霊術・金剛の気合法【雪のこる塩川大滝にての禊ぎ行】

  • 2014.02.11 Tuesday
  • 12:00
霊術・金剛の気合法

【雪のこる塩川大滝にての禊ぎ行】

(1)雪のこる塩川での滝行気合法



2月9日(日)の数十年ぶりの大雪は関東圏の交通を麻痺させた。

あの日の午前0時から早朝は「神の時間」だったのだと思う。

自然の摂理によって、お滝が封じられる。

わたくしたちの塩川での修行の積み重ねにより神霊の感応が起きているものと拝察する。

2月11日(本日)は、お滝の修道としては、最高のコンディションだったと思う。

禊ぎ・気合法と共に「火生三昧」の修行をするのにふさわしい状況であった。

だが、塩川に到着して、当初は困難をきわめた。

というのは、ここ数日の塩川の滝への来訪者はほとんどなく、道が雪で埋もれている。それゆえに或る地点から、自動車から降りて荷物を持参して徒歩でゆくということになった。

修行するための道をつくるため、参詣者が来れるようにするために、お稲荷さんから清龍橋、塩川神社、お滝へと雪を掻き、行道(ぎょうどう)を先ず作った。

大変に修行前の諸作業が苦労であったが(実は苦労でも何でもなく楽しいのだが)、果たしてお滝のほうは無事に修行することができた。

流れ落ちくるお滝の水は、最高に冷たく、この冬季一番だった。心臓の鼓動がいつもより激しく、心臓麻痺が目前に見えてくる感じがした。この辺までやり切ることが必要なのである。

こういう課程を経て、寒冷の流水に入ること(入滝)によって、火(霊)の力・熱の力を得るのである。

すなわち「霊力」「火を操る力」「大楽を得る為の土台」を獲得するのである。

(2)金剛の気合は自然活元気合である

 

気合の最高峰というのは、無音ということになるが、音声ということが一番大切なものになる。

本物の気合をやるには、東京の河原なんかでやっていても意味がない。(声を出せるメリットだけ。やらないよりマシか。笑)

そんなやり方で、疑似気合をやっても、所詮はそのつもりのなんちゃってであって、本当のことはつかめない。

極寒のなか入滝したり川に入水して行うから本当の必死の気合が出来るのです。

禊ぎもしないで、河原(例えば東京の河川敷など)なんかで気合やって、余裕なんかあったら全然ダメ。

なぜなのかというのは、極寒のお滝や川に作法通り入ってはじめてわかるもんです。(海でもいいですよ。)

「金剛の気合」というのは密教法術の精髄の御真言を密用したものであり、気合が出る瞬間というのは、まさに自然発露の一点であり、それをとらえて行う「自然活元気合」とでもいうべきものなのである。

日本野鳥の会の創始者・中西先生という方は、お滝に入って自然に体が動き出したそうで「自然運動」だと言われている。

こういう自然発露が「霊動法」「自然活元運動」というものであって、お部屋とかでお行儀よく発現するのは、ほとんど自然発露ではない。

以前に若手の操法者(野口整体)が「自然活元操法」だといって目の前でやってくれたが、あれも全然ダメ。自然活元ではない。

若者は、言い訳したり屁理屈言わないで、ああいうのは寒行でもやって性根を入れ替えたほうがよい。

「金剛の気合」、これ一瞬で全身振動し、身体は一瞬で変化する。

体験してみたまえ。

(3)今年で5回目の「寒行」は畢わりぬ 

12月ないし1月から節分までの期間の「大寒(寒行)の修行」も当会では、今年で5回目終了(満5年)となった。

しかし1シーズンお滝は、4月はじめまで行い、「納めの滝行」をして江ノ島に参詣して終了となる。

少ない人数だが、本物の修道者に成れるよう、黙々と修行を積み重ねてゆこうと思っている。

効用としては、お滝をやると夢の見え方が変わることを付記す。またオーラのもとの「プラーナ」の質が変化することも添えておきます。

(4)帰りの道すがら



 

お滝帰り道に、道祖神や庚申さんと会うことがある。今日はそれに加えて、地神塚というものに縁(えにし)があった。

神さまのお住まい(おうち)だという人がいるけれども、まさしくそんな気を漂わせている石のお社であった。



短夜に 足跡のこして 夢のなか

塩川より発信す【本年の大寒禊ぎのこと】

  • 2014.01.19 Sunday
  • 11:00
塩川

【本年の大寒禊ぎのこと】



塩川大神奉祭碑に注連縄と紙垂を取り付ける
(霊写真です!)


