありふれた有機体の形になることは興味があるし、多分重要であろう。木の年輪のような同心円、シマウマの背中の縞のような交互の線、ハチの巣の穴のような六角形の格子、・・・。これらはみな、普通に起こることである。この現象の研究、物質に対する波動の影響は、サイマティックスと呼ばれている・・・。』

『・・・サイマティックスの基本原理は、環境の圧力は波動のパターンをになわされており、物質は波動の振動数に依存する形態をとって、これらの圧力に反応するということである。かかわりのある振動数の数は限られており、自然は限られた数の機能的な形態を繰り返すことによって、予言的な方法でこれらと反応しようとする。・・・』

さらにハンス・ジェニーについてもふれている。彼は、クラードニの図形をさらに改善した。トノスコープを発明して、音を不活性物質中の目に見える三次元のパターンに変えるこということに成功した。人間の音声を音源として用いることが可能となった。

例えば誰かがマイクロフォンにむかって「O」という文字を発音すると、その装置は完全な球体のパターンを生じる。

ワトスンはいくつもの実例をあげて、共鳴の秘密を説いている。

◎サムライの気合

また同書では、日本のサムライの気合についてもふれていて、気合というものを共鳴・共振という角度から解き明かしているのである。

つまり、気合法とは、日本のサムライ(や修験者)が、その修業のなかで培った共鳴の方法だというわけである。

一撃の気合で、相手を制圧したり、逆に気力勢いを出したりする。これは音響・共鳴にその秘密があることなのである。

◎サイマティックス滝行気合法の創案

わたしが20代からひたすら滝行法をしたのは、この共鳴の秘密を知るためであった。このことは、いま作り話でいうのではなく、本気で取り組んでいた。

その霊場には、その霊場の形状・形態があり、その形態の波動(エネルギー)が存在する。そして、その形態から発生している、波動に共鳴する音が存在するということなのである。

このことを長年かけてつかんだ。


川島金山謹製の不動尊種字マンダラ

例えば、その霊場に不動明王が祀られ、不動明王に由来する霊的なエネルギーがあったとする。

この場合、その波動を出す形態が、その霊場にあるということを意味する。

そこで修行者は、その場に適合した音、つまり真言(マントラ)を修唱するのである。

そして、その波動と一つになることを実現する。

水も火も、そうだ!水は下降し、火は上昇する。それらは螺旋形を描く。火炎は燃えがるときにその様相を呈する。水は渦を巻くのである。

この形状パターンは、生命の根源であるDNAの螺旋構造と同じものなのである。水や火を使って修行したりするのは、生命力を高めて、本源にまで遡及しようという、まったく自然に適ったことなのである。

気合法というものの効用は、霊場との共鳴・共振を実現する前提づくりである。

場には、時に良からぬ共鳴音・波動がある。

気合の一撃は、共鳴する身体を作るだけでなく、この良からぬ波動を消滅するものなのである。

その音の深い本質的な意味、深い呼吸、一撃の気合、手印、こういうものが相俟って、いわゆる邪気を祓い、聖を招くのである。

大切なのは、振動数なのである!

名付けて『サイマティックス滝行気合法』という由縁である。

そういうわけで、3月3日(日)も早朝夜明け前から滝行気合の共鳴錬行を行なう。

理屈も大切だが、実際の修行はもっと大切である。命である。
 

いよいよ時来る【法王予言は真実か?】

  • 2013.02.12 Tuesday
  • 10:01


いよいよ時来る【法王予言は真実か?】


TBS News ↓
ttp://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye5254969.html

ローマ法王のベネディクト16世が今月末までで法王を退位すると表明しました。法王が自ら退位するのは、およそ600年ぶりのことです。

 「私は高齢のため、もはや体力が自分の職務を果たすのには適していません」(ローマ法王 ベネディクト16世)

 ローマ法王庁によりますと、ベネディクト16世は11日に開かれた枢機卿会議で85歳という高齢のため、体力や精神力が衰えたとして、今月28日までで法王の座を退くことを表明しました。

 ローマ法王が死亡以外で退位するのは、1415年のグレゴリウス12世以来、およそ600年ぶりです。ベネディクト16世はドイツの生まれで、2005年4月から第265代法王に就任していました。

 退位表明を受けて、バチカンでは、来月末までに新たな法王を決める選挙、「コンクラーベ」が開かれる見通しですが、後任が選ばれるまでは「法王不在」という異例の事態になりそうです。

(TBS Newsより転載)
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◎聖マラキの法王予言

聖マラキの法王予言というものがあります。

詳細はご自分で調べてみてください。とにかく、歴代の法王の業績や特徴をニックネームのように言い当てているというものです。

この予言は、112まであり、現法王は111の「オリーブの栄光」。前法王は「太陽の労働」。次の法王は112番目の予言であり、他とは予言全体の様相が違う。

1〜111までは、この112を書くためのものではないかと思う。以下に記す。
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110.太陽の労働
ヨハネパウロ2世。前法王。