◎寒行の禊ぎ

心身を浄めるには「寒行」にかぎる。

まもなく「大寒」であるが、12月の冬至、1月の小寒を経て大寒にかけてを「寒」といい、この時期の修行を「寒行」ないし「寒垢離」という。
(※小寒〜大寒、立春に至る時期を「寒の内」という。この時期の修行は、功徳が高いとされ、願掛けなどを行うにもよいといわれている。)

 心身の垢穢れを寒の期に捨離するから「寒垢離」というのであり、水によって浄化せしめんとするゆえに「水垢離」という。

自分を守護してくれる神佛乃霊・心霊を招請(招き)し、且つ御守護をいただく為にも、心身の浄めが必要なのである。

本日(1月19日)、早朝にも「寒の禊ぎ」を行なった。

◎宗像三女神(奥津宮)のこと

先般、江ノ島にゆき宗像三神(女神)を拝した。やはり「奥津宮」に霊威があり、感じるところがあった。


江ノ島での美しい夕日

九州の宗像大社には、宗像三神が当然祀られているが、本拠の沖ノ島は「神の宿る島」であり、島には国宝が数万点も現存している。

50年以上前の学術調査では、8万点の国宝が発掘されている。

江ノ島の「奥津宮」は、沖ノ島の「沖津宮」に相応している。

天照皇大神由来する三姉妹の神が宗像三神だというのが一説としてあるのであり、神格の高さを表現している。

◎本日の禊ぎと護摩行

本日の護摩供(火祭儀式)では、四方に注連縄をはり護摩壇に結界をめぐらした。

同行者の中には、霊夢を見て、海難者供養の示唆を受けた人もいて、供養段の護摩次第のところでは、浮浪霊・四足動物霊以外に海難者のご供養も行った。

その霊夢では梵字の「ユ」があらわれたそうなので、「ユ」の種字を持つ佛尊である、「弥勒菩薩(みろくぼさつ)」の御真言も奉唱した。

行後、桑田欣児師の「真鑑法」による守護神霊についても参加者に口訣を与えた。どういう守護神なのか、またどのような神霊や霊魂をどう供養するのかなど・・・を説明した。

今朝5時の入滝時には、わたしたちの修行を、錫杖を振りながら見守っていた入道(僧侶)の佛霊が、滝前で立っていたと証言した人もいた。

また前回より塩川社には、本尊御祭神の御為の「御幣(依り代)」を奉斎した。
(※ここの霊場と関連のある地元の市杵嶋姫神社にも、注連縄・紙垂、御幣を奉斎しました。)

 
塩川の地元にある市杵嶋姫神社(姫大神出現の伝説がある霊処だ!)

塩川大神の奉祭碑にも注連縄・紙垂を取り付けて、御神酒をまきご供養させていただきました。(※写真参照)

其処彼処と塩川近辺の霊処の霊威が増しているのが判然としてきております。

できれば「大寒〜立春」の早朝(日の出と共に)海辺にて「大寒のみそぎ」を行いたいと思っています。

でもまあ、やりさえすれば良いというものでもありませんが・・・。

例えば、奥多摩の方面の「×岳山」のお滝で「大寒みそぎ」をやっても、あの山には半端な「道彦モドキ(※みそぎの指導者)」しかおりませんので、たいした効果はないと思われます。
(※せいぜい爽快とか何とかいう自己満足だけでしょう!)

いまの神社本庁の作法しかしらない「御師(おし)」なんて価値はないのです。神社本庁の教えている作法が神道だと勘違いしている連中だから(笑)。
(※御師は山の神主を兼ねた管理者。宿坊経営者。)

密教の作法や真正の神術を知らない修験者(御師)なんて「たんぽぽコーヒー」を本物のコーヒーと偽って販売するようなものです。

まあ、行の上ではお話にならないので、相手にもなりませんが、大寒の時期になると恒例のように思いだすので、あえて書いてあげただけですけれども。

海でする禊ぎに如くはないのです。


アツアツの塩川煮干しラーメン(醤油味)をいただく
(塩川・清龍橋のたもとにて)


本日の行後、「塩川煮干しラーメン(醤油味)」「塩川焼飯(現地で調理)」を美味しくいただきました。食べるとお滝の辛さが不思議にどこかへ消えてしまいます。本当に妙です。

訶呵

改訂版 平成25年『大祓え・納めの滝行』を執行す! 

  • 2013.12.30 Monday
  • 12:00
改訂版 平成25年12月晦日

今年もありがとうございました!

『大祓え・納めの滝行』を執行

    
塩川神社と塩川稲荷社のお正月荘厳
(※お鏡餅・御神酒・しめ縄・松飾り等々奉納させていただきました)


平成25年も残り僅かとなりました。

本年も恒例の「大祓え・納めの滝行」を執行しました。

12月29日と30日(晦日)の2日間、早朝から「滝行禊ぎ」を塩川霊場で行ないました。

同時に、塩川霊場のお正月のお神酒奉納・お鏡餅奉納・松飾り・しめ縄等々のご奉納も万事滞りなく行なうことができました。

わたしの会の集いに於いて行なうお滝の修行法は、「佛仙」に通じ、さらに「神仙」をめざす、必修の行、登竜門と言える。

「僊」を得るという明確な目的・概念があるということが、独特であり画期的なところでもある。

我が会では、この修行法の修道なくして、この門から上へゆくことはできない。自身の悪業や障害を取り除く修行法として、滝行禊ぎ以上のものはないと思う。

わたしは再びお滝の修行をはじめて5年が経とうとしているけれども、昨年度・今年度と究めてよい修行になっており、自分のもつ悪業やら深い因縁因果を転換消滅する、そういう力を得る修行になっていると思う。

実際にその現証(あかし)もあり、それを確認・自覚している。

ありがたいことに塩川の大瀧(不動の滝)は、海の塩(潮)に関係するお滝なので、非常に浄める力が強い。

殊に寒さが増している時期は、手足の先まで冷えに冷えて、体の隅々まで浄化され得るのである。

冷たい水でもって心身を浄化し、清浄な火でもって熱を得て、自分の中の「霊(ひ)の力=霊力」を増す。

この課程で心身の「罪・ケガレ」が浄まってゆくのである。

さらには霊の浄まりも起こり得る。

この玄理は太古から伝わっているものであるが、最近ではこれが失われてしまい、知っている人も少なく、まして体感・体得している者は 、ほとんどいない。

たとえば自分が神僊になり、悟りを開いても、祖霊七代の中で冥罪のある者がいると、その神(僊)は祖霊の代わりに「水火の祓い」を行わなければならない。このことは、幽理の掟なのである。