111.オリーブの栄光 
ベネティクト16世(2005-2013・2・28)彼が襲名したベネディクトは、聖ベネティクトゥスと結びつきが深い。(※ベネディクトゥスはオリーブの枝をシンボルとするベネティクト会の創立者である)。

112。ローマびとペテロ
ローマ聖教会への極限の迫害の中で着座するだろう。彼は様々な苦難の中で羊たちを司牧するだろう。そして、7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る。終わり。
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わたしは予言の中でもこの予言に最も注目していました。

いよいよ大世紀の転換点にさしかかり、「アクエリアスの時代」になります。天文学上で、そのようになるのです。「魚座」から「水瓶座」への転換。

世の中は大きく変わります。

欧米その他を引っ張ってきたキリスト教(カトリック)が大きく変わるときがきました。

わたしもみなさんも歴史の証人になるのでしょうか?

楽しみですね! 

西郷隆盛の顔貌

  • 2013.02.09 Saturday
  • 09:45

西郷隆盛の顔貌

   

よく観てください

少し耳が違うけれども、骨格的にこれは同一人物だといわれている

西郷隆盛の貌【西郷隆盛論(5)】

  • 2013.02.04 Monday
  • 00:00

西郷隆盛の貌【西郷隆盛論(5)】



 

薩摩藩士の早々たる面々。

真ん中は島津久治。

むかって左端は西郷従道(西郷隆盛の実弟)と推定。

問題は、むかって右端の大男。

この人物の面魂をよく見ていただきたい。

わたしはこの人物を見たときに大変な感動をおぼえました。

この写真は有名な「十三人撮り」といわれるものです。

西郷隆盛の教え、
『道は天地自然の物にして、人は之を行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也』
この言葉を吐けるのは、写真むかって右端の大男のような面魂をもった人間でなければ出来ないことでしょう。

わたしは相学に瞠目追求して以来、数十年の月日が経ちます。ですから人物を観る場合、人相というものを非常に重要視しています。

やはり、その人間の生き方や性質は顔貌に刻まれ、表現されるものです。長年の観察からこのことは確信しています。

わたしは、洗足池の辺にある、西郷隆盛ご霊祠の前にて、この一葉の写真を置き、日本を良き方向に導いていただけるように西郷南洲先生の御魂に、冥助神佑を祈りました。

今後は事あるごとに西郷隆盛の功績と教え、この写真を世に伝えてゆこうと思っています。

本来ならば、東京で一番大きな神社として大西郷神社が建立され、百何十年の間、国民に拝まれてもおかしくないのです。

こういう人物が世に出て、幾久しく国民に拝されていたならば、この国の歴史も大きく変わっていたと思います。

いまだに二流国家に甘んじているのは、こういう人物を抹殺した輩が、その後の日本国を支配して国の基礎をつくったからでしょう。

もっともそれも外国の策謀におちているという一つなのかもしれませんが・・・。

いや、なにもアメリカやイギリスが黒幕だとは言ってませんよ。

皆さんも、よくよく思いをめぐらして、考えてみてください。

立春にしるす 川島金山
 

大西郷遺訓【西郷隆盛論(4)】

  • 2013.02.02 Saturday
  • 00:00

大西郷遺訓【西郷隆盛論(4)】

わたしは修行の要諦とはどこにあるのか?といわれたら、まず西郷南洲先生の『遺訓』の第26を示す。

これはほんとうに凄いと思う。

以下に示す。

『己を愛するは善からぬことの第一也。修業の出来ぬも、事の成らぬも、過を改むることの出来ぬも、功に伐り(ほこり)驕慢(きょうまん)の生ずるも、皆な自ら愛するが為なれば、決して己を愛せぬもの也。』 

自分の内にも外にも、宗教(よりどころ)を扶樹するには、己を愛しているようでは、事成らぬということである。

誓願というけれども、「無我」を土台にした願いこそが最も尊いものだと思う。

寒行にしても、「無功徳の功徳」こそが一番ありがたいのである。

このことをしたら、こういう資格が得られるとか、こういう能力を得られる保証があるから行なうとか、そんなものは真の修道、宗教にはないのである。

皆伝印可のお免状をいただいても、そんなものは紙切れにすぎぬ。

弁護士に成ろうが、医者になろうが、そんなものが尊いのではなく、何を為したのかが大切なことだ。

敢えて言えば、小さな自分というか、「小我」というか、そういうものを越えること。そこのところを先ずは示しているのだと認識すべきである。

吾が会の修道者は、「我、我無くして、我あり」の境地を目指してほしいと思う。

大西郷遺訓【西郷隆盛論(3)】

  • 2013.02.01 Friday
  • 00:00

大西郷遺訓【西郷隆盛論(3)】

正確には『南洲翁遺訓』である。(西郷南洲顕彰会より発行)

『西郷南洲遺訓』は、山田済斎編にて岩波文庫から出ている。

『道は天地自然の物にして、人は之を行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也』

(現代語訳)『道というのは、この天地のおのずからなるものであり、人はこれにのっとって行うべきものであるから何よりもまず、天を敬うことを目的とすべきである。天は他人も自分も平等に愛し給うから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である。』