その後には、神通力が増すと言われている。本当の修道とは、観念的なものではなく、実際にご供養したり、積徳したり、苦修練行するものなのである。

都合よく拝んでいるだけでは、神や佛僊には通じないのである。そういう修行は、まさに「勝手」という一言に過ぎぬ。

実際に我々には、神通の力が出てきているのである。
「火の練磨」「水の練磨」を行うことで秘呪の力も本物になってゆく。

今後は「滝行」「護摩供」ともに、結界や神籬・本尊の配置を考え、適切に実現したいと思っています。これは来年の抱負です。

さて、わたしたちは、来る年も諸人の弥栄(いやさか)を願い、世の安穏を祈ります。

わたくしとその一門は、正月松の内から「初滝・寒の修行」を行います。そして「手箱の神山(筒上山)」「富士山」を目指します。

来年、甲午の歳は、天馬の翔るが如く、手箱神山と富士山の神界を繋ぎ・開示するご神業を行なう所存である。

最後になりますが、この一年間「本ブログ」へのアクセスまことにありがとうございました。

それでは、みなさんよいお年をお迎えください。

川島金山 謹書

気合法の秘訣【修道者たちと共に】

  • 2013.11.24 Sunday
  • 20:00
開発法としての気合術の秘訣

【不自惜身命・修道者たちと共に】


前日が誕生日だったY君 ケーキでお祝い

11月24日(日)この日も早朝からお滝による禊ぎ・気合の鍛錬を行った。

寒さという点では防寒したり、無用の我慢大会はしないように行っている。各自、その辺は心得ている。

行後、前回は「塩川カレーうどん」、今回は「塩川みそラーメン」を皆でいただいた。どれもプロはだしの味で,町中で営業しているおそば屋さんと同じ味である。

画像では揚げてはいないけれども、名づけて「塩川ちくわ天」というのがあって、これは「サクサクあつあつ」で「西のホットドッグ 東のちくわ天」という冗談がでるくらい美味です。

前日はY君のお誕生日であり、簡単ではあるがケーキで皆でお祝いした。

この12月初旬には、彼はご家族で伊勢神宮にお参りするそうである。これも兎にも角にも、修道・鍛錬を繰り返している功徳だと思う。

わたしも20年前の式年遷宮の時に、家族の大半が伊勢神宮にお参りした。行が進むと必ずそういう現象が伴うものである。

だが、24日(日)の修行はわたしにとっては厳しいものであった。体調が思わしくないのであった。体は一つしかなく、日々自分の生業の業務をこなして生活している。故に乱暴な無謀なことはできない。

だが、そういうこともわたしにとっては言い訳の一つに過ぎない。

修行においては、己の心に「怖気づく心」があるかどうか、ここが一番大切なところだ。言い訳はどのようにでも、何だって言えるのである。

こういう鍛錬をしたからこういうことを得られるとか、そういう類いの計算・勘定づくの考え・精神は、「正真の信仰」には無用のものなのである。

極論すれば、死んでもかまわない。禊ぎの行をただすることに意味がある、というように考える、これが修行というものである。わたしは今も昔もこれを貫いている。

そして自己責任をもって自認している。
各自も自己責任であり、それが指導の真ん中にある。
死ぬのが嫌ならば、そのように自戒し工夫すればよいのだ。

平成の大横綱・貴乃花が横綱昇進のときに、答礼で言ったのは「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」だったが、修行の場合には「不自惜身命(自らの身命を惜しまず)」となる。

これは法華経の経文中にある、有名な一句である、「一心欲見佛 不自惜身命(一心に佛を見たてまつらんと欲して、自らの身命を惜しまず)」から来ている。

たしかに玄学・神僊の道は、その課程が精緻であり、修道の階梯は微細に入り示されている。しかし、それを本当に実現するには「正真の信仰」が必要なのである。

それなくして、絵空事で高度の霊界(幽界)にゆけるわけがない。顕幽一致、この世のあとも継続しているのである。

わたしには体に関する遺伝体質的な因縁がある。これは誰にでもあり、例えば胃の具合がよくない親族が大勢いるなどというのがそれである。

修行の日の早朝(午前2時頃)に、実父や祖父の生活上のクセから為した業の種類、体に関連する病気の系統(まけ)、幽界での状態など、まざまざと感得するところとなった。

修道する上で、非常に追い詰められた状態であったのだが、「因縁を切る」には、やはり「水」が必要であり、「火」のエネルギーも欠くべからざるものなのである。これは理屈ではなく、行を積めばはっきりわかることである。

修行のはじめにお勤めをするにも体調が思わしくなく、まさに行者の名折れである。年には勝てないということか?などと思いながらも集中力を徐々に高めていった。

九字真法・神傳卍字九字を切って入滝する。
気合一閃!
こういう場合は、自分の内蔵、特に腹に向かって気合をかける。

短い気合で一瞬にして振動させるのである。

副腎の副腎皮質ホルモンなどの分泌を促すように声と念を一つにして気合をかける。気合をかけ意気揚々として不怖の心境になる。アドレナリンの分泌をさらに促すのである。

自分の体の中に、強力な自家薬を血液の中に流し込むのだ。

するとどうだろう、ものすごい回復力である。これが火事場の馬鹿力というものなのであろう。一気に回復して元気になるのである。

いわゆるチャクラ、竅、キルコルというものの開発は、ヨーガ・気功・気術のような持続的な鍛錬と、今回のような一撃的鍛錬の2種類によって為されるのであろう。

竅・チャクラなどの開発のない、正しい修道はあり得ないのである。

※註)チャクラとは回転する輪のことでありインドの言葉。竅は仙道などで言う語、キルコルはチベットで使われている。共に同じ意味であり、人間の中にある潜在的な力の源泉といえる。また、人体中の内分泌腺と対応している。

開白【冬季の滝行禊ぎがいよいよ始まる】

  • 2013.11.10 Sunday
  • 00:00
改訂版・開白

【冬季の滝行禊ぎがいよいよ始まる】


開白にあたり護摩供で御神霊に挨拶をする(塩川にて撮影)

平成25年11月10日(日)より、冬季に向けての「滝行禊ぎ」がはじまる。

修行の開始は、「開白(かいびゃく・かいはく)」ということを古来常とする。

修行の終わりは「結願」という。

先ず、はじめに「誓願」がなければならない。

いつも言うことだが「誓願」がないと「魔事」を生じ、悉地成就(しっちじょうじゅ)できない。「信」というものが円通することができないのである。

今年度のお滝の修行は、「寒」の時期に盛んに行ないたいと思っている。

やはり「寒の行」は功徳があると昔から伝えられているからだ。

こういう寒い時期の修行は、理屈ではない。柴燈護摩供もやれば御真言もお唱えする。

神の法は重要視していても、一段の護摩を焚かなければ、身体がもたない。

熱というものを体感する。火から熱というもの得る。この体験は修道者として非常に重要だ。

このことの内容については、滝行禊ぎの実践者に口伝しようと思っている。

それと今年の「大司命節」において、神祇に通じるところの「不動明王秘法」の秘密観想法を得た。

これはある時、わたしの頭の中に長い文章の文字として、脳裏に浮び、流れ入ってきたものである。

それを後から再生して、文字化し、確立したものである。

非常に魅力的な法で、かつて真言密教にも口伝であったものだと思うが、こんな法は、いまの世の中の何処にも存在しない。

オンリー・ワン。完全なオリジナルである。

この秘伝の観想法も伝授することにしたい。

先般「開運祖霊祭祀法」を伝授したが、この法をさらに強力にするのが「不動明王」「愛染明王」を念ずる法であり、わたしが今回感得した秘法は、それらの更に更に奥の法なのであり、不動明王最奥秘の観想法だと言えよう。

この法はあきらかに御神霊から授かったものである。

なぜならば、わたしは先祖伝来の不動明王の前で産まれたのであり、お不動様とは深い仏縁があるからだ。実は、塩川の大瀧は、その昔の修験者たちにより、「不動の滝」と呼ばれていたのである。

※今回のお滝から明らかに冬の水温を呈し、杜の落ち葉が一斉に舞い落ちる光景を目にした。散華が雨の如く降るようであり、塩川ではじめて見た景色であった。

※本日はいつものメンバーに加えて福島からの若々しく礼儀正しい真面目な青年のご参加があった。一人でも何かを感じて真面目に参加する人がいればよい、わたしはそう思っているし、会もそういう方針で運営されている。

さあ、寒行の開始である!
 