これを『敬天愛人』という。これが西郷の教えでもあった。また、事成らぬのも、修業がすすまぬのも、己(ばかり)を愛するからだと看破している。

このことは非常に重みをもつ言である。

『遺訓』は西郷を慕う同士の手によって編まれ出版された。

明治22年(1889年)2月11日、大日本帝国憲法発布の特赦によって西南戦争での西郷の賊名が除かれ、西郷の教えを遺す運びなったのである。

西郷の顔は、伝えられてはいるが写真は無いとされてきた。時の明治政府によって、賊軍を率いたので、すべて回収されたと巷では伝承されてきた。

諸兄もなんとなく聞いたことがあるだろう。

しかし上野の西郷像といい、有名な西郷隆盛の肖像画が存在する。我々は、その肖像画によって、こういう顔貌をされていたんだなと思っている。

事実、岩波文庫の口絵もその画である。



この画だ!

この肖像画はキョーソネという人物が、一度も会ったことも無いのに描いたものなのである。

西郷の実弟と従兄弟(大山巌)を合成して描いたのが上記の肖像画なのである。

何でこんなことになったのか?という詮索は後回しにして、フルベッキという人物が伝えている謎の写真が伝えられている。

それは下の写真だ!


中央の黒い着物の大男、これが西郷隆盛だと伝えられている。

横には大久保利通などいるが、周りはすべて台の上に乗っている。ただ、むかって右横の人物は大きい人であり、西郷の実弟(西郷従道)である。

彼は右手が悪かったので、必ず写真撮影は右手を隠したという。

この写真には明治維新の立役者が相当写っているのである。

大西郷遺訓【西郷隆盛論(2)】

  • 2013.01.20 Sunday
  • 00:00
大西郷遺訓【西郷隆盛論(2)】

『人を相手とせず、天を相手とせよ、天を相手として己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし』

「人がどう思うかということよりも、天意にかなった生き方をしているかどうかが大事なのだ」、ということであろう。

「お天道様に顔向けできない」などと言うけれども、易経の六十四卦中の「乾為天(けんいてん)」に、『天行健なり。君子はもって自ら彊めて息(やす)まず』とある。

『天行健。君子以自彊不息』と書す。 日本語の「自彊」の語源である。

西郷のいう『天』とは、この易経などで示されていることを指しているのだと思う。

西郷隆盛とは、どういう人だったのか?

或る人曰く、「大きく叩けば大きく響き、小さく叩けば小さく響く」そのような人だったという。

身体は大きく、眼光炯炯、腹は太く、筋骨たくましく、当意即妙を得、臨機応変にて機敏、豪胆な英傑であったのであろう。

そうでなければ、天など語ることはあるまい。

    

王仁三郎の言葉【西郷隆盛論(1)】

  • 2013.01.19 Saturday
  • 00:00
王仁三郎の言葉【西郷隆盛論(1)】

南洲西郷隆盛の論(1)である。

戦前の宗教界の怪物、出口王仁三郎師(でぐちおにさぶろう)。

誰でも知っているわけではないが、どこかでその名前を聞いたことくらいはあると思う。

奇異な行動や独特の風貌、官憲によって弾圧されたこと、「第一次大本教事件」「第二次大本教事件」などの事件の巻き込まれたこと、とにかく事件の中心にいたのが王仁三郎だった。

この人物の幅というのは大変なもので、どうしてそんなことまで知っているのかということが、しばしばだったそうである。

わたしもその語録はよく読んだものである。

神事をやりながらも、仏典にたいする造詣もあり、その識見は端倪すべからざるものがある。



彼の発言を編揖した書に『三鏡』がある。

その書には、西郷隆盛のことが少しだけ記されている。

『遠くは豊臣秀吉公が一等星であり、近くは西郷隆盛も一等星であった、それ以来、日本には一等星の人物は出ていない』と・・・。

一等星の人物、こういう類いの人物を『人中の龍(じんちゅうのりゅう)』という。これは、わたしの解釈である。

龍の如く、豪壮な思念を持ち、行動するから
是くいうのである。
 

天を相手とせよ【南洲 西郷隆盛先生 論(序)】

  • 2013.01.18 Friday
  • 00:00
天を相手とせよ【西郷隆盛 論(序)】



『南洲西郷隆盛論(なんしゅうさいごうたかもり)』である。

明治維新を実現した「維新の三傑」のひとり。

誰でも知っている英傑である。

わたしなりの西郷論を述べてみたいと思う。

一見、平安なる世の中だが、将来の日本という国は、凋落の一途をたどる様相を呈してきている。

あなたはそう思わないか?少なくともそういう可能性があることを認めないか?

いまの世で「人を相手とせず、天を相手とせよ」と言われた南洲西郷先生の志と胆力(腹)は、日本人の何処にありや。

わたしはこれを書くにあたり、勝海舟先生の居られた「洗足軒」の跡に佇む、勝先生夫妻の奥津城、そしてその横に建立された西郷隆盛先生の留魂祠(神社)に参詣しお祈りを両雄に捧げた。
 

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