滝行気合の新機軸【正神界を念ずる禊ぎの行】

  • 2013.06.10 Monday
  • 00:00

滝行気合の新機軸

【正神界を念ずる禊ぎの行】


平成25年6月9日(日)、滝行気合法の歴史に新機軸が導入された。

今までは、入滝法(滝に入る作法)に於いては、神祇と仙仏の方法を取り込んで行なってきたものだが、今回の滝行の会では、「正神界に感けるところの禊ぎ」をご披露した。

これは次回の大瀧霊境にて修道する為の準備でもある。

日本に於いて(世界に於いても)最高度の霊界というのは、神集嶽と呼ばれる正神界である。これは古来から言う「高天原」のことである。主宰神はもちろん天照皇大御神だ。

ここに至ることは、通常ほとんど不可能に近い。

だが、一定の順序を踏めば可能なのである。

そのためには産須那神を敬神し、伊勢神宮・出雲大社を尊崇しなければ到底為し得ない。

更にはそこに至る前提の神域にて修道しなければならぬ。

その神域こそ大瀧霊境であり、手箱神山(筒城異境ヶ原)なのである。

水垢離(禊ぎ)を行なって、入山し登拝しなければならないのだが、この禊ぎ法が実は無いのである。

たしかに川面凡児翁の神傳禊法は、神傳なのであろうが、川面翁が生きておられてご指導されているのならまだしも、現在は翁に比肩するだけの道彦(みちひこ)はいないと思う。

また第一、法の系統が違うのである。

今回ご披露した正神界に感ける禊ぎ法は、今後修行者の修道をおおいに助けることになってゆくであろう
 

産須那神禮讃【塩川大滝での禊ぎ会】

  • 2013.06.09 Sunday
  • 00:00

産須那神禮讃

【塩川大滝での禊ぎ会】

現在こうして元気で居れるのもすべて産土神のおかげである。

人の一霊はいつも述べている通り、天帝(天御中主大神)から付嘱される。

天帝より与えられた霊(ひ=火)を人間に付嘱する役目が産土神である。

生も死もさらに死後も見守るのがウブスナノオホカミなのである。何よりも尊い存在なのだ。

自分がこの世に誕生した日には現住所の産土神でよいから禮拝感謝することである。

先般、勤務地の洗足の産土神社にお参りすると実に興味深い霊験(みたまのふゆ)があった。

神秘は産土神よりはじまるのである。

困ったことのある人は、現在住所の産土神社に参詣し、ご自分のご先祖のお墓参りをするがよい。必ず道が開く。

さらにもう一歩やりたい人は、「施餓鬼法」に基づいた、祭祀法をやるがよい。知らなければ教えてあげよう。

今日は畏しこくも、産土神に奉告して禊ぎをさせていただいた。

禊ぎの神事は、神道に於ける幽玄なる神術と申すべきものである。

神の正道は、開祖も教祖も有らず、自然のまにまにある道なのである。

産土司命神というものが存在しなければ我々は得道することもない。

納めの滝行【新たな段階へと進む】

  • 2013.03.30 Saturday
  • 09:49

【新たな段階へと進む】

◎平成25年3月31日 納めの滝行を実施

平成24年9月から毎週のように続けてきた「滝行気合法」の錬行も、この3月31日(日)の修行で「一期の修行」を了える。

初志貫徹して、滝行の錬行を完遂した修行者は、わたしを含めて4名であった。

秋からきっちり毎週、滝行を実践したのは「滝行気合の会」が発足してからは初めてだと思う。

今期(2012年9月〜2013年3月)修錬の修行者以外には今までいなかった。

やはりそれでも修行としては足りない感じがする。

できれば週に2度のお滝を実践して、さらに「寒の時期」には、毎日のように入滝する。これが実現できれば、修道が益々進捗することであろう。

いま、わたしは修道そのものの工夫を凝らしているが、もう一方では、鍛えた気合を整体療法に取り入れるということも研鑽している。

2月はじめから開講していた整体開業講座は3月28日で終了したが、昨日(28日)その席で、繰り返し「輸気法としての無音気合法」を練磨した。

これを行なうと確実に輸気の質量が上がり、身体の深部に響き感応する。

プロの整体家・指導者は、身体の深部にまで響く輸気ができなければならない。

『肚をつくる・整える』ところの整体法から『修霊断食法』『食養法』、そして『滝行気合法』から『密教』『神僊玄学』へとつながる

こういう一筋の道が出来つつある。その道は、塩川青竜寺へと繋がって、結実しようとしている。

お国に税金をできるだけ支払って、時間をつくって修道に打ち込み「肚を鍛える」。

このようなあり方を実現すること、環境としての修行・修養の場が完成できればと思っている。
 

【整腹打ち込み気合法と老人医療】

  • 2013.03.14 Thursday
  • 00:19

【整腹打ち込み気合法と老人医療】

先般、或る老人ホームの今年で87歳になる男性のところに治療に行った。すでに昨年の11月からせっせと出張による治療をしている。

詳しいことは別ブログ『川島整体療法 臨床記録』を見ていただきたい。

わたしはこの方に、渾身の無音気合を込めた。

名付けて『整腹打ち込み気合法』である。

本来、整腹気合法というものは、自分の腹をつくるのに行なうもので、お滝に入滝して修行するのが一番本式なのである。打ち込み気合法というのは、手を刀印という形にして、剣を振るうように打ち込んでゆく。まず整腹し、次に打ち込み気合をする。要は別々のものである。

わたしのいう『整腹打ち込み気合法』というのは、他人の腹を整腹するために打ち込む気合である。

この老人には時期が来たのでこれを施した。

昨年の11月、すなわち4ヶ月前までは寝たきりであり、話すことどころか自分の意志などほとんどなかったような老人が、しゃべれるようになってきただけでなく、お経を唱え始めたのである。

これが霊術を基礎とした整体療法の威力である。渾身の気合を具合の悪い者にかけて注入してゆく。

不思議なことにその型は、整体法における『腹活』のような型になってしまうのである。

整腹打ち込み気合法はそのようにして運用活用される。

完成に近づく【霊術 滝行気合法】

  • 2013.03.10 Sunday
  • 00:00

完成に近づく【霊術 滝行気合法】

秋季から冬季(寒行)春までと、一期の滝行気合の修行も終えようとしている。
(※一期で最低30回は入滝します。)

今季の修行は充実したものであった。

霊的にも関連のある地で、気線が通って霊力を得て、様々な秘密をつかむ事ができた。

これも仏天の御加護、関係者、修行者の理解と熱意の賜物であると思う。

たしかに来期も同じようにやりたいけれども、同じ条件ではない可能性がある。

人間も環境も時々刻々変化するものであるから、それは仕方のないことである。

わたしと一期の滝行気合の修行をやり遂げたということは、これは価値のあることだと思う。

独行というものは必要だけれども、我流になる場合が多い。

一人で勝手に「へなちょこ勤行」をやり「へっぽこ気合」をやって入滝するようでは、本物のお滝とはいえないし、ましてや霊術としての気合法を修得することなどできるわけがない。
(※整体なんかの気合とは質が違います、質が。気合で水量が変化しますからね。一緒に入滝すればわかることです。)

わたしの指導する滝行気合の鍛錬に価値を認めて、自分にはこれが必要なんだと思った人間のみが修行すればよい。

そのほうがわたしも気が楽なのである。

今までは誰でも「どうぞ どうぞ」という具合だったが、これからはその必要もない。
(※これが状況が変わるということの実例です。)

わたしを師匠と思って、素直にやること、謙虚さとひたむきさ、これが資質として最も大切。

滝行気合の鍛錬修行の会に入りたい者は、一期終えた修行者(3名)が認め且つわたしが認めた者。もしくは特別にわたしが認めた者に限る(稀です)。以上が今後のルールです。
(※自分の意志があっても修行グループに入れるかどうかは別の問題ですので、あしからず。)

今冬季の寒行では、修行の工夫、環境調整も充分に体験し為すことができた。

塩川での寒行は、とにかく回数をやらないとわからない、そういう修行なのである。

この修行は法の奥深くも見ることができるものであり、その体得によって、全ての神法、密教の法が自分のものになる土台ができるものである。

いままで随分と様々な修行をしてきているが、これは非常に画期的な技法であると思う。

吾が会の『霊術 滝行気合法』は、まさに完成に近づいている。

PR

calendar

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< August 2019 >>

selected entries

categories

archives

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM